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神様と少女  作者: 十八番
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六日目

六日目


 夜が明けた。静枝が牢で過ごす最後の日になった。

 今までのように、静枝の食事が用意されている集会場へ向かう。最終日だからと言って、親父も同行していた。道中、親父は黙ったままだった。あるいは一昨日の口論が今更になって気がかりになったのかもしれない。

 それが単なる杞憂で終わらないことは自分が一番よく知っているので少し気まずい。

 これから静枝にしたのと同じことを村人と親父にしなければならない。

 親父は神様を直に見たことがある。

 果たしてうまくいくだろうか。


 集会場には村人たち全員が集まっていた。用意された食事はいつもより多く、予定になかったものが含まれている。

 やはり村人たちも最終日ということで、首尾が気になっているらしい。村人たちの表情からは心配よりも期待が多く含まれているような気がする。

 運よく条件が揃っていた。

 村人から食事を手渡しされた。

 俺はその食料を地面に叩き付けた。

 村人たちは俺の突然の暴走についていけずに呆然としている。最初に動き出したのは親父だった。

「巫女に捧げる食事になんてことをするんだ」

「もうたくさんだ」

 俺はなるべくどすを利かせた声で言った。

「なんだと……」

「もうたくさんだと言ったんだ」

 今度はできる限りの大きな声で叫んだ。

 ここでは迫力と勢いが必要になる。神様の存在をじかに見たことがある親父を騙すことは、はっきり言って不可能だ。目的を達成するには場の流れを味方につける必要がある。野盗の恫喝のようだが、声の大きさが肝心だ。

「こんなことは馬鹿げている。静枝を犠牲にして村を救うなんて」

 次は低い声で、ただしどすを利かせるのではなく絞り出すような響きで悲壮感を出す。緩急をつけて、こちらの勢いに巻き込む演出だ。

 集まってきた村人たちは村長の息子の言葉を素通りできない。俺と静枝との関係を知っていればなおさらだ。

 狙い通り、先ほどまで呆けているだけだった村人たちは俺に同情するような表情をしている。

 村人たちの感情は俺に呑まれている。場の流れを制御することには成功したようだ。

「桂太郎、落ち着きなさい。これが村を救うために必要だということはお前も納得していたはずだ」

「そうだ――本当にそれで村が救えるならな」

「な、なにを……」

 俺は本題を切り出した。俺をたしなめようとしていた親父は突然の展開についていけず口ごもった。俺の勢いに呑まれていた村人たちのほうが、俺がこれから言おうとしていることをより早く推理する。

「本当に馬鹿な話だ。いもしない神様に生贄を出すんだからな」

「どうしたんだ? お前はなにを言っているんだ?」

 親父は明らかにうろたえていた。親父から見れば、息子が突然わけのわからない、虚言を口にしたのだから当然の反応だろう。

 しかし、事前に不審を植え付けられていた村人には親父が図星を指されたから慌てているように見えるはずだ。

「神様なんていないんだ。全部、嘘っぱちだ」

「落ち着け、桂太郎。一体、どうしてしまったんだ?」

 親父はうろたえるだけだった。俺が幼馴染である静枝が死んでしまうことで、おかしくなったとでも思っているのだろう。周囲の状況に目が向いていない。ここには村人のほぼ全員が揃っている。俺が生まれる前に家族を生贄に出されたものもいる。

「村長、これは一体どういうことですか?」

 親父と同じくらいの年齢の男が叫んだ。

 年齢的に静枝より前の儀式を経験しているはずだ。どんなに唐突でも神様がいないという情報は捨て置けないのだろう。

 他にも同じ世代の村人が親父に詰め寄る。残りの村人たちも各々、言い合いを始めた。ざわめきは次第に大きくなる。しかし、村人たちは、自分では結論を出せない。言い合いの熱量は俺と親父へと向かっていく。

 村人たちの視線が集まってくる。俺はうつむいて視線を切った。話はもう終わりだと言外に表すように誰とも目を合わせずに出口へ向かう。

「待て。おい、お前たち道を開けなさい」

 親父が俺を捕まえようとしてくるが、村人たちに阻まれて追いかけてこれない。この流れなら、俺が秘密主義の上役に『言ってくれた』ように見えるはずだ。村人は俺の神様を否定する発言の真偽を親父に問い詰めるだろう。

 俺はうまく集会場から抜け出すことができた。

 まだやることが残っているので、ここで足止めされるわけにはいかない。


 親父が集会場で足止めを食らっている間に家に戻った。ここで調達しなければならないものがあるからだ。

 土間に放置されていた槍と小太刀を手に取った。イノシシを狩ったときに使ったものだ。鞘から抜いて、刀身の具合を確かめる。しばらく放置していたが欠けてもいないし、錆びてもいない。

「そういえば、あれからまだ六日も経っていないのか」

 随分、時間が経ったような気がしていた。長い間使っていなかった気がしたので武器の調子が心配だったが、実際にはたいした時間は経過していない。

 小太刀を腰に差し、槍を手に持つ。他にも使えそうなものがないかと探してみると、生贄を選ぶときに使った弓矢を見つけた。弓のほうは戦で使うものと変わらないので問題ないだろうが、矢のほうはどうだろうか。儀式用の装飾が施されているので、実戦には使いづらいかもしれない。

