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曽祖父の想い

★〜 日本人は想像力の欠如した劣等民族である 〜★


 彼のアドルフ・ヒトラーが「わが闘争」の中で、日本人を評してこのような主旨をことを述べている。一方、「ドイツの手先として使うなら小器用・小利口で役に立つ存在」とも考えていたようだ。


 彼の日本人、有色人種に対する差別極まれり、狂人の戯言と批判するのは容易い。だが、現代の世界経済を鑑みるに、この言葉は正鵠を射ていたのかもしれないと思う。


 世はサービス・ソフトウェアの時代、コツコツと物を作り、その品質を誇っても今や大した意味などない。日本は巨大なグローバル企業の下請けに成り下がっている。


 だけど、だとしても!


 僕の家系は、代々、技術者、いや、誇り高き日本の職人だ。旧日本軍の戦闘機を設計していた曾祖父から受けつがれたDNAは、僕をして機械工学を専攻させた。


 大学に入学し、僕が学んだ機械工学はITを駆使した先端技術へと変貌遂げ、昔とは全然違うようだった。だけど、僕のこだわり、やっぱりメカが好きなんだ。自動車のエンジン設計なんて心が躍る、ピョンピョンする、曽祖父が心血を注いだ航空機技術が今も脈々と息づいているのだから。


 僕は自動車会社への就職が決まり、通勤の関係で実家に戻ることになった。子供部屋は、すでに妹が占拠していたので、かつて曾祖父が使い、今は物置となっている部屋を使わせてもらうことにした。


 曾祖父は随分と長生きした人だが、2007年、九十五年の生涯に幕を閉じている。人が長すぎる天寿を授かると、ありがちな現象だろう、曾祖父からみて子、僕の祖父は妻の実家の介護で手一杯となり、元気な曽祖父を孫である父が引き取ることになったのだ。


 当時、小学生だった、僕、曾祖父の心象はウザイだけの酔っぱらい、だった。昼間っから飲んでは、くだを巻き、ひ孫である僕に、酒臭い息を吹きかけながら何やら理解不能なことを延々と話し続ける。正直、とても迷惑な存在だった。


 母と妹に手伝ってもらいながら、部屋を整理していた時、押入れの奥から年代物と思しき柳行李が出てきた。開けてみると、二十冊ほどの大学ノートと、鎌倉彫の硯箱が出てきた。硯箱には、散りゆく桜の花びらが彫り込まれている。鎌倉彫、梅や椿はよく見るが、珍しいデザインではないだろうか。


 まずノートを開いてみた、万年筆で書かれた几帳面な文字は、曾祖父のものだろう。どうやらこれは、日記、といっても日付は一週間単位で、その週にあったことを、まとめて記述した物のようだ。


 実は、曾祖父、神童と呼ばれ、家系の中でも秀でた天才だった、と聞いている。飛び級により二十歳で帝大を卒業し、ドイツに留学、中菱飛行機株式会社に入社するや否や、たちまち主任研究員の地位を得て、当時、日本の最新鋭といわれた九七式戦闘機の開発に当たっていたらしい。


 なんだ爺さん、もうちょい僕が大人だったらなぁ〜 あの訳の分からない愚痴は、きっと航空機エンジンの技術論だったのだろう。日記には日常の話題に混じって、航空機開発に際し気付いたこと、行き詰まったことが記されており、若き技術者の熱い想いが伝わるような技術ノートでもあった。


 日付は彼が大学を卒業した1932年から始まり、終戦の年1945年で終わっている。最初の方は、希望に満ちた日々の出来事が記載されていたが、当時の世相を反映してか、時を追うに従い暗いトーンとなり、最後は悲痛とも言える心の叫びが、乱れた文字で書き殴られていた。


 爺さんがこれを押入れの隅に仕舞った理由、分かった気がするよ、こんな日記、もう二度と読みたくなかったんだろうな、だが、だけど、捨てるに忍びず仕舞っておいた、そんなところだと思う。


 特に終戦直前の記述は読んでいて辛くなり、思わず日記を閉じてしまうこと、しばし。彼は心ならずも、特攻兵器、桜花の開発に携わっていたようだ。桜花は前部に爆弾を積んだ滑空機、平たく言えばミサイルにパイロットが乗って誘導するという、自殺のためだけの兵器だった。


 彼は、こんな馬鹿げた兵器を作らねばならぬのは、全て自分の落ち度だと書いていた。もちろん、あの戦争、一技術者がどう頑張っても、動かし難い歴史の流れがあったに違いない。だが、彼は、どうしても、無理にでも、自分を責めなければ、いられなかった、そういうことなのだろう。


 木を見て森を見ずだと承知の上で、敢えて語る極論、彼は九七式戦闘機を設計する際、従来の空冷式ではなく、ドイツのメッサーシュミットBf109に習い、液冷エンジンを採用しなかったことが、全ての元凶だと断じていた。


 彼の持論は、日本の戦闘機が目指したドッグファイト性能、格闘戦至上主義は複葉戦闘機時代の遺物であり、これからの単葉戦闘機は速度や急降下性能に特化すべきである、というものだ。


















 お読みいただきありがとうございます。


 「秋の歴史2022企画」参加作として、久々に真面目なものを書いてみました。出だしは何コレ? ですが、太平洋戦争の歴史IF(SF)へと続きます。


 タイトルは「桜花 散りぬる風のなごりには 水なき空に波ぞ立ちける(古今和歌集・紀貫之)」より。和歌は「さくらばな」と読みますが、こちらは「おうか」でお願いします。


 本作、いろいろ悩みながら書きました。もう少し戦闘機や太平洋戦史の説明を書かないと、ピンとこないのではないか? だけど「ちなみに」部分が、メインストーリーラインより長い小説なんてダメでしょ……。


 ですので、「専門用語」を説明なしに使っている場合があります。ご了承ください。


 今夜から五夜連続、毎日二十時リリースとする予定ですが、最終夜までお付き合いいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 1/1 ・これを調べて書いたのがすごい。熱意マシマシ。 [気になる点] そして残念、誰が何をする話なのか、まだ不明。 [一言] ミサイル特攻ですか。私知識じゃ書けません
[一言] 確かに難しい感じは受けるけど、 これはこれで、この話の雰囲気が掴めるような気もするから いいんじゃないかなとは思う。 専門的な名称も出るけど、 まったく意味が通じないわけでもない。 いや…
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