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草薙剣伝説

作者: 朱 臨波

    序章 戈捨て



 手裏剣といえば忍者の十字手裏剣を思い浮かべるかもしれないが、手裏剣の多くは棒状である。伯耆流の手裏剣も棒状である。ただちょっと変わっているのは、矢羽根のようなものが尾部についている点だ。尖端から三分の一くらいは円錐状で最大径は小指ほどか。残り三分の二も尾部に向かって円錐状で、末端にその矢羽根四枚がついている。ちょっとモダンな形状で、ロケットかミサイルのように見える。パリ万博で展示されたこの手裏剣こそが第一次世界大戦において飛行機から投下された爆弾の原型なのだ、という怪しい説もあるくらいだ。空力的に洗練されたスタイルであるには違いない。長さは、手首から中指の先くらいまでで、親指と掌とで挟んで持つ。丁度指を伸ばした手の内に隠れる長さだから手裏剣というのだ。

 宇野金太郎は毎日この手裏剣を打つ。つまり的に向かって投げ打つ。的は立てかけた畳の裏だ。三本の手裏剣を左手に持ち、右手で続けざまに打つ。三本打つのに三秒はかからない。打たれた三本は半寸おきに横並びになっている。これを十回繰り返す。

 伯耆流は居合剣術として知られているが、当時居合だけでは評価されない。馬上の剣術、立合の剣術、居合の剣術、そして体術(柔術)ひととおりのメニューがなくては流儀にならない。少し離れた敵、接近した敵、突然切りかかる敵、組みつく敵、どんな敵にも対応できなければ、一流一派を唱えることはできないのだ。

 離れた敵に有効なのは、弓矢、鉄砲、槍、薙刀だが、流石にこれらは伯耆流のメニューにはない。だからといって刀の届くところだけが守備範囲というわけにもゆかぬ。そこで、剣術専門家も刀の守備範囲を補充拡張するために手裏剣を用いるのである。刀の届く距離は、突き詰めれば刀身の長さ以上ではないが、跳躍して踏み込めば並みの剣士でも一間半にはなろう。手裏剣は二間以上の距離を隔てた敵に対する武器ということになる。

 というわけで、宇野金太郎にとって手裏剣の稽古が日課となっていることには理由があったわけだが、この日、五回目の手裏剣打ちを終えた丁度その時、師の片山友猪から使いが来た。まだ明け染めぬこの時刻に珍しい。何事かと片山家屋敷に向かった。

 座敷に通されると、老師友猪と若先生の本蔵が待っていた。いつに似ず固い雰囲気だ。

 「賊が入った。」友猪が口を開いた。

 本蔵の顔を見ると、座敷に入った際には暗くてよく見えなかったが、左の頬に真新しい刀傷がある。

 友猪がよろめきつつ立ち上がって、「参れ」というに従い、屋敷奥の蔵の前まで行くと蓆をかぶせたものがある。本蔵が蓆をとると死体だった。顔面からみぞおちまで真向に切り下げられている。見事な腕前だ。ただ、一太刀で倒したわけではなさそうだ。右上膊が半分断ち切られている。格闘の様子は見ただけで分かった。賊が本蔵に斬りかかり、からくも躱した本蔵は頬を切られはしたが、抜き打ちに賊の右上膊に切りつけ、二の太刀で切り倒したのだろう。一太刀目で敵の攻撃力を奪い、二太刀目で制圧する、というのが伯耆流の基本なのだ。

 友猪は老僕に死体の始末を命じて、座敷に戻り、そこで金太郎に朝餉をふるまった。朝から酒がついた。屋敷内で人を斬り殺してしまったのだから、本蔵も飲まずにはすまなかったろう。賊の弔い酒なのかもしれぬ。友猪も本蔵も無言なので、金太郎も無言で通さざるを得なかった。食事が終わると、友猪は二人に嗽手洗いをさせ、神前に拝礼させた。そして再び蔵の前に連れて行った。あたりは明るくなっていたうえ、老僕が清めおわっていたため、先ほどの凄惨な現場とは打って変わっていた。友猪は蔵の錠を開け、本蔵と金太郎を伴い中に入った。友猪の目配せに応じて、本蔵は外の様子を確かめたうえで入口の扉をしっかりと閉ざした。

 「難儀なことになった。お前の助けを借りねばならぬ。」友猪は金太郎の目を見据えた。

 「某がお役にたつのであれば」金太郎も老師の目を見つめた。

 「話は長くなる。」と告げて始まった友猪の物語は金太郎を驚かせた。

 流祖片山伯耆守藤原久安が関白豊臣秀次の剣術師範であったことは承知していたが、豊臣家滅亡後吉川家客分として当地岩国に来たのは、単に仕官先を求めてのことではなく、天朝からの極秘の命を受けてのことだったというのだ。久安が秘剣磯の波を後陽成天皇の天覧に供して従五位下伯耆守に叙せられたことは、周知の事実であるが、この前後久安は天朝の信頼を得てその機密に参画するようになっていた。折しも徳川家康は源氏の棟梁として征夷大将軍叙任を朝廷に要求し、その野望を遂げたが、そもそも征夷大将軍は、鎌倉以来源家の独占であり、嫡流頼朝、傍流尊氏、そして同じく清和源氏の新田支族を自称する家康のいずれもが、征夷大将軍として天下の軍事の大権を掌握することを前提として政権を確立した。彼らに共通なのは、軍事の総帥としての自意識であり、その権威を裏付け支えるものとして、あるものを希求していたことだ。そのあるものとは、草薙剣なのである。

 「草薙剣は三種の神器のひとつで天朝様のものでありましょう。」金太郎は思わず口をはさんだ。

 「さようじゃ。」友猪も頷いた。「じゃが、畏れ多くも」と友猪は続けた。

 頼朝の父義朝は、源家を武士の棟梁とすべく、武力の象徴である草薙剣を我が物としようとし、爾来それは源家の野望となり悲願となったのである。

 「頼朝の母がいかなる家の出か承知しておるか。」友猪は金太郎に問うた。

 「存じませぬ。」

 「由良御前というて、熱田大宮司の息女じゃ。」

 「熱田神宮といえば」

 「さよう。草薙剣をご神体としておる。」

 義朝が由良御前を正室に迎えてから、熱田神宮と源氏との結びつきは強くなった。伊勢神宮に対抗意識を持つ熱田神宮の方でも武士の棟梁との結びつきを歓迎し、草薙剣は武士の棟梁が保持すべきものだとそそのかしたのかもしれぬ。義朝は平治の乱で敗れ、横死したが、武士政権の確立とそのための草薙剣保持は嫡男頼朝の宿願となった。後白河法皇は当初頼朝の挙兵を歓迎したが、やがて頼朝の野望に気づき、極力対抗手段を行使した。草薙剣についてもこれを頼朝の手の及ばぬところへ秘匿した。

 「そもそも草薙剣は安徳天皇ご入水の折、壇ノ浦に沈んだのではありませぬか。」

 「実はあれはまがい物なのじゃ。」

 後白河法皇は草薙剣のレプリカを平家に持たせ、本物は別のところに隠したのである。頼朝は海中に没したということを信じないで(やはり鋭利な頭脳の持ち主だったのである)、内密に情報収集に努めたが、遂に所在を把握するに至らなかった。足利尊氏も真の草薙剣を探索したが、やはり見つけることはできなかった。時代は下って、家康は、伊賀者を活用してとうとう所在を把握した。家康が草薙剣を強奪せんと企てた時、後陽成天皇は久安に命じてこれを西国に持ち出させたのである。間一髪であった。

 「では、もしや草薙剣はこの岩国にあるとでも…。」

 「さよう…。この蔵の中にあるのじゃ。」

 「えっ、ここに?」沈着冷静な金太郎も流石にのけぞった。

 先ほど蔵に入る前に嗽手洗いをさせられた理由が分かった。と同時に本蔵に斬られた賊のことを思い出した。

 「では、本さんが斬った賊というのは…。」

 「神剣を奪おうとしたに違いない。」友猪が答えた。

 本蔵の頬の傷をもう一度見る。

 「示現流だと思う。」本蔵が初めて口を開いた。「抜くや直ちに手元を高く八双に構えて鋭く踏み込んできた。躱しきれずこのざまだ。あれは我等の剣とは違う。陽流そのものだ。初めて見たのだが、薩摩の示現流だ…。」

 「では、賊というのは島津家中?薩州が何故…。」

 「御公儀も黒船来航以来揺らいでおる。」友猪が珍しく政治の話を始めた。「長州、薩州、土州といった西国諸侯とその家来衆を中心に攘夷だ、佐幕だと喧しい。お前も江戸で見聞きして参ったろう。それが、此度は薩州国父が勅使ご守護のためにご上洛とのことじゃ。薩州は表向き佐幕ではあるが、心底野望があろう。とりわけ実権を握る国父殿にはな。」

 「いかなる野望にござる。」 

 「征夷大将軍として天下に号令し、新たな幕府を起こさんとの野望よ。」

 どこの馬の骨だか分らぬ徳川が源氏の氏の長者だなどとはちゃんちゃらおかしい。今日氏の長者などという呼称や発想自体すでに時代錯誤なのだが、もし氏の長者を云々するとすれば島津家こそが正当やもしれぬ。天下周知のとおり島津家の始祖惟宗忠久は頼朝の落胤なのだから…。戦国末期九州を席巻しながら、秀吉に屈服し、関ヶ原でも東軍に敗れ、多年雌伏を余儀なくされた。幕末の混乱!この日が来るのを待っていたのだ!

