19 剣術指南
そこは、著しい功績を挙げた人物を『騎士』に任命したり、滅多にないがこの土地をよその高貴な人物が訪れた際に晩餐会を開いたりする時のみに使う、貴賓室を兼ねた広間だった。
土地の人間は、村長や職人の長など、限られた者しか立ち入ることを許されなかった場所なので、リージェもそこから先の構造は知らない。
……漂ってきたのは饐えた臭いだった。
男臭く、生臭い……体を洗うこともろくに知らず、食いたいものを食いたいだけ食って後片付けもせず、気まぐれに人を殺してそれも放置して、女をもてあそびごろ寝していた、悪鬼ども本隊の巣窟。
かつての貴賓室は、先の『村』に数倍する、邪悪と堕落が煮詰められたような部屋におとしめられていた。
そこに、人の姿はない。
「いないな……」
さらにその奥、階段を上がった二階に、領主一家の生活区域があると聞いている。この館で最もいい部屋だろうから、ゲールがいるならそこだろう。
「どこかに隠れていたりしないかな」
館内を探すなら人手が必要だが、仲間たちは、盗賊の引きずり出しと処刑にかかりきりで、まだ誰もついてきていない。
だがフィンは悠然としていた。
「そういうことができるやつならめんどくさかったが、火をかけられているから、もうじき燃えるし――」
確かに、外から射かけられる火矢への対処ができなくなって、かすかに煙のにおいが漂ってきている。
隠れたまま焼死するという道を選ぶようなら、盗賊団などやっていないだろう。
「この城の囲み方を見れば、それはないな」
「囲み方?」
「水路と塀で完全に囲っている。
逃げ道を作っておくなど考えもしていない。うるさいやつが入りこんでこないことを優先した作りだ。
自分の力に絶対的な自信があって、攻めこんできた者は皆殺しにできると思っているからだな」
「赤目のゲール……」
一人だけでもリージェたちよりはるかに強い悪鬼ども。
その上に君臨している首領。
副官のクロイですら凄まじかった。ならば首領はどれほどの怪物か。
「………………」
リージェには恐れはなかった。
クロイすら子供扱いできるフィンがここにいるのだから。
だが、恐れはないが、恥はあった。
外から来た人に頼りきって片をつけるのでは、これまでの自分や仲間たちが過ごしてきた苦しい時間の意味がなくなる。
自分の家族はじめ、やつらに殺された人、虐げられてきた人たちの怨みも晴らせない。
「ゲールは、僕がやる。やってみせる。必ず倒す。斬る」
リージェは決意をこめて剣を握り直した。
「しかし、少年……」
「わかってる」
自分の口が笑みを作っているのを、リージェは心地よく感じた。
「僕がお願いしたのは、『みんなを守ってくれ』だ。
僕を守ってくれとは言っていない。だから君には僕を守る理由はない。そうだろう?」
初めて、フィンの目が驚きを示した。
「気づいていたか。しかし……」
「僕は、ゲールと戦わなければならない。
これまで殺されていった人たちのために、僕自身が戦わないと。
そうしなかったら、僕は仇を討てなかったことになって、死ぬまで悔しい気持ちのままだろう。
それは死んでるのと同じだ。
だから僕はゲールと戦う。
僕がやられたら、後は頼む。
死ぬなら僕が一番最初で、僕だけだ。
みんなが生き残るなら、それでいい」
「しかしだな」
「僕に、借りがあるんだよね?