「刺さりはするか」

 無いよりはマシと判断して持っていくことにした。

 今、やっているのは戦う準備だ。

 俺はこれから神様を殺しに行く。

 親父と村人の討論は実際に神様を見てみよう、という結論に到達するだろう。静枝も、俺の言葉を信じようと信じまいと、神様が現れるのを待つだろう。

 だから、先回りをして神様を殺す。

 村長の息子という立場を利用しての発言と証拠を隠滅することで、神様の不在を信じさせる。

 静枝と村人の両方を救うにはこれしかない。

 神様をただ殺すだけでは村人は神様への依存から抜け出せない。死んでしまった神様に祈り続けて死んでしまう。

 神様は初めからいなかったと、数々の危機は人の手で乗り越えてきたのだと思わせたうえで殺さないと意味がない。

「あと必要なのは……」

 神様を呼び出すために必要な神具を持っていく必要がある。これは親父の部屋に保管されている。

 牢の鍵は持ち出せるようになっているのに、神具を補完する箱にはさすがに錠が掛けられていた。ここの鍵は親父が持ち歩いているはずだ。なによりも神様を大事とする意思表示であり、神事を行うことが村長の証になるからだ。俺さえも決して触れぬようにときつく言い含められていた。

 俺はそれほどまでに大事な箱に、ためらいなく小太刀を突き立てた。錠前の周りを何度も刺し、周りの木材ごとくり抜いた。

 中に入っているのは、スズランの花のようにいくつも連なった鈴と特別なお香だ。

 持ち上げると鈴が音を立てた。見咎められたような気がして、戸のほうへ振り向く。しかし、そこには誰もいない。

 必要なものだけを持って家を出た。


 村の中を山へ向かい走っていく。

 足を動かすたびに鈴が鳴る。音が大きいので、企みがばれるかもしれないと思ったが道中には誰もいなかった。まだ集会場に詰めているらしい。

 畑の前を通る。荒れ放題だった畑はすぐに種まきができるように整えられている。邪魔な石はきれいに取り除かれ、硬くなっていた土は乾ききってはいたが柔らかく耕されている。

 静枝を切り捨てただけで、朽ち果てようとしていた村はここまで回復した。たった一人を切り捨てるだけでここまでの成果があげられるなら、その決断は間違えではないのだろう。それでも静枝を切り捨てることは俺にはできない。

 村から山道の入り口にたどり着くまでは一度も振り向かなかった。山道の入り口で一度だけ振り向いた。ここからでも家が見える。狭い村だと思うのに、やけに遠く感じる。

 ここまで走ってきたせいで息が切れていた。深呼吸をして呼吸を整える。

「行くか……」

 山に入ると、不思議なことに急ぐ気持ちが無くなっていた。むしろ体力を温存するためにゆっくり歩くべきだと、自然に思うことができた。

 ゆっくり歩いても鈴はなる。鈴は俺の歩調に合わせて、一定の拍子で音を奏でていた。

 これから行うことの結果がどうなったとしても、この山を登るのは今日が最後だ。なにかしらの感慨があるべきだと思うが、心は凪いでいた。ずっと信じていた神様に戦いを挑むのだから、焦りや恐怖があるのは当然なのだから、あるいは鈴の音が気分を落ち着かせるだけなのかもしれない。

 牢へ向かう道と、祈祷を行う祠へ向かう道との分岐点にたどり着いた。祠へ向かう道に入った。鈴は変わらない拍子で音を出している。


 山の頂上にたどり着いた。頂上には木々を切り開いて作った広場がある。広場の周囲は木々で覆われているので絶景とは言えないが、空を見上げると雲が少しだけ近い。

 広場の中心には石を組んで作られた祠がある。ここで神様を呼び出す祈祷をしなければならない。

 祠の前に進み出る。

 社殿にお香を備え、火をつけた。薄い煙が広がっていく。辺りに甘いにおいが立ち込めてきた。足元が浮ついた気分になってくる。

 次は鈴だ。一定の拍子で鈴を鳴らす。

全て親父の見様見真似だ。大筋の手順はあっているはずだが、細かい作法が間違っているかもしれない。

本当に神様を呼び出すことができるだろうか。

お香の臭いのせいだろう。頭がぼんやりして、時間の間隔が薄くなっていく。

鈴を持つ腕が重たくなってきたころ、強い風が吹いた。砂埃がたったので、目をつむった。目を開けた時、目の前に牛のように大きなオオカミがいた。

神様ではない。神様に遣える眷属というものだ。

やはり手順が間違っていたようだ。あるいは正式に就任した村長ではないからかもしれない。しかし、ここまで来て引き返すことはできない。

「さて、どうする……」

 神様を呼び出す方法を考えているうちに、槍を持っていることを思いだした。槍を持つ手に力が入る。

 俺は眷属の喉元に槍を突き立てた。

 眷属は傷口から血を噴き出して倒れた。その瞬間、何かがわきを走り抜けた。

 咄嗟に振り向く。牙と真っ赤な舌が見えた。眷属は一体ではなかった。仲間を殺されて、怒り狂ったもう一体の攻撃を屈んで躱す。

 眷属は社殿に激突した。その隙に槍を引き抜く。眷属が体勢を立て直す前に一撃を加えようと考えたが、側面からなにかがぶつかってきた。

 三体目だ。

 二体同時では勝ち目がない。俺は木々が生い茂っている方へ走った。視界の悪いところで逃げ回って、二体の眷属を引き離すつもりだ。

 一体はすぐに追ってきた。三体目のほうだ。眷属は体が大きすぎるせいか森の中ではあまり速く走れないようだ。

 思いのほか距離を稼ぐことができた。茂みに紛れて、姿を隠すことに成功した。

 木の上に登って、見つかるまでの時間を稼ぐ。眷属はオオカミの姿をしている。木に登ることは苦手なはずだ。

 息を整えていると、真下に眷属を見つけた。地面に鼻を擦りつけるようにして臭いをかいでいる。

 眷属が上を向いた。目があった。

 しかし、登ってはこれないはずと思いタカをくくっていたが、眷属が木に向かって体当たりをしてきた。牛ほどの大きさがあるオオカミだ。一度、ぶつかるたび、嵐に吹かれるように木が大きく揺れた。しがみついていないとあっさり振り落されてしまいそうだ。捕まり続けたとしても、木が倒れるかもしれない。