 「で、草薙剣を?」

 「さよう。実は二日前に大島吉之助なる仁がこの屋敷を訪れた。」

 大島は薩摩なまりであったが、短時間で友猪を信頼させたうえで、こう告げた。貴家が畏れ多くも神剣を護持し奉っていること、薩州国父久光が探知した。久光はこれを奪い、天下に号令する野心がある。某は国父といえどもその企て看過できぬ。京に向かう途中であるが、立ち寄った次第。くれぐれもご用心あれと。大島は変名で、あれは西郷吉之助であろうと本蔵が付け加えた。本蔵は江戸で西郷を見たことがあるのだそうだ。神剣のことを告げられたこと自体、友猪本蔵父子にとっては驚天動地のことであった。片山家が神剣を護持していることは一子相伝の秘事、他家はおろか家人にも告げたことなどなかったからだ。先ずは用心せねばなるまいと父子相談し、当分夜間は本蔵が蔵側で番をすることとしたのだが、早くもその二晩目の昨夜深更三名の賊が音もなく蔵前に現れたのである。

 「三人もおったのですか。」金太郎は驚いた。それでよく頬傷ひとつですんだものだ。本さん、なかなかやるではないか。聞けば一人を倒し、もう一人に深手を負わせたところで、残り一人が本蔵の追撃を防ぎつつ立ち去ったとのこと。本蔵も深追いせず蔵を守ったのだという。示現流に対しそこまでやれたとすれば、御流儀も存外捨てたものではないと見直した。

 「神剣の秘事はいずれより漏れたのでありましょう。」金太郎が問うた。

 「おそらく近衛あたりからじゃろう…。」友猪は苦々しげに言った。

 近衛関白家は古くから島津と縁がある。そもそも薩摩の島津荘は近衛家の荘園だったのだ。頼朝の落胤忠久はその荘官となってそこに土着したのである。先の将軍の御台所天璋院も島津一門の生まれではあるが近衛家息女として嫁いでいる。そもそも近衛家は武家と縁が深い。室町将軍家十三代義輝公など母も妻も近衛家の出である。薩摩の隣国肥後の細川も始祖幽斎時代には近衛当主前久あたりと入魂だったようだ。

 「星野殿も細川殿のご意向を受けて御流を学びに来られたのやもしれませんな…。」金太郎が指摘すると、本蔵も然りと頷いた。

 肥後の星野は細川家の居合師範であるが、肥後に伝わる伯耆流の筋目を正したいと、安永年間当代の星野角右衛門実員が片山宗家を訪れ、何日か逗留して帰った。その後も後継者が時折訪れ、今でも交流がある。奇特なことよと思ってはいたが、やはり狙いがあってのことであったに違いない…。

 「そうであったとしても、星野にとっては無駄な骨折りじゃった。神剣の所在は結局分からなかったはずじゃ。しかし、今度ばかりはそうはゆかぬ。昨夜は三人であったが、この先はどうなるやもしれぬ。そこでじゃ、お前に来てもらったのは。」

 神剣を四国の祖谷に隠す。その手伝いをせよ、というのが友猪の命であった。

 「四国、でございますか。」

 「さよう。阿波の山奥に祖谷というところがある。平家の落ち武者の隠れ場じゃ。多年源氏の追及を免れてきたところよ。実は安徳天皇はこちらに隠れて、ここで崩御されたという説もある。その真偽は知らぬが、山奥も山奥、そこの村々は守護にも大名にも従わず、阿波一国持ちの蜂須賀家も手におえず、今でも独立独歩の地じゃ。」

 「で、祖谷の何様のところへ?」と金太郎が問うと、友猪は顎を撫で、傍らの本蔵は苦笑した。

 「実は、わしの倅がそこにおる…。」

 「えっ、先生のご子息がさような山奥に?」

 「うむ。若い時分に諸国を修行で回ったことがあってな。」

 「何のご修行であったやら。」と本蔵が茶化した。

 「こ、これ、親をからかうではない。ま、若気の至りというべきかもしれぬが、悔いてはおらぬ。実によき女子じゃったよ…」草薙剣危急の折に昔の女を思い出して悦に入るとは、相変わらずの師匠だと金太郎が苦笑するのも気にせず、友猪は続けた。「元を正せばおひい様、平家の公達の遠い子孫じゃ。これを上臈というか、と感嘆した。立ち居振る舞い、武家というより公家風じゃな。美しさ、これに勝る者を、その後見たことはない…。あ、いやいや、本蔵、お前の母も若い頃は随分美人であったぞ。わしゃ面食いなんじゃ。」

 本蔵も金太郎も呆れた。

 後日本蔵から聞いたところによると、友猪は土佐の横倉山も訪れたらしい。単に剣術修行というのではなく、若き日の友猪は片山家が捧持する草薙剣にまつわる諸伝説に惹かれて諸国を行脚したらしい。祖谷の姫御前と子をなしたのは、その付随事件であったのだが、老師はここで一両年を過ごしたようだ。祖谷久太郎平俊盛と名乗る老師の子息は、かの地で村長を務めているという。師走には岩国までそば粉の進物が届く。そういえば、金太郎もおすそ分けに預かっていた。素朴な味が印象的だった。

 「では、その久太郎殿のもとへ?」

 「さよう。本蔵と二人で神剣を運んでほしい。久太郎の屋敷には平家の重宝も残っておる。扱いも心得ておろう。薩州らの触手の及ばぬかの地に当面隠匿じゃ。」

 「殿様のお手元に預けるわけには参りませぬのか。」

 「殿様は江戸ご在府じゃ。老臣どもに申し出ても、騒ぎ立てるばかりで埒があくまい。第一わしの言うことなぞ信用すまい。お前も承知のとおり、当家の評判はよくない。」

 確かに吉川家中における片山家と伯耆流の声望には陰りが見える。今風の竹刀稽古を行わず、時代遅れの稽古法だと陰口を叩かれてもいる。今の世の人は分かっていないのだ。元亀天正の物騒な時代を生き抜くために日本刀を最大限有効に使う技術と精神を先人が体得する過程で、どのような修行法が必要であったかを。考えても見よ。三尺八寸の竹刀の間合いと二尺三寸五分の真剣の間合いは、全く異なる。三尺八寸の竹刀に慣れた者が二尺三寸五分の真剣で打ち込んできても恐れるに足りぬ。切っ先が届かないのだ。そもそも真剣勝負では互いに恐怖心が募り、たださえ間合いが遠くなりがちになる。だから、先人は、己の鍔で敵の額を打てと教えたのだ。それで丁度切っ先が相手に届く。笑止、竹刀稽古。さようなことをいくら積み重ねても役に立たぬばかりか、かえって害になる。だが、吉川家中に限らず天下の大方の武士どもにとって、剣術修行など所詮心得程度で足りるのだから、渋い古典的修行方法などよりも派手な流行の修行方法によって、世間に対しやっている風を装う方がいいに決まっている。かくて世間は撃剣ばやりで百姓町人までもが竹刀と防具を携え道場通いをするようになっているが、金太郎の如く剣の真髄を窮めようとする求道者にとっては、彼らの修行は木に縁りて魚を求むる類、迷いの甚だしきこと極まりなし、である。江戸で竹刀稽古、竹刀試合も経験し、その利点も理解せぬわけではないが、詰まる所古流に勝るものではない、というのが金太郎の結論であった。それ故、江戸から帰ってもなお金太郎は片山流門弟たることを続けている。

 「そもそも神剣護持は片山家の役目で、主筋とはいえ吉川家に頼るつもりはない。お前は当家の直弟子で、今も当家当流を大事に思ってくれておる。それゆえ神剣の秘事を打ち明けたのじゃ。祖谷の倅と本蔵とお前以外にわしが信じる者はおらぬ。本蔵と二人で神剣を祖谷に運んでくれ。頼む。」

 老師に頼まれては引き受けざるを得まい。本蔵が経路を説明した。岩国の麻里布湊から四国に渡る船便は少ない。いったん船で上関まで出て、そこから上方に向かう船に乗る。伊予の川之江か讃岐の丸亀に立ち寄る船であればよいが、そうでなければ沖乗りの船が必ず泊まる大島下島の御手洗で四国行きの船に乗り換えることになる。昼過ぎに上関に向かう船があるから、これを使えば夕刻には上関に着き、うまく上方行の船に乗り込めば、明日の夕刻までには四国に着く。丸亀から祖谷までは二日は見た方がよかろう…。

 昼過ぎの出立!いきなりのことに驚きはしたが、聞かされた状況からすれば即日出立というのももっともな判断だった。かつ師命である。否やはない。直ちに旅支度を整えることとした。

 出立に当たり、神剣を拝む機会を得た。剣は見慣れぬ古代風のもので両刃のつくり、刃渡りはおそらく二尺七寸ばかり、所謂十握の剣の類か、身幅はやわらかなカーブを描く切っ先の部分から徐々に広がり鍔元では三寸ほどにもなった。刃文ははっきりせぬが、地肌はよく手入れされ、少し黄ばんだような鋼鉄色が鎧をも断ち切るかとも思わせるような趣きで、これが素戔嗚尊が八岐大蛇の尾から手に入れ、日本武尊が武蔵野で迎え火のために草を薙ぎ払った伝説の剣かと思うと、金太郎自身が歴史の大きな流れにかかわっているような気がしてきた。友猪も、先祖伝来捧持してきた神剣を四国に移すに当たり、これが見納めかもしれぬと感じているのか、感慨深げな様子であった。

 本蔵が神剣を油紙で包んで三尺五寸ばかりの長さの桐の箱に入れ、これを奉書紙で覆い、真新しい風呂敷にしっかりと包んだ。縮緬の帯を背負い紐にして、二人交互に背負うことにする。薩州手先が道中待ち構えていることも想定し、大小の手入れを入念にし、急ぎ出立した。

