01 鬼ども来たる
盆地っていいですよね。逃げ場なくて。北海道の赤井川村の地形が大好きです。
「あいつら、絶対、殺してやる……!」
遠くから焼け跡を見つめ、リージェは涙を流しながら拳を握った。
かつては畑と牧草地が整然と区分けされていたのが、今は耕す者もなく一面の雑草の海。
その中に点々と存在する、黒い残骸。焼け落ちた家だ。
他のものより幾分大きい廃墟が、自分の家だった。リージェが十四年を生きた場所。祖父母、両親、兄弟たちと一緒に生きてきた、自分の全てだった場所。
――災厄は半年前、雪解けと共にやってきた。
盗賊団。いや――「盗」の字が示す、富豪の倉から宝物を盗み出して回るようななまやさしい連中ではない。徒党を組み、相手の貴賤富貴を問わず、目の前にあるものをひたすらに奪いむさぼり食い尽くしてゆく、恐るべき悪党集団。
人の形をしたイナゴとも言うべきそうしたものの中でも、凶猛さでひときわ名高い『赤目のゲール』率いる一党が、この地に狙いを定めたのだった。
東と北は山、南は耕作には向かぬ荒野、西は深い渓谷でそれぞれさえぎられている、両手の指に足りぬ村とひとつの街、ちっぽけな城があるだけの、ごくごくささやかな小国である。
外界とつながっているのは細い道一本きり。千軍万馬を擁し大陸の覇権を争うような大国に比べると国と呼ぶのもおこがましい。
だがそれだけに、悪い連中が居座るには手頃でもあった。
小さい国ながら戦士はおり、民にも自分たちの土地を守る気概があった。領主は果敢に立ち上がり、凶賊どもを撃退すべく出陣した。
村々からも人手が出た。
リージェの父は村長だったので従軍を許されなかったが、代わりに十八歳の兄が妻と赤子の頭を撫でてから隊列に加わり、十六歳の次兄も続いた。
リージェも剣をかついで飛び出したが、十四歳なのでまだダメだと家にとどめられた。一歳足りなかった。下の、三人の弟妹たちを守れと長兄に諭された。
成長期を迎え体格は月ごとに成長し、今はもう大人なみだから行けると思っていた。しかし、性根優しく、人を傷つけたことはないし、そんなことはしたくもないというところを突かれた。戦いには向かないとはっきり言われた。
出陣してゆく兄たちを見送り、歯がみした。
農作業の合間に兄たちと同じように父から剣術の手ほどきは受けており、悪鬼どもから村を守るためならどんなことでもしてみせる覚悟はあった。
――その時は、覚悟できているつもりだった。
翌日。
明け方、地鳴りのような馬蹄の響きが押し寄せてきた。
叫喚を上げて村になだれこんで来たのは、領主の首を槍の穂先に突き刺し掲げた、『赤目のゲール』の一党だった。
村人を逃がす時間を稼ごうと剣を握り立ち向かったリージェの父は、三人がかりで惨殺された。強かった父が血みどろになり、父ではない物体になるのをリージェは見てしまった。
我を忘れて飛び出した母も、にたにた笑う凶盗に斬り倒された。
十一歳の妹が、捕らえられ服を破られ、胸がふくらんでいないからと腹に刃を突き立てられた。
八歳の気丈な妹が、刃を手にして飛び出した。退屈そうな顔をした盗賊に脳天から割られた。
五歳の弟がリージェの手を振り切り母のもとへ走った。こときれた母の下半身をもてあそび笑っている盗賊に思い切り蹴飛ばされ、転がった。首がおかしな方に曲がっていた。少しびくびくしてから、動かなくなった。
もう誰も残っていないと思われたのだろう。村人への見せしめのつもりか、家に火がかけられた。
リージェは燃える家の中で震えていた。剣を手にしている。けれども鞘から抜けない。肺腑は凍りつき四肢は固まり、歯ががちがち鳴るばかりで、指一本動かすこともできない。
耐え難い熱気と煙がリージェを押し包む。生まれ育った家が焼けてゆく。部屋の天井を赤い炎がつたい、壁が、柱が、みるみる黒く変わり、崩れてゆく。
燃える木が爆ぜて火の粉をまき散らす。炎は風を吸いこんでごうごうとうなる。頭上で激しい音がした。屋根が崩れたのだ。
家が断末魔の絶叫を上げると同時に、家の外からも、慣れ親しんだ人々の悲鳴が次々と聞こえてきた。
逃げまどう人々に凶盗どもが襲いかかっているようだ。次々と絶叫があがり、途絶える。
「!」
少女の金切り声があがった。リージェはびくっとした。将来一緒になることを夢見ていた、あの子の声のような気がした。
だが確かめることができない。
顔を出してもし見つかったら。
リージェは燃える家の中で震え続けた。
手には剣がある。こんな暴虐を見過ごすわけにはいかない。そのために剣を習ったのではないのか。妹のように、かなわぬまでも立ち向かい、一矢なりとも報いて死ぬべきだ。
なのに、動けない。このまま家の中にいても焼け死ぬだけで、どちらにしても命はないのに、恐怖にすくみあがるばかりで、飛び出すことができない。
