17 城門攻略
リバーシブル。なおリージェ少年は、脱いだものを集めましたが、女性の衣服ということで動揺しまくりで気づいていません。
「んー、まあ、そう呼ぶ人がいるというのは本当だが」
「やっぱり! すごい剣士ってことだろう!? 本当だったんだ! あの柱! あんな風に! すごかった! あのクロイも倒せるんだろ!? すごい! 本当にすごい!」
「あー、頼む、あまり、言わないでくれ」
白い手が、リージェの口をふさいだ。
手の平はすべすべで、少し冷たく、細かった。
「!」
こんな時なのに、甘い鳥肌が立ってリージェは震えた。
その耳を、乱打されている鐘の音が幾度も叩く。
遠くに広がるその音を聞いた、森にいる『騎士』たちは、即座に駆け戻ってくるだろう。
だからその前に、突入して、ゲールを討つ。
この『剣聖』と共に。
この白い手で神技を振るう剣士と共に。
彼女と一緒に……!
「いいか、言うな。それは言うな。
頼られて、先頭に立たされて、めんどくさい」
「……」
盛り上がった気分が、下降させられた。
こくん。うなずくと、そろそろと手が口から離れた。
「でも……先に言ってくれれば、僕たちももっと安心――信じて――格好だって……そういえばその服は……!?」
最後の質問だけ、返事が来た。
「裏返すと、きれいなんだ」
リージェは絶句した。
普通、逆ではないか?
自分の母をはじめ、女性で、きれいな衣服を求めない者など見たことがない。
「見た目がいいと面倒なことが多くてめんどくさい。
でも、見た目の良さが必要な時もある。
そういう時のために、きれいに見せかける準備はしてある。
じっくり見られたらぼろが出るが、顔がいいからかなりごまかせる」
「ああ……楽ができるんだね……」
脱力をおぼえつつリージェは言った。
確かに、ぼろぼろの間は胡乱な目を向けていた仲間たちは、素顔をさらし美身を見せつけられると、人形となった。
『騎士』たちも美しく装った彼女の侵入をあっさり許した。
「でも、剣聖……なんて言われる、すごい剣士なら、何で剣を持ってなかったんだ?」
「どこかでなくした」
「……」
「誰かから奪えばいいと思っていたんだが……クロイはケチだった。美女に頼まれて貸さないとは。どこかでいい剣を手に入れないと」
「…………」
リージェは反射的に自分の腰に目をやった。
大丈夫、父の形見の剣はちゃんとある。
「じゃあ、色々言ってたのは……どこまで本当?」
「嘘は言っていない」
「ひとつも?」
「ひとつも。嘘は嫌いだ。のちのちめんどくさいことになるからな」
「じゃあ、ブルンタークとか色々、あれも?」
「ジシュカ将軍の姪というのは本当だ。ゲール一味を退治してこいというのも」
「ひとりだけで!?」
「お前ならできるだろう、たまには働けと。何もせずにのんびりしていたいのに、誰かを斬ってこいとか城を落としてこいとか、こういう仕事ばかりに駆り出されて、ほんと、めんどくさい」
「…………」
思い返す。
本当に、嘘は言っていなかった。
騎士かと訊いたら、違うと言った。ブルンタークのジシュカ将軍といえば国家中枢の一人……その姪なら、騎士どころかさらに上、貴族、王族だ。確かに騎士ではない。眠り薬や魔法の布など、不思議なものを色々持っていたのも納得だ。
誰かに雇われたのかと訊いて、違うと言った。伯父に言いつけられて来たのなら、確かに、雇われたのではない。
「天から降りてきて……」
「人は誰しも天から命を授かるものだ」
「神様のような相手に言われて……」
「寝場所をくれて、食事を与えてくれて、服や武器も色々くれる。伯父はまさに神様のようだ」
「……色々できるのは?」
「教わった。真似した。色々できると、楽ができる。演技、服装、口調……笑顔ひとつ、目くばせひとつでどうにかできるなら、走ったり殴ったり脅したり殺したりするよりよっぽど楽だ」
「………………」
リージェはあきれた。
心底、あきれ果てた。
とことんまであきれきったので、一巡りして、賛嘆にすら近い気持ちにとらわれた。
(なんて………………なんていう…………)
