第五話 分からず屋な父親ですがわからせます
スポットライトに照らされたリング、その周りを渦巻く熱狂と歓声。
リングの中には息を切らして立つ男と、その前で倒れる男。
歓声をさらに沸き立てる様にゴングの音が鳴り響いた。
『チャンピオンがダウン!!レフェリーのストップが入って試合終了!!挑戦者が圧巻のKO勝ちを収めました!!世界ヘビー級新チャンピオンは……」
歓声を浴びた男は、ロッカールームでベンチに腰掛け息を整えていた。肩には煌びやかなベルトがかかっている。
後方からガチャリとドアの開く音が聞こえて男は振り向き、ドアを開けた人物を見て思わず立ち上がった。
「…に、兄さん!!!!」
「あぁ…久しぶりだな」
男は兄と呼んだその男に笑顔で駆け寄る。
「今までどこに行ってたんだよ!急に家を飛び出して!俺……ずっと…心配で…」
涙ぐむ男の頭に兄が手を乗せ、優しく撫でた。
「バカ、チャンピオンがメソメソ泣くなよ…全く、図体ばかりデカくなって」
自分より背丈の高い弟の頭を感慨深げに撫でる兄。
「…よく頑張ったな…おめでとう」
兄の優しい言葉に、一層涙をこぼす弟。
「お前がそんな事言えた義理か」
後ろから冷たく重い声が響き、二人は声の元に顔を向ける。
「……親父…」
「諦めた人間が、諦めなかった人間を讃えて何になる」
「と、父さん!そんな事…」
「その通りだな」
兄は弟の言葉を遮った。
「諦めた人間がコイツを讃える義理は無い…俺も…アンタも」
「…なに?」
「必死にもがき苦しむ自分の息子が、自分の期待通りに育たないからって諦めて、元から諦めてた方が都合よく育ってくれたからって鞍替えする…そんな人間に、コイツを讃える義理も無いし、誇る資格も無いって言ってんだよ」
父親は歯をギリギリ鳴らし、ドアを殴りつけ、兄の襟首を掴んだ。
「お前……誰にモノ言ってんだ!!」
しかし、兄は冷静にその手首を掴み、襟首から離してミシミシと音が鳴るまで握り込んだ。
「自分の錆びた栄光を子供に押し付けて、その栄光に縋ろうとする寄生虫に言ってんだよ」
「く、くぅっ!!?」
兄の冷ややかな目と声に返す言葉を無くした父。兄が掴んだ手を振り払うと父は情けなくよろけた。
「兄さん……」
「で、出ていけ!!」
「あぁ…最初からコイツに声をかけたらすぐ出てくつもりだったよ」
父の横を通り、出口に向かう途中で立ち止まると兄は囁いた。
「…父親としてどんだけクズでも構わない。だけど…万が一コイツまで見限るような真似してみろ…俺はお前を絶対許さない…」
気圧された父はグッと歯を食いしばり、兄は部屋を後にした。
「兄さん!!」
弟は兄のあとを追いかけ部屋を飛び出し、廊下で立ち止まった兄が背中越しに言った。
「……もしかしたら…もう会う事は無いかもしれない…でも、俺はどこにいてもお前を応援し続けるからな」
そう言って立ち去る兄の背中に何度も言葉を投げかける。
「俺も!俺も兄さんの事を応援する!!どこに居ても、何をしてても!俺の自慢の兄さんだから!!!」
泣きじゃくりながら叫ぶ弟に、涙を隠しながら兄はその場を去って行った。
目を覚ますとそこは、夢の中とは打って変わって、西洋風の部屋の中だった。
一瞬戸惑ったが、自分は一度死に、この世界に転生していた事を思い出した。
ドアから優しいノックの音が聞こえる。
「坊っちゃま、おはようございます」
「あぁベティ、おはよう」
「坊っちゃま…なんだか嬉しそうな顔をしてますね?良い夢でも見てらっしゃったんですか?」
「うん…なんだか、久々に会いたい人に会えたというか…」
「はい?」
「…いや、なんでもない」
懐かしい夢から目を覚まし、いつものように父上、母上と食事を取り、ゲラートの授業を受け、あっという間に昼の時間。いつものようにドアが勢いよく開く。
「トライド!!稽古の時間よ!!」
「はいはい」
そんなやり取りをしてると、ティフェルの後ろからひょっこりと顔を出す。
「と、トライド兄様…こんにちは」
「いらっしゃい、ハイリーン」
この前の件以来、ティフェルはハイリーンを連れて来るようになった。
ティフェル曰く、父親のせいでほとんど部屋に閉じ込められていた状態のハイリーンになるべく外を見せたいという事で、ティフェルが父親に直談判し、せめてガルディオン家に行く事は許して欲しいと頼んだらしい。
可愛がっているティフェルの頼みと、事情を知っているウチの父上からのプッシュもあり、ハイリーンのガルディオン家訪問の同行が許されたらしい。
「ハイリーン!隠れてないでちゃんと挨拶しなさい!もっと自信を持って!」
