第3話:魔法剣士
みえているもの。それはあなたのきもち。かんじているこどう。それもあなたのきもち。
あたたかいもの。だけど、わたしはこばむ。あたたかいからこそ、わたしはこばむ。
けたたましく鳴り響くアラートと、2人の走る少女の呼気が住宅街にこだまする。一瞬公園の方面を振り返ると、なおも天に架かる輪から数体ずつ異形が降り注いでいた。
「危ないっ!」
交差点にさしかかった2人は急停止する。死角の多い交差点。カーブミラーの向こうには、2、3体の異形が獲物を狙うかのように頭を振りながら闊歩していた。
「まだ気付いていないみたい」
「こっち!」
2人は交差点の手前の住宅の庭に忍び込む。この住宅は既に異形の牙にかかったのか、それとも無事に避難出来たのかはわからないが、中に明かりは無く無人だった。ブロック塀の向こうではカツ、カツと複数の異形の足音が聞こえてくる。2人は呼吸を整えつつ、しゃがみ込んだ。やがて、異形の足音が消える。
「……行ったかな」
サキが塀の窓部分から外を覗き込む。真っ暗な景色が広がる。
『ケケケケケケケケケケケ!!!』
「……イヤァッ!!」
窓から見えていた真っ黒なそれは異形の身体部分だった。耳をつんざくような叫び声と同時に、塀の窓という窓から枝分かれした異形の足が飛び出してきた。サキは腰を抜かしており、幸い捕まることは無かったが、3体もの異形が塀の上から顔を出し、2人を見つめていた。
「逃げ……ッ!!」
言葉よりも早く、異形が塀を乗り越え飛び掛かってくる。ミミとサキは寸前で回避、這う這うの体で立ち上がり、走ってその住宅から飛び出した。
住宅街を駆け抜ける。異形は奇声を発しつつ、ミミとサキを追う。
「あうっ……」
突如、サキが小さく苦悶の声を上げしゃがみ込む。
「サキ、大丈夫?」
「……さっきひねったみたい。このままじゃ追いつかれちゃう。ミミちゃんだけでも逃げて」
「何言ってるの。2人で逃げるんだよ」
追ってきている3体の異形はまだ10m程後ろにいる。それを確認したミミは、おもむろに着ていたシャツの一部を破り、手早くサキの足に巻き付けた。
「ほら、立って。あとちょっとだよ。がんばろ」
「……、……」
ミミはサキの肩をとり歩き出す。上を見上げると、魔術結界はあと数百メートル先というところまで来ていた。
『……わからんなぁ』
『全く以てわからん』
『何故、自分も危なくなるのに力を貸すんや?』
『何故、あ奴は己を犠牲にしてでも、人を助けるんや?』
そんな2人の少女の姿を、住宅街の屋根の上、異形の手に届かない所で見ている「何か」が居た。その「何か」は犬のような、狐のような姿をしており、白く美しい毛を風に靡かせ、小さく呟いた。
『いずれにせよ、ウチの知る所やないわな』
「何か」はスッと立ち上がると、尾をピンと立てた。尾には、凛と輝く一本の両刃剣が添えられていた。
百里を行く者は九十を半ばとす。あと少しと思っていると、無意識のうちにどこかで気が緩むものである。ミミ達の背後から追ってきている3体の異形は、少しずつ歩みの速度を上げていく。手負いのサキを連れるミミの足取りは、先ほどよりも遅い。次第に距離は縮まっていた。それを見たサキはため息をつくと、ミミの方へ顔を向け、笑った。
「ミミちゃん。もう、いいよ」
「いいって、何が?」
「私を置いて走って。このままじゃ2人とも捕まっちゃう」
歩きを止めようとするサキを、強引にミミが引っ張るように進む。
「あと少しなんだから!一緒に行けばいいんだってば!」
「いいからッ!!」
サキが強く叫ぶと同時に、サキの体が淡く光る。
「サキ……?」
「黙っててごめん。今日話そうと思ってたんだけど……話しそびれちゃった」