 麻里布湊から上関までの船旅は穏やかで心地よかった。乗合いの者もかなりいたので、本蔵と金太郎は安堵した。薩州方もこの状況で襲っては来ないだろうと考えたからである。ただ、一人笠で顔を隠した武士が隅にいたのが、少々気になった。夕刻上関に到着。四国に寄港する上方行きの船便を求めたところ、先程下関から到着した船が伊予川之江に寄るとのことでこれに乗ることにした。聞けば、下関から何人か乗ってきたが、ここで降りて船荷以外は本蔵と金太郎の二人だけのようである。貸切か、それも好都合だと、二人は喜んだ。船宿で食事をとって待つうちに既に日は暮れ、案内を受けて乗船し船室に入った。確かに二人だけだ。それでも油断なく交互に仮眠をとることとした。やがて船上人が往き来する物音が聞こえたが、船室には降りてこない。やはり旅客は自分たちだけであれは船頭等だろうと金太郎は考えた。

 海は穏やかで揺れも少ない。心地よく仮眠をとる間に夜が明けたようだった。本蔵が背伸びして外に出て見ようと言う。金太郎は本蔵から引き継いだ神剣を背にして遅れて船室を出た。先に船べりに立った本蔵が妙な顔をしている。船は東に向かっているのだから朝日を前にしているはずだが、船は陽を背に浴びている。右舷側にはほど近く海岸が見え、少し奥まったあたりには立派な寺院の佇まいが見える。何とあれは安徳天皇御影堂、ここは赤間ヶ関ではないか、二人同時に気づいたが、丁度その時二人を取り囲むように五人の人影が現れた。うち二人は洋式銃を構え、本蔵と金太郎とに狙いを定めている。一人は麻里布湊から来る折に同船していたあの武士、これが首領らしく、金太郎にピストルを向け構えた。あと二人はそろりと抜刀し、いつなりと襲いかからんとする構え。

 首領が金太郎に向かって口を開いた。「上関に後詰の者が参った折で我らには好都合であった。ご両所には不本意でござろうが、下関までご一緒いただこう。」

 「なぜ我らが下関まで参らねばならぬ。」金太郎は落ち着いて問うた。

 「貴殿が背負うておられるその品が目当てじゃ。」と首領。

 金太郎は笑った。「おぬしらは盗人か。」

 「言うな。そこもと等の生死は我らの手中にあるのは明確であろう。観念してその品を渡せ。それさえ手にすれば、命を奪うとは言わぬ。」首領が言った。

 いきなり発砲して万一にも神剣を傷つけてはまずいと考えているのだろう。金太郎が穏便に神剣を引き渡してから、本蔵と金太郎を殺すつもりに違いない。ならば…。

 金太郎は観念した風情で背負い紐に手をかけ、ゆっくりと神剣を背から降ろし抱えたが、次の瞬間右舷に体を向けるや海上へ神剣を投げ放った。

 五人の薩摩武士、本蔵すべての者が凍りついた。皆神剣の行方を目で追ったが、神剣が水しぶきをあげて姿を消す前に、金太郎は首領めがけて手裏剣を放った。海中に没する神剣に顔を向けていた首領の右こめかみに手裏剣が深々と刺さるのを確かめもせず、金太郎は二本目の手裏剣を本蔵に銃口を向けた武士に放ち、三本目を金太郎後方から洋式銃を向けていた武士に放った。すかさず本蔵が手裏剣を打たれて構えを崩した武士に抜き打ちで切りつけ、一刀のもとにこれを倒したときには、首領も金太郎の抜き打ちでとどめを刺され、後方の手裏剣を受けた武士は昏倒して海中に転落していた。残る二人の薩摩武士は瞬間の出来事に当惑して立ちすくんでいたが、さすがに立ち直り金太郎と本蔵に切りかかった。勝負はあっけなくついた。またしても伯耆流剣術が示現流をしのいだのである。

 本蔵と金太郎は、薩摩武士に脅されて行き先を変更していた船頭に麻里布湊へ向かうよう命じた。神剣を海中に投げ捨てた金太郎の判断は正しかったと本蔵も認めた。薩州国父の手に落ちるよりは、誰の手にも届かぬ海に沈んだ方がよかろう。安徳天皇ご入水の折、この海に沈んだという説の通りになったのだ。しかし、父友猪の顔を思い浮かべるとどうしようもなく苦しくなった。金太郎も同然である。祖谷に神剣を隠せという師命を果たせなかった、そればかりか、この上なく貴重な神剣を永久に失ってしまった、その事は万死に値する、師に復命の後割腹してお詫びするしかなかろう、と腹を決めた。

 

 二人から顛末の報告を受けた友猪は流石に呆然としていたが、瞑目黙思することしばし、やがて平伏していた二人に語りかけた。その声は意外にも明るく清々しいものであった。

 「金太郎、お前の判断は正しかった。本蔵もよくやってくれた。

 お前たちの働きを聞いて、わが祖片山伯耆守藤原久安の道歌を思い出した。

 その意味がわからぬが故に、お前たちにもその歌を伝えておらなんだが、それはこうじゃ。

  戈止むも 戈を止むも なお如かじ 磯の波にぞ 戈捨つるには

 どうじゃ、今ではその意がわしにはよう分かる。お前たちにも分かるであろう。

 武道は戈を止める、敵の攻撃に対する防御を本旨とする、というのでは不十分、当流にては、武道戈止むを本旨とする、戈を止めるにとどまらず、戈が止むのだ、と理解してまいった。わが祖久安が磯の波の秘剣をみかどの天覧に供した際、太平の祈祷を行ったのは、この戈止むの思想による、と我等は伝え聞いておった。しかし、久安の思いはそれをさらに深めたものであったのだ。戈が止んでも、戈が残るのであれば、また戈を使うことになろう。それゆえ、戈は捨ててしまうにしくはないのだ!

 金太郎、おまえは期せずして当流の本旨を実践したのだ。

 は、は、これは愉快だ。当流六代のこの友猪久俊、遂に祖久安の思いを会得した!」

 本蔵と金太郎は師を見上げた。師は満足そうに二人に笑みを見せた。




   第二章 常不軽菩薩剣



 鷺山が事々無斎師弟に歴史的刀剣の「再生」を依頼するようになって十数年が経つ。

 「再生」というのは鷺山の用語で、贋作の製造とは意味合いが違う。真物に似せて贋物をつくるというのではなく、そもそも誰も見たことはないが、歴史的にはあったらしい刀剣、どこかにいってしまった刀剣を、現代において創造的に生き返らせることをいう、と鷺山は定義する。従って、「再生」というのは「模造」「贋造」などの卑しい営みではなくて、高度に知的文化的な営為なのだ、と鷺山は事々無斎師弟に語った。

 師弟が鷺山の論理に納得したかどうかは別として、それ以来何度かの「知的文化的営為」が試みられた。北の庄にて柴田勝家と最期をともにしたお市御寮人が自害に用いた短剣、大坂夏の陣で真田幸村が徳川家康を討ち取った(と、鷺山は主張する)折の幸村の佩刀村正、敗れはしたが巌流島で武蔵の鉢巻を切り裂いた佐々木小次郎の物干し竿、といった「作品」群がその成果である。いずれも事々無斎師弟渾身の傑作で、各作品の購入者は、鷺山の入念周到な解説を抜きにしても、お市御寮人の短剣に宿る妖しい官能美、幸村の村正に漲るおどろおどろしき執念、小次郎の物干し竿から発散される凄まじいまでの気迫に酔いしれ、恐れ、圧倒されたのだった。

 五年前、鷺山は事々無斎に聖徳太子御剣の「再生」を依頼した。阿佐太子描くところの有名な「聖徳太子および二王子像」によれば、太子は長大な直刀を佩用しているが、これを「再生」したいというのだった。

 大阪の四天王寺には聖徳太子御剣として「七星剣」「丙子椒林剣」の二口の剣が伝わっており、これらのうちいずれかが「聖徳太子および二王子像」に描かれた剣であるとも考えられる。だが、いずれの剣も刀身七十㎝未満で、描かれた剣ほど長大ではない。太子が小柄だったので剣が長大に見えるのだという反論はありうるが、太子と等身だとされる法隆寺の秘仏救世観音像は、その像高百八十㎝近いのである。観音像の結い上げて盛り上がった頭髪の部分を差し引いても百七十五㎝前後はあろう。ということは、太子の身長もそれぐらいであったということになる。「聖徳太子および二王子像」で太子の佩く太刀は、柄頭から鐺までの全長が太子の身長の約六割程度に描かれており、刀身自体も身長の五十五%程度の長さはあったろうから、つまるところ九十六㎝前後と推察され、「七星剣」「丙子椒林剣」よりもはるかに長大な全く異なる剣だということになる。これは実に都合がよい。「七星剣」でも「丙子椒林剣」でもない、誰も見たことがない、ひょっとしたら(そして多分)現存しない剣なのだから…。「再生」にふさわしい!というわけだ。救世観音が太子と等身であるなどというのも所詮伝承でしかないが、鷺山にとってそんなことはどうでもよかった。われわれは学者ではないのだ!結局、太子佩用の剣として刀身九十六㎝の鉄製直刀が「再生」されることになった。刃渡り、身幅、重ねの寸法といった剣の規格は、刀身九十六㎝の直刀に相応しい、最も美しいプロポーションが実現するよう、事々無斎と弟子の信実に一任された。