「うぅ…ご、ごめんなさい…」
恐らくこれはティフェル的なハイリーンの情操教育なんだろう。側から見てもイジメでは無く、甲斐甲斐しく妹の面倒を見る姉の構図だ。
「トライド!早速稽古しましょう!!ゲラート!ハイリーンをお願いね!」
「しかと心得ました」
ティフェルは外出許可と一緒に、ウチの父とゲラートにあるお願いをした。それがハイリーンの『勉強』だった。
ハイリーンは軟禁に加え、『無能には不必要』という事で家庭教師も付かず、ロクな教育を受けられなかったらしく、ガルディオン家でハイリーンの勉強を見てもらえないかと頼まれたのだ。
父とゲラートは快諾。ちなみにこの事はドゥーム氏には内緒である。ティフェル曰く、この事が知られれば何かしら文句を言われるだろうとの事。
数日授業を受けさせてわかったのは、ハイリーンは勉強にとても前のめりだという事。
ゲラート曰く、ハイリーンは勉強熱心で、特に歴史と世界の文化については目を輝かせながら授業を受け、その輝きで心が洗われ思わず涙が溢れると言っていたがそこは聞き流した。
「私…冒険者になって世界を見たい!色んな国の歴史を知りたい!」
授業終わりそう言って目を輝かせるハイリーンは、確かに心洗われる程可愛いのだが、戦闘力がほとんど無いハイリーンが冒険者かぁ…と思っていると、ティフェルが嬉しそうに応える。
「いいじゃない!冒険者!!確か目利きやお金の知識があれば『商人』として冒険者のパーティに入れる筈よ!」
「本当!?じゃあ私、商人になる!」
俺が諦めかけてしまったのに、ティフェルはハイリーンの可能性を見出して夢への道を指し示してやるとは……なんだか自分が恥ずかしいな。
そんな話をして以来、ハイリーンはゲラートから経済学や考古学なんかも学ぶようになり、俺やティフェルでさえ持たない知識を有するようになった。
というか、何故ゲラートはそんな色んなジャンルを教えられるのか不思議な思い、本人に聞いてみたが「こう見えて私も色々な経験をして参りましたから。例えば十年前、遺跡発掘のキャラバンに同行した際に掘り出した髑髏が突然眩い光を放ち……」と、どこかで聞いた覚えのある長話が始まったので一目散に逃げた。
そんな穏やかな日々が続いたある日、いつものように昼頃にティフェルが訪ねてきたが、肩を落として俯き明らかに元気がない。それにハイリーンの姿もない。
「ティフェル?どうかしたのか?」
「…トライド…ハイリーンが…」
グズリながら語ったティフェルの話をまとめると、先日ガルディオン家から帰ったハイリーンが、ゲラートから借りた考古学の本をブライト邸で落としてしまい、それがドゥーム氏に見つかってしまったそうな。
「ハイリーン…これは一体なんだ?」
「そ、それは…ガルディオン様の書庫でお借りして…」
「何故お前が考古学の本を…」
「そ、それは…将来商人として冒険者に…」
「商人?冒険者!?無能なお前にそんな事が出来るわけが無いだろうが!!!」
「で、でも…」
「黙れ!!!お前は余計な事を考えるな!!!やはりお前を外に出すべきでは無かった…」
そこからまた軟禁状態に戻ってしまったという事らしい。
「そうだったか……」
「またハイリーンが怒られた…私のせいで…」
俺はティフェルの頭に優しく掌を乗せた。
「ティフェルのせいじゃ無いよ」
「その通りでございます。むしろ本をお貸ししてしまった私に責任があります。かくなる上は……私がこの身を捧げて許しを!」
「余計に拗れるからやめて」
ループタイに手をかけて服を脱ごうとするゲラートを冷静に止めた。
「だけど、ハイリーンを無能扱いはまだしも、部屋に閉じ込めようとするのは何故なんだろう?」
疑問に思っていると、ゲラートが口を開いた。
「貴族は体裁やメンツを気にするもの。ハイリーン様を一族の恥と思い、外部との交流を断ち切ろうとしているのかもしれません」
それが本当なら前世の俺の親父を超えるとんでもないクソ親父だな。そんな事を考えて苛立っていると、ゲラートが続けて話した。
「…しかし、少し前までのドゥーム様は、ティフェル様にもハイリーン様にも、違わぬ愛を注ぐ良識的な父親のようにも見えましたが…」
「えっそうなの?」
「私も…小さい頃だからあまり覚えてないけど、まだハイリーンが赤ん坊の頃はとっても可愛がってたと思う。お父様と…」
ティフェルが何かに気付いた様な顔をした。
「そうですね…ティフェル様とハイリーン様のお母上……先代の聖女『マリア』様がご存命の頃は、とても優しいお父様でしたね」
ゲラートが少し難しい顔で言った。