サキの中の魔力回路が稼働し、魔力が放出される。淡く光るサキを、ミミは黙って見つめる。その表情は、親友が自分には無い物を持っていた驚きなのかはわからないが、複雑な表情をしていた。その表情には気付かず、サキは続ける。
「実はね、私も目指してたんだ、魔術師。憧れてた親友と、同じ仕事が出来たら……って。だけど、受験は受からなかったし、魔術回路だってこれっぽっち。所詮私は一般者なんだよ」
サキの言葉に言い返そうとするミミだったが、大粒の涙を湛えたサキの瞳を見て、言葉が出なかった。サキは続ける。
「でも、ミミは違う。適合者として魔術師になる為の学校に入学して、一生懸命勉強して夢を追いかけてる。だから、こんなところで死んじゃダメ!」
「でも……」
「いいから行けッ!ミミ・C・マーティン!」
異形がすぐそこに迫る。サキはミミを力強く押す。
「もう、振り返らないで。……生きて。生きて私の分まで夢を叶えてッ!!」
「……わかった」
そう言うとミミは勢い付けて屈むと、サキを抱きかかえ走り出した。
「えっ!?」
「わかった!サキが私の事、ぜんっぜんわかってないことよーくわかった!サキを置いて逃げる?そんなこと、出来る訳ないじゃん!一般者が何よ!夢があるなら一緒に目指そうよ!」
サキを振り回すようにミミは自らの背に乗せる。
「しっかり掴まってて!飛ばすからッ!」
『ふーん、助けたんか』
『自らを犠牲にして、あ奴を助けたんか』
少女2人のやり取りを、またしても犬のような狐のような「何か」が見つめていた。
『その程度の魔力量じゃ、ディスコードは倒せん。大正解や』
『でも、なんで助けたんや?見返りの為か?違う。あれは、見返りを求めぬ救済。対象を想っての、無償の愛』
『……全く以てわからんなぁ』
事の顛末を見届けた、犬でも狐でもないような「何か」は異形から視線を逸らし、走り去った少女の背中を見つめていた。
「生きて、夢を叶えて……」
ミミは親友の言葉を繰り返す。何度も、何度も。ミミの瞳には、強い光が宿っていた。
「そうだ……私は、魔術師になるんだ!生きて、夢を叶るんだッ!サキと一緒にッ!」
「ミミちゃん……」
……どうやら、魔術結界に入りそびれた人間はいなくなったようだ。その証拠に、次から次へと異形がミミの下へ集まってくる。ミミの走る速度が少し速くなる。前方から走ってくる異形を見るや右折。小さな用水路を見るや走り幅跳びの要領で飛び越える。動きに迷いが無かった。大きな川を越え、景色は住宅街から高層ビル街へと変貌していく。
「あっ……」
正面に異形を見つけ、即座に左折したミミは急ブレーキし、左右を見渡す。正面には高く聳え立つビルの壁。左右にもビルの壁。人が通れるような隙間など無かった。ただ一つ、ビルの上へと続く雨樋が一本。背後を見ると、異形がすぐ近くまで迫ってきていた。
「どうするの?ミミちゃん!」
「サキ、しっかり掴まってよッ!!」
ミミは気合を入れると、雨樋に手をひっかけ飛び上がる。それとほぼ同時にミミを狙う異形が次々とビルの外壁に衝突していく。
「ええっ!?」
幸いか、2人分の力がかかっていても雨樋は壊れることなく2人を支えていた。雨樋は5階建てビルの屋上まで続いており、それをミミはするすると上っていく。ついに屋上まで登り切ったミミはサキを降ろししゃがみ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
登ってきた下を見る。袋小路になっていた場所は、異形が激突し飛び散った液体で赤黒く染まっていた。激突しなかった異形は頭を振り、辺りを見渡す仕草をしている。どうやらミミを見失ったようだ。周囲に異形の気配は無い。ブロック塀は超えられても、この高さまでは登ってこないようだ。
