第8話:あの日の真実
あなたをおもえば、私は生きていられる。
私を想って。そうすれば、私は生きていられる。
あなたも、貴女からも私を想ってほしい。
U地区の8、アレグロ孤児院跡にただの少女へ戻ったミミが立っていた。擦りむいた膝の出血は既に止まっている。
『怪我、痛むか?』
「ううん、へーき。これくらいへっちゃらだよ」
持ってきていたポーチのポケットから絆創膏を取り出し、膝に貼りつける。
「昔から、怪我の治りは早かったんだよね~」
『そうなんか。……ん、そろそろ来るで』
カタちゃんはミミの肩に飛び乗ると、淡く光りペンダントに消える。
「待たせたな」
転移魔術師レオーネが風の音と共にどこからともなく現れる。
「では、行こうか」
「お願いします」
レオーネはミミの肩に手を置くと、小さく言葉を発した。その言葉が何を意味するのかミミにはわからないが、転移魔術なのだろう。2人はふわりと宙に浮くと超高速で空を飛ぶ。
「すごい……!」
あっという間にアレグロ孤児院跡が小さくなっていく。海を越え、心地よい風がミミの髪を揺さぶる。
「5分程で移動は完了する。それまでしばし空の旅を、って奴だ」
「すごい……!」
ミミにとっては同じ言葉を繰り返すしか、この光景を言い表すことが出来なかった。
――――――――――――――
「見えるか、あれが魔道省だ」
レオーネが遠くから近づいてくる小さな島を指さす。M地区、魔道省。ミミの寮がある聖クリス学園のT地区から距離にして6500km。元は小さな島国だったが、第1楽章を終えた魔術師達の生き残りがこの地区全体を魔術の開発所として集ったことから、この地区は魔道省のみ存在するようになっている。
「着いたぞ」
ふわりと一旦空中で静止し、レオーネとミミが発着場だろうか、丸いポイントに着地する。アスファルトの地面よりも柔らかい地面にミミはつんのめる。
「俺の任務はここまでだ。あとは中に入って受付に話をすれば通るだろう」
「ありがとうございます。レオーネさん」
「じゃあな。またどこかで会うだろう」
レオーネは右手を挙げ、魔道衣を翻し発着ポイントから立ち去った。
『はー……でっかくなったなァ……』
カタちゃんがペンダントから顔だけを出し、ミミの胸越しに魔道省の建屋を見上げる。
『30年前は掘っ建て小屋みたいなモンばっかりだったんやけどなァ。とりあえず、中入ろうや』
「うん」
魔道省中央ホール。正面入り口をくぐると、吹き抜けの天井に巨大なエンブレムが輝いていた。既に空は陰り、夕飯時であったが、見える限りでもフロアごとに職員が忙しなく走り回っている。
「こんにちは。いえ、こんばんは、かな?」
ホールを物珍し気に見るミミを見て、受付に座る若い女性職員がにこやかに話しかける。
「あ、あれ!?貴女、ひょっとしてミミ・C・マーティン?魔法剣士に選ばれた娘?」
「は、はい」
受付から席を立ち、職員がミミの元へ駆け寄る。長身の職員がミミの背丈に合うよう少しだけかがむ。胸元にぶら下がる名札には「魔道省業務部 受付課主任 イース」と書かれている。
「すっごーい!本物!?受付課じゃ貴女の話題で持ち切りよ!カタナリック・ビーストと契約できた人間って30年ぶりで、とってもすごいことなんだって!」
「そんな」
「昔本で読んだ「生き残った子」みたい!すっごーい!ね、ね、握手して!」
ミミの答えなぞ聞いていない。イースは目を輝かせミミの手をひっつかみブンブンと振り回したかと思えば、手の甲を撫で回す。
「ぃやー!!ご利益ご利益!あのね、あのね!今日貴女が来るって話はさっき長官から聞いてたんだけど、私、もう交代の時間だったから私が座ってるタイミングで会えるかってワクワクしててもうほんとに」
「イース?」
ミミの手を抱きぶんぶんと振り回し、立て続けにまくしたてるイースの言葉は、イースの背後から聞こえる高い声で遮られる。「しまった」とでも言いたげにイースの表情が強張る。
「え、エリー……長官」
カチコチに固まりつつも、イースが振り向く。そこには、8歳ほどの見た目をした1人の少女が立っていた。ヘッドキャップと熊のぬいぐるみを抱けばそのまま床に付けそうな、パジャマに近い魔道衣の上には地に着くほどの長いローブを纏い、だぼだぼに伸びた袖をまくる指は白く細い。まん丸の目によく似合うまん丸のレンズの眼鏡は少し曇りつつ、毛先が縮れた栗毛をくるくると回しながら、少女は小さく咳払いをする。
