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飲み友達のニート仲間が『可愛すぎる女優』とバズっているらしい  作者: 剃り残し


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3/22

3

 食堂を出て図書館に向かう最中、隣を歩く昼飲み女はフードを目深に被っているが、足取りはやけに軽い。


 かく言う俺もかなり軽い足取りで坂道を登っていた。


 ビール一本で、世界はこんなにも見違えるのかと驚く。


 「♪さっかみち〜、トンネル〜……」


「……ご機嫌だね」


 「朝ビールと昼ビールは合法ドラッグだから。世界が三割増しで綺麗に見える。あの電柱ですら愛おしいよ」


 彼女は気にする様子もなく、鼻歌交じりに答える。


「あれはただのコンクリートだよ」


「無職さんは風情がないなぁ。あれは犬たちのSNS映えスポットだよ。マーキングという名の『いいね!』がたくさんついてる」


「それはただのおしっこだよ!?」


 俺たちは坂道を登り、市立図書館へと向かった。古い建物特有の湿気と紙の匂い。


 声を潜め、忍び足で館内へ侵入する。


 「……ここが、プロ無職の仕事場?」


 棚に向かう途中、囁くように昼飲み女が尋ねてきた。


「オフィスとお呼び」


「ふふっ……静かだね」


「図書館だから」


「……くしゃみしたら、即退場になりそう」


「鼻をつまんで耐えて。ティッシュはもうないよ」


 俺は慣れた足取りで「動物」の棚へと向かった。彼女は金魚のフンのようについてくる。


 「無職のバイブルはどれなの?」


「『残念な生き物100選』かな」


「ふふっ……暇人の極みだね」


「それ、最高の褒め言葉」


「ふふっ……褒めてないよ。私は……あっちかな」


 彼女が指さしたのは、通路を挟んだ反対側。


 そこは「演劇・芸術」の棚だった。


 そうだった。この人は自称女優だった。


 「……どうぞ。俺は適当に本を選んでるから」


 彼女は「ん」と喉を鳴らして離れていった。


 俺はカピバラの本を開くが、昼飲み女がどんな本を選ぶのか気になり、内容が頭に入ってこない。


 チラリと彼女の方を見ると、分厚い戯曲集を手に取り、真剣な顔でページをめくっていた。


 その横顔は、食堂で飲んだくれている人とは別人のようだった。


 誘い込まれるように昼飲み女に近づく。集中しているらしく俺には全く気づかない。


 ツンツンと肩をつつくと「ひゃうっ!?」と可愛らしい声を出して驚いた。


「あ……無職さんか。びっくりした」


「ごめんごめん……そこのテラス席が2人分空いてるから決まったらそこで落ち合おうか」


 俺が顎でしゃくった先には、屋外読書用の小さなテラスがある。


「普段の特等席?」


 昼飲み女がニヤッと笑って尋ねる。


「そうだよ。特別に招待してあげる」


「ふふっ。ありがと」


 ◆


 俺たちは自動販売機で甘ったるい缶コーヒーを二つ買い、並んでテラスにある椅子に座った。


 アルコールで火照った頬に風が心地いい。

 

「……ここ、いい場所だね」


 昼飲み女が真面目な顔でつぶやいた。


「市民税の正しい使い道だよ。非生産的な人間にも、平等に風は吹く」


「皮肉屋」


「事実だよ」


 プシュ、と彼女が缶コーヒーを開ける音だけが響いた。


 そこから、奇妙な読書会が始まった。

 

 俺はラッコの生態を読みふける。


 ラッコは眠る時に流されないように海藻を体に巻き付けるんだとか。更に、海藻がなければ仲間と手を繋いで眠るらしい。


 ……可愛すぎか!?


