08 夜襲
『村』…………かつてそこにあった村を、完全に壊して、盗賊どもが自分たちに都合のいいように作り直した集落である。
村長、いや元村長の屋敷が中央に大きく鎮座している。
『騎士』たちの住居だ。
ここの屋敷はリージェの村のように焼かれはしなかったが、他の家々を壊し、その建材を使って、『騎士』10人が問題なく住めるように継ぎ足してある。
同じく壊した家の建材を利用して、『お屋敷』のすぐ隣に、『村人』たちの『家』が建てられていた。
屋根と壁だけの、適当な作りのそこに、あちこちの村から狩り集めてきた生き残りのうち、逆らう力のない老人や子供を押しこめ、昼は畑仕事をさせ、夜は外から閂をかけて閉じこめている。
もちろん昼の労働は過酷で、収穫はすべて『騎士』のものだ。
『家』は、出入り口が『お屋敷』から丸見えになるように建てられていて、脱走は難しい。またできたとしても『騎士』に馬で追われて逃げ切るのは不可能だろう。
夜の訪れと共に、『お屋敷』の中には灯がともされ、漏れ光が遠くからでもはっきり見えていた。
自分たちが襲われるとはかけらも考えていない、油断しきった状態である。
その薄明かりをにらみつつ、『解放軍』は、森から流れ出て畑に水を供給している小川に沿って、じわじわと近づいていった。
幸い、月はまだ出ていない。
『お屋敷』から漏れる光で十分周囲の様子はわかる。
地形も、『騎士』どもが一応は警戒し張らせている鳴子の場所も、すべてわかっている。
「どうする。どうやる?」
「みんな、武器は大丈夫か」
「ああ」
剣を持っているのはリージェほか数人。
倒した盗賊たちが持っていた得物は分配ずみ。
先をとがらせた木槍、手製の弓や投石器を携える者たちも、自分の得物に遺漏はない。射程や威力もわきまえている。
元は素人だが、戦うために鍛えてきた集団なのだ。
「火をつけたらどうだ」
「だめだ。あいつらの前に、村のみんなが焼け死ぬ」
「俺の親父もあそこにいるんだ、やめてくれ」
「みんなを解放して、一斉にかかれば」
「助けになれるような人はいないよ。歩くのがやっとだ」
解放軍は幾度となく『村人』と接触はしており、内情はわかっている。
「僕たちだけでやるべきだ」
リージェは言い切り、『お屋敷』をにらんだ。
「みんなを助けても、今の僕たちには、守りきる力はない。あいつらを倒した後、逃げるしかないんだから、下手に僕たちに協力させると、その後みんなが危険なことになる」
「むう……」
不満なうなり声が上がったが、すぐに沈静化した。
みなが納得したのを確認してからリージェは続ける。
「もう少し待とう。あいつらは酒を飲んでるだろうから、寝入った直後を襲う。
固まらせず、ばらばらにするのが大事だ。
まず、足の速い何人かで、声を上げる。
あいつらが様子を見に出てきたら、石を投げたりかかってこいってわめいて、挑発して、逃げるんだ。
追いかけてくるやつの後ろから襲って、一人ずつ倒していこう」
「よし、そうしよう」
「足が速いってことなら、俺の出番だな」
「罠をしかけとこう。足を引っかけて転ばせる」
「飛び道具組とそれ以外は分けるんだろ?」
「ああ、三組に分かれよう。おびき出す組、待ち伏せる飛び道具組、直接かかる組……もちろん僕は襲う組だ」
リージェたちが襲撃計画を検討している後ろから、のっそりと、馬が近づいてきた。
馬の背から、黒い影が滑り降りて、水縁にうずくまった。
小さな水音がする。顔を洗っている様子。
「静かにしてくれ」
何で今、と疑問を抱きつつリージェはたしなめた。
「……ひとつ、訊くが」
顔――らしい部位を上げたフィンの声が、闇の中を流れてきた。
初めて彼女の声を聞いた仲間がびくっとする。