 その可能性に気付いたとき、思い切って飛び降りた。落下先は眷属の真上を狙う。

 落下の勢いを利用して、眷属の体に槍を突き刺すことができた。刺された眷属は絶命したらしく倒れたまま動かなくなった。

 その直後、枝が折れる音がした。最後の一体が向かってくる。槍を引き抜こうとしたが、深く刺さり過ぎて抜けない。槍は放棄して、森の奥へ走った。


 眷属の足は速いが、障害物を利用すれば間合いを開けることができる。

 俺は弓を構えた。矢は生贄の選定に使う飾り矢が数本あるだけだ。

 眷属が木々をかき分けて姿を現す。俺は弓を放った。矢は飾りがついているせいでまっすぐには飛ばない。かすりもしなかった。

 眷属が迫ってくる。俺は二本目の矢を構えた。目標はすでに槍が届く距離まで来ている。確実に当たる距離だ。

矢を放った。

矢は眷属に命中する。しかし、矢は眷属の体に刺さりはしなかった。体毛と皮をわずかに削っただけだった。血を流しはしたが、包丁で指の先に切り傷を作った程度だ。

首筋を狙って眷属の牙が迫る。

「うおおおおおお」

 下がるしかできない。振り向く余裕もなく後ろ向きに走る。

 崖を踏み外した。おかげで牙から逃れることができた。全身を強く打ちつけたが、幸いにも人の背ほどの高さだったので大きなけがはない。

 追撃を警戒して眷属を探す。眷属も一緒に落ちてきたようですぐ側に見つかった。落下したことは眷属のほうも計算外だったようで、頭をぶつけたようだ。足元がふらついている。眷属が正体を取り戻す前に距離を開けた。

 残りの武器は小太刀と儀式用の弓矢だけだ。まだ神様が残っている。ここでは体重をかければ深く差し込める小太刀は使いたくない。眷属は威力の低い弓矢だけで倒したい。しかし、眷属相手でも弓矢では威力が足りな過ぎることは今のやりとりでわかった。

「そうなると次の手はあれしかない」

 インフエルから手に入れた力を使うしかない。

 できることなら神様と戦う時まで使いたくなかった。使用に制限があるわけではないが、どこかで神様が見ているかもしれないと考えていたからだ。幼いころからなにかあると神様が見ているぞ、と言われていたので習慣的にその考えに至った。しかし、考え直してみれば、本当に見られているなら、俺が仕込みを始めた時点で神様が妨害しているだろう。

 思い切って、使うことにする。

 俺は飾り矢の矢じりで腕に切り傷を作った。矢じりに血が付着する。

 眷属が体勢を立て直し動き出した。俺は血の付いた矢を構えた。

 こちらに向かって、突撃してくる眷属に向かい矢を放つ。

 先ほどと同じように矢は眷属の皮を削り、わずかな血を流させただけだった。

 しかし、それで十分なはずだ。そのはずだが、一度も試さなかったので本当に効果があるかどうかはわからない。

 眷属はまっすぐこちらに向かってくる。

 眷属の牙が俺の首筋に到達する。しかし、噛む力はなく、歯が当たっただけだった。

 軽く押してみると、眷属はあっさりと倒れた。口から血を流しながら、痙攣している。やがて痙攣は収まった。しかし、立ち上がる気配はない。

「倒せた。すごい威力だ」

 インフエルから授かったのは血液が猛毒になる力だ。扱いには気をつけろと言われていたが、かすっただけであんなに大きなものを殺せるとは思わなかった。

 いける。これならば神様を倒せる。

 手に入れた成果を目の当たりにして、気持ちが大きくなってきた。

 しかし、肝心の神様が現れない。眷属に害を加えれば、怒り狂って姿を見せると思っていたがその兆候はない。

 一度、祠に戻ろう。

 無駄かもしれないが、他に手掛かりはない。


 祠に向かい一歩踏み出した時だった。

 急に霧が立ち込めてきた。周りの木々も葉がすべて落ちて、枯れ木になっている。山の斜面もなくなり、平地になっている、

 明らかに別の場所に移動していた。この感覚は前にも覚えがある。インフエルが現れた泉に入り込んだ時も、自覚のない間に移動していた。

 インフエル以外にもこのような現象に関わりがあるのは神様しか思いつかない。

「……いる。このどこかに神様がいる」

 それを自覚した時、心臓を掴まれたような気持がした。

 霧の向こうに濃密な気配を感じる。姿を見なくても、そこにいることがわかる強すぎる存在感。その全てが俺を押しつぶそうとしている。眷属たちを殺された怒りをぶつけている。

 前方の一部だけ霧が晴れた。その中心に神様がいた。家ほどの大きさがあるオオカミ。その巨体が動くたび、道を開けるように霧が晴れる。

 神様はゆっくりと歩いている。太鼓をたたくような音が聞こえる。神様の足音ではない。見上げるほどの巨体なのにまったく足音を立てていない。音を立てているのは俺の心臓だ。全身の細胞が警戒信号を上げている。

 大きく深呼吸。まずは落ち着かなければなにもできない。眷属だって倒せたんだ。

 脈と呼吸が整った。

「よし、やるぞ」

 弓に矢を添える。神様もこちらの交戦の意思を読み取った。四肢を突っ張り、飛びかかる体勢に入る。

 弓を引く。

「―――――――ッ」

 神様が吠えた。それだけで気勢がそがれた。神様の咆哮は実際に威力のある攻撃のように衝撃的だった。大気どころか、地面まで揺れているような気がする。

 気圧されて、無意識に一歩下がった。

 それが功を奏した。下がった瞬間になにかが目の前を横切った。神様の前足だ。

 外れたはずなのに体中に細かい傷が無数に出来ていた。爪の先がかすったのかと思ったが違うらしい。神様の爪は小太刀よりもはるかに太く刃渡りがある。かすっただけでも、この程度では済まない。

