20 大悪鬼
ゲールのイメージキャラ、「北斗の拳」の、山のフドウ(改心前)。
クロイは羅将ハンでした。もちろん書いていくと別物になりますが。
リッキは、今まで見たことのあるどの人間よりも大きかった。
しかし、現れた相手は、それよりもさらに大きかった。
大きく、幅も厚みも、筋肉量も、桁違いだった。
ゲール。
沢山の凶猛な手下を引き連れ諸国を荒らし回った『赤目のゲール』。
リージェのふるさとを蹂躙した、悪鬼の頭。
「~~~~~~!!!」
人のものとは思われない、腹にずずんと響く咆吼があがった。
決して低くはない天井に、頭が届きそう。
まさに悪鬼だ。鬼そのものだ。
燃え上がる炎のようにねじれ曲がった髪。
目をそむけたくなるような悪相。両眼は激しく血走っている。
赤目――それこそが異名の由来。
「てめえら……!」
床に転がるリッキの首を見て、赤目が火を噴いた。
「あ~あ……」
クロイも、幹部の屍体を見て、フィンも見て、沈痛に顔を歪めた。
「先走るなって言ったのに……あの女の見た目にだまされるな、戦おうとするなって……ま、信じないよな。俺だって言われただけじゃ信じない」
渋い声だが先刻の重々しさはなく、疲れたような響きを帯びている。口調は軽い。こちらが地だろう。
「その剣……あいつのか。あいつもやられたか」
「いい剣だ」
フィンが、剣をだらりとぶら下げてクロイに言った。
脱力しつつも、隙はない。
「ああ。俺の剣の次にいいものだ。見る目あるな」
「三人で、力を合わせながら突破するつもりだったのだろう?」
「む」
「馬は封じられた。建物に火がついた。しかしここを攻めている者がそう強いわけでもない。入り口で男たちを減らし、適当なところで残った全員が集まって突破にかかれば、勢いがあるとはいえ大半が女だ、お前たちなら徒歩でも外へ逃げられただろう」
「まあな……」
クロイは、フィンを――フィンだけを見て、反りのある黒剣をスラリと抜いた。
「あんたみたいな化け物さえいなけりゃな。入り口んとこ、50人は片づけられるやつらを配置したはずだったんだが、こんなに早く、どうやって攻略した?」
「2で」
「?」
フィンは、説明するつもりはまったくないようだ。
クロイもそれ以上は求めず、軽く肩をすくめたあとは真顔になって、じりじりと距離を詰めてきた。
「噂は聞いたことあったんだ。剣聖って呼ばれてる、化け物じみて強え、しかも女がいるってのは。
しかしなあ。まさかうちに差し向けられるとは。
ここまでの化け物だったとは。
今の、この状況を作ったのも、もしかしてあんたの仕業か?
