第6話:生誕の地
きかせてほしい。わたしはどこにいるの?
おしえてほしい。あなたはどこにいるの?
――――――――――聖クリス学園女子寮
それから数日が経過したある日の事。退院したミミは寮の自室で入院中に使っていた荷物を片付けていた。扉をノックする音が、静かな部屋に響く。
「はーい?」
「失礼しますね」
ドアに立つ女性は、ミミを見ると、小さく安堵のため息をつき、優しく微笑んだ。
「退院おめでとうございます。話は諸長官から聞いています。大変でしたね」
「校長……先生?」
聖クリス学園校長、クリス・アルペジオは短くまとめた髪を解き、ミミを椅子へ促した。
「少しだけお話を、と思いまして。まぁ、お茶でも飲みながら」
「す、すみません散らかってて……」
ミミはノートや筆記用具が散乱している机を乱暴に片付ける。校長はおもむろに鞄から魔術式のコンロを取り出し、火を立てる。指を振ると、ティーカップが1つと、角砂糖入れだろうか、山ほど角砂糖の入ったティーカップが虚空より現れる。
「貴女以外の生徒については、帰省して範囲外に居たか、寮から魔術結界に避難していた為無事は確認していたのですが……とにかく、無事でよかった。お砂糖はいくつ?」
「ふたつください。……あの、ご心配おかけしてすみませんでした」
校長は微笑みつつ、慣れた手つきでポットから紅茶を入れ、ティーカップに角砂糖を2つ入れる。その後、角砂糖入れのはずだったティーカップにポットの残りの紅茶を入れる。
「どうぞ。……魔法剣士、ですか」
「いただきます。……そうらしいんですが、いまいち実感が無くて」
「誰しも、魔術師になったばかりの人はそう言うものですよ。私もそうでした」
カラカラと、溶け残った砂糖をマドラーで混ぜつつ、校長は言う。
「……でも、入試面接の時の貴女と、今の貴女は目の色が違いますね」
未だ砂糖が溶け残っている紅茶を啜り、ミミを見据える校長。その目は優しいながらも、ミミの心を見透かすような眼光を放っていた。
「『絶対に魔術師になってやる!』と息巻いていたあの時の目では、無いようです」
「はい」
「そりゃあ、そうですよね。もうその夢は叶ったのですから」
「……はい」
ミミはティーカップを口に運ぶ。少々熱いが、一息に飲み干す。
「それ以降で、魔道生物には会いましたか?」
「いえ、それが……あの日以降、姿を見せないんです」
「意外とすぐそばにいるものですよ」
校長が飲み干したティーカップを机に置き、手を組みながら微笑む。
「回答は決めあぐねていると聞きました。魔道省入省の意思はありますか?」
「はい。次の機会に返事するつもりです」
「それはよかった。でも、貴女はまだ学生。招集がかかるまでは、これまで通り、学校生活を続けてくださいね。勉強も、貴女にとって大切な仕事です」
「はい。よろしくお願いします」
「では、入院期間中は出席扱いとして処理します。明日から、また元気に登校してください」
校長は椅子から立ち上がり、慣れた手つきでティーセットを虚空へ消すと、扉へ向かう。
「本来であれば、親御さんにも説明を……というのが自然の流れですが……」
「……はい」
校長は机に立てかけてあった写真を見る。そこには、1人の女性を囲むように、3歳から12歳くらいのたくさんの子供たちが満面の笑みを浮かべている姿があった。その子供たちの1人は、幼い頃のミミだった。
「……アレグロ孤児院。貴女の出身ですね」
「はい。今はもう、ありませんけど……」
「今日は休みにしていますし、挨拶でもしてきてはどうでしょう?」
校長はにこやかにそう言うと、ミミの部屋から立ち去った。校長の淹れた紅茶の甘い香りが漂う。
「孤児院、行ってみるか……」