何のことかわからないけど、それなら、僕を守るんじゃなく、僕を守らないで、僕にも戦わせてくれ。僕の願いなんだから、借りはそれで返してくれ」
「むう……」
リージェは、また新しいフィンの表情を見た。
頬をふくらませたふくれっ面。
そして頭に手を置き、かぎ爪を作って、髪をくしゃっとやる。
「お前を守れないと、後がめんどくさい。ずっと思い出す。よく眠れなくなる。
でもお前の願いを守らないのも、約束破りを後から思い出す。
どっちにしてものんびりできなくなる。
ずるいぞ」
「あはっ」
リージェは笑った。
心から笑いがこみあげてきた。
初めて、フィンから一本取ったのだ。
「何で僕が負けるって決めてるんだよ。
答えは簡単だろ。
僕がやられなければいいんだ」
「む」
「僕が、僕の力で、ゲールに勝てればいい。
そうなるようにしてくれれば、めんどくさくなくなるよ」
「ふむ」
できないとは、フィンは言わなかった。
そしてこの美女は、ぐうたらで変人で何を考えてるのか全然わからないが、嘘は決して言わないことを、リージェはよく知っていた。
「わかった。では……」
フィンが何か考えていたのは、わずかな間だった。
「準備をする。手を出せ」
「ん……」
敵地かつ死闘の最中であるが、リージェには、彼女の指示に従わない、という選択肢はない。
剣を鞘に収め、手の平を上に向けてそろえて出すと、フィンは自分の剣をその手に置いた。
金属の重みと冷たさ。父の形見のものよりは少し軽い。人体をいくつも切断したはずなのに血も脂肪もまったくついていなかった。
「?」
「じっとしていろ」
両手で、リージェの頬をはさみこんだ。
「!?」
フィンも女性にしては背が高い。視線の角度はそれほど変わらない。
そのまま、近づいてくる。
まるで――恋人同士のように。
「え、あ、あのっ!?」
「動くな、少年」
フィンの手つきも、まなざしも、声も、優しかった。
これまで見てきた、意図的に男を惑わそうとする演技ではない。
眠たそうで、けだるそうで。
だけど――だからこそ、そこに本物の意志をリージェは感じて。
「! ! !」
心臓が炸裂寸前に高鳴った。
フィンの唇が、自分の唇に近づいてくる……その様子が、時間がゆっくり流れるように、異様に長く感じられて……!
硬直するリージェの、まぶただけが、勝手に落ちた。
最大の敵に立ち向かい死んでゆく自分へ、女神からの、健闘を祈る祝福と、最期のはなむけ。それに違いなかった。
……唇と唇が触れ合う、その寸前。
「ウガアアッ!」
人間のものではない怒声と共に、巨大なものが飛び出してきた。
でかい。ごつい。禿頭に、顔の下半分を濃く覆う髭。
筋肉でふくれあがった巨体、凶悪に輝く眼。
胸甲に小手、すね当てとそれなりに防具を身につけ、手に鋼の棍棒を握っていた。先端部は八角形で、各面に打撃の威力を高めるために鋲が打ってある。人を殴り殺すために作られた武器だ。
「てめえら! 何して! ざけんな!」
飛びかかってくる野獣に、フィンが動いた。
風のように、ひらりとリージェから離れる。
相手の鋼鉄棒の手元に火花が散った。
「えっ!?」
リージェが目を開け、呆けていたところから我に返った時には、もうそいつとフィンが対峙している。
手の上にはフィンの剣がなお乗ったままだ。
慌てて見ると、自分の腰の剣がなくなっている。
父の形見の剣は、フィンの手の中にあった。
「いいか、少年。力自慢の、大きな相手とは、こう戦う」
声をかけられて、ようやく状況が理解できた。
相手は獣ではなく、幹部の、リッキだ。
頭が少し弱いが、その分ゲールに深く心酔していて、常にゲールの側を離れない。
様子をうかがっていたら、フィンとリージェがいちゃつき始めたので、カッとなって飛び出してきたのだろう。
またやられた。フィンにもてあそばれ、囮に使われた。
恥ずかしく思いながらも、リージェは目を皿にしてフィンの戦いぶりを見つめた。
「こっちだ、でかぶつ」
フィンは、相手を翻弄した。
それまで見せたような、まったく見えない超絶の剣技ではない。
鋼棒の猛撃を巧みにかわし、相手が大振りしたところにすかさず踏みこんで、剣を振るって細かな傷を与えていく。
リージェでも真似できそうな動き。
しかしどの傷も浅く、巨漢の動きは少しも衰えない。
