21 決戦
立ち上がったフィンと、背中合わせになる。
リージェは再びゲールに向き合う。
もう恐怖は一切ない。信じられないほど体が軽い。後ろに彼女がいるからだ。
「では、行け、少年。お前ならやれる」
「ああ! 僕も、信じてる!」
死を受け入れた先ほどの自分を思い出す。
あれは間違いだった。
死を受け入れるなどと、馬鹿なことを。
世界には、こんな幸せがあるというのに。
「死ねぇ!」
棍棒を振り上げるゲールの、ふところに飛びこんだ。
剣は抜かないで。
リージェは、フィンを信じていた。
フィンの教え、全てを、完全に、受け入れた。
打ち合うな。狙うな。逃げろ、ひたすらかわし、逃げ続けろ。
急所を剣で狙ってくるところを手甲つきの拳で打とうとしたゲールは、空振りした。
リージェは攻撃など考えず、とにかくゲールを翻弄することだけを考えたから、意表を突けた。
そして今度は剣を抜き、構える。
肉を裂いてやる、斬ってやるという気合いを満身にこめ――。
「行くぞ!」
「ガキぃ!」
必殺の打撃を、リージェはかいくぐった。
向かっていくから、やられるのだ。
逃げるだけなら、リージェでもどうにかなった。
そして、ただ逃げるだけでは、ゲールの攻撃がフィンに向かってしまうから……。
「父さんの仇! 母さんの仇! みんなの仇!」
力ある声を放って、ゲールの注意を引きつける。
「あー、またそれか。聞き飽きたぞ。違うこと言え」
「じゃあ、面白いことをひとつ、教えてやろう」
「なんだ」
「忘れた」
「あぁ!?」
「違った、めんどくさいなあもう」
「はぁ!?」
ゲールのこめかみに、みるみる血管が浮いてくる。
「まあどうでもいい、好き放題やってくれたお前への、おしおきの時間だ、ゲール!」
「……死ね」
怒声ではない、押し殺した声は、心底激怒したから。
『赤目』が、青白いものを内側に宿した。
これまでと比べものにならない威力をこめた棍棒が、リージェめがけて振り下ろされ――!
――その背中を、弓が、槍が、石が、一斉に襲った。
「行けえええええええ!」
仲間たちだった。
気づいて、駆けつけてくれたのだ。
逃げ続けろ、という師の教えには、この意味もあった。
時間を稼げば、仲間が来てくれる。
「雑魚がああああ! 皆殺しだ! 全員ぶっ殺してやる!」
「ゲールだ! 近づくな!」
リージェは叫んで、乱入しようとした何人かを止めた。
自分以外に犠牲を出してはならない。
「遠くから投げ続けろ! どこかに当てればいい! 今までの成果を見せろ!」
森の中でひたすら投擲や射撃の技術を磨いてきた解放軍の腕前が、今こそ万全に発揮された。
次から次へと、広間の外から、矢が放たれ槍が投げられ、投石器で小石が撃ちこまれ、あるいはレンガや板きれなども放りこまれる。
そのほとんどは、ゲールの防具に阻まれる。
ダメージは通らない。
だが狙い自体は正確だ。
ゲールは、目を狙われ防具の隙間を狙われ、全てを防ぎはするものの、腹立たしげにうなり声をあげる。
さらに――十数人で投げこんでくる様々なものは、みるみる、広間の床に散らばっていって……。
「くそがぁああっ!!」
巨体の動きを邪魔し始めた。