「……こほん。イース、ボクは君の直属の上司じゃあない。君の直属の上司はセレナ君だ。ボクにとっては業務部の事は管轄外。だからボクはそんな些細なことで青筋を立てて怒るような無粋な真似はしない。それに、彼女はもしかしたら将来、我々魔術師の中でも知らない人は居ない程の有名人になるかもしれない人物だ。直接見れて嬉しいのはボクとて同じこと。ミーハーなのは個性だ、否定はしない。だがね、今は交代間際とはいえ勤務中だ。君達受付課は魔道省の顔。しかも君は主任だ。もう少しその自覚を持ったらどうだい?大の大人が子供みたいにはしゃいで」
少女は腰に手を当て、自分よりも背の高いイースを見上げるように滾々と話を続ける。かけている眼鏡がさらに曇り始めた頃、急にハッとして話を止める。
「おっと、ボクがしているのはこれではまるで説教じゃないか。怒るような無粋な真似はしないと言ったばかりだったな。すまないすまない」
項垂れるイースの肩に手を置き、少女はミミの方へ向き直る。
「そろそろ来るだろうと思っていたよ。ミミ・C・マーティン。自己紹介が遅れたね。ボクは魔道省魔道統括部長官、エリー・プラチナ。よろしく。……あぁ、君が驚くのも無理はない。魔道省職員以外では五戦譜が一音としてボクの名前はあれど、ボクの姿は公にはなっていない。自分で言うのもなんだが、ボクのこの姿はまるで幼子に見えるだろうからね。でも、与えられた役職というのは姿に囚われるものかい?」
少女、エリー長官はミミの言葉を聞く前に問いかける。
「……いや、この質問はよそう。君にはもっと他に聞きたい事があるんだ」
「は、はぁ……」
ミミはエリー長官の言葉に圧倒されていた。
「受付前じゃあ何だから、5Fのボクの研究室へ来ると良い。ボクは野暮用を済ませてから行くよ。イース、君は丁度交代なのだろう?彼女を5Fまで案内してくれ。君の権限で案内できる所までで構わない」
「……はぁい」
こってり絞られたからかすっかり意気消沈したイースは、小さな端末を操作し、空中に映像を映し出す。
「それではご案内致します。こちらへ」
「ミミ君。では後で」
エリー長官は別の方向へと足早に立ち去る。イースはエリー長官の背中を見つめ、大きくため息をつき、ミミに笑いかける。
「変わった人でしょ?いっつもあんな調子なの」
「そうなんですね」
「でも、エリー長官は五戦譜の中で一番の魔力量を誇るの。ここ魔道省にある魔道具は全部あの人が作ったってウワサらしいよ」
「……凄い」
――――――――――――――――
イースに連れられ、エレベーターで向かうは魔道省5F、魔道統括部。吹き抜けからは先程までいた中央ホールが見える。正面ホールから見えた走り回る職員はこのフロアにはいない。代わりに小さい人形がカタカタと音を立てながら書類を運んでいた。
「これは……?」
「これはカラ・クリ。エリー長官の出身地、日本……今でいう「T地区」辺りで作られた「絡繰人形」をベースに開発された、自発的に考え動く魔術機械の1つだよ。魔道統括部は秘匿エリアが多いから、書類を運ぶような簡単な業務は我々人間がやるよりも彼らにお願いした方が都合がいいの」
カラ・クリは無機質な顔を左右に揺らしつつ、自分よりも大きな書類の束を抱え進んでいく。
エレベーターホールから1本曲がると、真っ暗な廊下が現れ、空気が大きく変わる。
「案内はここまで。ここから先は私の権限では入ることができないの。後はこの廊下を真っすぐ進むと多目的魔術ホールに出るからそこを右に進んで。そうしたら右手側に研究室があるから!」
「ありがとうございました」
「いいのいいの!またお話し出来るといいね!じゃ、行ってらっしゃい!」
大きく手を振るイースに小さく手を振り、ミミは暗い廊下を一歩ずつ進む。ミミのスニーカーが床に触れる度、床が淡く光り、暗い廊下を少しだけ明るく照らす。
「……ふぇ」
ミミは力の抜けたような声を出す。廊下を抜けると、中央ホールよりも巨大な工場のような場所に出た。下を見ると、中央ホールよりも深い階層が続いている。作業着を着た職員が、重機や工具を用いて何かを整備している。
「すっご……」