 この剣がどのような経緯で今に伝わったか、ということも剣の現況と関わることであるから十分に検討されなければならなかった。

 この剣は、太子没後山背大兄王が継承したのであるが、蘇我入鹿らが斑鳩の山背大兄王を襲った折、王は馬の骨とともにこの剣を邸内に放置し火を放って脱出した。一族皆焼け死んだかのように見せかけ、いったん生駒山に逃れたのである。史上明らかなように、王は結局斑鳩寺に戻り、子弟妃妾ともども自裁して果てたのであるが、問題の剣は焼け跡から取り出されて蘇我一族の手に渡り、蘇我氏滅亡の際、密かに持ち出されて、その後蘇我氏縁故のG寺に秘蔵されることとなった。太子も山背大兄王も蘇我氏一門なのであるから、それももっともなことなのである。寺は蘇我氏を倒した藤原氏を憚って、千年以上の間門外不出としたのであるが、明治維新後の廃仏毀釈時困窮し、この秘宝を処分せざるを得なくなった。幸い、蘇我氏末裔を名乗る某大名家がこれを高価に買い取ることとなったが、戦後まもなくこの華族も零落し、密かにこれを好事家に売り渡すに至ったのである。時至れば必ずや買い戻す故、決して市場には出さないでくれ、との懇願を終始忘れず、約束を奇特に守っていたこの好事家ではあるが、昨年相続人を残さず急逝してしまった。長年秘書のごとき役割をしていた男が、元の所有者である旧華族を尋ねたが、何年も前に後継者不在のまま家は絶えていたことが分かった。G寺に返すことも考えたけれども、好事家の相続財産管理人たる弁護士からは退職金もろくに払ってもらえず、自らも路頭に迷う境遇に落ちていた男は、高価にこれを買い取ってくれる収集家を探すことにした。なお、剣の由来を記した古文書はG寺から大名家が剣とともに譲り受けていたが、終戦末期空襲で焼失してしまった…。以上が鷺山の組み立てた剣の由来である。

 「再生」にあたり、この「由来」との整合性が重視されたことは勿論である。原材料の玉鋼は、七世紀に鍛錬された剣であることに疑問を抱かれぬよう慎重に吟味された。この方面の知見は、T大学大学院で冶金工学を専攻した信実にほぼ完璧に備わっていたので、師の事々無斎は最高の作品を創出することに専念すればよかった。山背大兄王邸で火災にあった経歴の痕跡を残すについては、師弟にかなりのためらいがあった。これほどの出来映えの作品に火災による損傷を故意に与えるなど、耐え難かった。二人は打ち上げた剣に向かって一晩悶々と過ごした。火災の痕跡を示していなければ、鷺山は納得しないだろうと考えたからである。信実は鷺山さんに頼んでみましょうと師に提案した。残りの人生でこれ以上の作品はもうつくれないかもしれないと思っていた事々無斎はこの提案を喜んだ。数日後やってきた鷺山は剣を見るなり考え込んでしまった。小一時間も経ってから、鷺山はこの剣に無用の損傷を与える必要はないと宣言した。ただ強めの研ぎを施してほしい、軽い火災の痕跡は念入りな研ぎで解消されたのだと説明するからと付け加えた。鷺山はこの剣の持ち込み先を既に決めていたのだが、その相手方はおそらくその程度の説明で納得するか、抑々そんなことは全く意に介さないかもしれなかった。だから、鷺山がむしろ重視したのは、火災の痕跡などではなく、この剣の意味合いを示す銘文や装飾をいかなるものにするか、ということだった。

 鷺山は事々無斎と信実に向かい、茎の表銘として「南無常不軽菩薩」と刻んでほしい、書体については当時の資料からかくかく、大きさについてはしかじか、と細かく注文をつけた。仏典をひととおり渉猟している事々無斎には、鷺山の意図がすぐ理解できたが、まだその方面に疎い信実には解説が必要だった。聖徳太子はわが国における初めての本格的な仏教理解者であって、大乗経典とその学説に通暁した偉大な宗教家であったのだが、大乗経典中文学的にも白眉とされる法華経および維摩経については特にこれを好んで講じ、『法華経義疏』『維摩経義疏』はその著として今に残っているのである。常不軽菩薩は、法華経の登場人物であるが、会う人ごと、貴賤を問わず全ての人々に敬礼して「(仏になる可能性を持っているから)あなたは尊い」と述べて回ったという、大乗行の権化のような存在なのである。太子はこの常不軽菩薩を自己の理想としたので、その佩用する剣に「南無常不軽菩薩」という銘文を刻ませたのである…。実は、と鷺山は付け加えた。この剣の持ち込み先は、法華経信仰を宗とする新興宗教団体なのだ、その信仰の象徴としてこの剣は渇望されるに違いない…。相変わらずの妙な説得力になかば感銘を受け、なかば呆れていた事々無斎と信実の面前で鷺山は、師弟の渾身の傑作に深々と礼をした後、厳かに宣言した。「この剣を聖徳太子ご佩用『常不軽菩薩剣』と申し上げる…。」

 常不軽菩薩剣は鷺山の計画通り宗教法人霊鷲山会長のもとに持ち込まれた。会長の今野龍樹は鷺山よりひと回り年上で六十半ば、K大学の先輩に当り、何度か面談したことがある人物だった。実は、常不軽菩薩剣のアイデアはかつて今野と対話した折に鷺山の脳裏に生じたものであり、それ故、この剣の意義は、(たとえそれが「再生」されたものであるにしても)今野会長こそが認め、受容するに違いない、と鷺山は確信していた。

 一礼の後白鞘に納めた剣をおもむろに抜き、鋭利な直刀の姿をじっくりと眺めたうえで、地肌、刃文のありようにも繊細な観察を加えた今野は、目釘を抜いて茎をあらためた。「南無常不軽菩薩」の銘文を目にして数分間の沈黙を経、今野は初めて口を開いた。

 「まさしく法華経護持の剣というべきです。刀匠の技量も絶世というべきだが、この剣の製作を依頼した者の心も直ぐに現われている。聖徳太子ご自身が依頼したものか、そうでなくとも、太子と同様の法華経行者が製作にかかわっていたに相違ありますまい。」

 「法華経行者とはどのような人をいうのですか。」と鷺山は敢えて問うた。

 「法華経を護持し、実践する者です。」

 「法華経は何を説くのです。」鷺山は重ねて問うた。

 「釈尊の真の教説です。」

 「その核心は何なのです。」鷺山は更に問うた。

 「空の認識と慈悲の実践です。空を認識した者に善悪、美醜の区別はなく、」今野は鷺山の目を見つめて続けた。「真贋の区別もない…。煩悩と菩提との区別もなく、衆生と仏との区別すらない。しかし、このような釈尊の真説は誰にでも理解できるものではない。それどころか、生半可な理解をするならば、ニヒリズムの地獄に陥ってしまう。それ故に、幸いにしてその真理を認識し得た者は、菩薩として衆生の済度を誓い、慈悲の心をもって実践する。常不軽菩薩は正しくそのような菩薩なのです…。」

 「心も空ですか。」鷺山も今野の目を見つめて問うた。

 今野は微笑した。初めて見る、えも言われぬ微笑だった。「流石だ、流石です、鷺山さん。わが霊鷲山で私に対してそのような問いを発することのできる者はおりますまい…。」

 暫くの沈黙の後、今野は言葉を継いだ。「恐らくあなたは私と違って心の実在を主張するのでしょう。ただ惜しむらくは、あなたはその問い掛けを徹底していない…。もし徹底しているのであれば、見解は違ったとしても、私と同様の道を選んでいるでしょう。」

 「いいかげんな生き方をしているというのですか。」鷺山の口元がゆがんだ。

 「いや、あなたの今を否定するつもりはない。現に私にとってもあなたのご商売は有意義ですからな。ただ、いずれあなた自身その問い掛けを深めるときが来るでしょう。あなたは今のままでは済まない人だと私は思っていますよ…。」今野はそう言ったきり黙りこんだ。鷺山も口を噤んだままだった。

 五分ばかりも経ってから、今野は卓上に置かれたままになっていた宝剣に再び眼をやって暫し眺めた後、鷺山に問うた。「この剣はいかほどで購えますか。」

 鷺山はおもむろに答えた。「依頼者の老後の保障として一億円は渡してやりたく、また私も五千万程度は頂きたいと思っています。」

 「分かりました。」今野は直ちに秘書を呼び出し、現金一億五千万円を持って来るように指示した。ジュラルミンのケースが会長応接室に運び込まれ、鷺山の面前で新券の百万円札の束百五十個が確認された。

 こうして鷺山の常不軽菩薩剣プロジェクトはめでたく完了したのであるが、後日鷺山は今野会長がこの剣をいかに活用しているかにつき、宗教法人霊鷲山最高幹部の一人から聞かされ、今野会長の実際的手腕が見立てどおりであったことを確認し満足した。すなわち、今野会長はまず「聖徳太子および二王子像」の描写をもとに正倉院御物を参考として常不軽菩薩剣の柄や鞘等の拵えを調えたが、格調高くかつ美麗な拵えのために費やされた費用は二千万円を少々超えた。半年の後、今野会長は「修行の階梯の相応を経た」ごく限られた者にのみ聖徳太子御剣と伝えられる秘宝常不軽菩薩剣を拝観させることとし、その光栄を得たことの見返りとして一口三千万円の「喜捨」を求めたのであるが、政令指定都市に配置した支部長ほか最高幹部全員が直ちにこれに応じたのは当然として、宗教法人霊鷲山においてしかるべき地位を得たいと願望する「地方篤志家」の多くが俊敏にもこの「秘事」を聞きつけ、所属支部長を通じて度重なる請願を行ったのには、本部も大いに「困惑」した。今野会長の裁定により、所属支部長が特に推薦する者を各支部年間一名の枠内で拝観の栄に浴させるものとしたが、「喜捨」は自然三口以上となり、最近では一億円が相場となっているのだという…。




