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神様と少女  作者: 十八番
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五日目

五日目


 いつも通り集会場で食料を受け取り山に入った。

 道すがら考えていたのは、どうすればインフエルに再会できるかということだった。

 恐らくインフエルはあの泉のある場所にいるだろう。しかし、あれが山のどのあたりにあるのかが分からない。

 迷った末に偶然たどり着いたので、同じ道をたどっていくことができない。親父にそれとなく、泉のある場所に心当たりがないか聞いてみたが、存在すら知らなかった。

 父親が存在を知らず、インフエルが超常の力を持っているなら、あの場所はあるいは常世のものではないのかもしれない。

 儀式の終了までに時間がない。俺はどうしてもその時が来るまでに、インフエルに会わなければならない。

 今まで従ってきた義務か。あたらしく芽生えた、インフエルに言わせればもともと持っていたが殻に抑えられていた感情か。

 いずれかを選ぶにはインフエルの正体を確かめなければならない。デーブルがなにを思って俺の心を暴くようなことをしたのか知らないまま決断はできない。

 そんなことを考えながら歩いていたので気が付くのが遅れた。

 山の木々に違和感があった。同じように見える木々も毎日見ていれば見分けも付くようになる。いつの間にか周りには見覚えのない木々ばかりになっていた。足元もいつの間にか道がなくなっており、草木を踏みつけながら歩いていた。

「我ながらぼんやりしすぎだ……」

 考え事をしていて道を間違えるなんて。親父に山を嘗めていると怒鳴られても仕方がない。

「とりあえず、引き返すか」

 自分の足跡をたどって、元来た道を引き返す。踏み倒された雑草や折れた枝をたどっていけば戻れるはずだ。


 自分の足跡をたどっていけば帰ることができるはずだった。そのはずだったのだが、歩いているうちに足跡を見失ってしまった。

「まいったな……静枝も待っているだろうに」

 途方に暮れて、空を見上げてみた。小鳥一匹飛んでいない。山の影か木の影に隠れてしまったのか、太陽の位置もわからない。

「ふう……」

 ため息を一つついて、歩き出した。すぐに道を外れたことに気が付いたから、まだ山道からそんなに離れていないはずだ。運が良ければ、すぐに元の道に戻れるはずだ。

 しかし、いくら歩いても、元の道に戻れなかった。

 次第に、茂みが濃くなってきた。枝をかき分け、ひっかき傷を作りながら進む。

「昨日も似たようなことがあった気が……」

 今日は片手に静枝の食事を持っている。進行は昨日よりもゆっくりだ。しかし、これが昨日と同じ状況だとするなら、もうじき茂みを抜けられるはずだ。


 案の定、茂みを抜けると目の前に泉が現れた。

「やっぱり、こうなったか」

 静枝に会った後で探すつもりだったが、たどり着いてしまったならそれはそれで好都合だ。

 辺りを見回して、インフエルを探す。一通り、周囲を見渡してみたが見当たらない。ここにいるものだと思い込んでいたがいないのだろうか。

「いるよ」

「うわっ」

 すぐ後ろから声をかけられて思わず飛びのいた。

「失礼だな。お化けでも見たみたいな反応をするなよ」

「に、似たようなものだろ」

「む。それもそうだけど……」

 インフエルは不機嫌そうにむくれた。しかし、インフエルは、自分がお化けか天狗か、といった問題にはあまり関心が無いようでむくれた顔がわざとらしい。

「おや。それは僕へのお供え物かな」

 インフエルは俺が持っていた食料へ手を伸ばした。俺は自分の体で、食料を隠すがインフエルはあっさりと回り込んできて新鮮な野菜を持って行った。

「うん。まあまあだね」

「おい。静枝の食事だぞ」

 俺はインフエルを睨みつけてやった。できるかぎり凄みを利かせたつもりだったが、インフエルはそんな俺をニヤニヤして眺めている。

「ふうん。静枝の食事ね。村の大事な食料じゃないんだ?」

「なに……どっちでもいいだろ。そんなことは」

「よくはないだろ。なにか心境の変化かな?」

「よくもぬけぬけと」

 例え積極的な洗脳ではなかったとしても、インフエルが俺の精神になにかしらの干渉をしたのは間違いがない。

「もう元に戻っているだろ。昨日は薄皮一枚はがしただけだし」

 インフエルの言葉を吟味してみる。

 昨日よりは、俺の心中は落ち着いている。村の儀式や、今の仕事が空々しく思えるのは変わっていないが、それがなぜ必要かということにも考えを及ばせることができるようになっていた。