森に隠れてる雑魚どもは、うちのやつらに緊張感を保たせるために残しておいたんだが……そいつらに知恵をつけたわけか」
「雑魚ではない。可愛い男たちだ。……いい男だ」
フィンはちらりとリージェを見やった。
「あきらめてくれないか? それなら楽でいい」
「降参しても、よくて縛り首だからな。それだけのことはしてきたから覚悟はしてるよ。
……だが、死にたいわけでもない」
漆黒の剣が持ち上がった。
疲れた口調だが、その構えはやはり一分の隙もなく、冷ややかなものが一瞬で張り詰める。
「ああ、めんどくさい」
心底いやそうに、フィンは言った。
「こんなやつがいるなんて。最初は、全員、私ひとりで斬るつもりだったけど、やらなくてよかった」
「俺たち全員をか……化け物め」
「油断してるさっきのうちに斬っておきたかった。その剣は厄介すぎる」
「まあ、俺の自慢でね。死神が宿りし剣、死神の剣ってんだ。人間でも獣でも、木でも石でもあらゆるものに死を与える、ってね」
「お前を斬らないと、それで少年が斬られる。借りを返せなくなる」
「へえ。何かしてもらったのかい。ガキの茸でも食って、美味さにやられたか? 剣聖も女だったんだなあ」
卑猥にからかってくるが、フィンは眉一筋動かさない。
クロイもすぐに笑みを消す。
「ゲール、そのガキはまかせるぜ。俺はこの化け物を、何とか足止めしてみせる。こいつがそっち行ったらおしまいだ。その前にぶっ倒して、お前だけでも逃げろ」
「うるせえ!」
雷鳴が鳴った。
リージェの耳が痺れた。全身が打ち据えられた。
怪物と相対するリージェは、脳天から爪先まで、本能的な戦慄に握りしめられた。
「よくもやってくれたな。ガキも女も、外の連中も、皆殺しだ……王も何も知ったことか、うるせえやつは全部ぶっ殺してやる……」
ゲールは、兜こそつけていないが、頭には革帯でできた防具を装着し、首まわりを守る襟状のガードのついた胴鎧、打撃武器にもなる頑丈な手甲に脚甲と、防具はしっかり装着している。
巨体ゆえに誰もが狙うだろう足回りは、特に念入りに防備してあった。
その手には、棘のついた凶悪な棍棒を握っている。
完全武装の戦士を鎧兜ごと一撃で叩き潰すことができる、リッキの鋼棒よりさらに危険な武器だ。
それを、防具を装着した重たげな巨体に似合わず、信じられない速さで振り回し、無数のしかばね――いや原型をとどめない肉塊を大量生産してきたのが『赤目のゲール』なのだ。
勝てない、と本能的にリージェは悟った。
自分の剣――父の形見、惨殺された家族の無念の想いがこめられた剣すら、棒切れかそれ以下の頼りないものに成り下がる。
おとぎ話に語られる「英雄」というのはこういうものだ。自分たち程度ではない、鍛え上げた熟練の戦士たちが何千何万と集う戦場でなお、抜きん出た武勇を振るい、飛び抜けた剛強を発揮し、あるいは目もくらむほど華麗に輝く。
それが本物の戦士。
ゲールは本物。
リージェを、猛撃が襲った。
受けるな。防ぐな。かわせ。逃げろ。
避けられない死をすでに受け入れていたリージェだが、フィンの言葉が脳裏をよぎる。
リージェは飛びすさって、かろうじて避けた。
即座に二撃目が来た。床を叩いた棍棒での、突きだ。
リッキとは俊敏さがまるで違う。
これほどの巨体なのに、速い!
「わっ!」
棘をいっぱいに生やした棍棒の先端部は、自分の体全部よりもさらに大きな拳のように見えた。
とっさに腕を斜めに組んで、後ろに飛びながら受けた。
それでも高所から落下したような、ものすごい衝撃を受けた。
転がり、後転を繰り返してなんとか片膝立ちに。
剣を手放さずにすんだのはありがたいが、それを握る腕が痺れている。折れていないのがむしろ不思議なほどだ。
強い。強すぎる。自分たち全員でかかれば半数を失いつつもどうにか討てるだろうと思っていたが、とても無理だ。皆殺しにされるだけだ。これに一矢報いることすらできるとはとても思えない。
だが、恐れはそれほどでもなかった。
負けても死ぬだけ。家族のところへ行くだけ。
そもそも、自分が負ければ、その時こそゲールの最期だ。
『剣聖』が全てを片づけてくれるのだから、本望というもの。
ゲールを切り刻むフィンの剣閃は、さぞ美しいだろう。
それを見たいな、という未練がわずかに湧いた。
「少年!」
強い声が飛んだ。
フィンが、叫んだ。
「すまない、思っていた以上にクロイは強い!
助けるつもりだったが、無理だ!