魔術と現代建築技術のハイブリッドと言えようか、職員が魔術で巨大なクレーンを大きな音を立てつつ動かす。クレーンは大きな箱のようなものを持ち上げ、他の職員が別の魔術で宙へ浮かべる。
「……どうやら、ボクの研究室までの道のりがわからなくてここに留まっていた訳ではなさそうだね」
作業の様子を目を輝かせながら柵から乗り出して見つめるミミの隣に、いつの間にかエリー長官が立っていた。
「あっ、あの、すみません!」
「いいさ。ここは一般公開していないシークレットエリア。通称多目的魔術ホール。簡単に説明してあげよう。このフロアは魔道統括部と開発研究部の共同作業スペース。君達の身近にも簡易魔道具がありふれているだろうけれど、それのベータ版を作成する為のスペースさ。その他にも魔術師試験の為の戦闘テストとか、そういった用途でも使われる」
「へぇ……!」
エリー長官は得意げに鼻を鳴らす。
「ま、魔道省の技術が君達の家庭に届くまではかなり時間を要する。その事前準備の一つが、この空間で行われる訳だ。さて、ボクの研究室はこのすぐ先だ、ここまで来れたならあとは容易い」
多目的魔術ホールの壁伝いに廊下が続く。そこにぽつんと、小さな赤い扉が構えていた。エリー長官が屈んで中に入る。ミミはそれに続いてしゃがみ込んで中へと入っていく。エリー長官の研究室の天井は扉よりも高いが、それを加味しても小さな部屋。2脚の簡素な椅子と机が置いてある以外は、いくつかのボタンが飛び出ている無機質な壁が広がっているのみだった。
「まぁ椅子に掛けて寛ぎたまえ。コーヒーでも飲むかい?」
「は、はい。頂きます」
エリー長官は壁に飛び出た赤いボタンを押す。ビッ、ビッと小さいアラート音が響く。
「……少し待て。さすれば淹れたてのコーヒーが飲める」
エリー長官はどかりと椅子に飛び乗ると、机に身体を預け、向かいの椅子に座ったミミをまじまじと見つめる。
「な、なんですか?」
「いやね。不思議なものだ。君を見ていると、ずっと前から友達だったような、そんな気がするよ」
「えっ?」
「……いや、ただの戯れ言だ。気にしなくていい」
ボタンのついた壁の一部が開く。カタカタと音を立て、先程書類を運んでいたのと同じようなカラ・クリが湯気を湛えたコーヒーをお盆に2つ載せ歩いてくる。
「今日ここに君を呼んだのはボクの権限であり我儘だ。レオーネ君からディスコード襲来の報告を受け、時が来たと思ってね。ボク達が知っている事を君は知る必要がある。そう判断したのさ」
エリー長官は人形の持つコーヒーを取り啜ると、熱そうに舌を出し顔をしかめた。ミミはそれに倣いコーヒーを取ると、人形はまたカタカタと音を立てながら壁の向こうへと立ち去っていった。
「今日は災難だったね。最悪のタイミングで最悪の輩に出会ってしまった」
「破壊タイプのディスコード、って聞きました」
「あぁ、デュランダルのヤツめ、まだそのネーミングセンスなのか」
『余計なお世話や』
ミミの頭にカタちゃんの声が響く。エリー長官には聞こえていないのか、低く笑いながらコーヒーを口に運んでいた。
「さて。順を追って説明していこう。まずは今日観測された邪教団フェ・ル・マータとその幹部を名乗る女についてだ」
エリー長官は唇に残ったコーヒーの泡を小さく舐めとると、壁に飛び出た青いボタンを押す。壁の一部がくぼみ、中から大きな試験管が現れる。エリー長官がそれよりも細い腕で乱暴に引っ掴み、中に入っている液体を軽く振る。
「邪教団フェ・ル・マータ。邪教祖コーダを崇める一団……というのは既に知っているね?」
「はい、以前キャビン長官から聞きました」
「そうかそうか。なら話が早い。奴らは30年前、1回目の鏖の儀を行った。その時と同じ事を奴らはしでかそうとしている」
試験管から小さく煙が噴き出す。その煙を手で扇ぎ臭いを嗅ぎつつ、エリー長官は話を続ける。
「邪教団は大きく分けて4層構造になっている。第1層が頂点。邪教祖であるコーダ。下層である第2層が四教徒と呼ばれる幹部。第3層がディスコード。そして第4層が、我々人間だ」
「私達?」
「そう。私達。奴ら曰く、ボク達人間は皆コーダの子供だという訳だ。鏖の儀で接収される人間達は、それよりも上階層であるディスコードに選ばれる幸福を噛みしめ、次の階層へ上がる事を喜ぶべき……そう表現されている」
