第9話:わたしの適正
壊れた世界なんかいらない。貴女さえいればいい。
そう思わない?ねぇ、そうでしょう?
……そう、思わないのね。
「アレグロ孤児院、強盗が襲撃した日。それも、魔術グラフでは今日の一件と同じ。表向きは強盗と認識されているだけ。つまり、君の知る大きな事件3つは全て、邪教団フェ・ル・マータが起こした。そうとしか考えられないのだよ」
「……、……」
またしても無言。ミミ・C・マーティンは連続してなだれ込む情報を消化しきれずに、ただただ呆けているのみだった。
「何が言いたいかと言うと、だね。30年前にボク達と戦い、消滅したはずの邪教団が蘇り、ボク達が勝ち取った世界の安寧を脅かそうとしている、という事だ」
「……、……」
「でも、指を咥えて黙って見過ごすわけにはいかない。30年前の第1楽章の時のように、力無き人には抵抗は出来ない。だけど、力を持つ人達が力無き人達を助け、守る。それが魔術師の使命だ。もちろん君にも、その資格がある」
エリー長官は椅子から降りると、項垂れるミミの肩をぽん、と叩く。
「……あぁ。暗い話になってしまったね。だが、アレグロ孤児院の唯一の生き残りであり、魔法剣士としてこれから君が戦っていく意志を見せている以上は、この事を知っておく必要がある。ボク達は今、君に対して酷い事をしているんだ。それはわかっている」
「……いいえ、わかっています。エリー長官が私の為に言っているってこと。ちゃんとわかっているんです……でも」
机に置かれた、空のマグカップを見つめるミミ。飲み干されたコーヒーの残りが、マグカップに色を付ける。
「うん、そうだ。そうだね」
エリー長官はパン、と手を打つ。その音に驚いたミミは勢いよく顔を上げた。
「どうだい、ミミ・C・マーティン。私と模擬戦をしないか?」
「もぎせん?」
「今、君の頭はごちゃごちゃしてもやもやしているんだろう?そういう時は身体を動かすに限るさ。君達若者にとって一番の対処療法だと思うが、どうだい、一旦頭を空っぽにして。思いっきり戦ってみてはどうだろう?」
「……何を、するんですか……?」
「なんてことはない。ただのスポーツさ」
エリー長官は嬉しそうに壁の黒いボタンを押し、喉元に指をやり虚空へ話し始めた。
「ハロー。多目的魔術ホールにいる職員に告ぐ。エリー・プラチナ、多目的魔術ホールを使用したい。すまないが、未来を担う魔法剣士の訓練の為だ。場所を開けてくれ」
『エリー長官!?今からですか!?一体何を』
「なんてことはない。ただのスポーツだよ。3分後にそっちへ行きたい。出来るかい?」
虚空の向こうから慌てた職員の声が響く。ガチャガチャとした音と共に、了解の旨を伝える。
「……あぁ、言い忘れていた。魔術障壁を8重にかけるように。いいね?」
エリー長官が真顔でそう言うと、黒いボタンを離しミミに笑いかける。
「少し待てってさ。じゃ、その間に最後の説明をしようか。君の適正マナについてだ。授業でやっていると思っているが、まぁ軽いおさらいだと思ってくれ。知っているところは適当に聞き流して、必要なところだけ取捨選択をするといい」
そう言うとエリー長官は先ほどまで表示されていたグラフを消し、適正マナに関する資料を映写し始めた。
そもそもマナとは。数十年前に発見された、質量を持たず実体もほぼ目に見えない物質であり、物理法則の理から外れた高エネルギーを生み出す可能性を秘めたものである。一般的にマナは無から生まれず、何かしらの起源から発生する。人類においては魔術回路という昇華器官を持つ者が、マナから高エネルギーを生み出すことが出来、そういった人達が魔術師として生活している。
このマナは基本的に5色の性質を持つ。マナの色は赤・火のマナ、黄・土のマナ、白・金のマナ、青・水のマナ、緑・木のマナ。かつて五行相生、五行相剋という思想があったが、その思想によく似た性質を持っている。それぞれ相生、助ける「陽」の力と、相剋、滅ぼす「陰」の力が備わっている。つまり、火は木に剋ち、水に負け、土を助ける。土は火に剋ち、木に負け、金を助ける。金は土に剋ち、火に負け、水を助ける。水は金に剋ち、土に負け、木を助ける。木は水に剋ち、金に負け、火を助ける。
人類が持つ魔術回路では、どの色のマナが効率良く高エネルギーを生み出すかという点において個体差が生じる。人類はその個体差を明確にする為編み出した方法、それが適正マナ。一般的に「その色に適正がある」と表現するが、そのマナの属性を用いた魔法が得意である事を表しているだけで、他の色のマナを用いた魔術が出来ない訳ではない。ただ効率が適正マナよりも劣るだけだ。