少し距離があるはずなのに、ささやくようなその低い声は、みなの耳に滑りこんできた。
「お前たちは、本気だな」
「……当たり前だ」
「握ってるそれを、思い切り、突き出せるな」
「何が言いたいんだ。やれるに決まってるだろう」
リージェは剣を抜いて、空中に突き出した。肉を割いた感触の反芻。もう一度。体が熱くなる。問題なく、いや次はもっと上手くやれる。悪鬼を倒せる。
仲間たちも、挑発にムッとした気配で、それぞれの得物を構えた。
「じゃあ、頼む」
「だから、何が言いたい」
「私が、やれと言ったら、思い切り、突き出せ」
「?」
「必ずやれ。剣と槍の者が前。飛び道具持ちは後ろだ。ついてこい」
「………………え?」
洗ったらしいが、その顔をまったく見せることないまま、黒い塊は馬の上にするりと這い登った。
その際に一瞬見えた、これも水で洗われたのだろうフィンの手は、驚くほどに白く、美しかった。
しかしその発見も、次の瞬間、吹っ飛ぶ。
馬が進み始めたのだ。
『お屋敷』に向かって。
「ちょ! 待て!」
大声は出せないが慌ててリージェは追いすがる。
しかし馬が駆け出す。老馬だが人よりは速い。自分ひとり全力疾走して仲間と離れることに躊躇して、リージェはたたらを踏んだ。
身振りで仲間たちを呼び、ひとかたまりになって馬の後を追う。
「裏切りやがったのか!?」
「違う!」
「じゃあ何だ!?」
「わからない! でも違うはずだ!」
「はず、じゃないだろ!」
「考えてる場合じゃない! 行くしかないんだ!」
そう、もう『お屋敷』に馬が近づいてしまっていて、中のやつらも気づいた様子。
「あいつ、後でぶちのめすからな!」
「それは僕がやるから!」
仲間に宣言すると、リージェは急いで、フィンが言ったように前衛と後衛を分けた。
確かに、『騎士』どもとやり合うなら、飛び道具組は後ろで援護してくれる方がいい。
先を行く人馬は、リージェを引き離すと速度を落とし、カポカポ歩いて、『お屋敷』に乗りこんだ。
玄関扉の前に、柵と、横向きの段がある。馬で来た者は、そこで下馬するものだが――。
そのまま、馬ごと、扉の前へ。
「……もし……」
哀れっぽい、女の声がした。
フィンの声だと、後を追うリージェは最初のうち気づかなかった。
「なんだぁ?」
下卑た声が内側から漏れてくる。
「ゲール様から……こちらに、行くようにと……みなさまを、お慰めしろと……」
あの低くかすれた、けだるげな声とはまったく違っていた。
しっとりして、声だけで濃厚な色香を感じさせ、それでいて弱々しく――男の本能を最大限に煽る声色だった。
「女か!?」
野太い声が一気に盛り上がり、扉が内側から開かれた。
光があふれた。灯明ひとつきりのか細い灯りだが、闇の中ではまばゆいほどだった。
と、馬はそのまま屋内へ入りこんでいった。老いたやせ馬なのでぎりぎり通った。
「わあっ!?」
「おいっ! こら!」
内側で混乱が巻き起こる。
リージェたちはそこで追いついた。馬体が入り口をふさぎ、屋外の彼らの存在に気づいた『騎士』はいない様子。
「申し訳ありません、馬には、慣れていなくて……」
さらに色香あふれる声が漏れ――。
先頭に立って、抜き身の剣を手に屋内に入りこんだリージェは見た。
かつては一家族の生活の場だった広間。
そのあちこちに、毛ずねや胸板を丸出しにして、寝転んでいたり向かい合って木のカードを使ったバクチをしていたりする『騎士』たち。すぐ手の届くところにそれぞれの得物。壁には槍や弓、刃物。血の跡も壁に残っている。
男臭く、そして凶悪な気配たっぷりの、『騎士』の住居。
その中央に、馬。
人より高い、その背に、丸まっていない、背筋をしっかりのばした……ぼろ布をまとった、フィン。
