15. 王妃は怒り心頭に発する
後宮のセレンの部屋を訪れたレグルスは、ひょいと扉の陰から顔を出した。
「セレン、いいかな?」
まだ陽が高い。こんな時間に訪れてくるだなんて、珍しい。
読んでいた書物をぱたんと閉じて、セレンはにっこりと微笑んだ。
「もちろんですわ、陛下。いらせられませ」
すると彼は、ほっとしたような表情をして、部屋の中に入ってくる。
渡るという報告もなかったので、思いつきでやってきたのだろう。
けれども侍女たちは急な来訪にもうろたえることなく、いつものように、彼の前にお茶を出す。
もちろんセレンもだ。
なにを差し置いても、国王を歓迎する。
それがこの後宮という場所だ。
レグルスはいつものようにセレンの前の席に腰掛けると、身を乗り出してセレンの前にある本を覗き込んだ。
「何を読んでいたの?」
「歴史書です、王宮から借りてきて」
自分が王妃として未熟であることはよくわかった。
だからこそ、そのままではいけない。
もっと深く、もっと広く、このクラッセという国を理解しなければならない。
王族や貴族たちとの交流、周辺諸国との状況を知ること、国内の隅々にまで至っての知識を得ること等々。
やることは数え切れないほどあるのだ。
この歴史書は、そのための取っ掛かりの一つにしかすぎない。
その意図はわかったのか、レグルスは小さくうなずいてから言った。
「わからないところ、ある?」
「わからないことだらけです」
今まで、なにもしてこなかったわけではない。
マッティアの王女であったころだって、勉強はさせられた。
クラッセにやってきてからだって、いろいろと学んだと思う。
けれど、足りない。
知れば知るほど、何一つわかっていないような気になってしまう。
セレンの返事に、レグルスは労わるような声音で返してきた。
「教えられることなら、訊いてもらえれば答えるよ」
「いいえ、自分でがんばって理解しなくては」
そこで話が途切れた。
けれど、どうにも自分から話をする気にもなれなくて、そして彼もなにか感じているのか、話しかけてこなくて。
結局、沈黙が二人の間を支配した。
そしてそれが耐えられないのか、しばらくして、レグルスは席を立った。
クラッセの侍女も、タナとフェールも、口を挟むことができずに二人をずっと見守るだけだ。
「ええと、王宮で少し仕事が残っているから……」
「まあそうですか。それは残念ですわ」
まだお茶が冷めてもいない。
けれどセレンは一生懸命、口を笑みの形にした。
「ではお見送りいたします」
セレンは席を立ち、タナとフェールのほうに振り向いて右手の手のひらを上に向けて差し出した。
彼女らは一瞬、戸惑うような動きを見せたが、要望はわかったのか扇を持ってきて、それをそっと手のひらに乗せる。
泣きそうだった。けれどそんなことは許されない。
万が一、目に涙が浮かぶようなら扇で隠してしまおうと思ったのだ。
部屋を出て、回廊を彼と連れ立って歩く。
するとレグルスは、歩きながら、おずおずとセレンのほうに振り向いた。
「あの……セレン」
「なんでしょう?」
にっこりと極上の笑顔で返事をすると、彼はなんでもない……とまた正面を向いた。
ふいに、クラッセ城にやってきたばかりのことを思い出した。
あのときは手を繋いでいたけれど、こんな風に連れ立って歩いたのだっけ。
そうだ、あのとき彼はセレンを見て首を傾げたのだ。
レグルスは、こちらを再度ちらりと見てから、また顔を正面に向ける。
その様子を見て、まるであのときみたいだ、と思う。
……なによ、なにか言いたいのではないの?
そりゃあ、言えないか。本当は、シャウラを自分の妻にしたいって。
いや、公的になっていないだけで、実はすでに妻なのかしら。
私の部屋には仕方なく通っているだけなのかしら。
そうして二人で私を笑っているのかしら。劣化版の姫のくせにって。
自分が考えたことだけれど、なんだか悲しくなってきた。
だめ、泣いては。こんなところで泣いては、なんだかみじめじゃないの。
でも、意に反して、じんわりと涙が浮かぶ。
「セレン?」
それに気付いたのか、レグルスはこちらに振り向いた。
慌てて持っていた扇を開こうとするが、タイミングが悪い。
今開いたら、本当に泣いているみたいではないか。
本当にレグルスは……こんなことに気付くのは、早い。
それは彼の優しさだけれど、でも今はつらい。
「どうかした? あの、セレン……」
「なんでもありません」
「でも」
「なんでもありませんっ」
少し強い口調で言ったところで、思わぬところから声が飛んできた。
「まあ、陛下!」
俯いたままだったが、その忌々しい声が誰から発せられたのかは、すぐにわかった。
泣き顔を見られたくはない。セレンは手に持っていた扇を、すっと顔の前に当てた。
ぱたぱたとこちらに走ってくる足音が聞こえる。
「ご機嫌麗しく、陛下」
「あ、ああ……」
シャウラのはしゃいだような声と、レグルスの戸惑うような声がする。
耳を汚さないで。
どうして。まだ私の部屋の近くなのよ。どうしてここまでやってきているの。
「なにか、怒鳴るような声が聞こえましたので、心配になってやってまいりましたの」
大きなお世話よ。早くここから立ち去って。
しかしシャウラはセレンの気持ちなどお構いなしに、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「陛下を怒鳴りつけるなんて……なんて酷い妃でしょう」
「いや、それは」
「ねえ陛下? お口直しにわたくしの部屋に寄られませんこと? 王妃殿下も頭を冷やす時間が必要でしょう。少し休んでいかれてはいかがでしょうか?」
「いや、私は」
ほら。王妃の目前で、そんなに堂々とあなたの誘惑をしているのよ。
どうして毅然として断らないの。どうして。
「だってわたくし、見ていられませんわ。陛下を怒鳴りつけるような妃なんて」
まあそれは、確かにそうかもしれないわ。
でも、あなたに言われることでもない。
「シャウラ、いいから、部屋に戻ってくれないか」
その女の名を呼ばないで。呼ばないでよ。
けれどレグルスの言葉を無視して、シャウラは続けた。
「『エイゼンの至宝』と呼ばれた美姫にそっくりだと言うのなら、まだそれも我慢できるでしょうけれど」
その言葉に、ぴくりと身体が揺れた。
「もしかしたら、『エイゼンの至宝』とやらも、大した美姫ではなかったのではなくて?」
くすくす、くすくす、嘲笑が聞こえる。
その辺りで、なにか様子がおかしいと、セレンの部屋からわらわらと侍女たちが出てきだした。
だが国王がここにいる以上、命令があるまで、彼女らは動けないようだった。
「いや、そんなことはないよ。それは美しい方だよ。ああ、いや、とにかく部屋に戻ってくれ」
レグルスがシャウラを宥めようと、口を挟んでくる。
だが、それも焼け石に水なのだ。
舞踏会ではあんなに頼りになったのに。
ことシャウラに関しては、父以上に、頼りにならない!