 そんな、明日には忘れてしまいそうな無駄な知識が、脳の隙間を埋めていく。

 

 隣を見る。


 彼女は、じっと集中した様子で本を読んでいた。


 さっきまでの酔っ払いの顔つきは消えている。

 ページをめくる指先だけが、規則的に動く。


 時折、眉間に深い皺を寄せ、何かを噛み締めるように目を閉じる。まるで、文字という名の劇薬を、少しずつ摂取しているみたいだった。

 

 一時間。二時間。


 太陽の角度が変わり、テラスに落ちる影が長くなる。


 酔いが醒めていくのと反比例して、彼女の周囲の空気が重くなっていくのがわかった。

 

 パタン。


 不意に、彼女が本を閉じた。


 その音は、テラスの静寂の中でやけに大きく響いた。


 「読み終わった?」


「や、まだまだ」


 彼女は閉じた本の上に両手を置き、深く息を吐いた。顔色が、はんぺんよりも白くなっている。


「大丈夫……?」


「ん、ちょっと疲れただけ。外の空気吸いに行こうよ」


 昼飲み女はここが外のテラス席だと忘れているらしい。「あ……」と言って周囲を見渡し、恥ずかしそうに舌をちろっと出した。


 ◆


 気分を変えるために図書館を出て、隣接する公園のベンチに腰掛けた。


 公園では保育園児らしき子供たちが、ルール不明の独自の鬼ごっこで走り回っていた。


 「……はぁー」

 

 彼女は深く息を吐き、ベンチの背もたれにだらりと寄りかかった。


 「図書館、合わなかった?」


「……や、現実を突きつけられただけ」


「現実?」


「……あの棚にある本、全部、才能のある人が書いた言葉なんでしょ」


「まあ、そうだろうね」


「……私には、重すぎた」


 彼女はうつむき、自分のスニーカーのつま先を見つめた。


 「……ね。無職さん」


「なに」


「……テレビ、見る?」


「食堂の競馬中継くらいかな。家にテレビないし」


「……そっか」


「何かあった?」


「や、実はドラマの撮影をしててさ。主演なんだ」


「えっ!? すごいじゃん! 地上波?」


「や、ネットに上げるだけ。専門学校生の勉強のお手伝いだからギャラもほぼなしなんだ」


「いや、でもすごいよ!タイトルは?」


「……『絶望ニートの独り言』」


「ニート……」


「ん。だから、無職さんの生態は参考にできそう」


「ははっ! 俺の納豆定食が、役作りの肥やしかぁ」


「……でも」と彼女の声が沈んだ。


 「全然、ダメなんだ」


「ダメ?」


「学生にすら言われた。『ニートであることに哀愁がない』って」


「……哀愁」


「『ただダラダラしてるだけだ。もっと、社会から切り離された孤独とか、焦燥感を出せ』って」


「……なるほど」


 監督と彼女は年はそんなに変わらないんだろうけど、中々に尖った人のようだ。


「……わかんないんだよ。私、ただの売れない役者だし、焦燥感ならあるはずなのに……カメラの前に立つと、全部嘘っぽくなる」

 

 彼女は膝の上で手を握りしめていた。いつも飄々としている彼女の、初めて見る弱音だった。


 俺は無職だ。演技論なんて語れない。


 でも、何か言わなきゃいけない気がした。


 脳内の引き出しから、今日読んだ動物図鑑の知識を引っ張り出す。


 「……ラッコって、知ってる?」


「……え? ラッコ?」


「そう、貝を割るやつ。ラッコが海で寝る時どうするか知ってる?」


「……浮いてる?」


 突拍子もない話に昼飲み女の意識がラッコ一色に染まったのが分かった。


「そうなんだけど、でも、ただ浮いてるだけだと、潮に流されて朝起きたら全然知らない場所にいたりするんだ」


「……遭難だね」


「そうなんだねとかけてる!?」


「ふふっ。正解」


 ニヤリと笑う昼飲み女のテンションはいつもと同じに戻ってきた様子。


「だから、ラッコはどうするかというと……海藻を身体に巻き付けて、アンカーにするんだよ。昆布とか」


「ふふっ……昆布を布団にしてるんだ」


「あと、もっとすごいのは……仲間とはぐれないように、寝てる間、手をつなぐんだ」


「……手?」


「うん。隣のラッコと、手を繋いで寝る。そうすれば、流されても一緒だから」


「……」


「……だから、何が言いたいかっていうと」

 