すべての行動の根源に、楽がしたいという思いがある。
それも、ただ単に目の前の面倒ごとを避けたがるというだけではなく、より大きな観点から、全体的に見て最も楽ができる道を選ぶ。
自分が忙しく働かされないために、正体を隠し。
自分が動かないために、あらゆる手を使って他人を動かす。
でも、自分が楽をするためになら、超絶の美貌を惜しみなく披露し、神技の剣も振るう。
これは、真のなまけ者、真のぐうたらと言うべきでは。
リージェの村にはかつて、農作業をなまけたくていつも他人を使おうとしている男がいた。当然、みなに嫌われ、何を言っても疑われ、協力してもらえず、ぶつぶつ愚痴りながら自分で沢山働かなければならなくなっていた。
この本物に比べれば、あんなのは未熟者にすぎない。
「以上」
一方的な説明終了の宣言と共に、リージェの背中に、ボリュームあるものが押しつけられた。
最悪の正体を聞かされたばかりなのに身も心も服従させる圧倒的な魔力を、ふたつの胸のふくらみは発していた。
少年は、自分がもうこの美女の正体を他人に言えなくなったことを理解してしまった。
「み……みんなを、こんな風に、操って……ずるいだろ、そんなの!」
こんな時なのに異様に体が熱くなる自分を激しく恥じらいつつ、リージェは懸命に言いつのった。
男の本能につけこまれ、いいように操られることが腹立たしくもあった。
「約束したからな」
こともなげに、フィンは言った。
「まともに突っこませたらかなり死ぬ。だから」
「あ…………それは……僕が言った、あの…………!
できるだけみんなを守ってくれというリージェの頼み。
その通りにしてくれている!
だからこそ、男たちの純情をもてあそび思考や行動を操りつつも、ここまで一人の犠牲も出ていない。
「ごはんは、じっとしていても手に入らない。持ってきてくれる相手はとても大事、持ってきてくれることはとても大きな恩だ。恩は返さなければな」
耳に流しこまれる声が、優しい響きを帯びた。
「それに……まあ、お前には、もっと大きな借りを作ってしまったから……」
「?」
食事提供以外にフィンへの貸しになるような何をしたのか、まったく思いつかない。
訊ねようとしたところで――わっと、大勢の声が上がった。
仲間や住人たちが、門から飛んでくる矢を、ただ恐れて逃げ隠れていたわけではない。
外した扉板や持ち出した大鍋や数人がかりで運び出した寝台など、あらゆるものを盾にして、門に突撃し始めた。
『騎士』や『兵』の死体をかつぎあげている者もいる。
「行けえええええええっ!!」
後ろの方の者は、叫んだり金物を叩いたり、やかましく音を立てて威勢をつける。
人の塊が、ゆるい坂を駆け上がっていく。
中から強弓が放たれ、恰幅のいい女性が支えていた厚い戸板が粉砕された。幸い鏃は額すれすれで止まり、慌てて他の盾の陰に転がりこむ。
「危ないな」
リージェの背中に張りついたまま、フィンが言った。
「何人かには、裏側から矢を放って、悪口を言って、中の者を引きつけろと言っておいたが……」
中にいる『騎士』は、ゲールとクロイを含めても10人はいないだろう。そのひとりでも裏側に貼りつけにできるなら大きい。
「そろそろ、そっちは無視して、こちらに集中してくる」
『騎士』の中で弓が最も得意な者は見張り櫓の上にいた二人だろうが、他の者にしても弓が使えないわけではない。現に強弓が狭間から放たれている。
また、盾にしていた板が射貫かれて、破片とともに悲鳴が上がった。
直後に別な矢が飛んできた。
フィンの言った通り、射手が明らかに増えていた。
「無理はするな! 落ちつけ!」
リージェは見ていられず声を張り上げた。
「丸太を使え」
耳元でささやかれた。
「人の手だけじゃ扉を破るのは無理だ! 丸太だ! あの櫓の柱を持ってきて、ぶつけろ! あれでぶっ壊してやるんだ!」
リージェが大声で指示すると、人の流れはふたつに分かれた。
後ろ側の者は、引いて、門の方へ駆け戻っていく。
前にいた者は逆に、急ぎ前進して、門扉やその周りの壁に張りついた。そこなら矢が当たらない。
後方で、作業を始めた物音がする。