    第三章 新たな企て



 今野会長の「実際的手腕」についての後日談を聞かされてしばらくたったある日、鷺山は奇妙な夢を見た。直衣か水干かよくは分からぬが、貴族風の衣装を身にまとい、髪をみずらに結った六、七歳のどことなく気高い色白の童子が、白い被り物で上半身を覆い絹の袴を着た五十ばかりの美しい女に手を引かれて立っている。女が手招きをするので鷺山が近づくと、女はおもむろに童子のほうに向き直り、袴の腰に差した刀袋のようなものを抜き出して童子に捧げる。童子が頷くと、女はその袋から剣を取り出し、今度は鷺山の方に向かって剣を差し出した。鷺山は我知らずその剣を押し頂き、童子と女の方を見ると、二人同時に頷いて見せる。抜いてみよとのことと思い、柄に手を掛けそっと剣を抜いてみた。剣は見慣れぬ古代風のもので両刃のつくり、刃渡りはおそらく二尺七寸ばかり、所謂十握の剣の類か、身幅はやわらかなカーブを描く切っ先の部分から徐々に広がり鍔元では三寸ほどにもなった。刃文ははっきりせぬが、地肌はよく手入れされ、少し黄ばんだような鋼鉄色が鎧をも断ち切るかとも思わせるような趣きで、そういえば何かしらずっしりと手に来るような具合だった。

 夢があまりに鮮烈だったので、目覚めた後も頭から離れず、寝床の中であれこれと考えた。最近とみに衰えてきたので機能回復にこの剣にでもあやかれとの意か。馬鹿な。それならもっとうら若い美女が登場しそうなものだ。おまけにこぶつきじゃないか。いや、こぶというより孫と言った方がよかろう。母子にしては歳が離れ過ぎている。それにしても神々しい稚児だった。そういえば、女の物腰は神に対するような恭しさだった。あれは巫女か。どこかの神とそれに仕える巫女なのだろう。あの剣も神代のもののようだ。ああいうのは見たことがない。神代の剣なんて興味なかったからな。神代の剣でおれが知っているのは草薙剣くらいさ…。そこまで考えてはっとした。草薙剣は三種の神器のひとつ。壇ノ浦の合戦で安徳天皇を抱いた二位の尼とともに海底に沈んだのではないか。急いで寝床を離れ、平家物語を引っ張り出して巻第十一の『先帝御入水の事』(佐藤謙三校注、角川文庫版)を披いてみた。「二位殿は、日来より思ひ設け給へる事なれば、鈍色の二衣うち被き、練袴の傍高く取り、神璽を脇に挟み、宝剣を腰にさし、主上を抱き参らせて、…」と読み進んで、鷺山は背が凍りつくような思いがした。あの稚児は安徳天皇だったのだ。巫女のような女は二位の尼だったのだ。確かに女は剣を腰に差していた。おれが手に取ったあの剣は草薙剣だったのだ!

 夢の登場人物が明らかになり、手にした剣が何だったのかの答えを得て、鷺山はしばし陶然としていた。しかし、元来懐疑心の強いシニカルな男だったから、陶酔と同時に冷めた考えも脳裏に生じた。何を感激しているんだ。安徳天皇と二位の尼がお前のために特別に登場してくれたとでも言うのか。そもそも夢の材料は自分で蓄えているのだ。フロイト博士ご教示のとおりだよ。平家物語もご無沙汰ではあるが以前は随分読み込んだものだ。『先帝御入水の事』など何度も読み返した部分じゃないか。自分でも忘れてしまった材料が無意識裡に再構成されて夢になるのだ。安徳天皇のお告げなんてのは妄想だよ。おれの無意識が何かを告げようとしている、ということはあるかもしれないがな…。そこまで考えて鷺山ははっとした。いや、待てよ。そうか、そうなのか。次の「再生」に取り組めってことか。そう、今までで最も貴重な刀剣、重々しい刀剣、そういえばあのずっしりした手応え、そう、そうに違いない、草薙剣の「再生」に取り組め、というおれの無意識の指示なのだ!

 冷めかけた興奮が今度は別の興奮に姿を変えた。今度の興奮は「再生」を「企画」する際に鷺山がいつも覚える類のものだった。この興奮は職業的なそれであったから、容易に冷めるものではなく、むしろ時間の経過とともにアイデアの積み重ねによってじわじわと高まっていき、「再生」が完結するまで高原状態で持続されるものなのだった。

 こいつは凄い。我ながら奇想天外だ。そうだ、三種の神器のうち失われた宝剣、草薙剣、またの名を天叢雲剣を「再生」しよう。いや、「発見」というべきだな。水底に沈んだ宝剣なんだから「引揚」というのが正しいかもしれない。ま、言い方は後で考えるとして、三種の神器のひとつともなれば、取り扱いもちょいと大層なことになるな。今までのように、こっそりご紹介いたします、なんてわけにはいかないだろう。言われた方も引くよな。そう、この「企画」は並みのもんじゃあない。世間を相手にする大仕事だ。一世一代の大芝居だ。皇室まで巻き込むような一大イベントになるだろう。トロイの遺跡発見くらいのインパクトはあるぜ。うむ、仕掛けが重要だ。下手をするととんだ猿芝居になってしまう。シナリオだ。シナリオが重要だ。こいつは大仕事だ…。

 それから数日間、鷺山は「シナリオ」に没頭した。今回は「発見」の過程が重要だった。というのは、草薙剣はある種「公器」であるから、公開されざるを得ず、その「発見」過程は十分批判に耐えるものでなければならないからだ。それと密接な関係にあるのが、「発見」時の剣の状況だった。海中から引き揚げられたのであれば、相当の腐食があるだろうが、どの程度であれば説得力があるのか。もろもろの観点につき熟慮の結果、鷺山は壇ノ浦古戦場での海底探査には三年以上の歳月をかける必要があると判断した。簡単に「発見」されるのでは真実味に欠けるからだ。探査開始時からマスコミの取材を受けるようにし、その後数回の取材を経つつも成果を挙げぬまま年月を送る。そして世間から冷笑され忘れ去られつつあるそのとき、とうとう草薙剣が「発見」されるのだ!「発見」された剣はかなり腐食が進んでいるはずだが、海底で八百年以上を経て生じたこの腐食を「再現」するためには金属の理学的処理に堪能な信実をもってしても三年程度の年数を与えた方がよいであろうから、この点からも長期間シナリオが理に適っている…。マスコミの動員方法については腹積もりがあった。残る課題はもっともらしい探査引揚方法の検討と事々無斎師弟の説得だった。

 壇ノ浦は関門海峡の下関側、西は安徳天皇陵のある赤間神宮沖から東は関門海峡大橋にかけてのそう広くない海域で、水深も五十メートル以下だが、西向きの潮流は著しく速い。海底に沈んだ草薙剣は壇ノ浦海域に残っているとしても西寄りにあるに違いない。安徳天皇のお告げによる「発見」なのだから、天皇陵と関係づけられる位置から引き揚げられれば神秘的で「説得力」がある。そう考えて鷺山は「発見」予定箇所を安徳天皇陵の真南、満潮時の海岸線から一町半の海底と定めた。引揚作業は大型の電磁石を船から吊り下げて予定地点水面下二十数メートルの海底に沈め、着底時に通電して近辺の鉄類を吸着して行う。「再生」草薙剣は鉄製と決めていたからである。関門海峡通行の船舶は潮流に対して四ノット以上を維持するよう海上保安庁から指示されているから、この作業は案外困難である。海底の岩礁に電磁石が引っかかるかもしれない。二年間程度この困難な作業を反復継続した後に本番を迎える。直前、おそらく夜間隠密に「再生」草薙剣を予定地点の海底に沈め、翌早暁いつもの作業を実施、見事に錆びついた剣が引き揚げられ、驚きのニュースが全国に発信される、という次第だ。電磁式引揚装置のアイデアにつき、K大学後輩で現在H工業大学教授を務めているSに照会したところ、予算さえあれば可能との回答を得た。研究費を五百万円ばかり提供すれば作ってくれそうだった。この装置を搭載する船も調達しなければならないが、これも何とかなるだろう。あとは事々無斎師弟への依頼だ…。

 鷺山からの新しい依頼について、信実は明らかに消極的だった。今回の取り組みが従来と違って公開のそれであることに強い懸念を示したばかりか、草薙剣の伝承につき意外な知識を披露して鷺山の企画を批判した。信実によると、草薙剣が安徳天皇とともに壇ノ浦の合戦で海底に沈んだというのはひとつの説に過ぎないのだという。安徳天皇と平氏が隠れ住んだとされる秘境の土地が四国や九州の各地にあって、土佐の横倉山などでは天叢雲剣とおぼしき十握の剣が伝わってさえいるのだ。そればかりか、元来三種の神器は伊勢神宮や熱田神宮に置かれたままなのであって、宮中天皇側近く置かれたそれはレプリカなのだ、という有力説さえある、と信実は指摘した。

 確かにそういう説もあるが、と鷺山は直ちに反論した。本当のことは今や誰にも分からないのだ。現在の天皇にだって分かりやしない。第一後白河法皇が海女を使って探させたという伝説は、妙にリアルじゃないか。海女が海底の竜宮城で宝剣を口にくわえた龍に出くわし、その龍が、本来これは自分のもので今ようやくこれを取り戻したのだ、安徳天皇や平家は自分が宝剣を取り戻すためにひと働きしたのだ、と述べたというこの話は、草薙剣が海中に失われたことはやむを得ぬことであったのだ、と苦しい言い訳をしようとした証拠であり、とすれば神剣が海に沈んだのは事実であったとする方が素直だろう…。

