10 撤退
リージェを見る仲間たちの目は、英雄を見るそれだった。
馬にも、馬上のフィンにも、誰も目を向けない。
彼女の素顔を見たのはリージェだけだったようだ。
一瞬そのことを嬉しく思い、そう思った自分を浅ましく感じた。
「引くぞ」
そう命令したリージェに、誰も反対しなかった。
時間を置いたことで狂騒が冷めたのと、最後まで屋内に居残っていたリージェから漂う血臭のすさまじさのおかげだろう。
戦利品を持てるだけ持った解放軍は、一斉に勝ちどきを上げてから、闇の中へ戻っていった。
『村人』の解放にこだわる者もいたが、その人数を守る力も養う食料もないということを説明し、我慢させた。
ただ、女性三人は連れていくことにした。『騎士』どもの情報を聞き出す必要がある。女性たちも『村人』たちと共に残されることを激しく拒んだ。『騎士』がいないと彼女たちがどうされるかは火を見るより明らかだ。
森に入り、月明かりを頼りにある程度進んで……湧き水があり、火を起こしても問題ない場所まで戻ってきてから――。
「みんな、よくやった! 僕たちの勝利だ!」
リージェは高らかに宣言して、みんなをねぎらった。
勢いこんだ絶叫がそれに応えた。
ここでは一休みだけして、森の奥へ逃げこむつもりだったが……。
「腹が減った」
ぼそりとフィンが言ってきた。
確かに、リージェも異様な空腹をおぼえていた。
人を斬った後の疲労感で、気分は高揚しているが脚が笑っている者も少なくない。
「よし、少し休もう」
奪ってきた食料の中には酒もあり、誰もが異様なテンションになった。
屋内突入組は、自分の武器がいかに『騎士』を貫き、葬ったかを熱く語り。
屋外待機組は目を輝かせて聞き入り、次は自分がと腕を鳴らす。
リージェは体を洗い、よく頑張った者をほめ、成すところなかった者を慰め、これからの困難な日々に立ち向かうよう熱く語って回り――。
女性に乱暴しようとする仲間を、身を張って止めた。
戦利品かつ、悪鬼どもに協力していた罪人なのだから、この場の全員で順番に……そんなことを言い出され、激怒する。
「それじゃ僕たちも、あいつらと同じになるじゃないか!」
リージェは年上のその者を、襟首をつかんで力の限り締め上げ、持ち上げて、地面に押し倒して制圧した。
「僕たちは、あいつらとは違うんだ! あいつらと同じになりたいやつ、同じことをしたいやつは、今すぐあっちへ行って『兵』になれ! 喜んで迎えてくれるだろうよ!」
言い放って、にらみ回した。
『兵』……この地の人間だったが、ゲール一味の強さに魅せられ、その傘下に加わった者たちのことだ。
村での鼻つまみ者、乱暴者などが多い。そもそも最初の防衛戦に動員されていない時点で質はお察しだが、この土地のことをよく知っているだけに厄介だった。
『村』や『街』に潜りこんだ仲間が何人も狩られているし、解放軍が使う道も幾度となく暴かれている。
――外から来た『騎士』ども以上に、解放軍の憎しみの対象だった。
それを持ち出されて、二十人を超える誰もがうつむく。
「……すまない。乱暴なことをして悪かった」
リージェは押し倒した手を離すと、頭を下げた。
「みんな、居残り組の分を残して、食べたいだけ食べて、休め。
明日から当分は逃げ隠れするばかりになるから、今のうちに体力をつけておくんだぞ」
指示を出したが、まだまだガキの自分が何を偉そうに言ってるんだと、不安ばかりが増してくる。
火を囲む仲間たちから離れて、見回した。
あのぼろぼろは……見当たらなかったが、馬の所に行ってみた。
予想通りそこにいた。
「ずっと、乗ったまま?」
「楽だ」
「やっぱり」
君の分、と食料を手渡す。肉と刻んだ野菜を小麦の生地で包んで焼いたもの。あの『お屋敷』の台所に用意されていた、最も食いでのある料理だ。
すぐにぼろ布の中に吸いこまれた。
今度はリージェの手は引きこまれなかった。
リージェは地面に腰を下ろして、もぐもぐと食事しているらしい馬上の姿を見上げた。
月が出ていた。白い光が斜めに差しこんで、獣か草むらかと見紛う姿を照らす。
あの美貌は、まったく見えない。
リージェにしても、あれは本当にこの目で見たものなのか、確信が揺らいでくる。
「……君は、本当に、何者なんだ?」
「剣聖」
