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短編集

小説が読めない女、配信が聴けない女

真理(まり)ちゃん、小説貸して」


 言われた時、意味がわからなかった。

 普通なら「おすすめの紙書籍小説を借りて読みたい」って話だ。好きなジャンルや作家を訊いて、適当なのを見繕って渡せばいいだけのこと。

 でも今は、相手が相手だ。放課後の専門学校で笑っている、ふわふわ茶髪ウェーブの女の子に、私は質問を返した。


「貸すのはいいけどさ。読めるの、澄香(すみか)?」

「私じゃないよ。コラボ相手のVTuberさん」


 納得と同時に、少し落胆した。

 彼女は――藤宮澄香(ふじみやすみか)は本が読めない。特に小説がダメらしい。

 一文一文の意味はわかる。文章のつながりも理解できる。けれど束になって来られると、脳がオーバーヒートしちゃう……と本人は言っている。

 取説とかなら(絵がついていることもあって)まだなんとか追えるけれど、小説になるとまったく歯が立たないそうだ。文は読めるけど意味がわからない――正直、私には理解不能な状態だけれど、彼女にとって「本」はそういうものらしい。


「その人におすすめ本を教えればいいの?」

「違うよ。借りたいのは本じゃなくて小説。真理ちゃんの小説、貸して」


 ますます意味がわからない。

 私――中川真理(なかがわまり)は、投稿サイトで小説を書いている。けど商業出版なんて無縁だし、同人誌制作や自費出版もしてないから、作品は全部無料で読める。「借り」なくていい。

 首を捻る私へ、澄香はにこやかに微笑んだ。


「今回のコラボ、小説発掘VTuberさんとなんだ。私の好きな小説を読書実況してもらうんだけど……ほら、私、真理ちゃんのしか読めないし」


 ようやく全体像が呑み込めた。

 同時に、背筋がすうっと冷える。


「配信で、真理ちゃんの小説を気に入る人もいると思うんだ。向こうのリスナーさん、小説好きな人が多くて――」

「いらない」


 低めの声で言い切れば、澄香は目を丸くした。


「え、けど、宣伝になるよ?」

「私が動画系苦手なの、澄香も知ってるでしょ」

「でも」


 私は大きく首を振った。

 動画は苦手だ。まどろっこしい。文章なら一瞬で読めるものを、いちいち音声で読み上げられると、無駄に引き延ばされているようでイライラする。雑談系も、話の着地点が見えなくて苦手だ。

 だから澄香の――VTuber「紫紺(しこん)すみれ」の――配信も見たことがない。いくら友達だといっても、辛いものは辛いから。

 そして、それ以上に。


「そんなに人気なら、読んでほしい人は他にたくさんいるよね。そういう人に機会をあげて」

「真理ちゃん、小説読んでほしくないの?」

「そりゃあ、読者さんが増えるなら嬉しいよ。けど」


 頭の奥の方が、ずきずき痛む。

 忘れようとしてたのに。がんばって、もうほとんど記憶から消してたのに。


「実況とかそういうので、晒し物になるの……嫌だから」


 なおも何か言いたげな澄香を残し、私は教室を出ていった。






 ああ、嫌なことばかり思い出す。澄香のせいだ。

 家に帰る電車の中、私の頭の中は昔の記憶でいっぱいになっていた。


 ◇


「中止……ですか?」

「ご尽力いただいていたのに申し訳ありません。テレビ局から連絡がありまして、見送りになったと――」


 校長室に立つママの後ろ姿が、くっきり浮かんでくる。机の向こうで肩をすぼめる校長先生も。大人はなんでも全部、自分たちだけで決めてしまう。あの時も二人だけで「難しい話」をしてた。

 わからないと思ってた? 全部聞こえてたよ。あの頃はとっくに、新聞も大人向けの雑誌も読めた。褒めてもらえる作文も書けた。

 だから、ちゃんとわかってたよ。みんなで寄ってたかって、私の詩をぐちゃぐちゃにして、結局、全部なかったことにしたんだってね。


 朝の情報番組「おはようエブリワン」。

 番組内の朗読コーナーで、私の詩が読まれるかもしれない――って連絡が来たのは、小学四年の時だった。

 森林公園の景色をうたった詩だった。枝の隙間が星みたいとか、葉っぱのお布団がふかふかだとか、そんな他愛ないことを書いてたと思う。あの日、揺れる木漏れ日は本当にキラキラしていて、遠足から帰った私は、心に残った色々を原稿用紙へ好き放題書き連ねた。


