着地失敗した日の日記
不思議な笑い声で目を覚ました。人ではない美しい女性達がこちらをのぞき込んでいた。そのとき俺は、昨晩の精霊達との宴を思い出した。
俺は日記を読み返し、昨日の出来事を確認する。
そして左腕の模様に【全ての暗号を解読する魔術】を唱えた。
浮かび上がる“1、俺は忘れっぽい。2、そのことを他人に知られないようにする事。3、必ず日記を付ける事。”というメッセージ。
この3つは何としても守ろうと再確認した。
街に行き、錬金術師に会って“ダールタールの霊薬”を作ってもらう。これが目下の目的だ。
素材となる薬草を精霊達から受け取り、精霊の森の出口まで歩いていく。
シルが見送りに来てくれた。シルは森に残るらしく、ここでお別れだ。
次に会ったときには彼女のことは忘れているだろう。それは不自然だし、何より寂しい。
俺は自身の魔力を彼女に少しだけプレゼントすることにした。その旨を伝え、彼女の手を握り、魔力を流し込む。
彼女は流れ込んだ魔力の影響か、少し成長したように見えた。
これで再会したときに、俺が俺由来の魔力を感じて彼女のことを思い出せるかもしれない。
彼女は魔力の影響か、全身に力がみなぎっているようだった。彼女は、錬金術師の住む街まで飛してあげると言うと、次の瞬間に俺は空高く舞い上がっていた。
そのまま鳥が飛ぶよりも速くどこかに向かって飛ばされていく。
勢い良く飛ばされたせいで俺の体は激しく回転し、どちらが地面かもわからない。
俺は【鳥の気持ちになる魔術】を唱えた。
何とか姿勢を持ち直して、鳥のように滑空するような姿勢を取った。
もう既に精霊の森はどこにも見当たらず、代わりに街が見えてきた。高いレンガ積みの建物に、市場らしきものもある。中々に活気のある街だ。
そして俺は自分がレンガの建物の一つを目掛けて落下してきていることに気付いた。
焦った俺は【体が鋼鉄のように硬くなる魔術】を唱えた。
鋼鉄と化した俺は轟音と共に建物を突き破ったが【体が鋼鉄のように硬くなる魔術】のおかげで無傷だった。
シルは精霊だ。恐らく人間の体の強度など知らなかったし、急に力がみなぎりって加減を間違えたのだろう。
悪気はなかったと信じたい。
舞い上がったほこりをはらい辺りを見渡していると、女性のヒステリックな叫び声が俺の鼓膜に突き刺さった。
振り返るとメガネと作業用エプロンを身に着け、部屋に散乱する機材を見て叫ぶ女の子がそこにはいた。どうやら錬金術師のようだ。
俺に気付いた彼女は、この錬金工房の主ニールと名乗った。
彼女は続けざまに俺がたった今壊した機材とその中身がいかに高価で、希少なものだったかを力説し、弁償を求めだした。いつの間にか着地の轟音を聞いた野次馬が集まってきた。
こんなことなら【羽のように軽くなる魔術】や【スライムのように柔らかくなる魔術】を唱えれば良かった。後悔しても仕方がない。目の前の問題を解決しなければならない。
俺は【煙が立ち込める魔術】を唱えた。
煙が彼女と野次馬の視界を塞ぎ、その隙に【壊れた物を元に戻す魔術】を唱えた。
突き破った建物の壁と壊れた機材が元に戻っていく。
煙がおさまった頃を見計らい、俺は外の野次馬に轟音は錬金術の調合の過程で発生した音だと話して回った。
ニールの評判は落とさないよう、調合を俺が邪魔してしまったのが原因だと謝罪も付け加えた。覚えてる中で一番の笑ってごまかしを続けると、納得したのか飽きたのか野次馬は帰って行った。
建物を改めて見ると、中々に立派な錬金術の工房だ。ニールは全ての元通りの部屋で、さっきまで粉々だった機材を手に混乱している。
俺は素直に自分が魔術師だと伝え、誤って事故で工房を壊し、魔術で元に戻したことを説明して謝罪した。
彼女は機材の件は元通りになったことで許してくれたが、調合と生成途中の素材までも全て元に戻ったことに腹を立てていた。
彼女から提案があった。魔術で元に戻ってしまった素材分の手間賃で許そう。と。
確かに話に筋が通っている。金額を聞くとルググ銀貨で65枚だという。
それがどれくらいの価値なのかはわからないが、俺は了承するしかない雰囲気だった。
ついでに“ダールタールの霊薬”の調合料金を足すと幾らか聞くと、ルググ銀貨80枚と答えが返ってきた。
良かった、お金で解決できるなら大した問題ではない。問題は今の俺がお金を持っていないことだ。
ダメ元で鞄の中を漁ると銀貨が1枚出てきた。恐らくダンジョンの財宝が紛れ込んでいたのだろう。これはラッキーだ。俺は満面の笑みで銀貨を彼女に差し出した。
彼女は銀貨を一瞥すると、叩き返してきた。こんな古びた銀貨には、ルググ銀貨1枚の価値も無いという。
銀貨なら何でも良いわけではない、あくまで現行通貨のルググ銀貨で支払えとのことだ。そもそも枚数が全く足りず論外だという。俺は何の反論もできなかった。
“ダールタールの霊薬”の素材を人質として彼女に預け、その日は解放された。夕暮れの街をトボトボ歩き、路地の片隅で寝ることにした。
唯一の食料であるベーコンも残り少ない。
明日は何とかしてお金を稼ごう。
今日も色んなことがあった。そもそも着地のときに別の魔術を唱えていれば、こんなことにはならなかった。
とにかくこの忘れっぽさが全て悪い。
お金を手に入れ、“ダールタールの霊薬”を手に入れ、この忘れっぽさを何とかしたい。
以上、着地失敗した日の日記。