 鷺山の幾分情緒的なこの反論に対して信実が新たな論難を行なおうとの気配を見せたところで、それまで二人のやり取りを黙って聞いていた事々無斎が初めて口を開いた。

 「信実、お前は気が進まんようじゃな。」

 信実は師の問いかけに一瞬はっとした様子を見せたが、今日こそは遠慮せず自分の思いを存分に述べる所存か、はっきりとした口調で「はい。気が進みません。」と言った。

 「鷺山先生には随分お世話になってきました。それは私も感謝しております。しかし、」信実は居住まいを正し、事々無斎に向き直って言った。「先生ほどの方が何故余人の作刀を真似なければならないのですか。先生の御作はいずれも古今を通じて第一級と私は信じております。先生の御作は先生のお名前とともに後世に残るでありましょう。『再生』などに関わるのは、寧ろお名前を損ないます。」

 「もっともな申しようじゃ。お前の意見は正論じゃ。じゃが、」と事々無斎も信実の方に向き直って言った。「残念なことに、今の世にわしやお前の作の真価を理解する者はおらんのじゃ。所詮わしらは現代刀工じゃ。刀が命よりも大切な時代と違うて、ほんの慰みに鑑賞するのが関の山、といった連中を相手にしておるだけ。人間国宝じゃというたところで、推挙する者に折り紙を乱発した本阿弥ほどの鑑識眼もないのであれば、何の値打ちもありはせぬ。何の値打ちもない連中に評価された現代刀匠華坂事々無斎の作品ではいつまでたっても三条小鍛冶や相州正宗の名声を凌ぐことはできん。永遠にな。ああ、わしは口惜しい。平安末期か鎌倉か、せめて室町にでも生まれておったならば、きゃつらに勝る名声を後世に得ていたものを…。わしの作が未来永劫この世で大切にされたであろうものを…。」

 無念と憤懣の思いを胸中に整理するためか、暫し沈黙した事々無斎は、やがて信実の眼をしかと見据えてこう言い放った。「信実、わしはわしの名などついておらんでもええ。わしの作が天下の宝剣として後世に残るのが望みなのじゃ。わしの作はそれに値すると思うておるのじゃ…。信実、わしを助けよ。恩返しじゃと思うてわしの向い槌を打ってくれい…。」

 珍しくも激しい師の言葉に、流石の信実ももはや何も言い得ず、心からなのか渋々なのかは傍目には分からなかったが、いずれにしても師の前に手をついて命に従う意を示した


 事々無斎師弟が草薙剣再生を承諾してからひと月ばかり経ったある日の午後、鷺山は日比谷のTホテルラウンジでKテレビ放送ディレクター羽場博史に会った。羽場は視聴率十五%以上をコンスタントに稼いでいる人気番組『パープリン博士の驚き桃の木山椒の木』を担当している売れっ子のディレクターで、宗教法人霊鷲山今野会長の紹介だった。

 羽場は多忙のためなのか、生来の癖なのか、挨拶もそこそこにいきなり本題に入った。「今野会長のお話によると、壇ノ浦の海底から草薙剣を引き揚げるプロジェクトですって?なかなか面白いじゃありませんか。私も安徳天皇がらみの話を色々調べてみましたが、どれもこれもちょいとした伝奇小説になりそうなものばかりですよね。私としては草薙剣よりも安徳天皇に焦点を合わせた番組を制作しようと思うんですよ。『生きていた安徳天皇!正史を覆す驚異の真実が今明らかに!』てな具合ですよ。『パープリン博士』は当分継続する予定でしてね。来年の暮れまでの材料は蓄えてありますから、再来年くらいの放映になりますがね。取材期間も十分ありますからいいものになりますよ。ところで、あなたは本当に草薙剣が出てくると思ってるんですか。」

 「信じています。」鷺山は確信に満ちた口ぶりで答えた。そして数ヶ月前に見た例の夢を自己の解説付きで披露した。

 「霊夢というわけですな。」羽場はにっと笑った。

 「そうです。まさしく霊夢です。」鷺山もにっとしたが、すぐに真顔になって続けた。「ただ私はこの夢が予知的な夢だなどとは思ってませんよ。将来起こる出来事を夢が予め知らせてくれるなんて、私は信じちゃいません。その点、多分あなたも同じでしょう。」

 「でもあなたは自分でも霊夢だって言ってるじゃないですか。」羽場はいぶかしげに言った。

 「それはこの夢が私にインスピレーションを与えてくれたからなんですよ。そういう意味で私にとっては霊夢なんです。実のところ、あなたの親しい今野会長と私とでは、夢を含めて心の働き、心そのものについてちょいと見解が相違しているんですよ。今野さんは一切皆空、心も空だとお考えですが、私は、心はそれ自体で存在する実在であり、心こそがすべてを生み出す根源なのだと考えています。だから、夢に見たから正しいんだ、というのではなく、夢の内容を確かなものだと信じきることによって、それが実現する、という風に考えるんですな。」

 「嘘もまことになるってわけですか。」羽場が突っ込んだ。

 鷺山はぎくりとしたが、すぐ立ち直った。「中らずと雖も遠からず、ですな。ただ並みの人間には信じきるってことができないんですよ。嗚呼、信仰薄き者よ、てことですな。非力なダヴィデが豪傑ゴリアテをあっけなく倒したのはなぜだと思います?ダヴィデが神の加護を信じきって毫も疑わなかったからですよ。」

 「ははあ、失礼ながらもしかしてあなたはマーフィーの法則の信者じゃありませんか。」羽場は腑に落ちたという風に言った。

 「全くそのとおりとまでは思いませんが、かなり近いでしょうね。」鷺山は認めた。「マーフィー博士の著述は通俗的なハウツーものに分類されていて、読者も安易な成功を願う人たちが中心だと思いますが、どっこい博士の世界観はなかなか深遠なものですよ。世界は心の織り成すもので、欠乏に対する恐怖が欠乏を現実化する、この恐怖を完全に取っ払って既に願望は満たされているのだと実感することにより、望ましい現実が実現するってわけですな。あなたもマーフィーを読まれたんですか。」

 「読みましたよ。読んで実践しました。宝籤を当てようと思いましてね。でも、私は信仰心が薄いのか、恐怖心に支配されているのか、結局『望ましい現実』は実現しませんでしたよ。」羽場は正直に白状した。そして尋ねた。「あなたはどうなんです。『望ましい現実』は実現しているんですか。」

 「実のところ、過去においては実現してませんな。」鷺山はあっさり答えた。

 「今まではだめだったが、未来においては実現するってことですか。」羽場は苦笑した。

 「そのとおり。」羽場の皮肉な口調を全く気に留めない様子で鷺山は言った。「自分でも不思議なくらい今度の件については何の迷いもないのです。実現するに違いないって思っているもんで、寧ろ楽しくって仕方がないんですよ。こういう心境は初めてですな。マーフィー博士が色々紹介している成功事例の当事者たちもこんな心理状態だったんだろうなって思いますね。」

 「なるほど。」羽場はしばし鷺山の目を見つめていたが、やがて興奮の面持ちで言った。「なんだか私もすっかりその気になってきましたよ。うん、こんな気持ちは初めてです。実のところ、こう見えても私は慎重でしてね。そう簡単に人の言うことを鵜呑みにはしないんですがね。今回は懐疑的な普段の心持ちがすっかり影を潜めてるって感じですよ。うん、こいつはどえらいことになりそうですよ!」

 「ところで、鷺山さん、草薙剣を発見したところで、それを誰かに売るってわけにはゆかないだろうから、そこんところ、つまり経済的な利得はどう実現するおつもりなんですか?あなたがトロイの遺跡を発掘したシュリーマンみたいな金持ちだったら、こんなことは全くの愚問なんですがね…。」興奮していたはずの羽場が突然ビジネスのポイントを突いてきたのには、鷺山も驚いた。だが、この方が話は早い。

 「実際私はシュリーマンのような大金持ちではありませんから、ロマンだけでこんな計画をたてたりはしませんよ。今野会長からお聞き及びと存じますが、歴史好きが高じて、はじめは趣味同然だった刀剣探索が今では私の生業になってましてね。今回の探索も当然ビジネスと位置づけていますが、ご指摘のとおり、草薙剣は三種の神器のひとつですから、それを売り買いする、それで利潤をあげるなんてことは流石にありえませんよね。そんなことをした暁には、右翼少年に刺し殺されちまいますよ。」鷺山はにやっと笑ったが、すぐに真顔になって続けた。「草薙剣を発見したとしても、これはやはり皇室に献上するか、国に寄付するしかないと思うんですよ。」

 「そうですよね。だとすると、あなたはご自身のビジネスモデルをどう組み立てたんですか?」鷺山の期待どおり羽場はさらに踏み込んできた。

 霊夢に従って草薙剣が出現した暁には、三千万人規模の集客を見込む一大イベントを繰り広げて収益を得る。発見のために必要な先行投資は自身が負担するので、羽場さんには探索作業を年に一度位『パープリン博士』で取り上げてもらうだけでよい。但し、本当に発見できたなら、イベント企画と運営をやってほしい。自分は発見した草薙剣を提供する対価として収益の半分をいただければ十分だ…。途中、皇室に献上しろとか国庫に帰属するとかの主張が出てくるだろうが、真贋の決着はそう簡単につかないだろうから、イベントそのものは可能と踏んでいる。むしろ真贋論争が盛り上がった方が集客も見込めるに違いない…。鷺山は自身のプランについて羽場にそう説明した。

 「三千万人の集客!ほんとに草薙剣が出てくるとすればありえますな…。うむ、二千円出しても見に来ますよ。ということは、…入場収入六百億円!宣伝費、運営費を目いっぱい使っても五百億円は残りますな!鷺山さんはその半分、二百五十億円!ずいぶん寡欲でいらっしゃる!はは、こいつはすごいや!こいつは愉快だ!よし、是非やりましょう!」

 所詮なんらのリスクも負わない羽場は俄然やる気になってきたようだった。羽場にしてみれば草薙剣発見を夢見る山師もしくはロマンチストの存在だけでも十分ネタになるに違いなかった…。




