12 傀儡使い
フィンは最初、森の奥へ向かった。
しかし途中で――。
「そのひとたちを、その辺りに、縛って、置いて、隠してください」
みな即座に、連れてきた女性たちを縛り、猿ぐつわをかませ、それぞれ進路から少し外れた木のうろや岩陰に押しこんで、枯れ葉や木の枝で覆い隠した。
誰も文句を言うものはいなかった。夫であった者も、フィンをだらしない目つきで見上げつつ、かつての妻をあっさりと縛った。
もがく彼女たちを放置して、進み出し――放置場所が見えなくなったあたりで、進む向きを変えた。
「ち、ちょっと……!」
リージェは馬の横に追いつき訊ねた。
フィンは、ニンシキソガイの布ではなく普通の布で頭を覆っている。
長いつややかな黒髪が背中に垂れていた。
「何で、こっちへ!?」
「この方向へ進むと、どうなる?」
リージェに対してだけは、フィンの声音は変わらない。
「わかってないのか!? 丘があって、その縁を回っていくと……さっきの『村』の近くに戻ってしまうんだよ!」
「そうか」
「そうか、じゃないだろ!」
「……誰か、この先の道に詳しい方はいらっしゃいますか?」
フィンは、とろけるような声を背後に投げた。
仲間が我先に駆け寄ってきてリージェを押しのける。
教えてくれた者のあごを、フィンは白い指でくすぐった。
猫をじゃらすようなその行為に、された者は裏返った声をあげて腰を抜かした。彼はフィンのために死ぬだろう。男の本懐である。
「では行きましょう。案内をお願いします。
それから誰か、あの『村』の様子を見てきてください。
そろそろ盗賊たちが到着する頃です。あちらも周囲に気を配っているでしょう、絶対に見つからないようにしてくださいね」
一瞬の遅滞もなく、数人があちこちへ駆け出した。
女神の命令は絶対厳守。どの顔も見たことのない使命感に満ちあふれていた。
空はすっかり明るくなっている。
東に山があるために、太陽自体はまだ姿を見せていないが、地上から闇は一層され、あらゆるものがはっきり見えるようになっていた。
見つからずに移動するための道なので、こちらからもほとんど何も見えない。
狭い谷間や岩陰などを縫うように伸びる道を進み続け……。
偵察に行かせた者たちが合流してきた。
「来た! 来てた!」
『騎士』どもが、大挙して押し寄せていたそうだ。
「すげえことになってるぞ!」
「どのくらいいた?」
「100人以上!」
「……なんだって!?」
「本当か!?」
「間違いじゃない。俺たち二人で、別々に数えた」
「ああ。『騎士』だけでも50人はいた。どいつもこいつもがっちり武装して、馬も沢山だ」
「ゲールのやつ、よっぽど腹立てたな」
逃げた者の証言や『騎士』たちの死体の状況から、こちらの人数と戦力をかなり多めに見積もっていることだろう。
それに対処するために、20人や30人程度ではなく、総力をつぎこんでくるのに不思議はなかった。
「『兵』はいたか?」
「ああ、かなりいた」
皆の目に憎悪が燃えた。
「あと、縛られた人が何人かいた。子供も」
「先頭を歩かせて、罠よけだな。くそっ」
「ゲールは!?」
「いなかった。クロイもだ。指揮してるのはディーゴ」
「出てこなかったか……」
リージェは歯がみした。
フィンの計画が読めた気がする。
ゲールが城にこもったままでは、幹部たちを始めかなりの人数を相手にしなければならない。自分たち24人程度ではとても無理だ。
しかしゲールを外におびき出せれば――地の利を生かしできるだけ近くまで忍び寄って、一丸となって背後から襲えば……!