「なにに切られたんだ?」

 神様の前足の体毛に血が付いていることに気が付いた。

「まさかあれで……」

 神様の体毛はヤマアラシのそれのように触れるだけで相手を傷つけられる。

 血の気が引く思いがした。あまりにも圧倒的すぎる。体が大きいだけでも厄介なのに体毛さえも武器になる。それに対してこちらの武装は威力の足りない弓矢と小太刀のみ。

「距離を取らないと」

 こちらが勝っているのは弓矢による間合いの広さだけだ。離れないと勝ち目はない。

 そう思って、神様に背を向けて走り出した。しかし、それは失敗だった。

 背後で雷が落ちたような轟音。

続いて、突風。背中に小さくて固いものが無数に当たる。

風に煽られて、地面を転がる。

振り返ると地面に穴が開いていた。先ほどの鍋に火薬を詰め込んでまるごと爆発させたような衝撃は、神様が前足で地面を蹴っただけだった。背中に当たったものは蹴り上げた小石と土の塊だ。

神様が前足を二度振っただけなのに全身傷だらけにされてしまった。

「くっそおおおおお」

 折れそうな気持をたき付けるために大声で叫びながら、弓を引いた。反撃しなければ始まらない。

 神様に捧げる生贄を選ぶための飾り矢を神様に向かって放つ。

 じっくり狙いをつける時間もなかったが、神様の巨体相手には外しようもない。

矢は命中する。

しかし、体毛に弾かれてかすり傷も付かない。神様の体毛は人間の皮を裂くほどの武器になるだけではなく、鎧にもなるようだ。

これでは矢にインフエルから手に入れた毒の血を塗ったところで無意味だ。小太刀で切り付けたところで、矢と同じように弾かれるだけだろう。

「あの女……」

 神様はもう一度、前足で地面を蹴った。再び、爆風で吹き飛ばされる。

 神様が鼻から息をふく。お前など触れなくても殺せると言っているようだ。実際、殺されそうだった。

 近づいたら間違いなく即死だろう。毒を神様の体内に流す方法を考えなければならない。

 神様を観察する。普通の矢よりも威力の劣る飾り矢が刺さりそうな場所を探す。

 見つけた。目玉だ。

 いかに巨体とは言え、姿形は普通のオオカミと同じだ。一番脆いのは目玉だろう。オオカミの目に狙って矢を撃ちこむのは至難の業だ。しかし、神様は家よりも大きいだけに目玉もそれなりの大きさだ。きっとできるはずだ。

 俺は弓を構えようとする。しかし、弓は真っ二つに折れて、弦だけで繋がっていた。

「なにが神様を殺せる力だ。せめて飛び道具よこせよ」

 どこにいるかもわからないインフエルに罵声を浴びせながら小太刀を抜いた。腰だめに構えて、神様に向かって突撃した。勝算のない、単なるやけくそだった。

 神様は虫を追い払うような仕草で、俺を薙ぎ払った。

 木の葉のように宙を舞った俺は枯れ木に激突して地面に落ちた。

 死ぬ。死んでしまう。

 意識が遠くなってきた。

 走馬灯というものだろうか。ぼんやりとした頭の中から静枝の顔が浮かんできた。

 ここで負けたら、俺の企みは失敗する。親父は村人に実際に神様の姿を見せることで、その存在を証明する。そして、儀式を続行するだろう。静枝はこの大きなオオカミに食われてしまう。

 食われて――

「ああ、その手があったか」

 枯れ木を背もたれにしてゆっくり立ち上がった。

 神様がこちらに向かってくる。その歩みはゆったりとしたものだった。余裕を見せることで力の差を示している。

 その間に、考える。思いつきを成功させるには、爪ではなく牙を使わせる必要がある。今までの戦いからすると爪を、前足を使ってくる可能性が高い。確実に牙を使わせるには爪の届かないところから攻撃して反撃させる必要がある。

 上に行くしかない。

 俺は背もたれにしていた木の枝に手をかけた。それだけで全身に激痛が走る。あちこち打撲と切り傷だらけで、体がバラバラになってしまいそうだ。

 体調が完璧だったときの倍以上の時間をかけて、木を登っていく。

 それほどまでにゆっくりした動きだったのに神様は襲ってこない。相変わらず、ゆったりした動きで追いかけてくる。神様にしてみれば、木の一本や二本くらい簡単にへし折れるだろうから焦ることもないだろう。むしろ、憎い相手が無様で無駄な足掻きをしている姿を見て溜飲を下げているかもしれない。

 木の天辺にたどり着いた。見下ろしてみると神様と目があった。

「ここから見るとただの犬っころと変わらないな」

 強がりを口にしてみたが、内心の振るえは止まらなかった。位置的に上を取ったところで、神様の威圧感は変わらない。木を登り始めたときには必勝の策を思いついたつもりでいたが、今は失敗の可能性が恐ろしくて敵わない。

 でも、やり通さなければならない。俺が逃げても、失敗しても静枝は死ぬ。

 躊躇っているうちに、神様が木の元までたどり着いた。神様は木に体をぶつけた。

 傾く。

 俺は落下する前に神様の頭の上を狙って飛び降りた。

「うあああああ」

 神様が口を開けた。

 狙い通りだ。姿形はオオカミなのだし、上から落ちてくる敵を前足で払ったりはしない。このまま食いついてくるはずだ。

 神様の牙が見える。

 どう見たって、人間くらいなら一撃で殺せる大きさ。鉄格子でも噛み切れそうだ。

 神様の鼻息を感じた。牙はすぐそこだ。

 次の瞬間、俺の意識は闇に呑まれた。


***


 静枝は今日も桂太郎を待っていた。

 昨日の発言の真意やこれから桂太郎がどうするつもりなのか。静枝には突然すぎて未だに考えが追いつかない。

 いずれにしても牢の中の静枝は待つしかできない。

 牢の中から洞穴の入り口を見る。そろそろ桂太郎が食事を運んできてくれる時間だ。静枝は六日の間に、わずかに入ってくる日差しを見るだけで時間の判断ができるようになっていた。