「ありがとう……ミミちゃん」
「いいって。その気になれば……人間、やれるもんだね……」
ミミがたどり着いたビルの屋上は、テニスコートより少し大きな程度の屋上で、貯水槽と空調設備の室外機が音を立てて動いているのみだった。非常階段が、ビルの反対側から伸びている。地上へはどうやらそこから降りれば良いようだ。
「……はぁ……ちょっと休憩……」
肩で息をしている状態で動くのは得策でない事はミミ自身もわかっているようだ。転落防止の金網に背中を預け、呼吸を整える。空を見上げれば、夕暮れ空から次第に夜空へと変わっていく途中であった。相変わらず、天に架かる輪は残っている。
「ここまで逃げれば……大丈夫でしょ……」
もう一度、頭を出し袋小路を見る。落ち着いてきたせいか、高い所を見て腹の奥が締め付けられる感覚が襲う。地上には、異形の姿はいなくなっていた。
ドチャッ。 バタッ。
「えっ……?」
液体を含んだ物質が落ちる音と同時に、隣にいた筈のサキが地面に倒れる音が、静かな屋上に響く。振り向くと、そこには大量の異形がミミを見つめていた。
『『ケケケケケケケケケケケ!!!!』』
ミミは咄嗟に後ずさるが、転落防止の金網にぶつかる。サキの身体にはいくつもの異形の足が突き刺さっており、既に瞳には生気が無かった。
「ミ……ミ……ちゃ……」
「サキッ!!」
足が引き抜かれると同時に、サキの身体は灰のように風に消える。半円を描くように隙間なく異形が並ぶ。この置かれた状況下。ミミの瞳には先程までの強い光は宿っていなかった。
『ケケケ……イ……イキ……イキノコリ……ミツケタ!!』
異形が初めてミミにもわかる言葉を発する。先頭の異形が勢いよく足を伸ばす。それに倣って周りの異形も足を伸ばす。
「ここまで……なの?」
金網に体重をかけ、下がれるだけ下がろうとするが、体に金網が食い込むばかりで距離は変わらない。あと数センチ……
……ミミの身体に、異形の足が触れる事は無かった。代わりに上空から爆音と共に何かがビルの屋上へ落ちてきた。異形はその衝撃で吹き飛ばされ、ミミはその音で尻もちをついた。
土煙が晴れる。ミミが見上げると、落ちてきた何かが立ち上がる。見えたのは、背中の大きく開いたデザインの、深紅のドレスアーマーに身を包む人間の背中だった。遅れて落ちてきたマントが肩にかかり、風に靡く。そして特筆すべきは、傍らに突き刺さっていた「大剣」だった。巨大な鉄塊とも称せるその大剣は、突き刺さっている為全貌が見えないが、この時点で既に人間の背丈を超えている。鍔にあたる位置には小型のエンジンのようなものが付いており、断続的にボッ、ボッ、と白煙を吐いている。
「ミミ。遅くなってごめん」
声からするに人間は若い大人の女性だ。バイザーで上半分が隠れている顔だけを向け、ミミを確認する。
「……あなたは?」
ミミの問いかけに、人間は小さく微笑む。大剣を掴み、頑丈そうなヒールで刃を蹴る。深く突き刺さっていた大剣が軽く半円を描くように抜け、大剣をまるでバトンのように回し、構える。吹き飛ばされた異形が体勢を整え、走り寄ってくる。
1体の異形が飛び掛かる。それを大剣の柄を突き刺す事で止め、鍔元の握りを引く。すると鍔のエンジンが駆動し、剣と体ごと大きく回転し一閃。異形は真っ二つに切れ、辺りに赤黒い液体が飛び散った。続いて2体の異形が飛び掛かる。人間は小さく口を動かし、赤い光を放つ。その光は炎と化し、異形を焦がした。
次から次へと、異形をなぎ倒していく人間の姿を見て、ミミは呆けた顔で呟いた。
「魔法……剣士……?」