「ごのぉ! おがしらの、じゃまもの! 死ねぇ!」
濁声でわめくリッキは血まみれだ。しかし深い傷はないので動きに衰えはまったくない。
鋼棒がうなり続ける。これまで見てきた盗賊たちの誰が振るう武器よりも恐ろしい音、すさまじい勢いだ。
その必殺の鋼棒を、フィンは足さばき、身のこなしだけかわし、剣で受けるような真似はまったくしない。
「少年。お前の利点は、動きの速さと、動き続けることのできる持久力だ。力は大したことがない。技は話にならん。自分が強いと思うな。ちょっと鍛えただけの田舎者だ。ここの相手はなまっていない。力でも技でも気迫でも決してかなわない。打ち合うな。受けるな。受けさせるな。動き続け、かわし続けろ」
お手本とばかりにリッキの攻撃をかわしながら講釈を垂れてくる。
力むリッキの全身から血と汗が飛び散る。
一方でリージェは硬直する。自分なら途中で撲殺されていたのは間違いない。
これは幹部で、ゲール本人ではない。ゲールはこれよりさらに強い。
「……そして、逃げ続けて……」
フィンは、鋼棒が床を砕いたところで踏みこんだ。
ふらついたような、殺気どころか気合いも入っていないような動き――しかし、速い。
リッキの指が一本、切断されて飛んだ。
「うがあああああああ!!」
「相手を、一撃で殺そうなどと思わず、戦えなくすることを狙って、少しずつ斬り続けろ。行けると思っても行くな。腕一本を犠牲にしても相手を誘いこんで殺す、というのをためらいなくやれる連中だ」
めちゃくちゃに鋼棒を振り回すリッキの、足下にフィンは滑りこむと、床すれすれに剣を振るって、すね当ての裏側に切りこみを入れた。
即座に跳ね飛んで距離を取る。リッキの背後。
そちらを振り向く前に、リッキが、立ち尽くすリージェに気づいた。
「おああああ!」
ふくらはぎ、恐らく腱を切られただろうに、変わらぬ勢いで突進してくる。
その首から、剣先が生えた。
突進以上に速く駆け寄ったフィンが、後ろから首を貫いたのだった。
「とどめだ、少年」
剣先が抜けていって、血が噴き出た。
リッキの目がうつろになった。だがまだ敵意が燃えている。
リージェは、フィンが持っていた剣を握りしめた。父の剣より少し重い。
フィンのあの超絶の剣技の、わずかなりとも自分に宿れと念じる。
自分の体がフィンと重なる。
あのように。あんな風に。美しく。鋭く。速く。
かつてないほど、体がなめらかに動いて。
振るった剣は、何の抵抗も感じずに、リッキの太い首を切断していた。
「あ…………」
轟音立てて倒れ伏すリッキの体のかたわらで、リージェは剣を振り切った姿勢のまま立ち尽くした。
手の感触、体の感触が、これまで人を斬った時とまったく違う。
剣とは、これほどに、あっさり相手の肉体を断つことができるのか。
相手の命を終わらせることができるのか。
「よくやった」
ほめ言葉にもリージェは反応できず、手の中の剣を見つめ続けていた。
「では、それを、忘れろ」
フィンは、自分が持っていた剣をリージェの腰の鞘に押しこみ、リージェが持っていた剣を、指に指を絡めるようにして奪い取った。
「忘れろ……?」
「動け。受けるな。やれるなんて思うな。そんな好機はない。ありそうに見えてもすべて誘いだ。今のがまたできるなんて思うな。お前には相手を斬ることはできない。逃げることだけ考えろ。逃げ続けることが、お前の勝利だ」
矢継ぎ早に言われて、唖然となった。
何も持っていない手を、空中で、剣を握るかたちにする。
今の、最高の斬撃。あれをゲールに叩きこめれば。
「無理だ」
心を読んだように、容赦なく希望を断たれる。
「それをしないこと、それをやろうとしないことが、私が今教えられる、唯一のことだ」
「やろうと……しない……」
「そうだ、やるな。やろうとするな。
あの相手は、今のやつとは桁違いだから」
フィンが横を向き、剣を構えた。
広間の、さらに奥の――先ほどリッキが飛び出してきた扉の向こうから、黒い髪黒い髭、長身痩躯の男と。
それ以上に高く、大きい、怪物が現れた。
クロイと………………盗賊団首領、赤目のゲール。
リッキ=前頭筆頭
ゲール=横綱
ぐらいの格差があります。
最後までまとまりました。24話でこの話は終わります。