 結局は、ほとんど消されたんだけど。


 テレビ局の連絡が来てから、担任の先生は私の原稿を直し始めた。ここはこう書いた方が良くなる、ここは他の言葉がいい……って、私の字を赤で消して、横に色々書き込んでいった。

 木漏れ日の星は、丸々なくなった。

 葉っぱのお布団は、全然違う何かになった。

 私の言葉、最終版にどのくらい残ったんだろう。覚えてない以前に把握してなかった。木漏れ日の星と葉っぱのお布団がなくなったあたりで、全部どうでもよくなったから。


「中川さん」


 ママと話し終えた校長先生が、やっと私の方を向いた。机に乗ってた白い紙箱を差し出しながら。


「この間のテレビの話だけどね。君のじゃなくて、大人の詩を読むことになったそうだよ」


 開けると、小麦色のシュークリームがいっぱいに並んでいた。あの頃は大好物だった、洋菓子店「リュミエール」のカスタードシューだった。


「ずっとがんばってくれたのに、すまなかったね」


 校長先生が、深々と頭を下げた。

 正直どうでもよかった。だってあれ、私の詩じゃない。私、あんなの書いてない。

 シュークリーム一箱だけをもらって、私とママは家に帰った。全部食べていいよ、とママは言ってくれた。

 一つ取って、口に入れた。けれど、大好きなはずのカスタードシューは、ちっともおいしくなかった。

 甘くてとろとろのクリームが、なぜか気持ち悪くて私は泣いた。泣くようなことなんて、なにもなかったはずなのに。

 ママに背中をさすってもらいながら、あの日はずっと、泣いていた。

 以来、私は、シュークリームが嫌いになった。






「真理ちゃん、小説貸して」


 次の日、澄香はまた言った。


「昨日、断ったよね」

「でも、他に出せるのがないの」


 だったらなんで読書実況コラボなんて企画したんだろう。訊きたくなるのをこらえて、提案で返す。


「相手の人、小説に詳しいんでしょ。向こうに選んでもらったら」

「それじゃいつもの配信と変わらないよ。私とコラボなんだから、私が出さなきゃ。私が読めるの、真理ちゃんのお話だけだし」


 澄香は小説が読めない。けどなぜか、私が書いたのだけは読めるらしい。商業小説も大文豪の作品もダメなのに、なんで私のだけなのか、理由はわからない。

 普段は少し誇らしくも感じてたけど、今は少し鬱陶しくもある。


「何を言われても嫌だから。私の話は私のものだよ。他の人にどうこうされたくない」

「そのまま読むだけだよ? 感想とかも挟んでくれるし……真理ちゃん、いつも感想ほしがってるのに」

「読者さんからの感想は嬉しいけどね。上から目線のアドバイスとかは絶対いらない」

「全然上からじゃないよ?」


 ああ、しつこい。なんで今日に限って、こんなに話が通じないのか。


「くどいよ澄香。なんでそんなに、私の小説をおもちゃにしたいわけ?」


 澄香は一瞬黙った後、ほんのり頬を染めて、うつむき気味に言った。


「だって……真理ちゃんの小説、好きだもん。読んでると、いろんなことが目に浮かぶし」


 一呼吸おいて、澄香は続ける。


「頭がぐしゃぐしゃにならなかったら、もっといろんな小説も読みたいんだけど。でもたぶん、他の人のを読めても、真理ちゃんのがいちばん好きだと思う」

「それ、私のしか読めないからでしょ? プロ作家さんとかサイトのランカーさんとか、すごい人はいっぱいいるよ」

「そうかもしれないけど……でも、『今』『私が』好きなのは、真理ちゃんのだよ」


 澄香は顔を上げた。


「リスナーさんが聞きたいのは『私が好きなもの』だから。真理ちゃんのじゃなきゃ、意味ないんだよ」


 ……配信が嫌なことには、変わりがない。

 けれど、断る言葉が見つからない。澄香が諦めてくれそうな理由を、体感で一分くらいあれこれ考えて……諦めた。


「わかったよ、好きなの持ってって。作品一覧にあるやつ、どれでも」


 澄香の顔が、ぱっと華やいだ。






