13
「……ね、潤。これ、どう思う?」
図書館の裏手、いつものテラス席。帆夏がテーブルの上に置いたのは、パステルピンクの封筒だった。
表面には可愛らしい丸文字で『風見帆夏様』と書かれている。切手の位置が少し斜めになっているのが、送り主の緊張を表しているようで微笑ましい。
「ファンレターか。ついに来たね。あの『虚無』が、誰かの心に刺さった証拠だよ」
「ん。事務所から転送されてきたの。人生初だよ。手が震えてうまく開けられないんだ」
帆夏は封筒の端をつまんで、おろおろしている。
ドラマの死体役や、CMの這いつくばる演技が評価され、彼女の認知度は着実に上がっている。それに伴い、こうした「好意の塊」が届くようになったわけだ。
「貸してごらん。俺が『外科手術』を担当するよ」
「ん。お願い。中身の『臓器』を傷つけないようにね」
俺は封筒を受け取り、持っていたしおりの角を使って、器用に封を切った。
中から出てきたのは、折りたたまれた便箋が数枚。花の香りがする。香水だろうか。
便箋を渡そうとすると帆夏は緊張した面持ちで首を横に振った。
「潤。読んで」
「読んでいいの?」
「ん。怖いから、潤くんが先陣を切って」
俺は便箋を広げた。そこには、予想外に短い文章が、中央にポツンと記されていた。
『拝啓、風見帆夏様。あなたの瞳の奥に、私が昔飼っていたハムスターの面影を見ました。どうか、そのままでいてください』
「……」
「……なんて? なんて書いてあるの?」
帆夏が身を乗り出してくる。俺は喉の奥で言葉を選んでから、その一文を読み上げた。
「帆夏さんに『ハムスターの面影を見ました』だそうだよ」
「……へ?」
帆夏が停止した。
風が吹き抜け、便箋がカサカサと音を立てる。
「ハムスター? 私が?」
「そう。齧歯類だね」
「それって……褒められてるの? それとも『お前は前歯が出ている』っていう遠回しなディス?」
帆夏が自分の前歯を指で確認し始めた。
確かに、彼女の目は黒目がちで大きいが、ハムスターに似ているかと言われれば微妙だ。どちらかと言えば、路地裏で雨に濡れた捨て猫に近い。
「落ち着いて。これは高度な比喩表現だい」
俺は腕組みをして、緊急解析会議を始めた。
「いいかい、帆夏さん。ハムスターという生き物の生態を思い出すんだ。彼らは食物連鎖の最底辺に位置する、捕食される側の存在だよ」
「……ん。食べられちゃうね」
「つまり、常に何かに怯え、小さな物音にビクつき、頬袋に餌を詰め込んで安心しようとする。その姿は、現代社会においてストレスに晒されながら生きる『弱さ』を象徴している」
俺は便箋を指差した。
「このファンは、帆夏さんの演技の中に『圧倒的な弱者性』を見出したんだ。守ってあげたい、ケージに入れてひまわりの種を与え続けたい、という庇護欲を刺激されたんだよ。これは女優に対する最大級の賛辞だよ」
「……そうなのかな? 『弱そう』って言われてるだけじゃない?」
「『儚さ』と言い換えるんだ」
俺の強引なポジティブ翻訳に、帆夏は少しだけ納得したような、していないような顔をした。
「ん……そっか。……じゃ、喜んでいいんだよね?」
「いいんじゃない? 帆夏さんの『死んだ目』は、実は『捕食される直前の諦めの目』だったという新解釈も生まれた」
「解釈の幅が広がりすぎて怖いけど……ありがとう、名無しのファンさん」
帆夏は便箋を大切そうに畳み、封筒に戻そうとした。
その時だ。
封筒の底から、何かがコロンと転がり落ちた。
「……ん?」
テーブルの上に転がったのは、数粒の種だった。
白と黒の縞模様。
間違いようのない、ひまわりの種だ。
「……」
「……」
俺たちの間に、重たい沈黙が流れた。
先ほどの「文学的な解釈」が、音を立てて崩れ去っていく。
これは比喩ではない。
ガチでハムスターだと思われていそうだ。
「潤。これ、どういう意味?」
「……文字通り……いや、種通りの意味だろうね。『食え』ということじゃない? ハムスターみたいに」
「私が? これを? 前歯で殻を割って?」
「あるいは、プランターに埋めて育てろという、農業への勧誘かもしれない」
俺は種を一粒つまみ上げた。
食用として売られているものではなく、ペット用、あるいは園芸用の種に見える。
「……ねえ」
帆夏が震える声で言った。
「これってさ、プレゼントっていうより……お供え物じゃない?」
「お供え物!?」
その発想はなかった。
だが、言われてみれば腑に落ちる。
「面影を見ました」という過去形。「そのままでいてください」という祈りにも似た言葉。そして、故人ならぬ故ハムスターの好物。
「私、死んだハムスターの依代にされてるってこと?」
「光栄なことじゃない? この人にとってはかけがえのない存在なんだから」
「嬉しくないよ!? 私、まだ生きてるよ!? というか大前提として人間だよ!?」
帆夏が頭を抱える。
せっかくの初ファンレターが、怪文書と紙一重の代物だったとは。
だが、これが有名になるということなのだろう。
不特定多数の他人が、勝手なイメージを投影し、勝手な解釈で愛でる。そこにはもう、等身大の風見帆夏はいない。いるのは、消費されるための記号としての彼女だ。
「まあ、いいじゃない」
俺はひまわりの種を、テーブルの隅に並べた。
「帆夏さんがハムスターに見えようが、死者に見えようが、誰かの心を動かした事実は変わらない。それに、この種だって、撒けば花が咲くかもしれない」
「……ポジティブだねぇ、潤は」
「無職は、あらゆる可能性に縋って生きているから」
帆夏は深いため息をつき、それから少しだけ笑った。
「ん。分かった。この種、育ててみる。もし芽が出たら、潤にあげるよ」
「俺に?」
「ん。潤の部屋、殺風景そうだから。黄色い花でもあれば、少しは運気が上がるかもしれないでしょ?」
俺は苦笑した。
俺の部屋にひまわり。似合わないことこの上ない。だが、それも悪くないかもしれない。
ハムスターの転生先が育てた花を、無職が愛でるなんてシュールだが平和な光景だ。
「じゃあ、楽しみに待ってるよ。枯らさないでよ」
「善処する。……あ、でも水やり忘れて枯らしたら、それもまた『虚無』っぽくていいかな」
「水やりくらいはルーティンに組み込んでよ……」
俺たちは種を封筒に戻した。
カシャカシャという乾いた音が、テラスに響く。それは、帆夏が人間から偶像へと変わり始めたことを告げる、小さな足音のようにも聞こえた。
「じゃ、行こうか。お腹空いたぁ」
「そうだね。何食べる?」
「ナッツ類以外」
「バーに行かない限りは大丈夫だね!?」
まだ日も高い時間。俺たちは食事を求めてふらふらと街へと繰り出した。
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