02 ぼろくず現る
不意に、ぞくりとした。
「!?」
リージェはハッとして、その場に身を伏せた。
森に棲み激しい鍛錬を自らに課しつつ、食料調達の狩りや採集、あるいは盗賊どもの様子を探る情報収集活動などを続けているうちに、様々な感覚が鋭敏になった。それでわかる。良くないことの気配だ。
草原の向こうに、小さな点があらわれた。
半年前に悪鬼どもが押し寄せてきたその道を、やってくるものがある。
荷馬車だ。
痩せ馬に引かせた一台の馬車が、道を進んでくる。
秋になるとやってくる行商人だ。収穫前に訪れて村々を回り、作物の出来具合を確かめこの小さな国が求めているものを聞き取ってから戻ってゆく。
その情報を元に、収穫後に馬車を連ねた商隊がやってくるのだ。
今年の気候自体はきわめて良好だった。
耕す者さえいれば畑は豊作、材木やこの地でよく獲れる薬草なども例年よりは多めに用意できて、必需品の塩や農具だけでなく、よその土地の珍しいものを手に入れることもできたことだろう。
だがその機会は永遠にない。
「む……」
リージェは目をこらした。
荷馬車のすぐ後ろを歩く人影がある。
商人ではない。
いやなにおいがした。実際の臭気ではない。肌で感じるもの。脳に流れこんでくる感覚。
やつらだ。
あの人影は、『案内人』…………やつらの一人だ。
悪鬼どもは、この土地と外界とをつなぐ道に、関所を作った。
ゲールの存在を他の国に知らせて助けを呼ぼうとした者は、そこでことごとく捕らえられ、見せしめに、ひどい殺し方をされた。
逆に、外からやってくる者は――『案内人』をつけられ、この土地の支配者が変わったことを教えこまれ……『商売』をさせられる。持ってきた荷の全てを差し出すというきわめて公平な取引だ。もちろんその後は『商売』に満足してこの土地に住みつくことを選ぶ。元来た街へ戻ろうなどと考えることはない。
あの行商人も、これから城へ連行され、現状を見せつけられた上で、運んできた荷物を全て差し出す『商売』をすることになるだろう。
それを続けて商人が訪れなくなっても、今の支配者たちにとっては大した問題ではない。ものがなくなればある場所へ行けばいいだけのことだから。
「おい」
小さな声が背後からした。仲間の一人だ。リージェたちは決して単独行動をしないように心がけている。
「一人だけだ」
「油断してる」
「やれるか」
「やろう」
これはめったにないチャンスだ。
悪鬼どもは、大抵は数人から十人ほどでまとまって行動する。
元々凶悪なやつが複数になると、少々の人数で襲っても勝算は少ない。しかも一人でも逃がすとその後で数十人の悪鬼がやってくる。この半年、『解放軍』は憎しみをつのらせつつも、何一つ手出しすることはできないでいた。
だが今、あの荷馬車についている『案内人』は一人だけだ。
リージェら『解放軍』が意図的に行動を抑えているので、油断したのだろう。
身を伏せたまま後ずさりし、森に入ってから身を起こして駆け出した。
木々の合間に作られた『道』を走って行くうちに、周囲に仲間が集まってきた。
リージェを含めて五人。これならいけそうだ。
この地の支配階級として『騎士』などと名乗るようになった盗賊どもを一人だけでも減らせる上に、持ってる武器を奪えるし、商人の運んでいる荷物もこちらのものにできる。商人が協力してくれればさらに他の活動もできるだろう。
「ここがいい」
リージェは、先回りして到着した、手頃な場所に仲間をひそませた。
道が曲がっていて前後が見通せない上に、右側に大きな岩、左側は茂みと、隠れて待ち受けるにも都合がいい。
息をひそめて待つうちに、馬車の音が近づいてきた。
リージェの全身にいやな汗がにじんだ。
半年前の恐怖は、まだ身をむしばんでいる。
でも、それを上回る憎しみがある。鍛えてきた自負もある。父を思い母を思い、妹たちの最期を思う。友人の声、幼なじみの悲鳴。
手にした剣を握り直す。あの時なくしてしまったものを、地べたを這いずり回って探し、一月後に焼け跡の中から見つけ出した。今度こそこれをちゃんと使ってみせる。やつらに報いを受けさせてやる。
ごろごろ鳴る馬車の車輪、馬の息と熱い汗の気配。
そして歩いてついてくる男の足音。
「おい、じじい。もっと早く行けねえのか」
「馬も年を取っておりますし、荷があるので……!」
「くそっ。もうすぐメシの時間だってのに」
顔を見ず、悪態を聞くだけでもわかる凶悪さ。
「わかるか。メシの時間なんだよ。こんなしけた土地じゃそれだけが楽しみなんだ。俺のこの右手に肉、左にも肉よ。突き刺してかぶりつく。たまんねえぜ」
わめきながら歩く盗賊が、襲撃ポイントにさしかかった。
最初は、木の上からの投石だ。
命中すればもちろんいいけど、そうじゃなくても、注意を引いたところを背後から襲う。
「なんだてめえ! コラァ!」
外れたようだ。
「父ちゃんのかたき! 村のみんなのかたき! ぶっ殺してやる!」
石を投げたのは仲間の中で最年少の子供。
投げた後に、まだ声変わりしていない甲高い声をあげ、さらに相手の注意を引く。
相手がそちらに向いたところで……!
