更新される時
世界は常にバランスを保っている。
ピチャ、ピチャと、水滴が落ち跳ねる音がする。おぼろげに見える繊弱な光が、目の前を横切る。僕は自らの居場所も分からぬ暗闇で目を覚ました。上半身だけをおこし、首だけを振り周りを確認すると、そこは湿り気に満ちた岩窟のようだった。服は擦り切れて間という間から体の熱がこぼれ落ちる。まだ目と感覚からの情報でしか状況を確認していない時、その脆弱な光をコントラストで強靭に思わせるかのような漆黒の影が目に飛び込んだ。そしてその輪郭をはっきりさせるため、僕は眉毛を重くしピントを合わせた。しばらくし、薄紙をはぐようにその輪郭が姿を現し、全体像が目に写る。僕は瞬時にその影が何者だったのか把握した。実はその影というのは、強靭で屈強なルックスをもつ大男だったのだ。僕は彼の横顔の表情からしても間違いなく毅然たる人格だと確信した。人を見た目だけで判断するのはいけないことだと、常に自分に言い聞かせてきたこの身からすると、この推察は違っていたのかもしれない。
大男は、僕に近づいて来る。大男は僕に近づき更に大きくなるたびに、僕の鼓動も大きくなった。二人の距離が1メートル弱の地点で大男は止まり、強力な眼力で僕を見つめる。その眼差しの強さときたら、例えようがないほどに強く、酷いものだった。彼はゆっくりと口を横に開き、「よくやった。目的はすぐそこだ」と、その見た目からは想像もできないほどの懐の深い声で言った。僕は、なんのことかさっぱりわからなかった。なぜかというと、不思議なことに目を覚ます前の記憶がないからだ。「さ、行こ。」隣の見知らぬ美しい女性が僕に言う。年は19歳ほどだろうか。いつからいたのだ?聞きたいことだらけだったが、追撃された僕は混乱していた。美しい女性は、急がないと時間がないと大男に語りかけ、大男はまた反応し、理想的なコミュニケーションをとっている。理想というくらいだから、もちろん僕は二人の関係に入り込んでいない。しかし、今までずっと一緒にいたかのような安心感に包まれていた。
一通り話が尽きたのか、二人は僕を連れて走り出す。気づけば二人の思うがままに僕は走らされていた。ここで驚いたのは、僕たち三人の後ろから僕らと同じような擦り切れた服を見に纏った大衆が追いかけてきているということだ。あまりに論を俟だないことを質問すると、二人しかいない信用してくれているであろう人間が、一人もいなくなってしまうのではないかと怖くなったので、察することにした。顔立ちとその汚れからしておそらく仲間だろう。そう感じ取ったぼくは少し安心したが、皆揃って何かから逃げていることは間違いなかった。
足場の悪い、「道」とは決して言えない通路をしばらく走っていくたび、繊弱な光は強まっていく。強まる光さ大男の顔にあたり溢れる。溢れた光の水滴を浴びた隣の女性は、より一層美しく希望に満ちていく。この一定のリズムを繰り返し、ついに頂上と思わしき巨穴にたどり着いた。「見えたぞ。」大男が嬉しさを隠せないのか大きめの声で言う。声が完全に大きくないところから、僕は迷いを感じた。なんだかんだで巨穴を抜けると、そこには人工的な商店街が広がっていた。商店街は夕日に照らされ、穴はその商店街の曲がり角の部分だった。僕らと大衆は一人一人、扇型に散らばっていった。大男とはそこで手を交わし別れ、僕は美しい女性と二人で走った。遠くへ、ひたすら遠くへ走った。商店街から少し外れた公園で僕はら足を止めた。そこで「何か」に見つからないように二人でうつ伏せの状態になった。不思議なことに、二人とも全く息が上がっていなかったのだ。しかし、周囲はもう暗くなり始めていた。二つの外灯の光が地面を丸く照らし、その円と円とが重なり合う。僕は女性に「ほら見て。重なってる」と言った。女性は「ほんとだ」と微笑んで一言。すかさず僕は「なんでそんなに落ち着いてるの?」と尋ねる。女性は、僕を見て、まるで僕を包み込むかのように「今まで強がってたでしょ」と言った。「え?」と心の片隅で思った時、体が地面を透けて落ち始めた。「待って」と言う余裕もない。何から言えばいいのか整理がつかないまま、どんどん落ちてゆく。女性は僕を見つめ、微笑んで、「必ず、待ってるから」と呟いた。何故だか僕の目からは涙が溢れ出した。「嫌だ嫌だ、もっと」と強く願えば願うほど体は落ち、女性が見えないところまで落ちた。途端、一枚の屋根を透けて、懐かしいカタにピタッとはまる。そしてカタを被って、ビクッと、体がはねた。ジャーキングだ。「夢?あれは夢だったのか?」半分寝て半分起きていた脳が全力で考える。今ならもう一度眠れば、女性に会えるかもしれない。全集中力を消費するも、焦って寝れない。女性に形はなく輪郭もはっきりしないのに、何故これほどにも会いたいのか、初めての感覚だった。
しばらくし眠りにつくも、あの女性には会えなかった。会えないなら、せめて忘れることはないようにしようと心に誓うも、日が経つごとに記憶とイメージがかけてゆく。例えると、記憶という純粋な液体に、退屈で非道な日々という水を混ぜ、薄めていくようだった。寂しさも共に忘れてしまうほど虚しく、ただ無力感に苛まれた。明日の夜はまた違う人々と出会い、別れてゆく。寂しくもそうして僕は今日という日まで歩きてきたのだ。そして、時計の長針が一歩一歩歩むごとに女性の顔は、紅葉が散るように消えていった。あの夢が僕に何を伝えたかったのか、それは体験する人によって答えが変わるに違いないため、これといった答えはない。そんなことを考えているうちに、夜が来た。もしかするとという期待と共に、その期待通りにならないという不安が膨らんだ。次にあったらまず何を話そう。同じ考えを堂々巡りしているうちに、僕は眠りについた。気づくと僕は、見知らぬ島の上で目を覚ました。その時当然僕は昨日の夢のことなど完全に忘れていた。
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