「それはもういいから」
「美人の、風来坊」
「ああ、そのままだね――そうじゃなくて」
「ん~~」
うなり声がしたが、それが困ってのことか、面倒くさがってのことか、判別できない。
「どこから来たの」
「南から」
『関所』の向こうからだ……この土地に来る者はみなそこを通るのだから答えになっていない。
「どこかの国の、騎士?」
「いや」
「どこかの国とか、誰かに雇われて?」
「いや」
「じゃあ、何でここに?」
「こっちへ来る荷馬車で」
「だから、そういうことじゃなく」
「もう言った」
「…………」
同じことを二度言うのはめんどくさい……という彼女の主張を、リージェは勝手に聞き取った。
「……みんな、君のことが見えていないみたいだ」
「ああ」
「あんなに美人なのに」
「それだ。それがめんどくさい」
「……ごめん」
「美人だから、と寄ってくるのが、いつでも、どこでも、山ほどいる。めんどくさくなる」
わずかに、ぼろ布が揺れた。
「だから、これを使ってる。認識阻害の魔法がかけてある」
「ニンシキソガイ?」
難しい言葉で、意味がわからなかった。
「どうでもいいもの、と思わせる魔法だ。そこら辺の、どこにでもあるもの、気にしなくていいものと思うようになる」
「そんな…………魔法……!?」
「知り合いの魔術師に、かけてもらった」
魔法というものを目の当たりにするのは初めてだ。
しかし、思い返してみれば、納得いくことばかりだった。
荷馬車の持ち主はもちろん、同乗した盗賊にすら気づかれなかったこと。
同行しているのに、仲間のほとんどが、彼女のことを気にしていないこと。
今も、馬で乗りこみ修羅場のど真ん中にいたというのに、彼女が何かしたとわかっている仲間が他に誰もいないこと。
「確信を持って見れば破れる程度だが、とても役に立っている」
「確信……」
リージェには通じないのは、そのせいか。
命を助けられ……背負って……耳元でささやかれ……今も、色々と、指示してもらい……。
ここでフィンがいなくなったら、30人の仲間たちをどう指揮していいのかまったくわからない。
だから、彼女のことが気にかかる。
正体もわからないのに、頼っている。
頼っているから、ニンシキソガイというのも通じない。
「くっ……」
そういう情けない自分を、リージェは恥じた。
恥じることばかりだ。本当の戦いで、全然思うように剣を振るえなかった。あいつらを片端から斬り倒すのを夢見て鍛え続けてきたのに、実際には、ひとり突き刺すのもやっと。
そして、仲間たちを導く立場になって……こうして、フィンに頼っている。
「強くなりたい……」
思わず、つぶやいた。
するとフィンの方から訊ねてきた。
「お前、いくつだ?」
「14……いや、もう15歳になってるはず」
「ほう」
初めて、フィンの方から興味を持ったような声がした。
「問題ない。そのくらいの歳なら、そんなものだ」
「それじゃ駄目だ。もっと頭が良くて、もっと上手く立ち回れて、もっと強くなくっちゃ」
「高望みしすぎだ。大抵の15歳は、もっと馬鹿だぞ」
はっきりと、フィンは言った。
「そういう君は、いくつ?」
「よくわからない」
「まさか、子供がいるとか」
「作ったおぼえも、作る行為をしたおぼえもないな」
「……!」
露骨すぎる言い分に、リージェの血が一気に煮えた。
あの美貌を見ていなかったら軽蔑したかもしれなかったが――もう見ている。体の感触も知っている。背中。やわらかい。
「いや、あの、いや、その……!」
「ごちそうさま。これも、美味かった」
若いリージェの動揺を受け流すように、食事の礼を言われた。
「食事代として、見張りは引き受けよう。寝ておけ、少年」
「いや、でも……」
「朝までは、動くまい」
「む」
悪鬼どもの動きについて言われて、甘い気持ちが霧消する。
「こちらは、夜が明ける前に動き出さないと、間に合わない。寝過ごすな」
「間に合わないって、何が?」
「明日のうちに、ゲールを討つのに」
フィン・シャンドレンは、翌日の食事について言うように、あっさりとそう言った。
田舎の潔癖な中学生が、都会から流れてきた悪いお姉さんにたぶらかされて地元の暴力団に向かっていく。現代に置き換えるとそういう構図。
ただしこの世界に警察はいない。




