浮気?
「それじゃ早速出掛けましょうか!」
貴族令嬢に見えないよう町娘風の格好と化粧を施し、侍女のポルテと連れ立って家を出る。
今日の目的は、恋人達の憩いの場とされる公園へ出掛けることだ。
つい先日、公爵夫人としての権威を振り翳し、ポルテに『恋人とのイチャイチャシーンを見せなさい』と命令したところ、真っ赤な顔で無理だと連呼しながら大泣きされ、「かくなるうえは退職を……」とまで言われてしまったため、慌てて命令を撤回した。
可愛くて優秀なポルテに、こんなことで辞められては堪らない。
けれど、私に同情したらしいポルテがその後「一緒に公園に行くぐらいなら……」と提案してくれたのだ。
女二人だけでは心許ないため、ポルテの恋人とその友達も誘って。
もちろん浮気など疑われないように、お友達は独身、恋人なしの人をとお願いした。私の事情に付き合わせた結果、お相手の方と問題になっては可哀想だから。
私だけは既婚者だけれど、変装して行くつもりだし、下町の公園に公爵夫人がいるなんて思う人はいないだろうから、きっとバレないに違いない。
そう思い、ポルテと共に公園の周辺で馬車を降りたまでは良かったのだけれど──。
「その格好はなんだ?」
何故か、ポルテの恋人と待ち合わせた公園の入り口に、リーゲル様が怖い顔で仁王立ちしていた。
なんで? どうして?
意味が分からずポルテを見るも、彼女も私と同じくリーゲル様を見て目を白黒させている。
「し、失礼ですが、どなたかとお間違えでは?」
無駄な抵抗と知りつつ、変装だってしていることだしと別人を装ってみるが、当然無駄だった。無駄であっただけならまだ良かったが、どうやら火に油まで注いでしまったらしい。
「私の目は節穴ではない!」
怒鳴られた後に腕を掴まれ、停車していた馬車の中へと半ば強制的に押し込まれた。
待って待って、どうなってるの? 私の目的はまだ何も果たされていないのに。
「だ、旦那様お待ちください! 悪いのは私なんです。奥様は……」
追いかけてきてくれたポルテが取りなそうとしてくれたが、
「使用人の不始末は主人の責任だ。悪いのはグラディスであって君ではない」
リーゲル様はピシャリとそう言い放つと、ポルテを置き去りに馬車を出発させてしまった。
これでは、ポルテが公園で一人になってしまう……!
まだ日中だとはいえ、あんな可愛い顔をしたポルテが一人で公園になどいたら、どこの馬の骨とも分からない男に目を付けられてしまうかもしれない。
そうなったらどうしよう……と私が青くなっていると、未だ私の腕を掴んだままのリーゲル様が、ポツリと仰った。
「彼女なら大丈夫だ。今日は元々恋人と会う予定だったのだろう? 今頃は一緒にいるに違いない」
「何故それを?」
反射的に尋ねるが、リーゲル様は答えてくれない。
何故? もしかして怒っているから?
分からないけど、もう一つ質問を口にする。
「もしかして、今日のことご存知だったのですか?」
すると、今度は不機嫌極まりないといった目で睨まれた。解せぬ。
「私は男娼を買うのは良いと契約書に記したが、浮気をして良いなどと書いた覚えはない」
え……浮気?
私の質問とは全く関係のない答えを返され、ついポカンとしてしまったのは、仕方のないことだろう。
あれは……今日のあれは浮気になるのだろうか?
確かに男女二人ずつで会おうとしたのだから疑われても当然かもしれないけれど、初対面の者同士がただ公園に行くだけで、浮気認定などされるものだろうか?
ポルテとその恋人は元々そういう関係なのだし、そこへ私がついていったとして、疚しいことなんて何も──ハッ! まさか、私がポルテを介して未婚の男性を紹介して貰おうとしたと思われたということ?
然もありなんという考えが頭に浮かび、誤解をとこうと口を開く。が、それよりも早くリーゲル様が次の言葉を紡いだ。
「君は既婚者であり公爵夫人だ。外で私以外の男と会うな。男娼を買う場合についても、店には行かず公爵邸に招くようにしろ。分かったな」
問答無用、とばかりに絶対零度の声音で告げられる。
私は既に公爵夫人なのだから、迂闊な行動をするな、ということなのだろう。
変装しているからといって軽い気持ちでいたが、リーゲル様にすぐさま見破られてしまった時点で、私の見た目はそれほど普段と変わっていなかったのかもしれない。
しかも、もし今日私を見つけたのがリーゲル様でなく他の貴族の誰かであったなら、取り返しのつかない不祥事になっていた可能性もある。
そうなれば単に私の浮気疑惑が広まるだけでなく、変装などしていた分、余計に醜聞となってしまっていただろう。
どうしてすぐその事に気付くことができなかったのか。
自分の考えが甘すぎたことに情けなくなる。
お姉様のせいで醜聞まみれとなったリーゲル様を癒やしてあげたいと思った筈なのに、自分可愛さに当初の目的を忘れ、今度は他ならぬ自分自身が、彼を再び醜聞塗れにしようとしていたなんて。
最低だ、あり得ない。
「ごめん……なさい」
謝罪をしたが、唇が震えて上手く言うことができなかった。
「私……そんなつもりじゃ……なくて、本当に、ごめんなさい……」
情けなさに涙が滲んでくるも、ここで泣くのは卑怯だからと、必至に堪えた。
けれど、私の声の弱々しさから、リーゲル様は察するものがあったらしい。
「分かればいい。同じ過ちは二度とするな」
それだけ言うと、その後公爵邸に着くまで、ずっと無言で私の腕を掴み続けていた。
腕じゃなくて手にしてほしい……。と途中で思ったが、私はそれを口にしなかった。否、そんなことを言う権利は自分にないと思ったから、言えなかったのだ。
やっぱり私は、公爵夫人として相応しくない……。
リーゲル様の新たな婚約者に決まってからというもの、ずっと頑張ってきたけれど、そもそもの出来と教養が姉とは違いすぎるため、努力だけでは限界があると感じ始めていた。
どんなに頑張っても、精一杯努力しても、どうにもならないことがある。
私じゃやっぱりお姉様の代わりなんて……。
沢山の人に貶され、揶揄われ、卑屈になっていた頃の自分が突如として顔を出す。
駄目、後ろ向きになっちゃ駄目。いつでも前を見ていないと。
まるで呪文のように、自分に言い聞かせる。
後ろを向いていても幸せにはなれない。幸せになりたいなら、とにかく前を向いていなさいって言われてたのに。
それをいつも自分に言ってくれていた姉は今、側にいない。
お姉様……前に光が見えない時は、どうしたらいいですか?
何も見えなくとも、ひたすら前を見続けるべきなのですか?
内心で問うても、答えはない。答えてくれる人は近くにいない。
「お姉様……」
知らず、口から言葉が漏れる。
今はただ、優しい姉に慰められたかった。
大丈夫、まだ頑張れると、励ましてもらいたかった。
だから、私は気付かなかったのだ。
隣に座っていたリーゲル様が、なんともいえない表情で私を見つめていたことに。もし気付くことができたのであれば、何かが違っていたかもしれなかったのに。
その時の私は、何も気付くことができなかったのだ──。