リージェはその合間を縫って素早く動いた。
足下がおぼつかない場所での動きは慣れている。森の中には平坦な場所などなく、至る所に木の根が突き出し固い木の実が転がりあるいは湿って滑るものだ。そこを自在に走り回れる脚力を、解放軍は自然と身につけた。身につけられなかった者は死んでいった。
「がああっ! 邪魔だああ!」
ゲールが、床を掃くように足を動かし、ばらまかれたものを蹴り飛ばした。
弾丸のように飛び散った雑多なものは、いくつかは入り口から飛び出して仲間に当たった――が、大したことはない。
むしろそれでゲールは体勢を崩し――。
「今だ!」
リージェは剣を構え飛びこむ……。
と見せかけて、石ころをゲールの足元へ蹴りこんだ。
斬りかかってくると判断したゲールは、本当に斬りつけていたらリージェの胴体があっただろう位置に、棍棒を空振りさせた。やはり、体勢を崩したと見せかけた、誘いだったのだ。
空振りの、それだけでも小動物なら殺せそうなすさまじい音を浴びつつ、リージェはまた教えの正しさに感謝した。
斬ろうとするな。殺せるなんて思うな。とにかく当てること。こちらは無事なまま、相手のどこでもいい、少し当てればそれでいい。
リージェは、空振りしたゲールの、肘めがけて剣を振るった。
カン、という小気味よい音。
防具に弾かれたが、衝撃が、中に入った感触はあった。
「ぐおおおっ!」
痛みよりも怒りにゲールは叫び――。
リージェが蹴りこんだ石ころを、踏んだ。
巨体が傾いた。
今度は誘いではなく。
倒れまいと踏みしめた足が、滑った。
血で。
忠実な部下だったリッキの死体から流れ出たそれが、首領を滑らせた。
地響きに、館全体が揺れた。
「今だ!」
仲間たちが駆けこんでこようとするのを、リージェは立ち塞がって止めた。
「まだだ! 近寄るな!」
その足元すれすれを、横殴りの棍棒が襲った。
倒れた状態でも腕の一振りで容易に人間を撲殺できるのがゲールという大悪鬼。
「役立たずが……!」
それを証明するように、棍棒を握っていない手を、自分を転ばせたリッキの首に叩きつけ、一撃で頭蓋骨を粉砕する。
「撃て! 遠くから狙い続けろ! そのうち死ぬ!」
リージェは仲間たちに怒鳴った。
そう、すぐに殺そうとしなくていい。いずれ死ぬようにできればそれでいい。
仲間たちも復讐に燃えていたはずだったが、間近で見るゲールの猛威はあまりにもすさまじく、すぐ方針を転換し、指示通りに距離を置き、ゲールの顔面や防具のない部分を狙って弓矢や投石を繰り返すようになった。
リージェは安堵すると、倒れたゲールの足側に回りこむ。
「くそ……!」
ゲールは罠にはまった大型獣のように激しくうなり、リッキの頭部だった潰れたものをつかみ、仲間たちに投げつけた。
骨と中身とがぶちまけられ、視界が遮られる。
その間に素早く身を起こし、リージェに正対した。
「ふぅ~、はぁ~、はぁ~!」
大きく息をついている、そのひとつひとつがまるで灼熱の煙を吐いているかのよう。
だが、息が乱れているというその事実が、リージェに勇気を与えた。
師の指摘通り、確かに、敏捷性と持久力では、半年とはいえ鍛えに鍛え続けてきたリージェの方が勝っている!