「それじゃあ、改めて聞こうかな。君は何がしたい?」

 自分の立場や責任はわかっているつもりだ。だが、今の俺の心中にはそんな外殻を突き破らんとする衝動があった。

「静枝を……静枝を死なせたくない」

「じゃあ、村はどうなってもいいのかな?」

「やりようはある。土地を捨てるとか方法ならいくらでもあるだろ。村のために、村人を死なせるなんて、どいつもこいつもバカじゃないのか」

「でも、現実にはできない」

「そうだ。生まれてからずっと神様に頼ってきた人間が簡単に生き方を変えられるものか」

 インフエルと出会った後で、静枝が死を覚悟で来たのも結局はそういうことなのだと気付いた。

静枝は村のために自己犠牲の精神で決めたのだと思っていた。もちろんそういう気持ちもありはしただろうが、村の外で生きていく自信がなければ嫌々でも受け入れるしかないのだ。

「ああ、神様なんて最初からいなければよかったのに」

 その瞬間のインフエルは満足げな笑みを浮かべた。待っていましたと言わんばかりの表情だった。

「だったら、いなかったことにすればいい」

「……なに?」

「静枝ちゃんは神様を見たことがないんだろ? だったら、なかったことにできるよね?」

「何が言いたい? 俺に何をさせたい?」

 俺にはインフエルが言わんとすることを察することができた。しかし、それを口にするのは畏れ多くインフエルに先を促した。

「お前は何がしたいんだ?」

「僕は取引がしたいだけさ。君はようやく取引にふさわしい相手になった。今こそ、腹を割って話そうじゃないか」

 インフエルは俺に向かって手を伸ばした。

 インフエルは握手というものをするつもりだったらしいが、その西洋の習慣を知らなかった俺はまた胸板に腕を差し込まれるのだと勘違いした。そして、慌てて後ずさり、無様に尻餅をついた。


「静枝、今日の分を持って来たぞ」

「はい。桂太郎様、ありがとうございます」

 静枝は俺が届けた食料を見て、小さく首を傾げた。

「おや、今日はなんだか……」

 俺が持っていた食料はインフエルの手によって、半分ほどになっていた。言い訳をしたい気持ちになったが、インフエルの存在を知られるわけにはいかない。

「まあ、村も苦しいからな。これで我慢してくれ……二日分を一晩で食べた静枝には辛いかもしれないがな」

「そんな、桂太郎様。私はただ……」

 静枝は真っ赤になって慌てた。とても二日後の死を覚悟した人間だとは思えない可愛らしい様子だった。

「落ち着けよ。冗談だ」

「桂太郎様は昔と変わりませんね……いえ、変わったと言うべきでしょうか」

「どっちだよ?」

「変わったのではなく、戻ったと言うべきでした。なにか憑き物が落ちたような顔をしています」

「なにかが憑いていたような顔をしていたのか?」

 静枝は小さくうなずいた。知らないうちに心配をかけていたようだ。自分のほうが辛い状況だろうによく見ていてくれたようだ。

「まあ、最近はいろいろあったからな」

「いえ。もっと前、村長の息子が口癖になってからです」

「俺、そんなだったか?」

 それこそ無自覚だった。

 村長の息子というのは確かに行動の指針となってはいたが、口癖と思われるほど何度も口に出していたとは気付いていなかった。ましてそれを口にするようになってから、ずっと難しい顔をしていたとは。

 本当に薄皮一枚だったんだな。

 その時の俺は余程間抜けな顔をしていたに違いない。静枝はそんな俺を見て、微笑んでいた。

「最後の心残りが消えました。これで安心して務めを果たせます」

 後になって考えると、俺が本当に後戻りできなくなったのはこの時だった。

「静枝、少し歩かないか?」

「え? しかし、ここから出るわけには……」

「もう逃げたりしないだろ。最後に遠くから村を見ておくくらいはいいんじゃないか?」

「確かに村の様子は私も気になっていますが」

「よし。じゃあ、暗くなる前に行こう。鍵は持って来てある」

 家から持ち出してきた牢の鍵を懐から取り出す。インフエルに会ってからいったん引き返して、取りに行ったのだが見とがめられないか冷や冷やした。しかし、村人たちは農作業を再開する準備に忙しく動き回っていたので、あまり目立たずに済んだ。