ゲールが出てきていないのでは、その策は失敗だ。
フィンはどうするつもりなのだろう。
「最初から、『騎士』の全員がいましたか?」
フィンは妙なことを訊いた。
「え? ええと……あ、いや、後からも、さらに、一人とか、二人とか、ばらばらに追いついて来ていました」
「ああ……すばらしいですね」
フィンは極上の笑みを浮かべた。
解放軍の魂はさらに奪われた。今フィンが命令すれば喜んで盗賊どもに突撃することだろう。
「何がすばらしいんだ」
仲間がどんどん女神のしもべに墜ちてゆくのが苦々しく、リージェはぶっきらぼうに訊いた。
「急ぎましょう。後で説明します」
フィンが言うと、仲間全員が一気に歩を速め、またがる老馬まで鼻息荒く獣道を急ぎ始めた。
リージェは舌打ちして後を追った。
日がかなり高くなってきた頃、休止となった。
あの『村』と城との中間あたりだ。
誰もが女神の側に寄りたがる素振りを見せたが、近づく度胸は誰にもない。根は純朴な田舎の青年たちである。
リージェは、あの美貌からめんどくさいという言葉が出るところを想像してみたが、どうやっても想像できなかった。
「みなさん、休んでください。この後は、もっと急ぎますよ」
女神の声が発せられ、みな、一斉に体を休めた。
フィンもニンシキソガイの布をかぶってしまう。
その高さが失われ、でろんと地面に広がった。横になったようだ。
何度か見た変化ではあるが、内側にいるのがあの美女と知った今では、見てはならないものを見てしまった居心地悪い感じになる。
「少年」
呼ばれた。
甘い声ではなく、だらしない、何度も聞いたけだるげな声。
突然、強い胸の高鳴りをおぼえた。
ぼろぼろの姿でだらしなく寝転がり、色香のかけらもない声音なのに、どうして。
戸惑いつつ、側に寄る。
「敵の数は?」
「え?」
「説明すると言ったからな。いやならいいぞ、めんどくさいし」
「いや……別に……」
めんどくさいと言ったのを妙に強く意識しつつ、リージェは頭をはたらかせた。
「ええと、敵は、133人から、9人倒したから、124人。
逃げたやつに矢が当たっていればもう一人少ないけど」
「関所に30人、牧場に10人、他の『村』に10人ずつだったな。それを動かさないとすれば、ゲールが動かせるのは60人ほどのはず」
あの『村』に50人以上『騎士』が来ているとすると……。
「……城には、ゲールと数人しか残っていない?」
「ああ」
「!」
リージェは、とてつもないチャンスに血が沸き立つのをおぼえた。
フィンが道を尋ねていたのも、見つからずに城へ近づくため。
ゲールをおびき出すのではなく、ゲールの周りから『騎士』どもを引き離すのが狙いだったのか!
――だがそこで、冷静さを取り戻した。
「それって、罠じゃないの?」
相手がひとりだからと襲って返り討ちに遭った経験がなければ、リージェだけでも喜び勇んで城へ向かっていたことだろう。
「ゲールは、僕たちがかなり強いと思っているはずだ。
暗いうちに押し寄せてこないのも、そのせいだって、君が言ったんだよね。
となると……自分の周りを、がらあきにするわけないよ」
牧場や他の『村』に配置した者も動かしていれば……数人どころか30人近くが城で待ち受けている可能性が高い。
「そう。だから、後追いの有無を確かめた」
「後追い?」
「彼らは、退屈していただろう?」
「…………」
確かに、フィンと出会った時の盗賊も、リージェたちを、こんな弱いやつらしかいないのかと嘆いていたし。
あの『村』の盗賊たちも、だらけていた。
「『赤目のゲール』一味は、多い時には500人を超え、ブルンタークの正規軍とすらまともにやりあったほどの、戦い好きの集団だ。契約をまともに守ることができるなら、強力な傭兵団として名を馳せていただろう。
そういう者たちが、この土地に逃げこんで、敵もなく、刺激もなく、ただ季節を重ねた。
そこへ、今の、この状況だ。
強敵が現れた。そう知ったらどう感じるか」
「……すごく、喜ぶ……」
「そう。
久しぶりのまともな相手、まともな戦いだ。
彼らはいつも5人か10人でまとまって動くと言ったな。
なのに、後からばらばらに追いついてくるやつがいた。
自分の配置場所を動かないように言われたが、根は勝手気ままな盗賊だ。我慢できるわけがない。本物の戦いと聞いて、飛び出してきたのだろう。それが後追いの連中だ」
「それは…………つまり…………ゲールの罠が、成り立たなくなってる?」
「ああ。