苛立った様子のゲールが、リージェの頭越しに怒鳴った。
「クロイ! 手伝え! 女なんかさっさと片づけろ!」
「じゃあ代わってくれ!」
身も蓋もない返事がかえってきた。
クロイはフィンとの対峙を続けていた。
その満面に汗がしたたっている。
対するフィンも、肩で息をしている。
凄まじい気配が二人の間を飛び交っていた。
どちらもほとんど最初の姿勢のままだが、位置だけは微妙にずれて、広間の角に近いところに移動している。
並みの者なら何十回斬り殺されているかわからない、刃こそ交わさないがそれ以上に神経をすり減らす高度な駆け引きが繰り広げられた結果であり、それは今もなお続いているのだった。
「ゲール、俺はいいから、とっとと逃げろ! こいつを止めてる間に外に出ろ! 広いところで暴れろ!」
黒剣を構えたクロイは、フィンから一切視線を外すことなく怒鳴った。
「お前さえ生き延びれば、俺たちはまだやれる! 行け! 外だ!」
それは、自分の命を度外視して相手を生かそうとする、懸命の叫びだった。
だが、荒くれ者どもを腕力で束ね、どんなことでも自分の思うがままにやってきた首領には、取るに足らない雑魚どもから逃げるという道を選ぶことができなかった。
「ふざけんな! 全部ぶっ殺す!」
大悪鬼は――リージェをにらみつけ、目で牽制すると。
巨体をひるがえらせて……信じられないほどの速さで背後に飛んだ。
その先には、フィン。
大悪鬼が認めた、全ての根源にして最も面倒な敵。
「あっ!」とリージェ。
「馬鹿っ……!」とクロイ。
フィンもまた、一瞬で身をひるがえして、大悪鬼に向かった。
すべてを予期していたような動きだった。
二人が激突する――その刹那。
他の二人も動いた。
クロイと、リージェも、神速で。
だがそこには、ひとつ、大きな違いがあった。
…………リージェは、フィンを信じている。
フィンは嘘を言わず、約束は必ず守ると、信じている。
だから――フィンはゲールを狙わないと、確信していた。
あくまでもリージェに戦わせると。
クロイはそうではなかった。
フィンがゲールを斬ることを確実なものと見た。
その後でフィンを倒しても意味がない。ゲールあってこその盗賊団だ。
だから、フィンの斬撃線上に自分の体と剣を投げこんで防ごうとし――。
ゲールもまた、無二の副官が間に飛びこんできたことで、振り下ろす棍棒に乱れが出た。
フィンは――。
リージェの信頼通り、クロイに向けて剣を振るった。
ゲールの棍棒は空を切った。
リージェは、ゲールの背後から、全てをこめて、突きこんだ。
信じているがゆえに、フィンを気にかけることなく、あらゆることを頭から消して、ただ、突き入れた。
剣は――先ほど、師匠がお手本を見せてくれたのと同じように……。
巨体の背中側、斜め下から、胴鎧と頭防具の隙間に突き刺さり――。
何の手応えも感じないまま、大悪鬼の、延髄をえぐった。
「ぐげ…………」
濁った声が、ゲールの口から漏れて。
「っ!」
真っ白だったリージェの心身に、今度はとてつもない熱が充満した。
熱は力となり、リージェは力の限り――いや違う、力はみなぎっていてもその発動はどこまでもなめらかで、流れるように……彼女のように……。
リージェは体をよじった。
爪先から足首、膝、腰、胸、肩、肘、手首……指の先に至るまで、全身のすべての部位が連動した。
動きとしては小さく、スッと横に剣を動かしただけ。
ほとんど手応えもなく、太い首が、半分、切断された。
血の帯が噴き出した。
「グガ…………ガ…………グォ…………!」
ゲールの手から棍棒が落ちて。
なおもうめきながら、振り向いて。
「グオオォォォォォォォ!!!」
咆吼上げて、血みどろの巨体で、飛びかかってくる。
リージェは、なおも師の教えを忠実に守った。
とどめを刺そうなどとは考えもせず、底なしの生命力を発揮する大悪鬼から、飛びすさった。
ゲールは前のめりに倒れる。
それでもなお顔を上げ、リージェを狙って這いずる。
もはやうつろに変わっているゲールの赤目が、怨念をこめてリージェを追う。
リージェは、父の剣の切っ先を突きつけ、その視線を受けた。
「終わりだ……!」
肉体ではなく、視線を、剣で断ち切った。
切っ先を落として斬った、次の瞬間、仲間たちが飛びこんできた。
動きを止めたゲールに、次々と、槍が、剣が、斧が、打ちこまれた。
大悪鬼『赤目のゲール』の、最期だった。
決着。
でもまだ色々残っています。あと3話です。