 昨日の桂太郎の言動はおかしかったとは思う。しかし、言うだけ言って、そのまま逃げだすような無責任な真似だけはしないだろう。

 そう思えるくらい静枝は桂太郎を信頼していた。

「遅いですね……」

 格子のほうへ寄ってみた。ほんの二、三歩だが、奥でじっとしているのは落ち着かない。

 前に出て見ると、牢の外側、格子の間から手を伸ばせば届く距離に何かが落ちていることに気が付いた。気になったので拾ってみると、それは鍵だった。それも桂太郎が牢を開けるときに使っていたものだ。

「どうしてこんなものが?」

 責任感の強い桂太郎が大事な鍵をうっかり落としていったとは思えない。わざと置いて行ったのだと思った。

 その理由を考えてみる。とても悪い予感がした。

 静枝は手探りで鍵穴を探し、鍵を差し込んだ。牢が開いた。

 駆け足で山を下る。近頃ほとんど歩いていなかった上に山歩きの格好ではないので、全力を出してもあまり速くならないし疲労もたまる。あっという間に足が重たくなる。

 それでも静枝は足を止めない。

 自分が入っていた牢へ行く道と村長が祈祷を行うという祠へ行く道の分岐点にたどり着いた。

 静枝の目的は桂太郎に会いに行くことだ。できることなら村へ探しに行きたい。しかし、他の村人に見つかってしまえば、牢に戻されるだけだ。桂太郎は神様関係でなにかを計画している。山にいる可能性も高い。だったら、先に祠のほうへ行ってみた方がいい。

 静枝は祠のほうへ進んだ。


 弱った足で山を登るのは予想以上に辛かった。しかし、静枝も幼いころは桂太郎と山を駆けまわった経験がある。何度も膝をつきはしたが無事に祠へたどり着くことができた。

「この匂いは?」

 甘いにおいがする。祠の社殿に消し炭が残っている。誰かがここでお香を焚いていたはずだ。心当たりは一人しかいない。

「桂太郎様」

 他に桂太郎の痕跡がないか探してみると、牛ほどの大きさがあるオオカミを見つけた。

 通常ではありえない大きさの猛獣を見て身がすくむ。しかし、オオカミは身じろぎもしない。

 様子を見ようと思い、近づいてみるとオオカミは首の辺りから大量の血を流していた。お香を焚いた誰かはここでこの巨大なオオカミを倒した。村の中でそれができるのも一人しかいない。

 やはり桂太郎はここに来たらしい。

「桂太郎様はどこへ?」

 祠の周囲に桂太郎はいない。オオカミを倒してからさらにどこかへ移動したらしい。静枝はその痕跡を探す。

 周囲の茂みの一部に、枝が折れていたり、葉が落ちている箇所があった。生き物が通過した後だ。大きさから考えると、通ったのは人間が一人と倒れているオオカミと同じくらいの体格をしたものが二匹だ。

 静枝は人が移動した痕跡を追った。

 折れた小枝や踏み倒された雑草を探して山の中を進む。山歩きの間に自然と身に着いた技術だったが、役に立つ時が来るとは静枝自身も思っていなかった。

 しばらくすると痕跡が途絶えた。目の前には足場に出来る枝が多い上りやすそうな木がある。

 静枝は桂太郎が祠で倒れていたオオカミと同じものに追いかけられ、木の上に避難したのだと推理した。

 木の上を見上げてみるが桂太郎の姿はない。

 桂太郎の痕跡を探して、木の周囲を回る。すると反対側に、腹に槍が突き刺さったままのオオカミを見つけた。このオオカミも牛のように大きい。

 桂太郎は追いかけてきたオオカミを首尾よく仕留めたらしい。

「一体何が起こっているのですか?」

 槍まで持ち出しているということは偶発的にオオカミと遭遇して戦うことになったわけではないだろう。それ以前にこの巨大なオオカミが尋常な生物ではないことくらいは静枝にもわかっている。

「まさか、これが神様」

 村の神様がオオカミの姿をしているという話は聞いていたので、巨大なオオカミが神様であるという発想は自然に出てきた。しかし、複数体いるのなら神様そのものではないと思い直した。恐らく、神様に連なるものだろうと結論した。

 桂太郎は神様と事を構えている。

「……だとするなら、神様は存在する」

 一層桂太郎と会わなければならなくなった。前日の言葉の真意を聞かなければならない。

 静枝はさらに山奥へ向かう痕跡を見つける。


 木々が濃くなってくる。痕跡は見つけやすくなったが、歩きづらくもなった。

 静枝は三体目のオオカミを見つけた。

 他の二匹と違い目立った外傷は見つからない。口の周りが赤く汚れているので、流れている血は吐血したものだとわかった。静枝はオオカミに触れてみる。まだ体温が残っていた。桂太郎がオオカミを倒してから、長い時間は経っていないようだ。