誰もいない寮の自室で、ミミはひとり、呟いた。
――――――――――アレグロ孤児院跡
聖クリス学園よりバスを乗り継いで1時間。U地区の8。周囲には何もない、ただ海だけが見える小高い丘の上に立地するアレグロ孤児院。ミミが聖クリス学園に入学する3年前に発生した強盗誘拐事件で廃院と化した。廃墟と化した孤児院は窓ガラスが割られ壁面はあちこちがひび割れており、庭には草木が生い茂り人間の進入を拒んでいるかのように静かに立っているだけで、当時の面影はほとんど残っていなかった。
「……ただいま。ママ」
ミミが手に持つ写真は、先程の集合写真。事件が発生する前日に撮影されたものだった。廃院当時、ミミは9歳。
「草がすごくて中には入れ無さそう……」
『ふーん、ここがアンタの生誕の地、かいな』
突如、背後から声がする。声に振り向くと、狐が宙に浮いていた。
「あなたは!」
『おう。生きててよかったな、ミミちゃん』
狐はミミの肩に飛び乗ると、孤児院跡を見つめた。
『アンタ、『偽りの子』やったんやな』
「……その呼び方はやめて」
『どうしてや?』
「どうしてかはわからないけど、その呼び方は嫌」
『ほーか。ほな、ミミちゃん、そう呼ぶわな』
ミミは狐の方を見つめる。
「そういえば、あなたの名前は?」
『ウチか?カタナリックビースト以外では呼ばれんなぁ。契約者は好き勝手呼ぶし、アンタも好きに呼んでええで』
「じゃ、カタちゃん」
カタちゃん、そう呼ばれた狐は目を丸くしてミミを見る。
『カタ……ちゃん?』
「そ。『カタ』ナリックビーストの、カタちゃん」
『っぷ、あっははははは!』
カタちゃんはミミの肩の上で大笑いする。
「気に入らなかった?」
『ひぃーっ……いやな、前の契約者も同じ名前で呼んだんよ。やっぱり人間はおもろいわ』
カタちゃんはひとしきり笑い転げると、ミミの目の前で静止した。
「どうして今まで姿を現さなかったの?」
『細かな理由は伏せるけど、ヤボ用や、ヤボ用。とにかく、ウチらカタナリックビーストは契約者以外の人前で姿を現さんのや。姿を現わさず声だけで会話する事も出来んこたないんやけど、ここなら誰もおらんし、契約後初めてやしいろんな説明もせなあかんやん?ならここがちょうどええなーって思ってな』
「ふーん……」
『気に入ったか?それ』
カタちゃんはミミの胸元に光るペンダントを指差す。
「これ?結局何なの?魔道省の人達は魔道衣が内包されてるって言ってたけど……」
『あぁ、せやったな。ミミちゃん、アンタ魔術回路持ってないんやった。その通り、それは魔道衣が内包されとるんや。ウチとミミちゃんの契約の証。魔法剣士には魔道衣が必須なんや。ほんで、この魔道衣を展開するには魔力が必要……っと』
そういうとカタちゃんは小さく光る。共鳴するようにペンダントが光り出し、ペンダントから衣服が展開された。ミミはそれを掴み広げると、ピンクを基調としたフリルの付いたドレス風の鎧だった。
『ほれ、これがミミちゃん専用の魔道衣や』
「えっと……?」
『今回はウチが魔力を提供したさかい、勝手に装着!とはならんかったけんど、ミミちゃんが魔力を込めて魔道衣を展開すると、自動的にこれに着替えられるんや』
「なるほど。所謂魔女っ娘の変身、ってやつね」
『せやせや。理解が早くて助かるで。本当なら魔力を込めてしっぽを掴んでもらって変身!や。そっからは言葉でいろいろサポートしたるさかい』
「……気前いいのね」
『そらそうや。ウチの命もそのペンダントに入っているようなもんやし。やから大切に使ってな?ほな、いっぺん変身してみよか。いったん魔道衣しまってしまって』
カタちゃんはミミの胸に魔道衣を押し込むと、ペンダントに吸い込まれるように魔道衣は格納された。カタちゃんはミミの前で尾を突き出す。ミミは尾を掴もうと手を出すが、掴む直前で手を止める。