「今宵……ひととき……楽しみましょう……」
白い手が、布を後ろへやって。
頭が、出た。
長い黒髪が、たっぷりとあふれ、優雅に波打った。
『騎士』たちの視線が、すべて、一点に集中した。
フィンの顔に。
リージェからは見えない、その素顔に。
凶猛な『騎士』たちが、見上げる向きのまま、目を丸くし、あごを落とし、子供のような顔つきになった。
酒の椀を口に運んでいたやつの手から、中身ごと椀が落ちた。
悪鬼どもの巣窟が、一瞬にして、男たちが集まっているだけのただの家になった。
「…………やれ」
これはまぎれもないフィンの声が、その馬上の女性から発せられた。
リージェは反射的に床を蹴った。
声は上げず、身を低くして、一番手近――ではない、二番目、三番目の前も突破して、奥にいるやつに剣を突き立てる。
あの、肉を割く感触がやってきた。
熱く濃い血の臭いが一気に充満した。
剣を引き抜いて水平に振るった。隣の『騎士』の首筋を裂いた。
「なっ! てめえ!」
『騎士』たちが色をなした。さすがに荒事には慣れている。すぐ手を得物に伸ばす。リージェの背後から飛びかかろうとする。
だが、その体を、後に続いた仲間たちが次々に貫いていった。
「うおおおお!」
「わあああああ!」
「ぎゃああああああああ!」
絶叫が次々に上がった。斬られた『騎士』ではない、槍や剣を突き立てる解放軍の面々が発している。初めて人を刺す、その全力の叫び声だった。
「きゃあああああああああっ!! いやああああ!」
女性の悲鳴も上がった。
『騎士』たちの身の回りの世話と、慰み者を兼ねて『お屋敷』に置かれている、若い女たち。
健康でいてくれないと楽しめないのでそれなりにいい待遇を与えられていた、台所や別室に控えていた彼女たちが泣き叫ぶ。
リージェは仲間に向いた無傷の『騎士』の、無防備な背面に斬りつけた。首の後ろに剣を叩きつけると、骨を砕いた感覚があった。さらに剣を突き出した。太った横腹に剣先が埋まった。
引き抜いたところに横から飛びつかれた。押されて背中から壁に激突。すさまじい力で締めつけてくる『騎士』の脳天を、剣の柄で打つ。二度、三度と殴りつけ――相手の背後から仲間が槍を突き立て、引き剥がすと、複数の仲間が何度も何度も棍棒を振り下ろして息の根を止めた。
短いが激烈な闘争は終わった。
「もういい、やめろ!」
死んでいる『騎士』に興奮状態でさらに刃を突き立てる仲間をリージェは止めた。
広間の中央でブルルルと息を荒げる老馬、その周りに、無数のしかばねが転がっている。
『騎士』は全滅。
リージェたちには、少々傷を負った者はいたが、犠牲は皆無。
完勝だった。
「数えろ」
馬上から、まったく変わらずけだるげな声が降ってきた。
反射的にリージェはしかばねを数える。
初めての戦いに加減などできず、どれもこれも凄惨な状態になっている『騎士』の死体が…………九つ。
「一人残ってるぞ!!」
リージェが青ざめて叫ぶのに応えるように、激しい物音がした。
馬のいななきと、駆け出す音。
母屋に隣接して建てられている馬屋から、一頭、飛び出した。
馬屋番がいたのだ。
「一人逃げた!」
リージェは外に叫んだ。
屋内には踏みこまずにいた、後列の飛び道具組が動く音がした。
弓を放った音がいくつか。馬のいななき。
しかしそのまま、響きは遠ざかっていく。
「やったか!?」
「わからん!」
何人か追いかけていった。
それ以上何もできないリージェは、息をつき、剣を鞘に収めようとした。
柄から手が離れない。指が硬直している。
自分の指で自分の指をつまんで引っ張り、一本ずつ離してゆく。
剣が滑り落ちた。拾う手もまた震え続け、リージェは何度も深呼吸した。
幕末には時々見られた光景。寺田屋とか池田屋とか。