その間に、城館の裏側――塀と水路に囲まれている側で、動きの気配があった。
燃えるものが弧を描いて宙を飛んでいる。
火矢だ。
「何人かには、街で騒ぎが起きたら、油と布を外の者に渡すように言っておいた」
フィンが言い、リージェはさらに嘆声を漏らす。
解放軍の自分たちは、油も、余分な布も、火種すら満足に持っていなかった。
それも見越して指示を与えていたのだろう。
ここまでの裏からの挑発は、実害のない弱い矢と悪口。それを無視したら、今度は火矢。
中の盗賊どもが混乱している様子を思い浮かべ、痛快な気分になった。
ほどなくして、丸太が運ばれてきた。
登るための足場のついているものを利用し、大工をしている者たちが足場の反対側に急ぎ把手になる横木を打ち付けて、大人数で持ち運べるようにしてあった。先端も衝撃力を増すために少しだけ丸めてある。
『騎士』たちに優遇されていたために、この状況では命が危なかった大工たち、その仕事ぶりは超人的だった。
それを運んでくる解放軍の仲間たちを、櫓の上にあった鐘や『騎士』が身につけていた防具など、色々なものを盾としてかかげた女性たちが守って進んでくる。
丸太の後ろを、領主一家の骸骨を捧げ持つ老人がついてきていた。その目は涙に濡れていた。
この丸太こそ邪悪の象徴、それを邪悪の根城に叩きこむ。
運ぶ者たちはみな、聖なる戦いに燃えていた。
「え」
フッと背中の重みが消えて、リージェは慌てた。
自分たちの前を丸太が通過した瞬間だった。
目をこらしたが、突き進む集団にまぎれたのか、見つけることができない。
丸太が城門へ続く斜面にさしかかった。
城から何本か矢が放たれたが、盾に突き立ち丸太に刺さり、倒された者は誰もいない。またこうなると一本や二本の矢でどうなるものでもない。
「そーーーーれっ!!」
全員が声を合わせる中、勢いよく斜面を駆け上っていった丸太が、門に激突した。
門扉全体が揺れた。
だがまだ、わずかにへこんだだけだ。
みなで大合唱しながら、二度目の攻撃。
扉が砕け、その向こうでも破砕音がした。補強の材木が折れるか何かしたようだ。
次で間違いなく扉は破れる。
群衆の声は、勢いをつけるというより、亡者たちがあげる地獄のうめき声のようになった。
これまでの恨み、憎しみ、悲しみのすべてが音となって喉から漏れ出ている。
異様なうなりの中、丸太が激突し――。
めりこんだ。
門扉が斜めに破れて割れ、丸太を持っていた男たちがつんのめり、周囲の盾持ち女性たちも転び、乱れ……。
破れた扉の隙間から、矢が飛んだ。
キン!
金属音と火花。
白い人影が、抜き身の剣を手に、丸太の上に立っていた。
漆黒の髪が躍った。
剣で切り払った矢が、地面に落ちた。
「てめえっ!」
割れた扉が、内側から砕け散った。
斧を振りかぶった『騎士』が飛び出してきた。
狭い入り口から入ってきた相手だけを攻撃する、そのためにじっと待つということのできない、単細胞である。
裸の上半身に心臓を守る革防具だけをつけ、筋骨隆々とした体は怒りにふくれあがっている。
「死ねやあああっ!!」
相手を残虐に殺すことで群衆の勢いを止めようと、凶悪な形相で丸太の上の女剣士に斧を叩きつけた。これまでにそうやって何人も見せしめに処刑してきた男であった。
次の瞬間、その脳天から股間まで一直線に、赤い筋がはしった。
白い美女は体重などないかのようにふわりと横へ。
漆黒の髪が後を追って波打つ。
『騎士』は相手のいなくなった空間を突進し――丸太に蹴躓いて。
「あばっ」
変な音を口から漏らして、右と左に分かれていった。
凄絶な血けむりと共に、ふたつに断たれた体の中身が地べたの丸太にぶちまけられた。
誰もが衝撃に立ちすくむ中を、一滴の返り血も浴びていない白衣の美女は、手の中の剣に目を落とす。
「うむ、いい剣だ」
先に討ち果たされた『騎士』の持ち物だった。
盗賊に突き刺そうと持ってきていた女性が、手の中から得物がなくなっていたことに気づいてぎょっとした。
飛び出してきた男のイメージ、「北斗の拳」のモヒカン。死に様もほとんどアレ。