 俺は牢の鍵を開けた。静枝は恐る恐る牢から出ようとする。しきたりから逸脱した行動を取ることにためらいを覚えているのか、牢の中だけで暮らしていたから足が弱っているのか、足取りが覚束なかった。

 俺は静枝に手を差し出した。静枝はその手を取ってくれた。俺は静枝の手を引く。

 牢のある洞穴から出ると、木々の間から太陽の光が差し込んでいた。

「あ、まぶしい」

 静枝は目を細めて空を仰いだ。すでに日は傾いていて日差しは弱まっていたが、うすぐらい牢の中で暮らしていればこの程度でもまぶしく感じるのだろう。


 目指したのは選定の矢を放った場所だ。村を見るためには少々遠すぎる気はするが、静枝が牢から出たことを悟られずに村の様子を確認するためにはここしかない。

「今日は風が強いな」

 枝葉がこすれ合い、木々がざわめいていた。あの日にも今日のような風が吹いていたら何かが変わっていただろうか。

 変わらなかったような気がする。どうしてそう思うのか自分でもわからないのだが、いつかはここへたどり着くような気がしていた。

「活気が戻っているみたいですね」

 静枝は高台の淵に立ち村を見下ろしている。俺も静枝の隣に立ち村を見た。

 ここからでは、人間は小さな点にしか見えない。しかし、多くのものが動き回っているのは見て取れた。

 ひときわ強い風が吹き抜けた。

 眼下の景色に吸い込まれていくような錯覚を感じた。このままここから落ちてしまうのではないかという不安を覚えた。

 体が風に煽られる。

 手の中に温かいものを感じた。

「ぼんやりしていると落ちてしまいますよ」

 静枝に手を握られていた。

「戻りましょう。もう充分です」

 静枝は仕事の出来を確認した職人のような顔をしている。

「待ってくれ」

 俺は引き返そうとした静枝を引き留めた。

「村を見てどう思った?」

「皆が希望を持ち、村が活気づいて幸いです」

「そうだ。村はいい方向へ向かっている。だから―――」

 暗闇の中で階段を下りていくような不安。

「――だから、静枝が死ぬ必要はない」

 最初、静枝は理解が追いつかないのか表情を固定させた。次第に呑み込めてきたのか表情を動かし始めたが、結局最後に浮かべたのは困惑だった。

「な、なにを言っているのですか?」

「村人全員が解決に向かって努力すれば、状況は必ず良くなる。雨だって、いつまでも降らないわけじゃない」

「いつまで……いつまでも待っていられないからこその神様ではないのですか?」

 自然に雨が降るのを待っていたら、村人が餓死するほうが早い。そう判断したからこそ、一人を切り捨てる決断をした。その決断を否定する材料は存在していない。

「でも、それは神様が存在していればの話だろ」

 静枝は声もなく後ずさった。目を見開き、口を開けたまま、ただ立ち尽くしている。今までも人生観を転覆させるようなことを言われたのだ。こういう反応をするのは当たり前に思えるが、それは俺のことを信じているからこそ、俺の言葉を受け入れたからこその反応だ。

 俺はその信頼を利用する。

「神様なんて初めからいないんだ。儀式も祈祷も村人たちの気持ちを変える以上の効果はない」

「しかし、しかし、事実、流行り病のときは……」

「あれは病に罹った人間が全部死んだから収まっただけだ」

 病にかかりやすい子供たち、俺たちと同世代の人間がほとんどすべて死んでしまってから病が収まったのは事実だ。俺はその時に、どうしてもっと早く、と思っていた。静枝も同じことを考えていたはずだ。

「それは確かにそうとも言えますが……」

 静枝は神様の存在を証明する方法を考えているようだ。しかし、村人の中で神様を実際に見たことがあるのは俺と親父、村の為政者の一族だけだ。村人が神様を信じている根拠は村長への信頼と祈祷の成功例だけだ。村長の息子に成功例を否定されれば、信心は揺らがざるを得ない。

