2. 王女は舞踏会に参加する
クラッセ王城で舞踏会を開催する、ぜひともいらして欲しい、という母宛ての招待状がマッティア王城に届いた。差出人は、先々王である、当時のクラッセ王だ。
『エイゼンの至宝』であった母は、大国同士のお付き合いで、クラッセ王とは個人的に親交があったらしい。
ちょうど食堂で、父と母と三人の子どもたちで食事をしているところだった。
弱小国であるマッティアには、もちろん断るという選択肢はない。
「舞踏会なんて、久しぶりだわ!」
しかし断るとかいう以前に、母は小躍りして喜んだ。
「何を着ようかしら。クラッセ国王主催の舞踏会ですもの、恥をかいてはいけないわ、奮発しちゃおうかしら。ああ、先日、エイゼンから素敵な生地が届いたから、あれで仕立てようかしら」
マッティア国王の意向はまったく聞きもしないで、母の中では舞踏会参加は決定事項のようだった。
「レイリーが一人で行くのかね?」
国王である父は少し首を傾げて、妻にそう問うた。
「国王が、そうそう国を空けてはなりません。これは舞踏会なのですから、私一人で事足ります」
母は、つんとすましてそう返す。
「いやでも、エスコート役は必要じゃないかな」
「うーん、じゃあ、あなたたち……」
母は、王子二人と招待状を見比べている。
父が心配そうな瞳をしていることに気付いているのかいないのか、母は頬に手を当てて考え込んでいた。
「往復を考えると……ちょっと長い間、空けすぎかしら……。ええと、あなたたちの予定は……」
しばらく逡巡したあと、母はうなずいた。
「まあ大丈夫でしょう、エスコート役が必要ならば、エイゼンの親戚が誰か一人くらいはいるでしょう。その場でその方にお願いするわ」
「……そうだね」
堂々と言い放つ母に、父は返す言葉を知らないようだった。
舞踏会などという代物にこれっぽっちも興味なさそうな兄二人は、ほっと安堵の息を吐いていた。
「そうだわ、セレンも連れていきましょう」
母は良いことを思いついた、という風に、手を叩いた。
主菜の豚肉をいかにきれいに切り分けるか、という戦いを自分自身に課していたセレンも、唐突に名前を呼ばれて顔を上げた。
「セレンも? 大丈夫かね?」
「大きくなればまた、このような舞踏会に呼ばれることも多々ありましょう。幼い頃から慣れさせておくことも大事ですわ。それに、顔見せという意味でも連れていくべきかと思います」
母の言葉に、父はうなずいた。
「それもそうだね。セレン、行儀よくするのだよ」
そう言われて、セレンは首を傾げた。彼女にとって、あまりに話は突然だった。
「ブトウカイ?」
「そうよ」
「私、お話で読んだことがあるわ。素敵な王子さまと踊ったりするのよね?」
それを聞いて、家族は笑い出した。ついでに給仕をしていた料理人たちも苦笑している。
どうして笑われているのかわからずに、セレンはきょろきょろと辺りを見渡した。
「セレン、そうね、そんな感じよ。ただ、素敵な王子さまは、セレンにはまだ早いわ」
母は笑いながら、そう返してきた。
「じゃあ、なにをするの?」
「そうね、美味しい食事を楽しんだり、皆とお話をしたり。踊ったりもするけれど、セレンは小さいから、きっとまだね」
「美味しい食事!」
そこに反応して目を輝かせると、兄たちが揃って笑った。
「やっぱり食い意地が張っているなあ」
「太って帰ってくるんじゃないのか」
兄に笑われて、頬を膨らませていると、母が横から口を出してきた。
「セレン、でもこれは、外交なのよ」
「ガイコウ?」
「そう。他の国とのつながりは、マッティアにとってとても大事なことなの。だから失礼のないようにね」
セレンには、そのガイコウの意味は、よくわかっていなかった。
このとき、本当の意味での外交がわかっていれば、あんなことはしなかっただろう、と思う。
◇
舞踏会のため、母とセレンが旅立とうとする日、父も兄も城門まで見送りに出てきた。
「レイリー、気を付けるのだよ」
「大丈夫ですわ、隣国ですもの」
心配そうに眉を曇らす父に向かって、母はにっこりと微笑んだ。
けれどそれでは父は安心できなかったらしい。母の手を、伸ばした自身の両手で包む。
「道中も心配だけれど、私は、舞踏会自体も心配なのだよ」
「まあ、どうしてです?」
「……レイリーは、誰よりも美しいから……」
そう言って、父は母を熱っぽい瞳で見つめる。母も同じ瞳をして、父を見つめ返した。
「陛下ったら……」
そうして二人で抱き合っている。
いつものことなので特になにも思いはしないが、待たされている間が退屈だ。
なので兄二人と手押し相撲をして遊ぶ。
セレンが次兄にフェイントを仕掛けたところまではよかったが、次兄が体勢を崩してしまってセレンに覆いかぶさりそうだったのを、長兄がなんとか押しとどめたところで声を掛けられた。
「なにをしているの。行きますよ」
「はーい」
そして、馬車に揺られてクラッセ王城に向かった。途中、宿にも寄ったが、ほとんどの時間が馬車の移動に充てられた。しかし馬車の中での大半は寝て過ごしたので、気が付いたらもう到着していた、という記憶しかない。
来賓室に案内され、母と一緒にドレスに着替える。
いつもよりも上等なドレスを着て、薄く化粧など施されれば、いくら食い意地の張った幼いセレンでも、心は浮き立った。
手を引かれて会場に向かう途中、やたらと視線を感じた。
けれどそれはセレンに向けられたものではない。母だ。セレンにはついで、という申し訳程度の視線しか感じられなかった。
エイゼンの至宝、という言葉がときどきセレンの耳に届く。
会場に入ると、ますますそれは凄くなった。
扉が開けられた瞬間に、わっと母の周りに人だかりができるほどだった。
「レイリーさま、お久しぶりです」
「ますますお美しくなられて」
「公の場に出てくるのは、いつぶりですかな? 皆、心待ちにしておりました」
いつもの母の何倍も、その日の母は輝いていた。そこかしこに飾ってある花などより、よほど華を添えているように見えた。
入れ替わり立ち替わり、いろんな人が母に声を掛けていく。踊るどころの騒ぎではない。
「ちょっと失礼しますわ」
母はその輪を外れ、セレンの手を握って壁際に寄ると、しゃがんで視線をセレンの目の高さに合わせて言った。
「招待状が来たとき、言ったことを覚えているかしら?」
真剣な表情をしているから、美味しい食事、のことではないだろう、という予測はついた。
「ガイコウ?」
「そうよ、母さまはこれからいろんな人にご挨拶しなければならないの。後からセレンにもご挨拶してもらうから、そのときは呼ぶわ。わかった?」
そう言われて、セレンはこくこくとうなずいた。
どうやらこの場所は、綺麗で楽しいだけのところではないらしい。
「けれど、とりあえずは食事をとっていらっしゃい。お腹がすいたでしょう」
「いいのっ?」
セレンの表情を見て、母は苦笑していた。
「ええ、もちろん。あちらに用意してあるから、行儀よくね。どなたかに話し掛けられたら、ご挨拶してね」
「はーい」
セレンはそう元気に答えると、いそいそと食事が置かれている一角に向かった。