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6. 王女は永遠の愛を誓う

 それからは、毎日のように訪れる、祝いの言葉を述べる人たちの相手をしなければならなかった。


 後宮には国王以外の男性は入られないから、半分といえば半分なのかもしれない。

 けれど、公爵令嬢だの、伯爵夫人だの、女男爵だのはともかくとして、レグルスの従兄弟の婚約者の姉だの、先々王のはとこの妻の母だの。

 これから先、本当に会うことがあるのだろうかって人間までやってきて、入れ替わり立ち替わりだから、顔と名前を覚えるのも難しい。


 というか、覚えたつもりでも覚えていない。

 別の場所で別の格好で挨拶されたら、誰が誰だかわかる自信がない。


「これでも、セレン殿下は多忙だからとお断りしている方々もいるのです。最低限の有力貴族の方々だけなのですよ」


 などとシラーに言われたときには、本気で頭を抱えたくなった。

 マッティアでは、王族も貴族も皆一度に気軽に集まれるんじゃないかって小規模さだったしなあ……、としみじみとしてしまう。


「大丈夫ですわ、最初はもちろん混乱なさるでしょうから、私どもが補佐いたします」


 にっこりと笑ってそういうから、ほっと安堵の息を吐いた。

 要は、目の前の方が誰なのか、こっそり教えてくれるということだ。

 そうだよね、そうしてくれないと、もし間違えた日にはとんでもないことになりかねない。


 さて、そんな方々とは大抵は、昼食を一緒にとりながらお話でも、ということが多かった。

 食事マナーも見られている、と思うと、食い意地のはったセレンでも、なかなか食べ物が喉を通らないが、美味しいことには間違いない。

 あの舞踏会のときの鶏は美味しかったなあ、なんて思い出したりもする。

 だがあのときのようなことは絶対にあってはならないので、セレンも故郷を出る前にはいろいろと勉強してきたのだ。


 クラッセの高貴な方々は、本当に、皿をすべて空けることはしないらしい。

 少しばかり残すのがマナーなのだ。実際、セレンの部屋を訪れる女性たちは、皆、そうしている。

 まったくもって意味がわからないが、それが文化だというならば、王妃になる自分が反発するのもおかしな話だ。

 クラッセ王国という地で脈々と受け継がれてきた文化を、自分とは違うからと否定するのはやはりよくない。

 なのでセレンもそれに倣った。


 だが。

 グラなんとか伯爵夫人が訪れたとき。

 その日の昼食として用意されたのは、あの舞踏会で出された鶏肉だった。

 食べなくても、そうだ、と確信できた。あのときと同じように、甘そうなソースが掛かっている。


 セレンはナイフとフォークを持ったまま、思わず固まってしまった。


「セレン殿下?」


 目の前の伯爵夫人は、少し首を傾げてそのセレンの様子を見ていた。

 セレンはっとして顔を上げる。


「あ、失礼いたしました。何の肉かしら、と思ってしまって。鶏肉のようですけれど、故郷のものとは少し違うような」


 唐突に別の話をするのもおかしいので、セレンはそう言い繕った。


「セレン殿下、それは鶏肉ですのよ。我が国の東のほうの品種で、マッティアの鶏よりも大きな鶏と聞き及んでおります」


 控えていたシラーが助け船を出してくれた。

 やっぱり。間違いない。


「まあ、私どもはこれが普通と思っておりましたけれど、マッティアでは違いますのねえ」


 伯爵夫人は微笑んでそう言った。セレンの動揺には気付いてなさそうだ。

 実は、まるで、あのときのことを知っているぞ、と鶏に言われたような気分だったのだ。


 けれど、美味しいものは美味しい。あのとき初めて口にしたときの感動と相まって、さらに美味しく感じられた。

 このときばかりは、少し残すのがためらわれた。

 というか、危うく平らげるところだった。伯爵夫人が少し残して先にフォークを置かなければ、うっかり食べ尽くしてしまっていたことだろう。


 会食が終わるとセレンは、茶器を片づけているシラーに尋ねた。


「あの、今さらだけれど、こちらの料理はどこで作られているのかしら?」

「後宮の調理場でございますが……王宮から続く後宮の門がございますでしょう? そこから門を抜けてまっすぐ伸びた廊下の先にありますの。もしや、冷めておりますか?」


 セレンの疑問を、そう解釈したらしい。

 セレンはひらひらと顔の前で手を振った。


「いえ、そのようなことはなくてよ。ただ、後宮の調理場ということは、女性なのよね?」

「さようでございます」

「鶏も捌いたりするのかしらって……」

「ああ、王宮の調理場で下ごしらえは済ませておりますの。こちらでは火を通したりソースを作ったり盛り付けたり、という作業をしております」

「そうなの」


 ということは、これを作ったのは、あのときの料理長ではないのだろう。ソースの味もなにもかも同じだったから、彼かと思った。

 クラッセの特産なのだ。一般的に出される料理なのだろう。


「あの、セレン殿下?」

「なにかしら?」


 シラーは少し首を傾げて、問うてきた。


「こちらの料理はお口に合いまして?」

「え? ええ、それはもう。美味しくいただいているわ」


 それは間違いない。

 マッティアの食事に比べて、クラッセのものは上品な味付けと盛り付けではあるが、それはそれでとても美味しい。


 セレンの返事に、シラーは安心したかのように息を吐いた。


「それならばいいのですが」


 料理に関して少し突っ込んだ質問をしてしまったのかもしれない。

 いらぬ心配をさせてしまった、とセレンは少し反省した。


          ◇


 そんな会食の合間に、婚姻の儀の準備も行われていた。

 衣装合わせやら、当日の段取りの打ち合わせやら、クラッセ教会での洗礼やら、やることはいくらでもあるようだ。


 レグルスには、入城した日から会っていない。

 彼も彼で、やることはいくらでもあるらしい。


 これから夫婦になるというのに、まだ一度しか会っていないなんておかしな話だ。

 まあ、王族の婚姻なんてそんなものなのかもしれないわねえ、なんて納得もするのだが、ときどき、もしや思っていたのと違う姫がやってきたから会いたくないのかしら、と不安もよぎる。