     第四章 出現



 壇ノ浦で安徳天皇が入水され、草薙剣が失われた陰暦三月二十四日は、今年の場合四月二十四日に当たる。この日を選んで、鷺山は『パープリン博士』製作スタッフを招き、サルベージ作業を撮影取材させることにした。二年前に初めて現地取材を受けてからこれで三度目。地元の人たちにとっては見飽きた酔狂な作業も、年に一度取材する側からするとそれなりに気分も変わって新鮮に映るようだ。毎月一度鷺山が小型漁船を操って実施する作業の収穫は、空き缶やくず鉄のような埒もない代物で、初回取材時もドラマチックなものは全然得られなかったが、昨年の取材時には、太平洋戦争時のものか、航空機銃らしきものと、ひょっとすれば壇ノ浦合戦の折の源平将兵の太刀ではなかったかと思しき錆ついた鉄器状のものとが引き揚げられ、スタッフ一同大いに興奮し盛り上がった。今年はいよいよ出ちゃいますか、鷺山さん、と話しかける口調も相変わらずお祭り好きの連中らしい。まあ、石の上にも三年といいますからね、そろそろかとも思うし、今朝からちょっと自分でも妙な心地がしてましてね、何しろ取材をお願いしてから気がついたんですが、今日は陰暦の三月二十四日で、壇ノ浦合戦のあったその日なんですよ。これが八百年目の今日なんだったら、もう間違いなくただのめぐり合わせではなくて、草薙剣が出現しても不思議じゃないと思うんですが、あいにく八百三十×年目ですからね、ちょっと中途半端な気もするし、でもやっぱり今朝から変に動悸がして今日一日無事には終わらないような気がしてるんですよ…と、鷺山は思わせぶりなことを言ってみるが、その動悸とやらは、昨晩こっそり伝馬船を漕いでGPSの表示のとおりの予定地点で静かに海底に沈めた華坂事々無斎渾身の作の古代刀が、取材陣の眼前でうまく引き揚げられるかどうかが気になってのことだった。

 しかし、案ずるより産むが易し。鷺山の緻密な計算は一分の狂いもなく実現し、午後二時、赤間神宮一町半の沖合いの漁船上は大変な騒ぎとなった。錆に覆われたそのものは誰の目にもただならぬ雰囲気を漂わせていたが、現場からの一報に東京にいた羽場は流石に慎重な態度で、映像による客観記録の保存を指示するとともに、それが何らかの価値ある歴史上の遺物かどうか確認できるまでは公表しない旨宣言した。鷺山にも異存はなかった。その後の数ヶ月はあっという間に過ぎた。

 羽場の手配でしかるべき機関に依頼して行った鑑定の結果、この金属製品は鉄器で、錆の一部を分析したところ約三千年前のものであり、X線分析によればかなり健全な姿が錆の下に残っているとのことだった。仮にこれが草薙剣であるとすれば、八百年以上も海底にありながらどうして原形をとどめえたのかが不思議だと鑑定機関の研究員は首をかしげた。

 鷺山にとって「再生」草薙剣は健全な姿で世に出すのが当然の前提だった。ただの鉄塊を世に問うてどうする。鷺山は考古学者ではないのだ。美術家なのである。とはいえ、海底から引き揚げた剣が錆のひとつもないはずはなく、ましてや八百数十年もの年月を経ているのである。「健全な姿」であること自体がありえないと誰しもが疑うだろう…。この点、もともと乗り気でなかった信実からは、材料の鉄と炭素が鷺山の注文どおり三千年前のものと判定されるように準備することは可能だが、腐食や錆のつけ方については、どうにも手に負えない、専門家の疑念を招かないようにするなどとても無理だとの訴えが再三なされていた。専門家からの疑問の声が出るのは当然のことだが、何しろこれは神剣で並みの鉄器ではないのだ、腐食や錆もあろうがそれが内部を侵したり破壊したりすることはありえぬことなのだ、と鷺山は説得しようとしたが、信実は釈然としない。そのまま問題は先送りされたのだが、ある日下関の鷺山のもとを信実が訪ねてきて古びた和綴じ本を取り出した。

 『錦帯橋秘録』と表書きされたその書には、驚くべき、というよりもまこと荒唐無稽なことが記載されていた。後白河法皇が壇ノ浦海中に没した草薙剣を捜索させたことは先に述べたとおりであるが、本書によれば、それは鎌倉幕府に対する法皇の偽装工作であって、清盛以上に朝廷をないがしろにしかねない東国の武士たちに草薙剣を渡さぬために海中に失せたことにしたのである。二位の尼は確かに剣を手挟んで入水したのであるが、あの剣は実はレプリカであって、本当の草薙剣は京の某所奥深くに隠されていた…。時は下って関が原の合戦の前夜、この剣の存在は徳川方の知るところとなり、朝廷は急遽ある者を遣わし草薙剣を西国岩国の吉川家領内に秘匿させた。ある者というのは、秘剣磯の波を後陽成天皇の天覧に供し、御感めでたく従五位下伯耆守に叙せられた片山久安であったのだが、以来草薙剣は片山家がひそかに守護し奉って幕末に至ったのである。ところが、幕府の権威が急速に失墜する中、かねて天下に野望を抱いていた島津家は岩国に草薙剣が所在することを探知してその強奪を図った。計画を直前に知った片山家宗家は、天下泰平の神剣が権力闘争の具とされることを恐れ、急遽門弟の宇野金太郎に命じて草薙剣を赤間神宮沖に沈めさせた…。文久二年(一八六二年)春の出来事であり、その年の夏、天下に知られた幕末の剣豪宇野金太郎は病を発し、三十九歳の若さで世を去った。草薙剣を海中に沈めたことは宇野にとっては担いきれないことであったに違いない…。

 「海中にあったのが八百年間ではなくて百六十年間ということであれば、原形をとどめていてもおかしくないか?」鷺山は、信実に問うた。

 「鷺山さんのおっしゃるとおり神剣ですから、百六十年やそこら海中にあっても原形をとどめないなどということはないはずです。苦しいには違いありませんが、師匠の最高傑作を極力そのまま世に問うためにはかなり有力な史料です。私としては、この奇説をよりどころに腐食の程度を最小限に抑えたいと思います。」もう肚は決めていたらしく、信実はきっぱりと答えた。

 かくして、事々無斎の最高傑作はその本質的部分を損なわない程度の、もっともらしい、ほどほどの錆、とはいえかなりのボリュームのそれを信実が加工付着させて仕上げられたのだった。

 仮に引き揚げられた草薙剣の健全さが問題となっても、この『錦帯橋秘録』をもって説明できると踏んでいた鷺山にとって、専門家たちの懐疑の可能性よりも、むしろ錆の下の「真の姿」をうまく引き出す手順の方が重要だった。考古学的な発見物であるから、錆を落とす作業についてはその是非、方法論につき異論や注文が出るだろうが、とにかく「真の姿」を見せなければ「再生」は完了しないし、三千万人の動員もおぼつかない。己の最高傑作を世に問い、後世に残したいという事々無斎の思いも実現しない。多少の非難があっても、鷺山は「当座の」所有者として強引に事を進めるつもりだった。

 「客観記録の保存」についての羽場の厳格な注文を極力満足させつつ、錆の除去と研磨作業は進められた。一工程ごとにビデオ収録がされ、除去された錆は部位ごとに収集保存された。砥ぎは著名なM師に依頼した。この段階では、既に羽場の周到な準備の下、草薙剣と思われる鉄器が赤間神宮沖で引き揚げられ、現在調査鑑定中であり、研磨作業も開始されていることが公表されていた。鷺山と羽場の想定通り、高松塚古墳の壁画発見をしのぐすさまじい反響があり、真贋論争、帰属論争等喧しいこと限りがなかったが、両人は「引揚」からちょうど一年後の、つまり安徳天皇入水の陰暦三月二十四日に、研磨作業の完了した草薙剣をマスコミに公開することにしていた。

 当日マスコミ関係者でごった返す会場には華坂事々無斎も姿を見せた。鷺山が招いたのである。Y県からほとんど出ることのない事々無斎にとって久々の東京だった。公開セレモニーがひと通り終わり、ようやくガラスケースに収められた草薙剣、みごとに砥ぎあげられ神々しい輝きを放つ草薙剣を間近に見ることができるようになったタイミングをとらえて、鷺山は事々無斎をケースそばに案内した。事々無斎は世間を震撼させつつある自己の作品、生涯の最高傑作に目を凝らしていた。しばらくして鷺山は事々無斎の身が震え始めたのに気付いた。後世にまで神剣として崇敬される作品、これを遂に創りあげたのだ!感激もこれより大なることはないに違いない…。鷺山も事々無斎の心境を推し量っていたが、ふとその横顔を見て尋常ならざる様子に驚いた。顔面蒼白、にもかかわらず額に汗が浮き出ている。

 「どうしました?」鷺山が聞くと、事々無斎はひどく怯えた表情で言った。

 「違う…。」

 「違う?何がです?」鷺山は小声で聞いた。

 「こ、これは、…。これは、わしのではない…。」事々無斎は鷺山の目を見つめて言った。

 「えっ?どういう意味です?」理解できない鷺山は更に聞いた。

 「め、目釘穴の位置が違うのじゃ…。」事々無斎は鷺山に訴えるように言った。

 鷺山は草薙剣を見直した。茎の中ほどに小さな目釘穴がひとつあった。「再生」企画段階では、草薙剣に限らず常に目釘穴の位置についても打合せすることになっていた。草薙剣の規格についての資料などない。あるのは、鷺山の見た霊夢だけだ。その霊夢に現れた草薙剣は鞘を払いはしたが、鍔と柄がついた状態で、茎がむき出しになっているわけではなかった。柄をよく調べれば目釘穴の位置は知れるが、夢の中では素晴らしく輝く刀身そのものに目が奪われていて、柄の記憶は、持った感触は今でも残るが、それ以外定かでなかった。つまり、鷺山も目釘の位置を見たわけではなく、「再生」に当たっては事々無斎、信実と相談のうえ、茎の鍔元から三分の一あたりと決めたのだった。今まで気づかなかったが、ガラスケースの中の草薙剣の目釘穴の位置は、確かに打ち合わせた位置と違う。明らかに違う!当惑した鷺山が事々無斎の方に向き直ると、小柄な事々無斎は鷺山の肩をつかんだ。一人では立っていられない様子だった。鷺山の顔を見上げ、最後の力を振り絞るように事々無斎は言った。