 しかし、桂太郎の姿は見当たらない。今までと同じように移動した痕跡を探してみるが、それも見当たらない。

 自分の痕跡をたどってまっすぐ引き返したのなら、途中で出くわしているはずだ。

 桂太郎はここで突然消えてしまった。

「どこに……どこに行ってしまったんですか」

 静枝に呼びかけに答えるものは居ない。静枝は少しの間その場に立ち尽くしていたが、引き返すことにした。


 祠に戻る途中、自分以外の誰かが山を登っていることに気が付いた。

 大勢の話声がする。聞き覚えのある声であったので、声の主が村人たちであることがわかった。

 静枝は山道から外れた茂みの中にいるので村人たちは静枝に気付いていない。

 静枝は村人たちの前に姿を現さずに、森の深い方へ身を隠した。自分が牢の外をうろついていることが知られれば、桂太郎の立場が悪くなると思ったからだ。

「戻らないと……ああ、その前にオオカミを隠さないと」

 桂太郎がなにをしているかはわからないが、神様に繋がるものを殺したのが露見すれば悪く思われるのは目に見えている。

 静枝は大急ぎで祠へ走った。


 静枝は村人たちより早く祠へ戻ることができた。

 倒れたオオカミの体を持ち上げようとするが、女手で持ち上がるわけがない。全力で踏ん張れば、引きずることだけはできた。

 引きずるだけでも腕が抜けそうな重さだったが、村人にこれを見せまいとする一心で茂みの中に引きずり込んだ。

 その後、血の跡に砂をかけた。

 かなり雑だが、戦闘の痕跡を消すことができた。

 村人たちの声が聞こえた。静枝は再び茂みに身を隠した。


***


 目の前には乾いた地面が広がっていた。

「神様はどうなった?」

 呟いてから、ハッとした。

 神様の口の中に飛び込んで、直接毒を流し込むつもりが地面に倒れている。作戦は失敗したようだ。

 神様の追撃が来る。すぐに立ち上がらなければならない。

 右手をついて上半身を持ち上げようと思ったが、体が持ち上がらない。落ちたひょうしに怪我をしたのだと思い左手で右手の様子を確かめようとしたが、左手は右手を見つけられなかった。

「あれ?」

 首を動かして、肩の先を見てみる。

 右手は見つからなかった。肩から先がごっそりなくなっていた。

「うわあああ。うでが、うでが……」

 右腕を探して、視線を彷徨わせた。

 視界に巨大なオオカミが映る。

「腕だけを持って行かれたのか」

 右腕の喪失が、自分の企みの結果だと気付き冷静さを取り戻せた。

 神様は未だ四本の足で立っている。

 どれくらいの間、気絶していたのかはわからないが、眷属に対して毒を使ったときはすぐに効果が出た。それなのに神様はまだ立っている。体ごと飛び込もうとしたのは、体の大きな神様に対して致死量がどれくらいなのかわからなかったからだ。腕一本持っていかれたら、もう一度神様の口に毒を押し込む体力は残らない。だから、最初の一回で全部を放り込みたかった。

 神様が動き出した。

 こちらが意識を取り戻したことに気付いたらしい。一歩踏み出してくる。

「……ダメか」

 死ななかったとしても、俺の体の中に毒が仕込まれていることは理解したはずだ。止めを刺すときや、止めを刺した後に俺の肉を食うような愚はおかないはずだ。

「なんとかしないと」

 次の一手を考えなければならないが、考えがまとまらない。右肩の傷は不思議と痛まない。怪我が大きすぎて麻痺しているのだろう。しかし、出血が多すぎて、頭がろくに働かない。意識を繋ぎとめておくだけで精一杯だ。

 神様が近づいてくる。目がかすんできたが、その巨体を見失うはずもない。

 失敗した。殺される。

 もう手が浮かばない。こうなってしまったら、せめて親父がうまく神様の機嫌をとって、村が助かることを祈るしかない。

「すまない……すまない……」

 誰に対する謝意なのか自分でもはっきりしなかった。ただただ申し訳ないという気持ちがあふれていた。

 視界が暗くなる。いよいよ神様がすぐそこに迫ってきた。間もなく爪を振り下ろされ止めを刺されるだろう。

 覚悟して目を閉じる。

 しかし、硬い爪の一撃はやってこない。生暖かい水滴が落ちてきた。目を開けると神様が口から血を垂らしていた。俺の腕を食いちぎった時の血ではない。血は次から次へと滲み出してくる。

「――――」

 神様がせき込んだ。それと同時に、人間の大きさから見れば、滝のような勢いで吐血した。

「はっ……はははははは」

 狂ったように笑いが後から後からあふれてきた。

 声が擦り切れるまで笑い続けた。


***


 村長は村人たちを引き連れて、祠のある広場まで来ていた。その手にはお香のみが握られている。

 息子の放言により、混乱に陥った村人を落ち着かせるには、神様の姿を実際に見せると言うしかなかった。伝統では神様に会いに行くときは村長とその血縁の男子のみとなっていたが、村人に暴動でも起こされたら命の危険がある。こうするより他になかった。


 村長は神様を呼び出すための道具、鈴とお香を取りに行くために一度屋敷に戻った。

 その時、真っ先に目についたのは鈴とお香を入れた箱が破壊されていることだった。

「これは一体……」

 盗人でも入ったのかと思い、他に無くなったものがないかと部屋の中を確かめてみる。

巫女を閉じ込めておくための檻の扉を開け閉めする鍵がなくなっていることに気が付いた。

「まさか桂太郎が持ち出したのか」

 この時まで、村長は箱を壊した犯人が桂太郎だと考えもしなかった。村長は、今でも自分の息子は神様と村の仕事に忠実なものだと思っていた。前日のやり取りがなければ、静枝の牢の鍵が無くなっていなければ、本当に泥棒の仕業だと結論していただろう。

