16. 王妃は王を問い詰める
人払いをして、いつものように二人で向かい合って座る。
セレンは背筋を伸ばして相手の顔を睨みつけているが、レグルスのほうは、俯いて、膝の上に拳を置いたままだ。
ここまできて、なにを取り繕うことがあろうか。
猫かぶりの必要は、もうない。
強い口調で、彼に言う。
「何から訊きましょうか、陛下」
「……なんなりと」
レグルスはレグルスで、腹をくくったらしい。一つ息を吐くと、背筋を伸ばして顔を上げ、まっすぐにこちらを見てくる。
話し合いの態勢はどうやら整った。
とにかく話を整理しなければならない。
わからないことが多すぎる。
なにもかも、すべてを把握して、それからだ。
「では、そうですね……」
そう言って考え込む。
そもそも輿入れするときから、いろいろと疑問はあったのだ。
『なんか面倒なことに巻き込まれてるんじゃないわよねえ』とタナとフェールに言ったが、もしやこれは、まさに面倒なことに巻き込まれた結果なのではないか。
いつだったか、彼は『教えられることなら、訊いてもらえれば答えるよ』とセレンに言った。
それではその言葉通り、答えていただこうではありませんか。
「まず、わたくしを妃に望んだのはどなたです? 陛下ではありませんわよね?」
「いや、望んでいないわけでは」
「陛下?」
「あ、はい。決めたのは、父上で」
なるほど、先々王。
けれど隠居したはずの人がどうして口を出してきたのか。
「隠居はしたけれど、今も実権を握っているのは父上と言っていい。兄上を退位させたのも父上だし」
やっぱり先王の退位には裏があった。案の定、といえば案の定。
つまり、神に身を捧げるとかいうのは結局のところ建前で、先々王の逆鱗に触れて退位させられたというわけだ。
「どうして退位させたりなんて」
「即位してすぐ、手当り次第に後宮に側室を迎え入れて」
あのバカ王子ー!
「一時は百を超していた」
はあ、とため息とともにレグルスは言う。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
わずか三月で?
バカにもほどがある。聞いているだけで頭を抱えたくなってくる。
正室はまだ決まっていなかったが、側室ならば簡単に迎えられる。
セレンが行った、あれやこれやの七面倒くさい儀式は正室だけのもので、側室は行わないのだ。
そんなわけで、普通ならば妃にはなれぬような娘でも、気に入ればすぐに後宮に迎え入れたらしい。
慣れぬ贅沢をする娘が続出して、王城の財政を圧迫するようになったとか。
大国クラッセが、バカ王子一人のために、財政を圧迫?
いったいどんな贅沢をやらかしたのか。
そしてついには、なんだかんだ理由をつけて退位させることになったそうだ。
さすがのバカ王子も即位すれば自覚を持つのでは、と周りも期待していたそうだが、自覚どころか増長してしまい、先々王の逆鱗に触れた。
で、第二王子にお鉢が回ってきた。
「でも……父上は、私ではどうにも心許ないから、と」
もう、後がない。
ここで失敗したら、それこそ国家存続の危機だ。
そういうわけで、王妃選びには慎重になった。
相手が誰であろうと、くってかかるような気の強い娘。それなりに後ろ盾もある人間。そして世継ぎを産める年齢。
そう考えると、結局のところ、一人しかいなかったのだ。
「あの舞踏会のときの娘がいい、と」
「陛下は、気が弱そうですものね……」
なんとなく哀れになってしまってそう言うと、彼はため息をついた。
「元々、即位なんて考えてもいなかったから。少々動揺したことは、否定しないよ。私が王の器でないことも、正直、否定できない」
「はあ……」
「だから、私の足りないところを妃で補おうという父上の気持ちも、わからないでもない」
まあ、そこのところは同情しないでもない。
でも、だからといって、妃に丸投げになってしまったこの結果はどうなのか。
せめて、シャウラの件に関しては、セレンが怒り狂う前になんとかしていて欲しかった……。
「先王の側室だって、陛下がとっとと追い出しておいてくださればよかったんですよ」
だって結局、シャウラもあっさり出て行くではないか。
毅然とした態度が足りないのだ。
レグルスがもっとガツンと言ってくれていれば、彼女だって変に期待せずにいたのではないか。
レグルスは焦ったようにこちらに身を乗り出してくる。