 「こ、これは…。これは、本物の草薙剣じゃ…。」

 次の瞬間、胸元を苦しげに押さえて事々無斎は床に崩れ落ちた。

 心肺停止状態の事々無斎が救急車に載せられて会場を去っても、なお混乱した頭の整理がつきかねていた鷺山の背後から突然声がした。

 「鷺山さん!」羽場だった。いつになく険しい顔つきの羽場は、鷺山が顔を向けると数枚のコピーを突き出して言った。「先程こんなものがうちの社長宛てに届きましたよ。これは一体どういうことです?」

 見せられたのは、書簡の写しで、発信人は堅田信実。冒頭に『草薙剣偽造経緯について』という表題がついていた…。

 Kテレビ放送の対応は素早かった。経営上の致命傷になることは避ける、ということを指針として対策が練られた。先ずは、草薙剣の真偽につき疑義を示す有力資料が出たため、一般公開日程を無期延期するとともに、関連イベント、番組を休止する旨発表した。信実の書簡には、詳細な作業日誌と、過去鷺山から提供された「再生」作業にかかる破格の報酬受領を示す預金通帳の写し等が添付されていたので、法的手続きをとるに足る証拠資料は整っていると法務部門および顧問弁護士は判断していた。できるだけ速やかに事態を収拾するためには、鷺山を詐欺罪で告訴して、Kテレビ放送自体が被害者であることを世間にアピールする必要があるということを彼らは経営陣に伝えた。間抜け、お粗末という評判は仕方がない。人の噂も七十五日だ。羽場ディレクターには責任を取ってもらうしかない。『パープリン博士』も終了だ…。

 Kテレビ放送の告訴状は直ちに受理され、捜査が始まった。これはただの経済犯ではない、皇室祭祀にもかかわる重大事案であり、迅速かつ徹底的な追及がされるべきだ、と国家公安委員長が異例の指示をしたとの風聞もあった…。

 「公判期日が決まったよ、世親!」T拘置所に勾留された鷺山のもとを訪れた渡弁護士が告げた。渡譲二は大学の同級であるが、司法試験崩れの鷺山とは違って卒業後直ちに司法修習生となり、T弁護士会の会長も務めた大物弁護士だ。境遇は全く違っていても、互いに学生時代そのままに名前で呼びあえる、鷺山の数少ない友人の一人だった。

 「検察も大胆だな。肝心の堅田が行方不明なのに、どうやって公判維持するのかおれには理解できないよ。師匠の華坂も死んでるし。おまえに協力したというこの二人を法廷に連れて来れないんだからな。どうも分からん。ひょっとしたら以前おまえに騙された『再生剣』の購入者を証人として確保しているのかもしれないな。だとすると、有罪は避けられないぞ。間違いなく実刑だぜ。」

 鷺山は今野会長の顔を思い浮かべた。今野は証人になんぞなるものか。召喚されても病気だなんだと口実をつくって出て来ないに決まっている。検察にだって圧力を加えることができる男だ。最後まで登場しないさ…。それ以外の連中については俺も自信がないが…。信実の記録から「再生剣」の一覧を検察は掌握しているに違いないが、だれが購入者だったのかはおれしか知らない。といっても、あれだけ週刊誌やなんぞで書き立てられれば、被害者として名乗り出ている者もいるかもしれない…。検察も隠し玉にしているかも…。いや、そんなことより、と思い直して鷺山は渡に尋ねた。

 「おれが有罪となると草薙剣はどうなるんだ?」

 「没収さ。刑法第十九条。『犯罪行為を組成した物』とか『犯罪行為の用に供した物』は没収することができる…。昔読まなかったか?」

 「没収された後はどうなるんだ?」

 「たしか公売になるんじゃなかったかな。」

 「コウバイ?」

 「国が売るってことさ。」

 「つまり誰かが買い取るってことか?」

 「そういうことだな。買い手がなければどうなるのか知らんが、専門家もだました出来映えなんだから買い手はつくだろう。世の中には物好きもいるからな。『偽草薙剣』なんてさ。意外にいい値がつくかもしれん。百万か、ひょっとしたら三百万くらいは…」

 「さ、三百万?三種の神器の草薙剣が?」

 「まだ本物だって言い張るのか?華坂爺さんの死に際の言葉、っていうおまえの話、おれも信じたいところだが、その言葉を裏付けることができるのは堅田だけだ。堅田も目釘穴の位置が違うって知れば喜ぶかもな。嘘もまことになったってことだからさ。だが例の堅田の書面からすると、奴はもうとっくに首をくくってるぜ。死んでお詫びを、っていう感じだったからな。もともと線の細い男だったんだろうな。最後まで頑張ったが、あんまり反響が大きすぎてとうとう耐え切れなかってことだろう。詐欺罪だ、所得税法違反だ、っていうのは措くとしても、堅田の生死に関してはおまえの責任は重大だぞ。」

 Yの饒舌が続くうちに、鷺山の憤激は限りなく高まっていった。あの草薙剣が「偽草薙剣」のレッテルを貼られて、どこかの物好きの所有物になる?馬鹿な!有罪でも何でもいい!あれが本物だってことはどうしても認めさせなきゃならん!くそっ、信実の野郎、どこへ行っちまったんだ!捜索願でも出すか?検察にとっても重要な証人なんだから協力してくれるかも…。いや、それより、「再生」草薙剣を引き揚げて見せたらどうだ?最初に引き揚げたのが本物だって分かるじゃないか。しかし、そのためにはここから出なくちゃいけない…。馬鹿な!俺は一体何を考えてるんだ…。ええい、落ち着け。ここが踏ん張りどころだ。

 また今野会長の顔が目に浮かんだ。このままでは済まない?そうさ、このままで済ましはしないさ。今野龍樹とは違う鷺山世親の力量、おれの境地を見せてやろうじゃないか。一切皆空?物も現象も、善悪、美醜、真贋、いかなる観念も皆空?すべてが相互依存で実体はない?認めるさ、そのとおりさ。だが、それは今野さん、そういう世界観もありうるってだけさ。きみは一知半解なのさ。光は粒子であるとともに波動でもある。それと同じさ。ある側面から見ればこうだが、他の側面から見ればこうだってことよ。あんたの世界観は十全ではない!ニヒリズムに陥る危険性がある?そのとおりさ!危険性どころじゃない!あんたの考えそのものがニヒリズムなんだよ。慈悲でニヒリズムを克服する?愚かな!その慈悲そのものの実体を否定するくせに!論理が破綻しているよ。慈悲はあんたにこそ向けられるべきだ。おれはあんたとは違う。そうさ、「本物の」草薙剣を発見して今ようやく分かった。物はあるのだ!流れのなかでは相互依存、相対かもしれないが、今この瞬間においては、その物は厳然としてあるのだ!心が空だと?過去心、現在心、未来心…。そう考えりゃ確かに心も空さ!だが、流れを見るのではなく、この瞬間に生きるならば心は厳然としてあるのさ!この瞬間のおれの心は実存そのものだ!

 憤激は転じていつしか全身が妙な法悦に満たされてきているのを鷺山は感じていた。同時に自らのこの「開悟」の契機となった草薙剣が限りなく尊いものに思われてきた。常不軽菩薩剣?今野さん、あんたにはあれがお似合いだよ。所詮真贋相対の剣だ。だが、おれにはおれにこそふさわしい剣がある!真実絶対の剣がある!

 こう考えた瞬間、鷺山の眼前には草薙剣にかかわった人々の姿が次々に現れ出てきた。赤間神宮沖の船上に仁王立ちした宇野金太郎、山陽道を馬上ひた走る片山伯耆守藤原久安、殿中でひそかに語らう後白河法皇と平時子、武蔵野で迎え火を放つ日本武尊、そして草薙剣を大上段に振りかぶった素戔嗚尊!これら真実絶対の剣とともにあった人々の列にこの鷺山世親も加わったのだ!

 先ほどまで打ちひしがれていた鷺山は、突然、渡弁護士が驚くほどの力強さで立ち上がると、接見室に響き渡る大声で叫んだ。

 「草薙剣はおれのものだ!絶対に取り戻す!おれこそが真実の護持者だからだ!渡、実刑大いに結構だ。だがきみらの『偽草薙剣』は絶対に人手には渡さない!公売になっても俺が請け戻す。金はまだある。おれの名前がまずければ、だれかダミーを立てる。偽のレッテルを貼られるのはかえって好都合だ。皇室に返す必要がないわけだからな。つまりおれの完全な所有物ってわけさ。これこそ天の配剤ってやつだ。刑期を終えて出所すれば、この草薙剣を宝剣とした新宗教を立ち上げる!宗教法人霊鷲山?そんなもなあ問題にならん。今野龍樹?あんな奴はおれの境地からすればはるか下界だ!今からおれの開悟の内容を精緻化し理論化する。そのためには娑婆世界から隔離されている方がむしろありがたい。災い転じて福となす、だ。歴史的刀剣研究家はもうやめだ。渡、今からおれは教祖様だ!」 

 渡弁護士はあっけにとられて鷺山教祖を見上げていた…。

                                            (了)


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