供給過多
私への求婚に対する返事を受け取った王太子殿下が、意気揚々と公爵邸を辞した後──私は、なんともいえない顔をしたリーゲル様に詰め寄られていた。
「グラディスどうして……っ! 君は私の妻だろう? なのに何故シーヴァイスと結婚なんてっ……」
「お、落ち着いて下さい。私はまだシーヴァイス様と結婚するとは申しておりません!」
「だが君は保留にすると……あれは、そういうことではないのか?」
普段は冷静沈着なリーゲル様が、珍しく取り乱している。彼にとって、私の存在なんて大したものではないと思っていたのに、この反応は何なのだろう?
「返事を保留にしてしまったのは、あまりにも急な申し出だった為、ゆっくり考えたいと思いまして──」
「考えるまでもないだろう!」
リーゲル様にしては珍しい大声で遮られた。
「君は私の妻だ。契約もきちんと交わしている。なのにそれを勝手に反故にしようとするのはどうなんだ?」
「分かっています。ですから私もすぐにはお返事致しませんでしたし、リーゲル様とお話ししてから決めるつもりで──」
「却下だ。私は絶対に君と離縁はしない。だから話し合う必要はない」
腕を組んで胸を張り、キッパリと言い切るリーゲル様。
王族の後継問題は、筆頭公爵家当主である彼にも関わってくることだと思うのだけど、こんなに簡単に断ってしまって大丈夫なんだろうか?
「でも、そういえばシーヴァイス様は、リーゲル様も望むようにするって仰っていましたよね?」
それがどういう意味なのかは分からないけど……。
「私が望むようにすると言うなら、まずグラディスとの結婚を諦めてもらいたいものだな」
「そ、そうですね……」
否定の言葉しか言わないリーゲル様に、私は苦笑するしかない。
でもリーゲル様はどうして、こんなにも王太子殿下の申し出を拒否するんだろう? 私に対する愛情なんて、持っていない筈なのに。
「リーゲル様は、私と離婚すると何か困ることがあるんですか?」
「え?」
「い、いえあの、私がいなくなったら、また沢山の令嬢に言い寄られて大変なことになるのは分かるのですが、それ以外に困ることってあるのかな? と思いまして……」
あまりにもリーゲル様が驚いた顔をするものだから、喋りつつも私の声は小さくなっていく。
どうしてそんなに驚くの? 私はそこまでおかしな事を言ったかしら?
リーゲル様の顔色を窺うように上目遣いで見つめると、彼は大きくため息を吐いて、いきなり私の身体に腕をまわしてきた。
「!?」
そのまま優しく抱きしめられて、頭の中が真っ白になる。
なんで? どうして? どうなったの?
もしかして、もしかしなくても、私は今、リーゲル様に抱きしめられているの?
石のように固まる私の頭に、彼の唇が降ってくる。
待って待って待ってええええええ! 供給過多! 死ぬ! 興奮しすぎて死んでしまう!
混乱する私の耳に、リーゲル様の温かい息遣いと共に囁く声が届けられたのは、次の瞬間だった。
「ねえグラディス、これを機に私達の契約も見直すとしようか」
「…………」
近過ぎるリーゲル様の声にドキドキし過ぎて、私は首を縦に振ることしかできない。
「良かった。じゃあ契約書を持って来させるから、少しだけ待ってもらえる?」
「…………」
またも無言で頷く私。もう、心臓が脈打ちすぎて死んでしまいそう。
「ふふ。良い子」
それから頬にもリーゲル様の唇が触れ、真正面から見つめられた刹那──私の精神は限界を迎えた。
「えっ、ちょ、グラディス!?」
「奥様! もう、旦那様やり過ぎです!」
突如意識を失った私にオロオロするリーゲル様と、彼を叱りつけるポルテ。
使用人が雇い主を叱るなどあってはならない事なのだが、この時ばかりはそんな事も言っていられず。
ポルテに叱られ、しゅんとする主人を、他の使用人達は温かい目で見つめるのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
──その頃。
一台の質素な馬車が、ある侯爵家の門の前でピタリと止まった。
馬車の扉が開き、そこから地面へと降り立つ一人の男。
男は慎重に周囲を見回し、何者も見ていない事を確認すると、急いで門扉を開け、質素な馬車を侯爵家の敷地内へと招き入れた。
そして、馬車が入るとすぐさま門扉を閉め、邸の入り口へと走る。
邸の入り口に馬車が横付けされるのと同時にそこへ辿り着いた男は、馬車の扉を開くと、恭しく手を差し出した。
「ようこそお越しくださいました。美しき姫君」
男の差し出した手に、白魚のように真っ白い華奢な手が重ねられる。
男の手を借り、ゆっくりと馬車から降り立った令嬢の名は、アンジェラ・ルゼッタ伯爵令嬢──グラディスの実の姉だった。




