第二話 転生したてですが勉強します
俺が質問を投げかけた後、フリーズしていたおじさんと倒れたメイドがやっと現実に戻ってきて、おじさんは半べそをかきながら話し始める。
「つ、つまりトライド…お前は記憶を失ってしまったのだな?」
「は、はい…恐らく…」
記憶が前世の物に戻ったと言っても余計困らせるだけだろうから、記憶喪失という事にしておこう。
するとメイドらしき女性が声を上げた。
「きっと昨日の剣術の稽古のせいですよ!!旦那様が調子に乗って坊ちゃまを吹き飛ばしたから!!」
「た、楽しくてつい………」
恐らく主従関係ではあるのだろうが、旦那様と呼ばれたおじさんは、メイドさんに怒られてデカい体を小さくしていた。
「あ、あの!貴方は僕のお父さん…ですか?」
「あ、あぁ!いかにも私はお前の父『グラディオ・ガルディオン』だ!」
なんとも見た目通りの強そうでゴツい名前だ。
この人がガルディオンと言うなら、俺のフルネームは『トライド・ガルディオン』になる訳だな。
「やはり…父の事を忘れてしまったのだな…うぅっ!!」
大泣きする父を他所に、メイドさんも俺に話しかけてきた。
「私はトライド坊ちゃま専属メイドの『ベティ』と申します。この度は旦那様の馬鹿な馬鹿力のせいでこんな事に……心中お察し致します」
「私のせいで!!うおおおおぉぉおん!!!!」
ベティの言葉で余計に泣きが入る父。流石にやめてやれよと言う気持ちである。
「あ、あの!!ち、父上?申し訳無いのですが、記憶を失ってしまった以上、身の回りの事を色々と学び直したいんですが……」
そう言うと父上は俺の手をガシッと握った。
「おぉっ!!勿論だ!!この愚父がお前に改めて正しい教養と知識を、何日かけてでも学び直させてやる!!」
そう言うとベティが父上の首根っこを掴んだ。
「旦那様?本日は聖騎士団の訓練の後、王家の皆様とブライト公爵様との会食です」
「そ、そんな物キャンセルだ!!」
「何を馬鹿な事を言っているんですか?というか本物の馬鹿ですか?伯爵である旦那様が王家と公爵家との会食を断るなど、下手をすればお家取り潰しの可能性も有ると何故わからないのですか?そしてそんな事もわからない途方もなく馬鹿な旦那様が、坊っちゃまに何かを教えられるのでしょうか?」
ベティの後ろに禍々しいオーラを感じる。
「坊っちゃまの事は教育係のゲラート様に任せて、さぁっ!お仕事ですよ!坊っちゃま、私達はこれで失礼します。お勉強頑張ってくださいませ!」
「あぁ!!トライドぉ!!我が愛しの息…」
ベティに引き摺られる父の声が、バタンッ!という扉の音にかき消された。しかし、ブライト公爵…何か引っ掛かるな。
暫くして、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「は、はい!」
「失礼致します」
入って来たのは長身に長髪、片眼鏡の裏には閉じた瞼。見るからに気難しくてインテリそうな男の人だった。
「あの…ゲラートさん…ですか?教育係の?」
俺がそう言うとゲラートは目を閉じたまま少し険しい表情になり、背後に何か稲光が走ったように見えた。
何か怒らせたか?そう思っていたらゲラートは、片眼鏡を外して目頭を抑え、スッと涙を流した。
「なんと…記憶を失ったと言うのは本当だったのですか…まさかこのゲラートとの熱い蜜月の日々さえ忘れてしまわれるとは…」
どんな関係だったんだよ。
「それもこれも…あの馬鹿力の馬鹿な馬鹿旦那様のせいで…」
父上って嫌われてんのかな?いや、というより若干ナメられてるな。
「ご安心下さい。失われた知識と教養、このゲラートが完璧に習得し直させて頂きます。失われた私達の熱い関係も…」
「そ、それはいつの日かまた…」
ゲラートは見た目の割にメチャクチャ変な人なんだな。
俺は勉強机につき、ゲラートは教卓の前に立った。
「まずはトライド様のいらっしゃるアルベルト王国についてですが……」
「えっ……ここってアルベルト王国って言うんですか!?」
「はい…現国王『ダルバス・アルベルト』様が納める王国でございます」
「そ、その…ダルバス国王には、クラインと言う子供がいますか?」
「はい!クライン第一王子です!」
「もしかして…近くに『レオニダス皇国』という国は…」
「トライド様!記憶が戻ったのですか!?」
「い、いやっ!違くて…」
アルベルト、レオニダス、クライン、ブライト。これらのワードが揃うという事は…もしかして、ここは『追放聖女ハイリーン』の世界なのか!?
どういう事だ?アレはフィクションの筈だろ!?