人類以外にも、魔術回路を持つものは存在する。生物、無生物関わらず。その中でも、マナをいくらか内包し大気中に放出する無生物を『魔法石』と呼ぶ。石と記述されているが、魔法石は鉱石に限った話ではない。これは人類が始めてマナを発見した時、採石場の石に帯びていたから命名されたからだと言われている。
「……一気に説明したけど、ついてきているかい?」
「は、はい。なんとか」
「ミミ君、君の適正マナが測定不能だった理由は1つだけ。『この5色が反応する魔術回路が無い』ってだけさ。基本的に5色。マナの大原則に『基本的に』という浮いた表現をしている理由は……言葉で聞くより、これを見てくれ」
そういうとエリー長官は机の上に五角形を描き、陰陽の力を線で結び始めた。陰陽の線は次第にある形を取る。
「……星の形」
「そう。五芒星。この形は五行を表す。が、実はマナにはまだ我々は確認できていない、机上で生まれたマナが存在する。それが、この五芒星の形が表す、紫・星のマナとこれ以外に位置する黒・闇のマナ」
五芒星と、それ以外。
「ひょっとしたら、君の適正マナは我々の歴史では想定されていないものの可能性があるのさ。カタナリックビーストなら知っているかもしれない」
『……まぁ、時が来たら説明するつもりやったけど』
ずっと黙っていたカタちゃんが声を出す。
『ま、今のミミちゃんには言っても無駄や。知らないことが多すぎる。それにしても、あの試験管、一体どこで……』
カタちゃんの声が聞こえていないエリー長官は話し続ける。隣の試験管からは相変わらず煙が漏れ出していた。
―――――――――――――――――――
多目的魔術ホール。先ほどまであった巨大な重機は既に片付けられており、だだっ広い空間が広がるばかりであった。その地上部分にエリー長官とミミは立っていた。1人の作業服を着た職員がエリー長官の元へ駆け寄る。
「長官、準備完了致しました」
「うん、ご苦労様。ここからはボク達2人っきりにさせて欲しい」
「で、ですが……」
「ですが、なに?」
「い、いえ何も。それでは終わりましたら呼んでください」
「別に構わなくていいよ。後片付けもボクがやるから」
職員が立ち去る。エリー長官はパジャマのような魔道衣の袖をまくり、どこからか自分の背丈を超える長さの、先端に宝石のような石が取り付けられた杖を取り出した。
「さ、やろっか。我々魔術師のスポーツ。魔術決闘を!」
「マジ・ファイト……?」
「要は実践組手さ。ルールは簡単。相手の全身に張り巡らされた魔法障壁を全て破壊し戦闘不能させるか、相手に敗北を認めさせたら勝ち。どうだい、シンプルだろう?」
そう言いつつエリー長官は杖を回す。自身の身体とミミの身体に、薄い膜のようなものが付着する。2人の視界の済に、「8」という数字が描かれる。
「その数字が魔法障壁の数。魔力を帯びた攻撃をその回数だけ無効化する。ゲームで例えるなら『残機』みたいなものだよ。君は魔法剣士、ボクは魔術師。魔道衣を展開して魔術を使って戦闘をする。30年以上前から行われてきた魔術訓練を兼ねた実践組手さ」
「やりたい事はわかりました。でも、私……魔力が無いから、魔道衣の展開が出来ないんじゃ」
「そんなことはない。ボクの予想が正しければ、今の君は魔道衣の展開くらいなら出来る程度の魔力を有している筈だ。試してみるといい」
ミミは言葉通り、胸のペンダントに意識を向け、小さくカタちゃんに話しかける。
「カタちゃん」
『わぁっとる……魔力もある。ほれ』
ペンダントから剣の柄が飛び出る。ミミはそれを掴むと、ミミの身体が光り輝き、孤児院で行った時と同じく変身が出来た。
「えっ、出来た……」
「ほらね。さ、やろうか。試合開始だ」
エリー長官はにこやかに微笑み、後ろに飛びのき距離をとる。そのにこやかな笑みが消えた刹那、ミミの頬に直径1メートルはあろう巨大な火球が通り過ぎていく。
「は……っ!?」
驚いている暇もなく、同じような火球が乱れ飛ぶ。ミミは剣で防ごうとするが、弾速が早く防ぎきれない。2発の火球を食らったミミは背後遠くの壁まで吹き飛ばされ、地面に崩れ落ちる。
「これが、赤のマナを用いた炎熱術式。初歩の初歩だよ」
ミミは剣を突き起き上がる。身体に外傷は無かった。その代わり視界に薄く「2」の数字が浮き上がる。ミミを守る8枚の魔法障壁のうち、6枚が既に壊されていた。エリー長官は杖を身体の前に構え、得意げに鼻を鳴らした。
「おや、もう6枚割れてしまったか」
「……、……」
「その技量じゃあ、やっぱり無理だったか。どうする?ギブアップするかい?姉を助けることも、友を助けることも全て諦めて誰かに任せるかい?」
「……嫌だッ!!」
剣を正面に構える。ミミの目には先程孤児院で見せた決意の光が宿っていた。