「では、今まで巫女になってきた者たちはどうなったのですか?」

「野犬に食われたらしい」

 この山に野犬が多く出るのも事実。また、神様がオオカミの姿をしているという伝承だけは村人全てが知っている。神様の存在を揺るがせたうえで野犬の話を持ち出せば、勝手に野犬とオオカミの姿をした神様とを結びつける。

「しかし、しかし……」

 やはり簡単には信じてもらえないらしい。静枝は一人部屋に閉じこもるかのように頭を抱え、否定の言葉を呟き続けている。

「いきなり言われてもわからないだろうから、今日のところは戻ろう。鍵をしっかりかけておけば野犬の心配はない」


 静枝を牢に戻して村へ帰るために山を下っている最中、先ほどのやり取りを反芻してみた。

 うまくいっただろうか。

 俺が静枝に行ったのは、早い話がインフエルが俺にしたことと同じだ。もっとも俺には人間の胸に手を突っ込んで、魂に触れることなどできるはずもないので口先だけでそれを行うしかなかった。

 信仰の中心人物が神様の存在を否定することで、静枝の精神の上っ面を引きはがす。

 静枝の命を助けるだけなら静枝の手を引いて逃げるだけでも良かったが、俺が納得できる結果を出すためにはあえて余計なことをしなければならなかった。

 俺の思考はさらに時間を遡り、インフエルとのやりとりまでたどり着く。


「だったら、なかったことにすればいい」

 インフエルはそう言って楽しそうに笑った。新しい遊びを思いついた子供のような無邪気な笑いだった。

「それはどういう意味だ?」

 尋ねては見たが、俺にはインフエルがなにを言いたいのかを理解していた。

 静枝の命を助けたいだけなら、静枝の手を引いて逃げるだけでいい。しかし、それでは村は干ばつで滅びるか、新しい生贄を出すだけだ。俺は今まで一緒に生きてきた村人たちを見捨ててはおけない。

 静枝と村人をどちらも救うには村を捨て環境のいい土地に移動するしかない。

 それを実現するには神様への依存から引き離さなければならない。

 だから神様を最初からいなかったことにする。

「わかってるくせに……まあ、具体的な方法は自分で考えるんだね」

「しかし無理だな。この村の神様は実在する。実在するものをなかったことにはできない」

「そこで僕との取引なのさ。君に神様を殺す力を与えよう」

「お前、そこまでの力を持っているのか」

「まあね。海を越えて、違う信仰が根付いている国に行くのは並大抵のことじゃない」

 そもそも俺には海を越えた向こうに国があること自体うまく想像できないのだが、インフエルが大きな力を持っているのは感じられた。要するに、インフエルには俺の想像を超えた力が備わっているのだろう。

「取引と言ったな。俺はお前に何を差し出せばいいんだ?」

「デビルとの取引なんだから魂に決まってるじゃん……ああ、この国にはデビルは僕だけなんだっけ」

「それは俺が死ぬということか?」

「いいや。死んだあとの話さ。どう? いい話だろ?」

「わからないな。そんな簡単な取引のために、手間をかけすぎなんじゃないか?」

「急に鋭くなったね。いい傾向だ。信仰を捨てて、自分の頭で考えた成果だよ」

「そりゃ、どうも」

 インフエルの韜晦に対して露骨に機嫌の悪そうな顔をしてやると、インフエルは肩をすくめた。

「僕はグルメだからね。ほしいのは特別な条件を満たした魂だけなんだ」

「その条件は?」

「それは秘密。とてもプライベートな内容だからね」

「プラ……なんだって?」

 意味の分からない単語を使っていたが、とにかく教える気はないということだろう。今わかっている情報だけで決めなければならない。

 俺はインフエルの取引に対して――


「わかった。お前との取引を受けよう」


 わずかに間をおいて、了承の意を示した。

「そう――それではこれで取引完了だ」

「え? まだ、なにもしてないじゃないか。その、なんだ、儀式とか祈祷とかはなしでいいのか」

「僕はプラグマティストだからね。余計なことはしないのさ」

「わからない言葉を使うな」

 俺は自分の体を眺めてみた。

「なにかが変わったようには見えないが……」

「力の使い方は今から説明するよ。ああ、言い忘れていたけど、絶対に勝てるわけじゃないから、その辺は自分で努力してね」

「……な。そういうことは先に言え」

 インフエルはいやらしい笑みを浮かべた。

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