「トライド様?」
「あっ!つ、続けて下さい…」
その後、ゲラートから聞いた話をまとめるとこうだ。
この国はアルベルト王家が治るアルベルト王国。この国は王家と、ブライト公爵家で代々生まれる女性の中でも特に希少な『光魔法』の適性を持つ『聖女』よって繁栄してきた国。
近年は隣国『レオニダス皇国』との間に問題を抱え、一歩間違えれば戦争に成りかねないと言う緊迫した状況。
そして俺の生まれた『ガルディオン伯爵家』は、代々聖女を守る『聖騎士団』を務めてきた家系で、ブライト公爵家とはかなり懇意の中であり、あの頼りなさげな父上も実は聖騎士団の団長を務める猛者だという。
ここまで状況を確認した上で、この世界はやはり『追放聖女ハイリーン』の世界で間違いないと確信した。
そして話を聞くうちに思い出したのは俺『トライド・ガルディオン』と言う存在だ。
トライドはガルディオン家の跡取りであるものの、剣の才に恵まれずに少々腐っていた不良息子。
ブライト公爵家の姉妹『ティフェル』と『ハイリーン』の幼馴染であり、元々無能と言われてぞんざいな扱いを受けていたハイリーンに自分を写して同情し、聖騎士団に入った後、敵国で光魔法に覚醒したハイリーンの為に退団。レオニダス皇国に亡命し、皇国初の聖騎士団の団長としてハイリーンを支える。それがトライドの立ち位置だ。
ちなみに現在はまだ8歳だそう。
ティフェル推しの俺としては非常に腹立たしい男だった。ティフェルの努力する姿を一番近くで見ていたというのに、わかりやすく可哀想な境遇のハイリーンしか見ていないなんて…
「…と、ここまでが基本的な知識となります。ご理解いただけましたでしょうか?」
「はい!とてもわかりやすかったです!」
「ふふっ…ゴホンッ!ではここからは…」
その時、部屋の外から物音がした。
「あぁっ!!ちょっ!お待ち下さい!!」
ベティの悲鳴と共にドタドタと元気な足音が聞こえて来た。
「邪魔するわ!!トライド、今日も試合するわよ!!」
入って来たのは金髪青眼の綺麗な女の子、年頃は今の俺と同じくらいだろう。
「ティフェル様。トライド様は現在座学の途中でして…」
「いいじゃないの!座学は後にしましょ!さぁトライド!中庭に行きましょ!」
少女は俺を椅子から引き摺り下ろし、そのまま部屋の外へ引っ張り出した。
「まったく…相変わらずティフェル様はお転婆が過ぎますね」
「あれで次期聖女様なんて…でも、魔法も剣術も勉学も歴代一と言われているんですよね?」
「恐らく見えない所で凄まじい努力をしているのでしょう。色々な負担があるとは言え、その捌け口にトライド様を使うのはいただけませんね」
少女に手を引かれながら考えていた。恐らくこの少女こそが『ティフェル・ブライト』聖女ハイリーンを追放した物語の悪役。
大きくなってからは陰険な性格になるが、元々は少しお転婆な位に元気で快活な少女だったと小説にも書かれていたが、まさかこんなにとは…これが後に悪役になるとは全く思えない程ハツラツとしている。
ティフェルに引っ張られた末、屋敷の中庭に着いたかと思えば、いきなり木剣での打ち合いが始まった。
「いやぁああ!!!!!!」
「うわっ!?」
ティフェルが打ち込んで来た剣を受けようとしたら、そのまま尻餅をついてしまった。
「いててっ……」
「ふふっ、相変わらず剣の腕前はイマイチね!」
「うぅっ…」
中庭で数回手合わせし、結果は俺の全敗。剣の扱いに慣れていないのも有るが、素人目に見てもティフェルの剣の腕前は尋常じゃ無い事がわかる。
鋭い剣さばきにしなやかな身のこなし、才能があっても一朝一夕で身につくものでは無い。恐らく弛まぬ努力によって身につけた物なんだろう。
しかし、精神年齢30歳の俺としては、8歳の少女に負けっぱなしはは屈辱的すぎる。
大人気ないとは思うが、今は同い年だから良いだろう。
「な、なぁティフェル!もう一勝負しないか?」
「ふふんっ!良いわよ!受けて立つわ!」
ティフェルの言葉と共に、俺は木剣を置いて両手の指をポキポキと鳴らす。
当然ティフェルは不思議そうな顔で俺を見る。
「えっ?剣を置いてどうするの?」
「気にしないで。さぁ、始めよう!」
俺は両手を握って拳を固め、ボクシングの構えをした。
「負けっぱなしのくせに剣を捨てるなんて…馬鹿にしないでよね!!」
勢いよく切り込み、振り下ろされたティフェルの一撃を俺はダッキングで躱した。
「へぇっ?こ、このっ!」
躱した俺を追いかける様に横に薙いだ剣をスウェイバックでよける。
「くっ!?これなら!!」
すかさずティフェルは俺の顔面目掛けて突きを狙い、俺はウェービングでそれを避ける。
「ここだっ!!」
俺は突きで伸び切った剣の鍔の辺りに右フックを打ち込んだ。するとティフェルの剣は吹き飛び、地面に転がった。
有名ボクシング漫画でお馴染みの『デンプシーロール』俺みたいな小柄なボクサーの必殺技だ。
「よしっ!俺の勝ちだな!」
「…………」
地面に転がる剣を見て黙り込むティフェルを見てハッと思った。
やりすぎたか?腐っても将来の悪役。負けた腹いせで家名に物を言わせてとんでもない事をしでかすんじゃ…
「……ごい…」
「ティ、ティフェルさん?」
「すごいわトライド!!素手で剣に勝てるなんて!なんでこんなすごい事隠してたの!?」
ティフェルは目をキラキラさせて興奮している。小説で描かれていた悪役ティフェルからは想像もつかない純真無垢な少女の姿だった。
「ねぇねぇ!もう一回見せてよ!お願い!」
「え、えぇ?」
こんな純粋な少女が数年でどうしてあんな悪女に育ってしまうのか……いや、きっと彼女を取り巻く様々な境遇がそうさせていくのだろう。
彼女の純粋な笑顔を見たその時、俺は誓った。
彼女を歪ませるあらゆる要因から彼女を守る事。
俺が絶対に彼女の笑顔を、彼女を破滅から守ってみせる。