エピローグ
一年後──。
私は今も、ヘマタイト公爵夫人としてリーゲル様と仲睦まじく暮らしている。
あの離縁騒動の後、ご自分の不甲斐なさをアンジェラお姉様に懇々と諭されたリーゲル様は、現状を打破するべく一念発起して人間関係の改善に努めた。
「先ずは、ありとあらゆる夜会に出席するところからだな」
そう言って、開催される夜会には大なり小なり全て赴き、やり過ぎと思える程に人前で私との仲睦まじさをアピールした。そうして、私以外の女性は目に入らないとばかりに、他のご令嬢達のことは完全無視を決め込んだのだ。
それでも、やっかみからか、私に対する悪口や噂話はそこかしこで耳にしたけれど、その度にリーゲル様は口さがない相手に苦言を呈し、それでも収まらなければ権力を行使するなどして、持てる力の全てを使って私を周囲の悪評から守ってくれた。
その甲斐あって、三ヶ月もする頃にはリーゲル様の容赦ない態度と、私への溺愛ぶりが社交界に広く知れ渡ることとなり、気付けば私の悪口を言う人はいなくなっていた。
それどころか『人嫌いの筆頭公爵家当主に溺愛される妻』として有名になり、私の機嫌をとろうと近付いてくる人達までもが現れるようになったのだ。お姉様の身代わりだと思われていた頃との人々の対応の違いに、私はただただ驚くしかなかった。
「グラディス、支度はできたか?」
寝室へと続く扉から、リーゲル様が声を掛けてくる。
離縁の危機を乗り越えてからというもの、私の部屋は夫婦の寝室を挟んでリーゲル様の部屋と隣同士の場所へ移動となり、毎日一緒に眠るようになった。
だから必然的に、お互いの部屋の行き来も寝室を通してするようになり、一年の間に私達の心と身体の距離は急速に近付いたのだ。結婚直後からの何もなかった半年間と比べると、天と地ほどの違いである。
「奥様のお支度はできております。どうぞお入り下さい」
ポルテが扉を開け、リーゲル様を室内へと招き入れる。
微笑みを湛えて入室してきたリーゲル様は、私を見るなり破顔して両手を広げた。
「綺麗だグラディス。……おいで」
近付いた私を優しく抱きしめ、顔中にキスの雨を降らせてくれる。
リーゲル様がキス魔だったのには驚いたけれど、私にとっては恥ずかしくも嬉しい誤算だ。
「……お二人とも仲睦まじいのは宜しいのですが、そろそろお出にならなければ遅刻してしまいますよ」
ここ最近恒例化しているマーシャルの言葉に、私達は顔を見合わせ、頷き合った。
それからリーゲル様は、私を抱き上げて歩き出す。
「まさか王女殿下とエルンスト様が結婚されるなんて、夢にも思わなかったわ」
ある日突然邸に届いた結婚式の招待状。差出人の名前を見て驚いた事は、まだ記憶に新しい。
「アダマン侯爵も大分抵抗したようだが……いくら後継でないとはいえ、王族の純潔を奪ったとあっては責任を取らざるをえなかったんだろう」
「奪ったというより、無理やり奪わされた──いいえ、寧ろ奪われたのはエルンスト様のような気がしてならないけれどね」
「まあ、王女殿下に惚れられたのが運の尽き、だったな」
王女殿下はエルンスト様に捕まった後、彼の仕事っぷりや人柄、よく見たら見た目も好みであったらしく、大人しくなった振りをしつつ彼を籠絡する機会をずっと窺っていたらしい。
エルンスト様は王女殿下を他国へ連れて行くつもりだったようだけど、その隙に襲われて純潔を奪った──強制的に捧げられた?──のだとか。
幸いなことにエルンスト様は婚約者も恋人もおらず、王女殿下と婚姻する為の障害が何もなかったことから、周囲にトントン拍子で結婚へと進められてしまったらしい。
本人曰く、まだもう暫く独り身で色々とやりたい事があるから婚姻は勘弁してくれと、違う事でならどんな形でも責任を取るからと懇願したそうだけど、王族相手なのだから婚姻一択だと突っぱねられてしまったみたい。
ジュジュに聞いた話では、
「エルンスト様が本気で抵抗すれば何とかなった筈ですが、まぁなんと言いますか、精神と身体は別物……という事でしょうかね。要は年齢相応に興味をお持ちだったということですよ。ある意味自業自得です」
ということらしい。
その興味というのは一体何に? と聞いたら、怪しい笑みを浮かべるだけで答えてはくれなかった。
結婚後、エルンスト様と王女殿下は、二人で隣国へと行くのですって。エルンスト様の仕事の都合らしいけど、王女殿下は王女教育の一環で隣国の言語も習得しているから、ついて行くことにしたんだとか。
最初は嫌がっていたエルンスト様も、最近では諦めたように王女殿下を親し気にお名前で呼ぶようになった。その度に殿下が喜びに瞳をキラキラさせて抱き付くのだけど、エルンスト様はそれを突っぱねることもやめ、素直に受け止めるようになっている。表情が若干引き攣っているように見えるのは、私の気のせいでしょうね。
