ぬか喜びの日の日記
小鳥の鳴き声で目を覚ました。テーブルに目をやるとそこには空の小瓶があった。そのとき俺は、自分が頭を良くする薬“ダールタールの霊薬”を飲んだことを思い出した。
俺は日記を読み返し、昨日の出来事を確認する。
そして左腕の模様に【全ての暗号を解読する魔術】を唱えた。
浮かび上がる“1、俺は忘れっぽい。2、そのことを他人に知られないようにする事。3、必ず日記を付ける事。”というメッセージ。
この3つは何としても守ろうと再確認した。
“ダールタールの霊薬”の効果で俺の忘れっぽさは何とかなったのだろうか?日記を読むとその頃のことを思い出すことはできた。
これは“ダールタールの霊薬”を飲む前からできたことだ。
問題は日記に書かれていない頃のことを思い出せるかどうかだ。俺は、ダンジョンでドラゴンに日記を焼かれた前の日の事を思い出そうと集中した。
何の目的でダンジョンにいたのか?ダンジョンに入る前は何をしていたのか?そもそも自分は何者なのか?
何も思い出すことはできなかった。
この“ダールタールの霊薬”では俺の忘れっぽさを何とかできなかったようだ。あの錬金術師ニールが調合に失敗したのか?
いや元から“ダールタールの霊薬”に忘れっぽさを何とかする効果なんて無かったのかもしれない。
真相を確かめるため、俺は昨日“ダールタールの霊薬”を調合してくれた彼女に会いに行った。
工房の扉を開けると、工房の主、錬金術師のニールは朝食を採っていた。こちらを見る彼女に俺は“ダールタールの霊薬”の効果を聞いた。
効果も知らずに調合させたのかと呆れる彼女に、俺は返す言葉もなくただ笑ってごまかした。
“ダールタールの霊薬”の効果は飲んだ翌日、素早く思考できるようになるというものだった。忘れっぽさを何とかする効果なんて無かったのだ。
確かに俺は精霊に、頭を良くする方法を尋ねている。素早く思考できることを、頭が良くなると言っても間違いではない。
“ダールタールの霊薬”について教えてくれたシルのママは嘘を言っていない。完全に俺のミスだった。
途方に暮れていると、彼女は俺に魔術師ギルドでのランクを尋ねてきた。
魔術師ギルドのランクなんて当然忘れた。いやそもそも所属しているのかもわからない。
俺は例のごとく笑ってごまかした。
そのとき俺は、薬になんて頼らずに、魔術で忘れっぽさを何とかすれば良いと思い付いた。何で今まで気付かなかったのかと笑いつつ、俺は【昔の記憶を思い出す魔術】を唱えた。
どうやら失敗のようで何も思い出せない。
続けて【記憶力を良くする魔術】を唱えるも効果を感じない。
燃えた日記が元に戻らなかったように、破片なり元の物質や要素が足りないと上手くいかないのかもしれない。呼び止める彼女を振り切り、俺は工房を後にした。
あとの手掛かりは魔術ギルドぐらいだ。一度接触してみようかと考えていると、周囲に一般人よりは多少魔力のある人が集まっていることに気付いた。
魔術師ギルドの関係者だろうか?跡をつけられているようだった。
相手の戦力が未知数である以上、油断してはいけない。わざと弱い魔力を感知させて、俺の油断を誘っているに違いない。
一旦逃げようと思った瞬間、子供が肩に乗っているくらいの重みを感じた。
少し離れたところから10人以上の魔術師らしき者達が何かを唱え、魔術を行使しているのが見えた。恐らく重力操作の魔術か何かで、俺の動きを鈍らせようとしているようだ。
だが、こんな子供だましの魔術は囮に決まっている。俺を油断させたところに、不意打ちで本命の強力な魔術を打ち込もうとしているに違いない。
しかし、そのまま逃げてもいずれ追いつかれる。何とかしなければ。
俺は【跡形もなく燃え尽きる魔術】を唱え……ようとしたが、やめた。
向こうから襲い掛かってきたとはいえ、あの魔術師達を下手に殺せば、魔術師ギルド全てを敵に回しかねない。
跡形もなく燃やしても、この場を監視している者がいるに違いない。
俺は【煙が立ち込める魔術】を唱えた。
これ監視されていても問題ないはずだ。
俺は魔術師達に【三日寝てないような気がする魔術】と【耳に水が入っているような気がする魔術】と【周囲に蚊が飛び回っているような気がする魔術】と【かわいい猫がすり寄ってきているような気がする魔術】を唱えた。
4つも妨害系の魔術を重ね掛けすれば、いかに強固な耐性を持つ魔術師がいたとしても、どれかは効いてまともに動けなくなるはずだ。
煙で良く見えないが、バラエティに富んだ叫び声が聞こえてきた。
俺は思い付く限りの防御系の魔術でその身を固め、煙の中に入っていった。
どれか、あるいは全ての妨害系の魔術が効いているのか、煙の中の魔術師達は誰一人として俺を気にしていないようだった。
4つの妨害系の魔術の効果で奇妙な行動を取り続ける魔術師の中から、気を失っている比較的イケメンな魔術師を見つけ出した。
俺は比較的イケメンな魔術師に【姿を入れ替える魔術】を唱えた。
俺は魔術師ギルドの一人である比較的イケメンな魔術師の姿に、比較的イケメンな魔術師は俺の姿になった。姿を入れ替えるのは誰でも良かったが、不細工と入れ替わるよりはイケメンと入れ替わった方が良いに決まっている。
姿が入れ替わっただけで、服装はそのままだった。俺は俺の姿になった魔術師と服を交換した。
日記など貴重な持ち物は、当然俺が持っていく。
魔術師の持ち物を漁っていると鎖が出てきた。恐らく捕縛用だろう。俺の姿になった魔術師をその鎖で縛りあげる。
自分の姿をした人を縛るのは、変な感じだ。
この比較的イケメンの魔術師の実力はわからないが、俺をあっさり捕まえたと思われたら疑われるかもしれない。
俺はその辺を転がりまわり、全身を汚して激闘の跡を演出した。そうこうしているうちに煙も晴れ、少しずつ魔術師達が正気を取り戻してきた。
魔術師達は、俺を捕らえたことになっている俺を讃え、意気揚々と帰路に就いた。
魔術師達について帰った先は中心街にある魔術師ギルドだった。
俺の姿をした魔術師を引き渡すと、上司らしき人物から、このまま魔術師ギルド内の宿舎に泊るように言われた。詳細はわからないが、どうやら今は非常事態のようだ。
宿舎は中々綺麗な一人部屋だった。
ふと左腕を見るといつもの模様があった。姿を入れ替えたのに、この模様は俺についてきた。
不思議に思ったが、お陰で明日もいつも通り解読してメッセージを確認できる。
今は深く考えるのはやめておく。とりあえず日記を書いてさっさと寝ることにした。
明日は朝一で、魔術師ギルドのお偉いさんに捕縛時の報告するように言われている。
今日も色んなことがあった。魔術師ギルドが俺を狙ってきたのは何故だろうか?
きっと何かしらの因縁があるのだろうが思い出せない。
何にせよ、この忘れっぽさが原因に違いない。
魔術師ギルドに潜入して情報を集め、この忘れっぽさを何とかしたい。
以上、ぬか喜びの日の日記。