「行けええええええっ!!」
リージェは叫び、仲間も叫び、一斉に飛び出した。
盗賊が目に入る。革の胴鎧のみを身につけ、兜もすね当てもない。腰には剣を提げているが抜いていない。
鎧の下に着ている服は、襟のついた、上等なものだった。
見覚えがある。年に一度の祭の時、街で、どこかの村の大人が着ていた一張羅だ。髪や髭もこざっぱりしている。森に隠れひそみ続けている元々の住民のリージェたちが服の替えもなく獣のようになっているのに、この土地を襲った盗賊どもが身綺麗に。一瞬で憤激が湧いた。
子供の方を見上げている盗賊へ、低い姿勢で剣を構えて、四人で一斉に――!
「ぐあっ!」
「ぎゃっ!」
何かが動き、悲鳴が上がり、血が飛び散った。
盗賊の血ではない――仲間が二人、倒れた。どちらも頭を割られていて、鮮血が激しく噴き出した。
「五人か。オスガキばっかじゃねえか」
別な盗賊が二人、馬車の荷台から姿を現した。
歩いてついてきたやつを囮として、そこにひそんでいたのだ。
どちらも長い棒の先に鎖で短い棒をつないだ、連接棍という武器を手にしていた。それで荷台の上から殴りつけてきた。
「お前らだろ、なんか俺たちを狙ってるらしい、生き残りってのは?」
その二人が、荷台から降りてきた。
腕が太い。体の幅が厚い。防具をしっかり身につけている。それでいて動きは軽やかだ。
「狙うなら、もっと上手く隠れろよ。森ん中うろうろしてんの、丸わかりだったぜ。それに襲う時に声出しちゃいかんな」
最初の盗賊が、手の中に隠し持っていた短剣を見せびらかした。血に濡れていた。仲間がまた一人倒れた。
さらに盗賊は、手首をひらめかせた。
木の上の子供が落下してきた。飛礫をくらったらしい。
これで四人倒され、残るはリージェただ一人。
「人を狙うってのはこうやるんだ。わかったか、ガキ」
「う、う……うう……!」
リージェの満面が汗に濡れた。
荷台から降りてきたやつらを含め、盗賊三人が、リージェを取り囲む。
「ここんとこヒマだったんでよ。久しぶりのメシだぜ」
「食いでのねえ、田舎のガキだけどな」
その言葉でリージェは気づいた。さっきこいつが声高に言っていたメシの時間というのは、自分たちの襲撃を見抜いて、馬車に隠れている仲間に伝えた合図だったのだ。右手左手と言っていたのも、自分たちが隠れている場所を教えるため。
人殺しを食事と同じものとして考える凶猛なる戦闘集団。
さらに、罠をしかける悪辣さも持っている。
どの一人をとっても手練れ。
これが『赤目のゲール』一味だった。
「一人だけかよ」
「つーか、クロイのやつに言われてただろ、殺すんじゃなくて捕まえて働かせろって」
「いいだろ一人残ってんだし。あいつほんとうるせえよ」
「二人残しといて、生き残った方だけ助けてやるって戦わせて、賭けしたかった」
「ああ、そりゃいい。しまったなあ、やっちまったか」
「お前は殺さないでおいてやる。連れていって、残りの仲間のことについて全部吐いてもらう」
「へへへ、我慢してもいいんだぜ、おもしれえことになるからよ」
仮にも剣を構えているリージェのことを、まったく脅威に感じている様子もなく、ニタニタ笑って軽口をたたき合う盗賊ども。
リージェの体はどうしようもなく震えた。
もとより降参する選択肢はない――心の底からこいつらを憎み、復讐する覚悟を決めている。