「じ、じゃあ今日出会ったあの幹部の女の人は」
「彼女は第2階層。恐らく30年前の第1楽章の時の子孫か何かなのだろうね。30年前と同じであれば、だが。四教徒は名前通り4人の幹部で出来ている。これも30年前と同じだが、という条件付きではあるけれど、ボクはそう予想する」
試験管の煙が激しくなる。エリー長官はむせつつ、話を続ける。
「さて、次は君の姉、レイラ・C・ノクターンについて。彼女は君と共に孤児院に引き取られたのち、豪族ノクターン家の養子として引き取られたと記録されている」
ミミが話を聞きながらうなづく。そこまではミミも聞いていた通りだった。
「ノクターン家当主ラルゴ・ノクターンは魔道省発足当時から技術提供に資金支援までしてくれていた。当時珍しかった魔術に対し懐疑的な印象を持たず、好意的に扱ってくれた豪族は彼くらいのものだよ」
試験管から手を放し、コーヒーの続きを啜る。コーヒーの苦みか、これから話すことの苦みか、エリー長官は眉を顰めた。
「……あまり死んだ者を悪く言うのはボクの流儀に反するが、ラルゴ・ノクターンのやり方はボクは最低最悪だと思っている。彼は魔術の発展と称して人体実験を重ねていた。実験用素体として使える素体候補、つまりCC適正が高く身寄りのない孤児を、世界各地の孤児院から集め、養子にすると同時に館の地下で人体実験を続けていた。君の姉レイラもその中の1人。君と違って、彼女のCC適正は85%。破格の数値だからね」
「そんなっ!!」
ミミは驚きと怒りを隠せない表情で叫び、椅子から立ち上がる。静かな研究室に椅子が転げる音が響く。
「……ここからは推論だが。彼女はそこで実験用素体として数多くの実験の被験者として扱われたものと思われる。実験の苦痛は計り知れないだろう。精神は焼き切れ、唯一の肉親であった君を思うことだけが、彼女の生きる糧になっていただろう」
「……許せません」
ミミの拳が怒りに震える。
「……君が怒る気持ちも最もだ。魔術は君達姉妹の人生を歪めたと言っても過言じゃあない。だが、恨むべくはラルゴ・ノクターンではない」
「どういう、事ですか」
「まぁ座りたまえ」
無言。試験管の中の液体が震えカタカタと音を立てている音だけが静かに響く。ミミは倒れた椅子を立てて座りなおす。
「どういう、事ですか」
先ほどの繰り返しのように、ミミは聞く。エリー長官は残ったコーヒーの液面を見つめ、一息に飲み干してから話し始めた。
「ついさっきの野暮用さ。今日君が追い払った、あの事象を観測した結果が出た。ボクの予想通りだったよ。ノクターン家は10年程前に事故が起き全員死亡した。それは知っているね?」
「はい、でもそれと何の関係が?」
「ノクターン家の事故。表向きは事故で処理され報道されている。だが、あれは明らかに事故じゃなかった」
エリー長官は手を思いっきり伸ばし、最も遠い位置にある壁の緑のボタンを押す。壁の一部が小さく開き、中から2つのグラフ映像が映写される。
「左のグラフがその当時のノクターン家で観測された魔術グラフ。そして右のグラフが今日孤児院で起きたディスコード襲撃の魔術グラフ」
エリー長官が指を振ると2つのグラフが移動し、やがて重なった。一部に乱れはあるが、グラフはほぼ同じ曲線を描いていた。
「魔術波長がよく似ているだろう?それが意味する事は、わかるね?」
「……ノクターン家の事故はディスコードの襲来で発生した、ということですか?」
「そう、そういうことになる。……これも公にはされていない情報だが、事故当時、養子の1人を除き全員の遺体が確認されている。ただ、その1人がどうしても見つからなかった。それが君の姉レイラ・ノクターン」
「お姉ちゃんが……!?」
「今日の様子を見ると、その時邪教団に攫われ今の姿となったとみて間違いないだろうね」
ミミは手を強く握りしめた。
「ディスコードに……お姉ちゃんが、お姉ちゃんの家族が……!」
「それだけじゃない。これも見るといい」
既に重なったグラフの隣にもう1つ、グラフが表示される。グラフのタイトルの日付に、ミミは覚えがあった。
「まさか……まさか!嘘ですよね……」
「……本当だとも」
ミミにとって忘れもしない、孤児院が無くなった日。その日がグラフに記されていた。
絶句。ミミは開いた口が塞がらなかった。