まだ借りを返していない! それまで死ぬな! 逃げろ!」
「な……!」
リージェは棒立ちになった。
フィンを頼れなくなるというのは、考えもしていなかった。
フィンですら危うい敵がこの世にいるとは思いもしなかった。
勝てないのかもしれない。
フィンも斬られて、復讐は未遂に終わるのかもしれない。
これが、現実だった。
強い相手に一矢報いることもできず、自分は無残に破壊されるだけ。
何もかも無駄に終わり、ゲールはこれからも自分たちのような犠牲者を踏みつけて生きていく。それが強者だ。リージェは弱者だ。踏まれて潰され死んでいくだけの存在だ。
「逃がさねえよ……!」
ゲールが棍棒を振りかぶった。
逃れられない死をリージェは見た。
(あ、だめだ)
終わりを、リージェは受け入れた。
全ての終わりを前にした心の中で――。
ただひとつだけ、終わりを受け入れないものがあった。
謎があった。
美しい姿――いやぼろぼろの姿と、めんどくさいというけだるげな声とともに、それはあった。
「借りって何だ!?」
リージェは叫んでいた。
ゲールのことも忘れて、フィンを向いて、怒鳴った。
「僕が、君に、何をした!?」
ゲールに殺されるどころか、平の『騎士』にすらあっさり殺されているのが、本来の展開だったはずだ。
それがここまで来た。
『騎士』を何人も討ち、街を解放し城館を攻略し、ゲール本人のところまでたどりついた。
それらは全て、フィンのおかげ。自分の力ではない。
そのフィンは、自分のはたらきについて、借りがあるから、と言った。
丸腰で危地に立ち、仲間たちに犠牲が出ないようにしてくれて、先頭に立って盗賊たちを何人も斬るほどの借りが、リージェに対してあるという。
思いつかない。
粗末な食事を分けた、程度の恩ならもうとっくに返してもらっている。
それ以上の行為など、何も思いつかない。
だからこそ、死を前に、知りたかった。
知らずには死ねなかった。
「何なんだ、一体!」
答えは――風切り音だった。
笛のような、空気を切断する音が、ふたつ。
フィンと、クロイ――至近に迫ったお互いが、手にする剣を、最初とは違う位置に変えていて。
両方同時に、体を不自然に揺らめかせたかと思うと、飛び離れた。
そして、フィンが、片膝をついた。
「!!」
リージェは飛びついた。
ゲールの攻撃があったようだが、よくわからない。
「大丈夫か!?」
「ああ。だがやはり、あの剣は厄介だ」
クロイも、めまいでも起こしたかのようにフラフラしている。
「同じものを持っていれば、今ので勝てたんだが……」
「君でも勝てないのか!?」
「私でも、あれに斬られたら死ぬと思うぞ、多分」
「多分じゃなく、普通死ぬよ」
「やっぱりそうか」
リージェはあきれつつ――このけだるげな声が最期に聞くものというのはいやだなと思った。
だから訊ねた。
「死ぬ前に教えてくれ。僕の貸し、君の借り、君が何度も言ってるのって、何なんだ?」
「…………」
クロイが、頭の振りを止めて、こちらに向き直る。
ゲールが地響き立てて近づいてくる。
死が迫る中、フィンは答えた。
答えてくれた。
「私を信じると、言ってくれただろう?」
「……?」
思い返せば、確かに、言った。
「美女ではあるが、こんな怪しい者を、何も訊かず、そのまま、信じてくれると」
「それは……」
「大抵は、怪しみ、疑い、探り、警戒し……使えるかどうかを計り、正体を暴き、打算を巡らせ、利用しようとする。狙ってくる。自分のものにしようとする。
でもお前は、信じると言った――何も訊かず何も探らず、私をただそのまま信じてくれた。
顔を見せ技を見せた後の、今でも、だ。
そういう風に信じてもらえるのは、とても貴重で、とても嬉しいことなんだよ、リージェ」
フィンの唇がほころんだ。
「大きすぎる借りだ。返すのが、ほんと、めんどくさい」
剣聖フィン・シャンドレンの笑みを、彼は見た。
本当の笑みを。
リージェは生涯、その笑顔を忘れることはなかった。
今日は、もう一話投稿します。