それでもやはり、直面する圧倒的な暴力、死そのものの恐怖には抗いがたいのだ。
「おうおう、おびえちゃって。ほら頑張れ、しっかり立ってろ」
「俺たちの誰かが、お前のおっかさんぶっ殺したんだろ? やり返したいんだろ?」
「ああ、お前の姉ちゃんヤッちまったからか?」
「う、う、う……!」
激烈な怒りが湧く。
途方もない恐怖も湧く。
両方が頭の中で渦巻いて、体は言うことを聞かず、歯がガチガチ鳴る。
それを見て三人の盗賊はげらげら笑う。
「体はそれなり、構えもいっぱしだけど、可愛いもんだ」
「がんばって鍛えたんだなあ、ボクちゃん」
「この程度のやつしか残ってねえのかよ。クソ田舎はこれだからいやだなあ」
「まったくだ。これなら四人で来る必要なかったな。俺一人でも十分だった」
変なことを盗賊は言った。
四人、と。
盗賊たちも目をしばたたいた。
「ニールはどうした?」
「あの野郎、居眠りこいたか?」
盗賊の一人が、馬車の荷台をのぞきこみ――。
「……たあああっ!」
リージェは突進した。
かなわなくても、せめて一太刀だけでも。
相討ちでいい、一人だけでも倒して死んでやる。
すぐ行きます、と両親にリージェは伝えた。兄たち、弟妹にもそっちへ行くぞと呼びかけた。最低でも一人は道連れにしてやる。家族みんなでそいつをなぶり殺しにしよう。
「へっ」
余裕の笑みを浮かべて、盗賊二人が身構えた。
命がけの突進にも、まったく動じる気配はなかった。むしろリージェの暴発を予期していた。どう料理しようかと目を細めて考えこむのがリージェにもわかった。
バフッ。
片方の盗賊の顔に、茶褐色のものが浴びせられた。
粉末だ。横合いから投げられた小袋が、こめかみに当たり、中身があふれた。塩だ。リージェの母がいつも行商人から仕入れて、食事のたびに壺からつまんで鍋に入れていたのと同じもの。
「ぐっ!」
目に入ったようで、反射的に顔をしかめる。
リージェはそいつへ体ごとぶつかっていった。
防ごうとしたフレイルの動きは遅く、剣の切っ先は相手の首筋へ深々と入りこんだ。
鮮血が激しく飛び散り、辺り一面が鉄臭いにおいに包まれる。
「あ…………あ…………」
リージェは、頭が真っ白になった。
人を斬ったのは初めてだ。
剣の柄を経て手に伝わってきた、人の肉を切り裂く感触。思い切り浴びた熱い血潮。
殺してやるつもりの相手、死んで当然のやつと思い定めていても、人を斬った、殺したという、その衝撃は巨大だった。
さらに、首を貫かれた相手が、寝ぼけたような目でリージェを見つめ――瞳から生気が抜け、腕が落ち脚の力が失われ……崩れ落ちる。
貫いたままの剣に、その体の重みが伝わってきた。
それは、相手の命を奪ったという、直接的な感覚そのものだった。
相手が倒れるのと共に、リージェの手から剣が離れる。
地面に人体が倒れ伏す、どさっという重たい音。
そして、同じ音が、もうひとつ。
馬車をのぞきこんでいた盗賊が、その姿勢のまま、くずおれたのだった。
「!?」
盗賊も、リージェも、目をむく。
馬車の荷台から、起き上がるものがあった。
四人目だろう、盗賊の腕――が、宙に伸びたと思ったら、倒れて。
その体を押しのけるようにして、薄汚れた……黒ずんだ毛皮の獣のようなものが、のったりと身を起こした。
努力が報われるとは限らない。
努力して得た結果が、才能ある者の半分ぐらいというのはよくあること。