「待って。前に掴んだ時、私気絶したよね?」
『あれは一種の魔術酔いや。アンタ、魔術道具とかは使ってたやろうけど、自分の体内に魔力を入れた経験無かったやろ。それも、ウチら魔道生物クラスの魔力を』
「うん」
『ふつーの人間なら、ディスコード化してもおかしくない魔力量を受け取ったんや。そりゃ魔術酔いしてもおかしくないで』
「それで、今は大丈夫なの?」
『ウチらの魔力は契約中は契約者に合わせる仕組みになっとる。だから今はアンタに合わせた魔力量しか持っとらん。つまりほぼゼロや。今魔道衣を展開させただけですっからかんになったわ。せやから魔術酔いは起きん。以降は魔力サポートは出来ひんから、変身する時も魔道衣の展開も自力で頑張るんやで』
「……なんか傷付くけど。まぁ、それなら」
ミミはカタちゃんの尾を掴む。すると身体が強く光り輝き、宙に浮くと同時に光に包まれたミミの衣服が弾け飛ぶように消える。胸元に光るペンダントから先ほどのように魔道衣が飛び出し、ミミの身体に巻き付いていく。右手、左手には手袋のような手甲。胸と腰にはコルセットのような鎧。臀部を包むスカートの一部は鎖帷子があしらわれ、花飾りまで付いている。履いていたスニーカーが溶けるように消えると、低いヒールがゆっくりと足にあてがわれる。最後にどこからともなくヘッドギアが降ってきて、ミミの頭にすっぽりと収まる。魔道衣を全て身に着け終わる頃、遥か天空より両刃剣が回転しつつ降りてくる。見る事も無く上に伸ばした右手でキャッチすると、剣をバトントワリングの如くくるくると回転させつつ、自らも一回転。最後にポーズを決めて、着地した。
「すごい……!」
『せやろ?スカート風だけど動きやすい仕様やしパンチラもせぇへん。変身バンクも完全対応や』
「私ずっとこういうのってぶっつけ本番でどうやってんだろって思ってたんだー。意外とやれるもんなんだね」
『それな。新しい武器とか新しい合体技とか習得するとき、ぶっつけ本番なのに息ピッタリの完璧やもんな』
「あれ謎だよねー。で、変身を解除するにはどうすればいいの?」
『自分の意識で魔術回路をON/OFFするんや。ミミちゃんの場合は変身中疑似魔術回路が働くから、そこに意識を向ければええ。それに疑似魔術回路を使えば魔術も使えるで。使い方はやりながら覚えや。あぁ、着ていた服はペンダントの中にあるから変身解除時に元の服に戻るからな』
「便利だね……」
『……なんでもええけど、変身の時なんか決め台詞とかで見得しぃや。個性を出すのも大切やで。ま、次からの課題やな』
「はーい。ところでこれ、本物なの?」
ミミは右手に持っている剣を指でなぞる。
『そりゃあモチのロン、本物の剣や。切れ味抜群やからそんなことしとると手切るで。なんか試し斬り出来ればスゴさを伝えられるんやけどなぁ……』
「……ちょうどいいや」
ミミはおもむろに剣を振りかざすと、草木に向かって軽く振りぬいた。刹那、剣よりも遥かに大きな刃が見え、庭一帯の草木がなぎ倒された。
「うっわぁ、すごい切れ味だねカタちゃん!」
『ウチは草刈りに剣術使ったアンタにうっわぁ、やわ。そんなもんの為にウチは力与えたんとちゃうぞ……』
「固いこと言わないの」
カタちゃんは呆れたように言う。そんなことも意に留めず、ミミは孤児院の方へと向かっていく。正面の玄関口はさび付いて開かなかった為、隣の割れた大窓から乗り越えるように中へと入る。割れたガラスや、誰かが雨風を凌いだのだろうか、いくつかのゴミが散乱していたが、それ以外はミミの記憶とほとんど変化が無かった。
「大ホールだ。懐かしいなぁ、ここでみんなで川の字になってお昼寝したんだよ」