「グラディス、リーゲル、遅いわよ!」
玄関で待っていたお姉様に、顔を合わせた途端、大きな声で怒られた。
「すまない。グラディスがあまりに綺麗で、見惚れた為に時間がかかってしまった」
恥ずかし気もなく言うリーゲル様の声に、重なったのは王太子殿下の声。
「本当は、私のものになる筈だったのに……」
ボソリと呟いた王太子殿下の耳を、隣にいたオニキス侯爵令嬢が引っ張った。
「いたたたたたた!」
「シーヴァイス様? 今なにか仰いまして?」
「わ、私は何も言っていない。痛いから耳を引っ張るな!」
「ごめんあそばせ。シーヴァイス様が馬に蹴られて死んでしまっては困りますので、不埒な言動につい手が出てしまいましたわ」
オホホホと笑うオニキス侯爵令嬢と王太子殿下であるシーヴァイス様は、来年の春に婚姻予定だ。
それでも、王太子殿下は未だにあの手この手を使ってオニキス侯爵令嬢との婚約を破棄しようと目論んでいるみたいで、アンジェラお姉様はそれを阻止するべくオニキス侯爵令嬢の侍女として王宮で働いている。
いっそのことエルンスト様のように既成事実を作ってしまおうかと、この前ジュジュと二人で話しているのを耳にしてしまった。王太子殿下、もう観念した方が身の為ですよ……。
「それにしても、家の中を歩くのでさえ抱き上げて歩いているの? 少し過保護にし過ぎなのではなくて?」
私を抱き上げたまま下ろそうとしないリーゲル様に、お姉様が顔を顰める。
けれどリーゲル様は、その言葉にゆっくりと首を横に振った。
「何を言うんだ。グラディスのお腹には、私達待望の天使が宿ったばかりなんだぞ。今が一番大事な時なんだ。過保護にしてし過ぎるということはない」
「な、なにっ!? お前達、いつの間に……」
王太子殿下が、愕然となってペタリとその場に座り込む。
「あら? もしかして知らなかったの? この二人は人目も憚らず夜会の会場でイチャつくほど愛し合っているのだから、子供が出来るのは当然でしょう?」
「し、しかしリーゲルは……し、白い結婚だと言っていたのに……」
「一体いつの話をしてるんだ? 俺達は一年前から身も心も愛し合ってるんだ。残念だったな」
真っ白な灰と化す王太子殿下を置いて、リーゲル様は颯爽と馬車へと乗り込んでしまう。
「アンジェラ様、ワタクシ達も参りましょう」
同じく王太子殿下を無視して、二台目の場所に乗り込むオニキス侯爵令嬢とアンジェラお姉様。
「失礼ながら、馬車のご用意は二台しかしてございませんが、王太子殿下は会場まで歩いて行かれるおつもりで?」
「へ?」
マーシャルの言葉に、慌てて背後を振り返る王太子殿下。
今まさに閉ざされようとする扉を見ると、顔色を変えて走り出した!
「待て! 待ってくれ! この私を置いて行くなど……お前ら正気か!?」
「いつまでも過去の想いを引きずっているような人と、同じ馬車で結婚式に向かいたくありません」
リーゲルとグラディスの乗った馬車は既に出発してしまったが、アンジェラ達が乗ってきた馬車は、一応まだ留まっている──扉は固く閉ざされているが。
「わ、悪かった! もう過去のことは口に出さない! 君だけを想うと誓うから! 私も馬車に乗せてはくれないか?」
「本当ですか?」
「本当だ!」
「絶対ですか?」
「絶対だ!」
「では、帰ったら婚前交渉をしていただいても?」
「こんっ……ぜん……!?」
目を大きく見開き、動きを止める王太子殿下。
「それではワタクシ達はお先に──」
「わわわ、分かった! 婚前交渉でも何でもするから! 馬車に乗せてくれ! 王太子の面子にかけて遅刻はできない!」
「分かりましたわ」
馬車内で黒い笑みを浮かべ、微笑み合うアンジェラとオニキス侯爵令嬢。
そこへ王太子殿下が乗り込むと、馬車は扉が閉まるが早いか猛スピードで走り出した。前を走っていたリーゲル達の馬車を追い抜いて。
「まあ……あんなにスピードを出して、危なくはないのかしら」
「ここは街中でもないし、大丈夫だろう。私達は気にせず自分達の速度で向かえば良い」
「ふふ……そうですね」
微笑んだ私に、リーゲル様のキスが落ちる。
そのまま馬車内で盛り上がってしまい、結婚式に遅刻しそうになってしまったのは、絶対に秘密だ。
エルンスト様と王女殿下の寄り添い合う姿を見ながら、私はまた、リーゲル様とキスを交わしたのだった──。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これにて完結となります!
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
いいねやブクマ、評価など、すごくすごく嬉しかったです!
読んでいただき、本当にありがとうございましたーーーm(_ _)m