うわあああと、決死の叫びが聞こえてきた。友達の声だった。リージェと一緒に父から剣を習った、稽古仲間。捨て鉢になって向かっていったようだ。
何度か金属音が聞こえ、野太い笑い声が続いた。友達の声は二度と聞こえてこなかった。
リージェの震えはさらに強くなった。
燃えさしが落ちてきて肩を打った。服が燃えだした。転げ回る。剣を抱いてうずくまった背中に、さらに別の燃えさしがばらばらと落ちてくる。服からまた煙が上がる。
突然、すぐ側で轟音がした。柱が焼け、折れて、壁が崩れたのだった。
リージェは熱い瓦礫に埋まった。激しく咳きこみ、もがく。
ふと風を感じて顔を上げた。
目の前に、人一人分だけの隙間が開いていた。
外が見える。青い空が見える。緑が見える。
リージェは這いずった。芋虫みたいに全身をのたくらせて逃れ出る。
土の上に身を投げ出したところで、家が完全に倒壊した。炎が渦を巻き、黒雲がもうもうと立ち上った。
リージェは煙にまぎれて草むらに逃げこみ、さらに遠くの森まで、後も見ずに駆けに駆けた。蹴つまずいて小川に頭から転がりこみ、水音で誰かに気づかれたんじゃないかと、さらにあわてふためいて逃げまどった。
いつしか気絶して――目覚めた時は、大木のうろで丸くなっていた。
空が赤い。夕暮れだ。
握っていたはずの剣は、なくなっていた。
よろめきながら森を出る。
夕日に染まる草地の向こうに、村が見えた。
赤い空へ、黒い煙が幾筋も立ち上っている。残骸となりはてた家がまだくすぶっているのだった。
どこにも動くものの姿はない。村は死に絶えていた。
涙がこぼれた。
一人だ。誰もいない。家族もいない、仲間もいない。
リージェは顔を覆い、爪を立ててかきむしった。
何もできなかった。体が大きくなり、剣術を習っていても、立ち向かうこともできずに震えていただけ。力だけはあったのに、妹や仲間のように立ち向かうことも、村のみんなを助けようとすることもせず、自分一人だけ逃げだし、生きのびてしまった。
リージェは冷たい地面にうずくまり、身を震わせて泣き続けた。
翌日、同じように生き延びたわずかな村人と合流した。
『赤目のゲール』一味は、村を焼き尽くした後、そのまま城を乗っ取り、城まわりの街も他の村々も同じように徹底的に略奪して、かき集めた食料や女たちで楽しみまくっているらしい。
あの子も……とリージェの脳裏を仲良しの女の子の姿がよぎった。
しかし、盗賊どもの恐ろしい姿を思い出すと、体が固まってしまう。
取り戻しに行かなければ、と頭では思うのだが、手も足も、体のどこも思うように動かなくなる。父親の最期が脳裏に浮かぶ。
他の村人も同じで、復讐など誰も言い出さなかった。
自分たちでものを作るということをしない盗賊団は、奪えるものがなくなったらこの土地を離れるだろう……と予想かつ期待した。
しかしそうはならなかった。
ゲール一味は、この土地に居着いてしまった。
唯一の出入り口たる道を封鎖し、誰も外へ出さない。
村々を回り、生き残った人間をかき集め、『街』の近くの村に住まわせ食料を生産させ始める。
リージェはその人さらいから逃れ、森にひそんだ。
立ち向かう勇気はまだ出ない。だがあいつらのために働くのは絶対にいやだ。
同じように森に逃れた者たちが一人二人と寄り集まった。
十人を超えたところで、『解放軍』と自分たちを名付けた。
「殺す」
と、みなが誓った。
やつらを殺す。絶対に殺す。
リージェももちろん誓った。
それと同時に、リージェは自分自身も殺すことに決めた。
みじめきわまりないそれまでの自分を。
弱い自分は殺してしまって、強い男にならなければならない。
あいつらよりずっと強くならなければならない。
この土地の支配者となった盗賊どもの目を逃れつつ、森の奥で、仲間たちと共に、自分を厳しく鍛え始める。
父が教えてくれたことを思い返し、ひたすらに修練を積む。
激烈な鍛錬のうちに春は終わり、夏も過ぎた。
リージェの人相は変わった。ふっくらしていた頬の肉はそげ落ち、目は獣じみてぎらついている。全身やせ細り、しかし力は以前に倍して強くなっている。水に映した自分の姿があの盗賊どもと似てきていることに気がついて、にんまり笑ったものだ。
そして今、リージェはかつての自分の家を見つめている。
やつらを、必ず殺してやる。
やったことへの報いを受けさせてやる。
でも今はまだ弱い。
『解放軍』の人数は盗賊どもよりずっと少ない。
これでは勝てない。
あの悪鬼どもを皆殺しにするには、自分を含めた一人一人がもっと鍛えて、もっと強くならないと。
「見てろ……!」
リージェは彼方の焼け跡を見据えたまま、あらためて闘志をかきたてた。いつか必ず復讐を果たす。やつらの血を大地に吸わせ、肉は森の獣の餌にしてやる。必ずだ。