『せや、ミミちゃん、今日アンタがここに来た理由って何だったんや?』
床に降り、ホールをミミと歩くカタちゃんは、ミミを見上げて言う。
「校長先生に行ってみてはどう?って言われたのもあるけど、夢が叶って魔術師になれた事、ママに報告がしたかったから」
『ママ?』
「ほら、この人だよ」
ホールを出て、正面玄関に飾ってある大きな額縁を指差す。埃にまみれてくすんでいるが、1人の女性が凛と立っている姿が写真に収められていた。
「アレグロ・クリス・マーティン。私のママ」
『ほーん……』
「もう覚えていないんだけど、私には、双子のお姉ちゃんがいたらしいんだ。私達は生まれた直後の姿で、このアレグロ孤児院の前に捨てられていたって聞いてる。で、それを見つけたママが私達を拾い上げてくれた……」
『なるほど』
ミミは愛おしそうに額縁を撫でる。
「私のお姉ちゃんは、その後すぐに来た豪族の養子になる形でいなくなっちゃって。それから3年くらい後に、その豪族は事故に遭って全員亡くなった……お姉ちゃんもその1人だった」
『そうやったんやな』
「この話をママから聞いてしばらくしたら、あんな事件に巻き込まれて」
『あんな事件?5年前の強盗誘拐事件の事やな』
「そ。私以外、みんな殺されちゃった。ママも……」
ミミの頬に涙が伝う。
『なるほどな。ミミちゃん、アンタのお人よしの理由が分かったかもしれん』
カタちゃんは微笑み、ミミの隣に座り写真を眺めていた。
しばらく無言で写真を見つめていたミミは涙を拭い、カタちゃんの方へ向き直る。
「よしっ。報告終了!さ、帰ろっか。変身を解除して……」
突如、ミミのヘッドギアが通知音を発する。
「な、なに!?」
『あぁ、魔道省の連中、通信機をヘッドギアとリンクさせたんやな。勝手にウチの魔道衣に細工しおって……。ミミちゃん。どっちかの耳に意識を向けや』
ミミは言われた通り、右耳に意識を傾ける。するとヘッドギアの向こうから、声が届く。
<こちら魔道省管理部管制室オペレータの糸絹だ。聞こえているか?ミミ・C・マーティン>
「こちらミミです。はい、聞こえています」
<「MIMIC:Durandal」の魔力反応を見る限り、無事に魔道衣の展開が出来たようだな>
「はい。カタちゃんに教えてもらって出来るようになりました」
<カタちゃん?……まぁいい。そんなことより、付近にディスコード反応を感知した。反応点はどうやらそちらに向かっているようだ>
「な……!?」
『なんやて!?』
ミミは慌てて外へ飛び出し、空を見上げる。夕方が近づいているとはいえ、真っ青な青空が広がっている。
「で、でも空は普通……」
<鏖の儀の魔力波長は検知されていないが、ディスコードは鏖の儀以外でも出てくるのだ。こちらもすぐに魔法戦士を向かわせる>
「わ、私はどうすれば!?」
<先日の鏖の儀と違い、今回検知しているディスコードは少し凶暴のようだ。辺り一面を破壊して回っている。奴らがそちらにたどり着く前に逃げろ>
ミミは後ろを振り向き、剣を強く握りしめた。
「私……戦います!!」
<何!?>
「辺りを破壊してるんですよね。ここは私の『生誕の地』なんです。ここを壊させやしない!!」
<……わかった。そろそろ近づいてくる筈だ。10分持たせろ。それまでに魔法戦士を向かわせる。私もそちらへ向かおう>
「ありがとうございます!」
通信が切れる。
『よう言うた』
カタちゃんがミミの肩に乗り、淡く光る。
『ウチは剣術はからっきしやけど、魔法なら教えられるで』
「ありがとう。私、ママの代わりにこの家を守るんだッ!」
「結構な自信なのね」
背後から声がする。ミミ達は振り向くと、孤児院の屋根の上に人間が立っていた。