「このまま諦めるわけにはいかない!私、お姉ちゃんを、サキを、助けるって決めたんだ!私だって……出来るんだッ!」
「……その意気だ!ボクを殺すつもりで来い!」
エリー長官が杖の先端をミミに向ける。先端から稲妻が迸る。稲妻は蛇のようにうねりミミの元へと向かう。ミミは剣を腰に据え、走り出す。稲妻の着弾に合わせ右、左、左、右。大きく一歩を踏み出し、稲妻を回避する。
「やるじゃないか!」
エリー長官が高く飛び上がり、突き刺した杖の上に飛び乗る。周囲の地面が大きく波打つと、半径5メートルの地面が大きく隆起する。
「……カタちゃん、私に魔術教えてッ!」
隆起する地面の轟音に紛れ、ミミは走りながらペンダントに話しかける。
『ええで。今のミミちゃん、魔力がたっぷり貯まっとる。こんな時用の魔術をいっこ教えたるわ』
カタちゃんの声と共に、ミミの身体が淡く光る。それと同時にミミの身体が宙へ浮き、残光と共に高速でもはや土壁と化した地面へと向かう。
『これが、空間魔術:縮地。や』
隆起した地面の上に飛び乗り、エリー長官の元へ駆け出す。せり上がる地面を次から次へ飛び移り、剣を構える。
『ミミちゃん、前ッ!!』
「!!」
眼前に先程と同じ、いやそれ以上の大きさの火球があった。ミミは迷うことなく剣を地面に突き刺し、柄を踏み台に飛び上がる。火球の上すれすれを棒高跳びの要領で回避し、剣を呼び寄せる。飛び上がった軌道の先には、エリー長官がいた。
「だああああああァァァッ!」
大きく剣を振りかぶったミミ。エリー長官の表情は照明に反射し白く光る眼鏡で確認出来なかった。お構いなしに剣を振り下ろす。剣の周囲には、剣を遥か超える大きさの刃のビジョンがあった。
隆起した地面が元に戻り、土煙が晴れる。その中心に居たミミは立ち上がる。
「――――いいね。すごくいい」
土煙が完全に晴れる。攻撃の衝撃で大きくくぼんだ地面にの中央に立つミミは、足元で寝転がる自分より小さな大先輩を見下ろす。エリー長官はミミの握る剣をオーラを纏ったような左手で受け止めていた。
「おっと、ミミ君、君の障壁が0になっている。模擬戦終了だ」
剣を離し、ぬるりと立ち上がる。魔道衣についた土埃を払いつつ、エリー長官はずれた眼鏡を直す。ミミは長官の言葉にハッとする。視界の隅に映る数字が「1」となっていた。
「……スキあり」
コツン。エリー長官の杖で叩かれる。その衝撃で、数字は「0」となった。
「……ひっかかったね。それにしても、実戦経験がほぼ0の君がこのボクの障壁を2枚割るとはね。こればかりは流石のボクも予想出来なかったよ」
エリー長官は6枚の障壁を解除する。呆けた顔のミミを見つめ、小さくため息をつく。
「なんて顔をしているんだい」
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多目的魔術ホール。その中心は先ほどの魔術決闘で大きくえぐれていたが、次第に元の形へと戻っていく。そんな姿を見ながら、ミミとエリー長官は研究室前の廊下からその様子を見ていた。
「……少しはすっきりしたかい?」
「はい。まだわからない事ばかりですが、気持ちははっきりしました」
「それならばよかった。ボクが一肌脱いだ甲斐があったって奴だね。まだ魔法武術を修めていない君が、五戦譜であるボクに砂をつけることが出来た。並大抵の事じゃあない。誇っていい」
「あ、ありがとうございます……」
「君の実力を見る為とはいえ、煽るような真似をしてすまないと思っている」
「……演技だったんですか」
「逆に聞くが、この短時間でボクはそんなキャラだったと思っていたのかい?それは心外だ」
「す、すみません」
「ふふっ、冗談だ。からかってみただけさ」
エリー長官がにこやかに笑いかける。それにつられミミの表情は次第に和らいでいった。そんな2人の会話を妨げるように、エリー長官の通信機が鳴る。
「おっと、もうこんな時間か。すまないね。ボクの我儘で付き合ってもらっちゃって」
「いいえ。こちらこそありがとうございました。私がすべきことがはっきりしました」
「そう言ってくれると嬉しいよ。帰る際は受付に一言言ってくれ。帰りの転移魔術師を用意させるから」
「何から何まですみません。ありがとうございます」
ミミは深くお辞儀をし、踵を返した。
「ミミ・C・マーティン」
エリー長官の声に振り向くと、エリー長官は眼鏡をはずし、まっすぐな瞳でミミを見つめていた。
「……いや、すまないね。まだ言うべきか迷っていたが、後悔したくない。君に伝えておくよ」
魔術決闘の時よりも真剣な眼差しで、ミミを見上げる。
「……君の適正マナは、黒だ」