 六月十五日。澄香が言ってたコラボ配信の日だ。……聞きには行かないって伝えてたのに、ご丁寧に時間まで教えてくれた。

 部屋のPCを立ち上げると、十九時六分だった。配信開始、十九時だったはず。今から入れば多分間に合う。

 なんとなくブクマから、動画配信サイトに飛んだ。「紫紺すみれ」で検索すると、ライブモードの配信が一件ヒットした。

 ……別に聴きたいわけじゃない。澄香が私の小説をどう紹介するか、ちょっと気になるだけ。

 広告をスキップすると、画面に二人のキャラクターが並んでいた。一方は、濃紫のポニーテールのアニメ絵少女――紫紺すみれ。もう一方は、陰影あるタッチの男性だ。黒髪を肩より上で揃え、眼鏡をかけている。

 二人の間には、Web小説の冒頭が映し出されていた。香川まりな――私の、本名を並べ替えたペンネーム――作、「王様のパンケーキ」。


「まりなさんの小説、どれも読みやすいんですけど、これがマイベスト! 登場人物二人ともかわいいし、お菓子もおいしそうで」

「いいですねえ。では、早速読みましょうか」


 男の人の表情が変わった。眼鏡の奥の瞳がすっと真剣になり、低めの声が画面の文章を読み上げる。


「『積み重なった三段のパンケーキの間から、固めに泡立てられたクリームがたっぷりとはみ出しています。合間に見える橙色は、冬にとれるオレンジでしょうか。黒ずんだベリーもちらほら見え、バランスのとれた盛り付けは作り手の力量の高さを伺わせます』……うーん、これは、確かに食べたくなりますね」

「でしょ? まりなさんが食べ物書くと、本当においしそうなんですよ~」


 ポニーテールの女の子が、澄香の声ではしゃぐ。

 私は、画面の前で固まっていた。強烈な違和感が頭をもたげている。

 男の人の読み上げが続く。地の文が終わり、主要キャラ二人の掛け合いに入った。


「『どうやら重大な勘違いをされているようですが。毒見人の仕事は、安全そうな食物の安全を確保することであって、見えている罠に自分から突っ込んでいくことではありませんよ』……はは、確かに。毒を食べたら死んじゃいますね」


 低く冷徹な声で語られた、よく知っているはずの言葉。

 けれど、違う。

 私、こんなの書いてない。

 これ、私の文章じゃない。


「『じゃあ次はパンケーキ本体だな! ぱーっと食っちまえ、ぱーっと』『どこの世に、正体不明の料理をぱーっと平らげる毒見人がいるのですか!?』……いやあ面白いなあ、この二人!」


 私の文に、こんな抑揚はない。深い艶のある声色もついてない。ただの文字の連なりだ。

 これは、文じゃない。生命と陰影を与えられた、なにか別のものだ。


「『爽やかなクリーム、上質な果物、柔らかく香ばしいパンケーキ生地。彼の腕前の精髄を一息に刺し貫き、私はそのすべてを、一度に口へと運びました』……ああ、いいなあ。パンケーキが食べたくなってきた!」


 気付けば、本文は終わっていた。二人が和やかに雑談を始める。


「まりなさんの小説、そのままでも味や匂いが浮かぶんですけど。こうして読んでもらうと、本当に二人がそこにいるみたいですねー!」


 女の子キャラが、楽しげにポニーテールを揺らす。その輪郭がじわりと滲んだ。目頭が熱い。

 私の言葉は、私だけのものだ。

 誰にも触らせない。

 何年もずっと、Webの片隅で守り続けてきた。

 けど――

 頬がすっかり濡れた頃、スマホが鳴った。澄香からのメールだった。


「配信終わったよ、ありがとう! 今度お礼したいんだけど、何がいい?」


 顔を拭う手を止め、フリックで返信を打ち込む。


「買えたらでいいけど、『リュミエール』のカスタードシューでお願い」


 きっと今なら、おいしいはず。

 食べたら、また、泣いてしまうのかもしれないけれど。

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