「百を超していたんだよ。しかも全員、一人残らず抵抗するし。力ずくってわけにもいかないし。その……それに……」
「なんですか?」
「ええっと……その……」
そこで彼は言いよどむ。
ここまで来て、なにを躊躇っているのか。
イラッとして眉根を寄せると、それを見た彼は諦めたのか、もごもごと言いにくそうに言葉にする。
「その……全員、……月のものを……確認しないと出せなくて……」
「あ……ああ……」
……月のものか。それで、言いにくそうにしていたのか……。
「確認しないと後宮を出せないから、時間もかかったし。これでもけっこう人員を割いたんだけど」
なるほど、月のものを確認するまでは、王位継承権を持つ可能性のある者が生まれるかもしれないと。
それで、出せない。
セレンが訊いたときに、さっさと言ってくれれば良かったのに、と思う。言ってくれていれば、ここまで拗れはしなかったのではないか。
いや、月のもの、だなんて、男性の口から言いにくいのだろうというのはわかるけれど。
「兄上は、どんどん後宮に妃を迎え入れてはいたけれど、なかなか通うことができていなくて、それで助かった」
心底安心したような声音でレグルスは言う。
百人もいた側室が、誰も懐妊していなかった。
ほぼ奇跡。
「それでなんとかがんばったけど、最後にシャウラだけ残ってしまって。彼女は本当に最後の最後に後宮に入ってきた側室だから……で、月のもの……を確認する侍女を買収していたみたいで……それを調べるのにも時間がかかって」
「買収」
どこまで必死なのか。
「その侍女は」
「さすがに解雇したよ。そんな信用できない者を、城内に置いてはおけない」
「それはようございました」
そういえば、最初の頃はシャウラについていた侍女たちは、最近では見かけなくなった気がする。解雇されたからだったのか。
その中、孤軍奮闘したシャウラの根性を見習うべきか。
いや、見習ってはいけないな。
「シャウラについては、急がないとと思ってたんだけど……つい、面倒で。半年も経てば、調べなくても判明するし」
あんな人が百人以上。それは疲れるだろう。面倒にもなるだろう。
そしてシャウラは粘って粘って、その間になんとしても現王の側室に収まりたかったのだ。だからこその言動だったのだろう。
まあ、気弱な王だから、なんとかなると思ったんだろう。
けれどなかなか選んでくれない王に、イライラもしていたんだろう。
で、セレンは八つ当たりされていたわけだ。
正室に取り入ってなんとかしてもらおう、という頭は働かなかったらしい。
なんというか、詰めが甘い。
「誰が説得に行っても頑として動かないから、仕方なく私も口を出したりしたんだよ。でも、事あるごとに誘惑しようとしてくるし……」
そう言って、深く長いため息をつく。
「私が後宮に上がろうとすると必ず待ち伏せされて……最初は話し掛けてくる程度だったのに、最後には押し倒されそうに……回廊だよ? 信じられない……」
そう言って、右手で自分の顔を覆っている。
ではセレンが後宮の回廊で見かけたアレは、押し倒されそうになっているところだったのか。
「それであらぬ誤解を受けてもいけないから、なるべくシャウラのことは、セレンの耳に入れたくなかったんだよ」
「陛下が耳にいれたくなくても、シャウラ本人がわたくしのところにしょっちゅう耳に入れに来ましたよ」
「……そうみたいだね……」
さきほどの言い争いで、そのあたりは把握したらしい。しゅんと肩を落としている。
でも、と言いたいことは多々あるけれど、とりあえずはこの辺にしておいてあげましょう。すっかり弱っている風だし。
と、ひとまずここまでの件については納得することにした。
それに、もっと訊きたいことがある。
なのでセレンは話を切り替えた。
「あのう、さきほどどなたかが、『エイゼンの至宝』の片鱗が、と仰っていましたけれど」
「ああ、うん」
レグルスがセレンの言葉に顔を上げる。
「よくわからなくて。美姫として有名とは知っておりますけれど」
もし『エイゼンの至宝』が美姫という意味ならば、さきほどの『エイゼンの至宝』の片鱗、という言葉はあの場にはそぐわない。
セレンがそう尋ねると、彼は首を傾げた。
「もしかして、知らない? それともクラッセ限定なのかな」
「限定?」
「『エイゼンの至宝』は、美姫であることはもちろんだけれど、どちらかというと気が強いことのほうが有名だよ」
「ええ?」
「あ、知らないんだ」