 だが、そんな不安をいつまでもぐずぐす考えている暇はないのだった。


          ◇


 そして。

 最後の総仕上げとして、王城近くにある大聖堂で、婚姻の儀が行われた。

 婚姻の儀とはいっても大々的にお披露目するものではなく、神に対して婚姻を報告するという意味合いのもので、大聖堂内はほぼほぼ教会の人間だけで固められており、その他には必要最低限の人間しか出席しない。

 国民へのお披露目、マッティア関係者への報告はまた後日、落ち着いた頃を見計らって大々的に華やかに、ということで、セレンの両親ですら出席はしていない。

 世間一般の結婚式とは違うものだ。

 しかし、この婚姻の儀をこなさないことには、セレンは正式な王妃とは認められない。


 祭壇が置かれた礼拝堂に隣接する前室で、セレンとレグルスは並んで立って待機していた。

 礼拝堂への扉は開け放たれていて、司祭が儀式の前準備としての儀式を行っているのが見えた。儀式とは七面倒くさいものであることは、クラッセもマッティアも変わらないものらしい。


 レグルスは緊張の面持ちで、まっすぐ前を見つめている。

 改宗したばかりのセレンは、正直なところ、この厳かな雰囲気も退屈で仕方なかった。

 もちろんそんなことはおくびにも出せないので、ヴェールで顔が隠れているのをいいことに、キョロキョロと目だけを動かして、周りを観察したりして退屈を紛らわす。 


 しかし、これは大変だった。なにが大変って、クラッセに入国したときも装身具やらドレスやらが大変な重さだったが、これはその比ではない。


 ドレスもネックレスもイヤリングももちろん重いが、ちょっと首を前に動かすだけで、金髪を飾る大き目のティアラからじゃらじゃら垂れ下がっている宝石の重さを感じて、前につんのめりそうだ。


 ほとんど誰にも見られないのに、いったいどうしてこんなに着飾らねばならないのか。

 それは、神がご覧になっていますよ、という理屈らしかった。意味がわからない。


 今暴漢に襲われたら、確実に死ねるわね。

 などと考えて念のため、逃走経路はどこになるのかしら、と教会内をきょろきょろと見回したりした。

 幸い、教会の外は厳重な警備態勢が敷かれて、暴漢の類は入ってはこれないようだったし、出席者は、王族か、よほどの重鎮しかいないから、その心配はなさそうだ。

 けれどまあ念のため、と衛兵の位置と扉の位置を確認しながら辺りを見渡す。


 そうして視線を動かしていると、一番前の席に、先々王の姿があるのが目に入った。

 よかった、とりあえず健康不安説は払拭できそうだ。

 つやっつやな肌をして、頑丈そうな体躯はそのままだ。


 彼はセレンの姿を見とめるとそっと首をこちらに向けて、にこにことしながら小さく手を挙げた。セレンは慌てて頭を下げる。

 ティアラがあったからあまり動けなくて、相手にそれがわかったかどうかはわからない。

 でもどうやら、あの舞踏会のことは覚えているらしい。少しばかりニヤリといたずらっぽく笑った。


 正直、あれをそこかしこで言いふらされてはたまらない。

 まあ、その話題はどこからも聞こえないから、今まで言いふらしてなどいないのだと思われる。


 セレンはとりあえずそう勝手に解釈した。考えても仕方ないことでもあるからだ。


 それから、壁際にずらりと並んで立っている修道士たちをぼうっと眺める。

 そしてその末席に、見たことがあるような気がする男性が立っているのを見つけた。


 うん? と、目を凝らしてその顔を見つめる。


 なんと。あの第一王子が立っていた。

 くりくりの黒髪で釣り目で、つんとすましている。大人にはなっているが、あの生意気そうな顔は間違いない。


「う」


 声が漏れそうになって、慌てて口元をきゅっと結ぶ。

 嘘でしょ。

 思わずぽかんと口を開けて眺めてしまう。


 本当に。本当に、教会に入ってたんだわ、あのバカ王子!

 どうして? 世を儚んだの? どちらかというと、世を儚むどころか馬鹿にしまくってたのに。


 セレンはヴェール越しに見ているから、細かい表情まではよくわからないが、なにやら不服そうな表情をしていて、それを隣の修道士に注意されているようだった。

 いったい、彼になにが起きたんだか……。


 しかし、レグルスの右腕が自分の前に出され、思考を中断させられた。

 はっとして、そしてそっとその腕に自分の左手を置く。

 どうやら儀式の前の儀式が終了して、本番に突入したらしい。


 婚姻の儀が、粛々と進行される。

 聖歌が鳴り響く中を、二人で並んでゆっくりと歩き、祭壇の前に立つ。

 式自体は、さほど時間はかからなかった。

 司祭にうながされ、神の御前(みまえ)で永遠の愛を誓うだけだ。


 ほとんど顔を合わせてもいない相手。

 式の間中も、セレンもレグルスも正面を向いていることがほとんどなので、やっぱり顔を見ることはほとんどなかった。


「願わくは全能の神よ、恵みを注ぎ、清め、祝し、永遠の愛を続かせ給わんことを」


 司祭の口上を聞きながら、生まれてもいない愛が永遠に続くというのも変な話だわね、などと不謹慎なことをセレンはずっと考えていた。


 そうして、セレンは公式にクラッセ王妃となったのだ。

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