 だが、状況は桂太郎が行動を起こしたことを示していた。

「しかし、なぜなのだ、桂太郎?」

 鍵で静枝を連れ出して、鈴は逃亡資金にでもするつもりなのだろうか。それならば、なぜ集会場でわざわざ目立つ行動をしたのか。

 村長から見た息子の行動はちぐはぐで、まったく意図の読めないものだった。

「いつまで待たせるんだ」

 外から村人の叫び声が聞こえた。静枝の前に生贄になった少女の関係者だった男だ。

 いつまでも考えてばかりはいられない。鈴なしでは正式な儀式にならないが、祠に行きできる限りのことをしてみよう。眷属くらいなら呼び出せるかもしれない。

「待たせたな」

 村人の前では常に堂々としていなければならない。前代の村長から教えられたことだった。

村長はどんな時でも、村のしきたりと神様に忠実であった。


村長は村人を引き連れて、祠までたどり着いた。

しきたりを考えれば、この時点でも異例づくしだ。村長は大きな精神的な負担を感じていた。

だが、祠に着いた村長はさらに驚きで目を見開く。

社殿の前に鈴が落ちている。お香を焚いた後もあり、誰かが、恐らくは桂太郎が神様を呼び出す祈祷を行ったのは明らかだ。

その結果がどうなったのか。村長は祠の様子からそれを推理することはできなかった。

村長が動揺していることが伝わったのか、村人たちがざわめきだした。

村長は村人たちの騒ぎが大きくならないうちに行動を始める。鈴はここにあるのだから、しきたりどおりに祈祷をささげればいい。

社殿でお香を焚き、鈴を振る。頭がしびれるような甘いにおいが立ち込めて、村長の鳴らす鈴の音だけが辺りに響いていた。


静枝はその様子を付近の茂みから眺めていた。

すぐに牢へ戻ろうかとも考えたが、物音を立てると村人たちに気付かれてしまうかもしれないので、その場から動けずにいた。

鈴の音は一定の間隔で鳴り続けている。複数の鈴が連なって奏でる音は美しくはあった。しかし、心配事があるからか静枝には平たい音に聞こえた。村長の後ろで綺麗に整列しながら神妙な態度で聞き入っている村人たちの間には入っていけないと感じていた。


村長といえど、神様を実際に呼び出したことはほんの数度だ。祈祷を始めてから神様が現れるまでの時間は、お香のせいで感覚が曖昧だったが、その時々で違っていた。

しかし、今回はやけに長いと思っていた。鈴を持つ腕が重たくなってきた。額にはうっすらと汗がにじんでいる。

それほど長く祈祷を続けているが、神様は一向に現れない。

 村長は背中にも重みを感じていた。村人たちの間に不信感が漂っている。村人たちはひたすら鈴を鳴らす村長の背中をじっと見つめていた。その視線が村長への重圧になっていた。

 重圧を受けた村長は鈴をより強く鳴らす。今までよりも大きな音が鳴る。

 しかし、辺りの様子に変化はない。

「うう、あああ」

 村人の一人が泣き崩れた。村人の中でも信仰に厚いことで知られた女だった。神様がいないと思い失望を押さえられなかった。

 他の村人にも悲しみの表情を浮かべるものがあった。神様がいなければ、雨が降らず飢え死にしてしまう。その不安が村長への怒りではなく、現実への失望になったものたちだ。

 泣き声に雑音が混ざる。村長が鈴を取り落した音だ。鈴を握り続ける握力が無くなるくらい祈祷を続けても神様は現れなかった。

「なぜですか? なぜ姿を現してくれないのですか?」

 村長が社殿に向かって叫んだ。


 静枝は桂太郎が神様を殺したのだと思った。

 桂太郎が神様とつながりがあると思われる巨大なオオカミを殺して、今村長が祈祷を捧げてもなんの沙汰もないならそういうことになる。

 次に静枝が考えたのは桂太郎が神様を殺した理由についてだ。それも事前に神様は最初からいなかったと嘘をついて上で。

 もし自分を逃がすつもりだったのなら、桂太郎の行動は余計な危険を増やすだけだ。

 祠の前では村人たちが村長に詰め寄っていた。

 自分たちを騙して生贄を出させていた村長の責任を追及しているらしい。

 常識的に考えれば当然の行動に見えるが、静枝は村人たちに共感できなかった。自分たちに嘘をついていた人間に、自分自身がもう信用できないと判断した相手に、責任を求めて意味があるとは思えない。

 それに誰も自分で行動を起こそうとしない。

 いずれにしても、神様は助けてくれないのだ。疫病も干ばつも自分たちの力で乗り越えるしかないのに、村長でさえもまだ神様に頼ろうとしている。結局のところ、誰もが神様にすがって生きていた。すごく立派に思っていた、それこそ神様みたいに尊敬していた村長や村の大人たちがひどく子供じみて見えた。

「だったら、私が……」

 神様は死んでしまった。村長も当てにできない。桂太郎さえも姿を消してしまった。

 それならば、自分が皆を導こう。

 静枝は自然にその結論にたどり着いた。一度死ぬことを覚悟した少女に、その決断を下すことは難しいことではなかった。

 静枝は茂みをかき分けて進む。その最後の一歩を踏み出し村人たちの前に姿を現す直前、突然に理解できた。

 きっと桂太郎と同じところに立ったから。

 静枝はこの一歩を踏み出させることが桂太郎の目的だったのだと理解した。

「お気持ちしかと受け取りました」

 その時、静枝は幼いころ桂太郎と山歩きをした時のことを思いだしていた。

 あの時も桂太郎にひっぱられるまま、山に入ったら帰り道がわからなくなってしまった。結局、最後は静枝が自分たちの通った跡をたどる方法を思いつき村に戻ることができた。

しっかりしているようで、どこか抜けている。

 今回だって、桂太郎の意図が伝わったのは静枝だけだ。桂太郎は道筋さえ作れば皆着いて来てくれると思ったのだろうが、村人たちは踏み出そうともしていない。桂太郎は村人たちの強さを見誤っていた。全員が桂太郎と同じことができるわけではないのだ。