それを娘の耳に入れるのはどうかと皆が思ったのか。それとも知っていて当然と思われたのか。とにかくセレンは知らなかった。
母が気が強いというのは、ええ。間違いないけれど。
「実は、父上もね」
先々王も、美姫と噂の母にかなりご執心だったそうだ。何度も文を出したり、足しげく通ったりしては、無下に扱われたらしい。
だが、無下にされればされるほど燃え上がり、最後には完全に袖にされたとか。
そのとき、結構な勢いで断られたことは、今でも語り草なのだそうで。
「だからクラッセでしか、気が強い、というのは言われていないのかもしれないね」
なにやら納得したように、レグルスはうなずきながらそんなことを言う。
母さま……どんな断り方したの……。
母にあまりにご執心だった先々王のことを知っていて嫁いだ正室は、初夜にさんざん問い詰めて、自分が納得できるまで部屋に入れなかったそうだ。
シラーが言っていた。「夜通しこちらの部屋で語り合って、初夜を伸ばされた方を知っています」と。
あれ、冗談でもなんでもなく、本当の話だったのか……。
「で、父上が言うには、『エイゼンの至宝』の娘御も、きっと同じ風だろうと。私の妃にはそれくらいでちょうどいいと」
レグルスはそこまで語ると、セレンの様子をうかがうように、上目遣いでこちらを見ている。
可愛くないので止めてください。
はあー、と深く深くため息をつく。
なるほどなるほど。いろいろ、よーくわかりました。
セレンは前を見て、レグルスに視線を合わせる。
「で、陛下はそれでいいんですか」
「え? それでって?」
「妃がわたくしでいいのかってことです。はっきり言ってくださっても構いませんから」
自分で言っていて、情けないけれど。
望まぬ婚姻は王族の常とはいえ、あまりにも主体性がなさすぎるのではないか。
いや、政略結婚としてはそれが大正解なのかもしれないけれど。
でも。
本当は嫌だったけれど、仕方なくセレンを受け入れたのなら。
今度こそ、広い心で側室を迎えなくてはいけないのかもしれない。
だから、訊いておきたい。
つらくても。
「あ、もちろん」
だが彼はあっさりとそう言って、いつものあの笑顔で微笑んだ。
「そ、そうなのですか」
覚悟は決めていたのだが。
ずいぶんきっぱりと、レグルスは肯定した。
誰でも別に構わない、ということなのか。それとも、セレンに気を遣って……なのか。
だが彼は、驚きの発言をする。
「セレンは知らないだろうけれど、私もあの舞踏会にいたんだよ。子どもの頃の」
「えっ?」
「兄上にくってかかる君は素敵だったよ」
満面の笑みでそう言う。
素敵? なにがどうして? というか、レグルスに相当するような少年は、確かにいないと思っていたのに。
「食事が並んでいたテーブルの下に隠れていたから」
「隠れ……」
慣れない舞踏会に出席させられた気の弱い彼は、テーブルの下にもぐりこんでやり過ごすことにしたらしい。
そして、目の前で繰り広げられる言い争いを、どきどきしながら見ていたとか。
「あの意地悪な兄上に突っかかるなんて! あの頃の私には考えられなかったなあ」
瞳を輝かせてそう言うが、どうにも褒められている気がしない。
そこで、はっとする。
もしかして。
「あの……陛下? もしかしたら、そのとき、フォーク……」
「ああ、あれ? 上を向いて危ないと思って、こっそりテーブルの上に戻しておいたんだ。君も気にしていたみたいだし」
長年の謎がとけて、急に力が抜けた。
ここのところの不安感とか不信感とか、いったい何だったのだろう、と思いを巡らせる。
「なのに、ずいぶんおしとやかになっていたから驚いたよ」
「そう……ですか……」
「あ、もちろん、それはそれで素敵なんだけれど」
レグルスは慌てたようにそう付け加える。
それで、『なんか違う』という視線が飛び交うことになったわけだ。
まさかの、あの舞踏会の大暴れありきの、人選。
さすがにそれは予想できませんでした……。
「と、とにかくですね……」
「うん?」
「少々、考えたいので、今日もお引き取りくださいますか?」
「あ、う、うん。わかった」
レグルスは、慌てたように立ち上がると、部屋を出て行く。今のセレンに逆らう気にはなれないのだろう。
座ったまま、レグルスの背中を見送ると。
セレンはテーブルに突っ伏した。
「……なんか……もう、よくわかんなくなってきた……」
とにかく頭の中を整理しなくては。
そう、思った。