罠は崩れている。残っているのはわずかだ。
それなら、この24人で、十分にやれる」
自分は数に入れていないフィンである。
「すばらしいって、そういうことか……!」
「めんどくさくない。これほどすばらしいことはない」
「……じゃあ、女の人たちを置いてきたのは……」
「見つける。話を聞く。真偽を確かめる。まずそこで時間が稼げる。
それから、私のことを耳にする。
この土地にいる女性は全員知っているだろう盗賊たちが、新しい、極上の美女の存在を知る」
「………………」
「ひとりが言うだけなら妄想と思うかもしれないが、三人全員が語る。
彼らは私を手に入れるまで、城へ戻ろうとは思うまい」
「…………エサ、か……」
盗賊どもをつり出すため。
いや、思えばその前から――あの場所で夜営するように仕向けたのも、単身『お屋敷』へ乗りこんで意表をついて完勝にいたらしめたのも、そもそも『村』を襲えと言ったのも……何から何まで、この状況を作るための布石だったのか。
リージェの背筋を冷たいものが走った。
昨日のこのくらいの時間に、自分たちは荷馬車を襲い、フィンに助けられた。
あれからたった一日だ。
一日で、ここまで激変した。
そのほとんどを、フィンは、自分自身が動くことなく成し遂げた。
移動はリージェか、馬。
しゃべって、指示するだけ。
水に身を沈め、上がってきたのが、自分の体を動かした唯一のことだ。
リージェは、幼い頃、収穫祭にやってきた遊芸人が披露した、あやつり人形を思い出した。
何本もの糸が結びつけられた人形がいくつも、遊芸人が指先をちょっと動かすだけで、まるで生きているように動いて、劇をする。
今の自分も、仲間たちも、ゲール一味も、すべてフィンの指先で動かされている、あやつり人形なのではないか……。
フィンがいきなり裸身を見せ美貌をさらして仲間たちを言いなりにしたのも、恐らく、これから城へ乗りこんでゲールを襲うための布石。
凶悪な首領に立ち向かう際に、恐れを抱かないように――反抗したり、勝手に動いてことを台無しにしないように……自分の外見を最大限に利用して――逆にいえば外見だけで24人の男を操って。
操って…………その後、どうするつもりなのだろう?
「…………」
リージェはフィンをじっと見つめた。
「どうした」
「…………僕は、君を信じると決めてる」
「?」
「最初の時、その魔法の布があれば、そのままゲールのところまで行けただろう。
でも君は助けてくれた。
だから僕は君を信じる。
だから素性は詮索しない。
君が何者か知らないし、何をしようとしているのかも全然わからない。
それでも、僕は君を信じるし、助けてもらった恩は必ず返す」
怪訝そうな視線が、ぼろ布の奥から注がれるのを感じた。
リージェは必死に感情と思考をまとめ、言葉を探し、つむいだ。
「君は僕たちを上手く使おうとしてる。それはわかる。
それ自体は、別にかまわない。僕たちだけじゃ何もできないままだったし、あいつらを殺せるならどうでもいい。
だけど、ゲールは強い。とんでもなく強い。
周りのやつらを減らして、あいつ一人にしてから全員でかかったとしても、僕たちは沢山死ぬだろう。
それを、できるだけ、減らしてほしい。
まだ恩を返してないのにお願いできる立場じゃないけど、みんなを、できるだけ、守ってほしい」
「ふむぅ」
フィンはうなるように言い……頭部を揺らした。
「めんどくさいな」
「せめて、誰かが死ぬ必要があるなら、僕を一番最初に」
「…………」
押し黙ってから、フィンは、変な声を漏らした。
「あ~~」
「……だめか?」
「困ったな。めんどくさい」
「頼む」
「助けた恩はもう、返してもらってる」
「え?」
「甘かった。背中は気持ちよかった」
「……!?」
最初に差し出した甘味――舐めしゃぶられた指。背負って運んだ、背中の感触……。
「あんなことで……!?」
命を助けてもらった礼としては、まったく釣り合わないはずだ。
「なのに、食事をさらに二回ももらってしまった。
それに……まあ、他に沢山、借りができてる。
返さないといけないな」
ぼろ布が少し持ち上がり、瞳がのぞいた。
優しいものを、リージェは感じた。
「借りは返す。返さないと、気になって、のんびりできない。
めんどくさいが、何とかしてみよう」
「…………!」
フィンはその後、ぼろ布にくるまり、めんどくさいと二回繰り返した。
何を借りと感じ何を貸しと思うのかは人それぞれ。
釣り合わないのはよくあること。