 俺はそこで言葉に詰まった。俺は何を言おうとしているんだ。カピバラの次はラッコか。動物博士か。


 「……その、不安で流されそうな時は、誰かと……手でも繋いでおけばいいんじゃないかな」

 

 言った瞬間、公園の時が止まった。


 子供たちの声が遠のく。


 俺は今、とんでもなくキザで、文脈の繋がらないセリフを吐いた。


 穴があったら入りたい。むしろ、俺が昆布になりたい。ラッコになって漂流したい。


 「あ、いや、今の忘れて。俺はただ、ラッコの生態を……」


 俺が言い訳をしようとした時、彼女が手を握ってきた。横を見ると耳まで真っ赤で俯いていた。


 だが、その口元が、微かに緩んでいるのを俺は見逃さなかった。


 「……ごめん。酔っ払ってるから。よろけただけ」


「そっか」


 さすがに酔いはもう冷めているだろうと思いながらも野暮なことは言わない。


「でも……無職さんは貴重なラッコ仲間でもある。普通の大人は働いてるこの時間を、プカプカ浮いて過ごしてる仲間」


「そうだね」


「昆布があるといいんだけど、手頃なものがなくて……だから、流されても寂しくないように繋いでたい」


 無職同士の傷のなめ合いのような関係かもしれないけれど、断る理由もなかった。


「……うん。俺でよければ、愚痴くらい聞くよ。動物のマメ知識しか言わないけど」


 俺がそう言うと、彼女は小さく吹き出した。


 「いいじゃん。毎回ちゃんと悩みに対して返してくれるんでしょ?」


「それはハードルが高いなぁ」


 「ま、けど……ありがと……無職さん」


「どういたしまして……昼飲み女さん」


 昼飲み女はちらっと俺を上目遣いで見てくる。


「ね……無職さん。名前、教えて」


「え?」


「……いつまでも『無職さん』だと、呼びにくい」


「……彩野。彩野《あやの》潤《じゅん》」


「ん……私は風見《かざみ》帆夏《ほのか》。風を見るに、帆船の帆に夏。で全部にニンベンがつく」


「そんな漢字なくない!?」


「ふふっ。なんてね。無職さんの漢字、当ててみるよ。アヤノは……言葉の綾に野原?」


「残念。アヤは『彩り』だよ。潤は潤う」


「へー。なんか、全体的にサラダっぽいね」


「どこが!?」


「みずみずしい彩り野菜の潤、ってね」


「なるほどね……」


「ん……ね、潤。明日も来る? 食堂」


「うん。そのつもり」


「ん。じゃあいつもの席で待ってるよ」


「了解。じゃ、昼飲み……じゃなくて……」


「ん? 名前忘れた?」


 帆夏がニヤニヤしながら俺を見てくる。女性の名前を呼び慣れていないのが一発でバレてしまった。


「帆夏さん、ね」


 帆夏は「……ん」と小さく喉を鳴らして頷いた。


「やー、無職ってサイコーだね」


 帆夏が空を見上げて楽しそうに笑った。金はないけれど時間はたっぷりある。まるで学生に戻ったかのようだ。


「お金は稼がないと無いんだけどね……」


「ま、ウーベーの配達やるし。チップがたくさん貰えるんだよね」


「美人は得だねぇ……」


「や、私なんて全然」


「帆夏さん、ところでさ」


「ん? 何?」


「その……手、いつまで繋いでるのかなって」


 帆夏はハッとした顔をすると慌てて手を離した。


「ふっ、雰囲気に流されてただけだから!」


「ラッコは流されないように繋いでるのにねぇ」


 俺が笑いながらそう言うと帆夏はむーと頬を膨らませていじけていたのだった。


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