「変わりませんね」

 とても満たされた気分だった。

 桂太郎は戻ってこないかもしれない。それでも彼の残したものを伝えていこうと思う。少しずつでも、村人たちが自分の足で歩けるように。


***


 笑い声が枯れたころ、神様も血を吐きつくした。神様の体は痙攣を続けているので、まだ命はあるようだが時間の問題だろう。

 瞼が重たくなってきた。こちらも時間がないようだが、神様が死に絶えるまでは起きていよう。


 やがて、神様は動きを止めた。何度も意識が落ちそうになったが、かろうじてこちらが長持ちした。

 霧が晴れていく。視界に緑が混じった。目がかすんで来たので確かなことは言えないが、元いた場所に戻されたようだ。

 かすむ視界の中心に誰かがたっていた。

 髪の長さから女だと分かった。

「……静枝?」

「残念。僕でした」

 そこにいたのはインフエルだった。

 通常の何倍もの大きさがあるオオカミの亡骸を見ても、知った顔が片腕を失くし死にかけていても、インフエルはいつも通り平然としている。

「何しに来た?」

「決まっているじゃないか。君の魂を回収に来たんだよ」

 にやり。

 インフエルは相変わらずのいやらしい笑みを浮かべる。

「……ということは、俺は死んだのか?」

 約束では魂を渡すのは死んだあとのはずだ。

「まだギリギリ死んでないよ。でも、止めを刺しに来たわけじゃないから安心してね」

「安心って……お前な」

 やはり、デーブルとは価値観を共にできないらしい。

「むしろ苦しまないように止めを刺す場面じゃないのか」

「そうなのかい? 僕が君を殺したらいくらなんでも阿漕がすぎるだろ。デビルにとって、自分で交わした契約は絶対なのさ」

「そうかよ」

「それともなんだい? 痛みがひどいから殺してほしいのかな? 君から頼むというのなら話は変わってくるけど」

「いや。生きてるなら、生きられるだけ生きるさ」

 それで何かが変わるわけでもないけど。

 そう答えると、インフエルは今までとは違う笑みを浮かべた。その顔は例えるのなら太陽のような微笑み。本当に愛おしいものを見るときのような笑顔だった。

「ああ。本当に強くなったんだね。それでこそだよ」

 そういえば、インフエルは以前に自分が収集する魂には条件があると言っていた。強い人間の魂がほしかったのだろうか?

「なあ、お前が言っていた回収する魂の条件というのは、魂の強弱なのか?」

「おしいけど少し違うな」

 地面に倒れていた俺を見下ろしていたインフエルは腰を下ろして、俺と視線を合わせてきた。

「もう少し限定して……神殺しを行った人間さ」

「な……なんか騙された気がする」

「そんなことないだろ。まったく対等な取引だったじゃないか」

 釈然としない部分があったが、騙されていようとインフエルとの取引がなければなにも変えられなかった。機会が与えられただけでもよかったと思うべきだろう。

「神様を殺すというのは特別な行いなんだよ。ただ単に強大な敵を打ち倒すだけではない。もっと別な意味がある」

 インフエルはどんな意味がるかを語らなかったが、俺には思いたることがあった。俺の魂がインフエルの求めるところに達したのは、あの巨大なオオカミに右腕を食わせた瞬間ではないはずだ。

「最後にこれだけは聞いておこう。僕と取引した人間に毎回聞いていることなんだけど……」


――――君は自分の人生に満足したかい?


 その質問に対して、俺は首を横に振った。

 インフエルは待っていましたとばかりにうなずいた。

「だが、納得はしているよ」

「うんうん。神殺しの魂はみんなそう言うんだよね……さて、そろそろ時間だよ」

 インフエルの背中から翼が生えた。カラスのように真っ黒な羽だった。インフエルは翼をはばたかせる。黒い羽根が数枚散った。黒い花びらのように美しかった。

 金色の髪と青い瞳と黒い羽根。

 それが俺が最後に見たものだった。


終章


 それからの話を少しだけ。


 静枝は村人たちの前に姿を現した。山歩きで乱れた服と呼吸を整え、落ち着き払った様子を見せている。

 村長に詰め寄っていた村人たちが一斉に静枝に注目する。すべての村人たちから視線を向けられても静枝は重圧には感じなかった。

「皆さん、聞いてください」

 牢に入っていたはずの静枝がここにいる。疑問を持っている人もいるが、誰も静枝の話を遮ろうとしなかった。巫女に選ばれたものは貴人としての扱いを受ける。それだけでも、村人を黙らせるには十分だったが、今の静枝には無言の迫力があった。

「神はお亡くなりになりました」

 この発言を受けた村人はさすがに黙っていられなかった。しかし、桂太郎が集会場で神様の存在を否定したときのように、村長や静枝を責める声はない。

 神はいた。しかし、今は死んでしまったのでもういない。

 村長が祈祷を捧げても神様は現れなかった。しかし、生贄は無駄ではなかった。

 目の前の真実と過去を否定したくない気持ちの両方を納得させるには、静枝の発言を信じることが一番都合がよかった。桂太郎の発言さえも神様の死亡を示していたものであると書き換えられる。

「しかし、私は巫女として神様よりお言葉をいただいてまいりました」

 静枝は神様を利用する。桂太郎の意思とは違うが、今は村人たちを生き延びさせることが最優先だ。

 今は神様を頼るしかないが、これから先は神様のいない世界で生きていくしかない。神様からは少しずつ離れていくだろう。

「神様は村を出ろと仰いました。村の外には水も食料もあります」

 村人に対して演説をしながら、お金を工面する方法を考えていた。まずは自分が着ている巫女用の着物と祈祷の道具を手放そう。

「さあ、山を下りて旅支度をしましょう」

 静枝はなおも動き出そうとしない村人たちの先に立ち山を下った。最初に静枝に続いたのは村長だった。村人たちも一人、また一人と歩き出した。

 

                              完


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