ここのところ。ずーっとずーっと苛々していた。我慢に我慢を重ねてきた。
自分のことならば、このまま我慢を続けられただろう。
だが、母への侮辱はどうにも許せなかった。
いや、許す必要がどこにある!
「今、なんて?」
そのとき、自分でも驚くほどに、低い声が出た。
「はい?」
目の前のシャウラは、なにか様子が違う、と気が付いたようだった。
引きつったような笑みを顔に貼りつけて、セレンのほうに顔を向ける。
セレンは低い声のまま、再度、口を開いた。
「今、なんて言ったのかって、訊いたのよ」
「え、なんてって……嫌ですわ、怖い顔」
いつも黙って嫌味を過ごしていた王妃が、どうやら怒りに身を震わせていると気付いたらしい。
いつもの自信満々な声から、少し力が失われていた。
きっ、と睨みつけると、シャウラはびくりと身体を震わせて、一歩、下がった。
シャウラのその行動は、セレンを勢い付かせた。
なんだ、これくらいのことでずいぶん怯えているじゃない。
「黙って聞いていれば……次から次へと嫌味を垂れ流して……いいかげん、わたくしの耳を汚すのは止めてくださらない?」
「嫌味だなんて……そんなこと。被害妄想が過ぎるのではなくて?」
あれらが嫌味でなくてなんなのだ。
いくらなんでも、調子に乗り過ぎたのだ。
しかし気のせいか、シャウラは強気な発言とは裏腹に、ずいぶん弱々しい声になり始めている。
セレンは口元を覆っていた扇を左の手のひらに当てて、パシン、と音をたてて閉じた。
それだけで、周りの皆に緊張が走ったのがわかった。
一度決壊した川は、もう元には戻らないのだ。
それは世の常なのだ。
今さら、止めることはできない。
もういいわ! 猫かぶりの時間は終わりだわ! どうとでもなれ!
「シャウラ!」
扇の先をビシッとシャウラの顔に向けて指した。
「は、はい!」
彼女はそれに思わず、背筋を伸ばしたようだった。
「この後宮の主は誰?」
「えっ、あの」
「誰なの?」
「誰って……」
言いあぐねている彼女に苛立ち、セレンは声を荒げた。
「誰なのか、言えって言ってるのよ!」
「お、王妃殿下です、セレン妃殿下です」
そこでレグルスが慌てて口を挟んできた。
「あの、セレン、落ち着いて……」
「陛下は黙っていらして!」
「あ、はい」
妃に一喝され、しゅんとしてレグルスは黙り込んだ。
セレンはまたシャウラに向き直る。
妃に言い返されてあっさりと口を閉じた王を見て、彼女はぽかんと口を開けている。
どうやらこの国王は自分の味方には絶対になりえない、と思ったのか、彼女は俯いてしまった。
もう反撃する元気もないかしら、と少し思ったが、ここで力を緩めてはならない。
手負いの獣は危険だと、セレンは狩りを通じて知っている。
右手に持った閉じた扇を、ポンポンと規則正しく左の手のひらに軽く打ち付けながら、セレンは続けた。
「で? このわたくしが後宮の主と知っていて、あなたはどうしてまだ居座っているのかしら?」
「居座るだなんて……そんな下品な言い方なさらなくても」
「下品ですって?」
徐々に強くなっていく口調に、これからの言い争いが激化することを読んだのか、レグルスはまためげずに口を挟んできた。
「ええと、セレン……」
「いけません、陛下あ!」
しかしレグルスの言葉に被せるように、タナとフェールの声が響いた。
「えっ、えっ? なに?」
なにやら彼女たちはレグルスに取りすがって止めているようだった。
バタバタとした足音や、背後の気配でそれを感じ取る。
「近寄ってはなりません! 陛下は剣を佩いていらっしゃいますう!」
「えっ、剣? なに? なんでっ?」
「姫さまは、王子さま方と互角の剣の腕前でいらっしゃいましたあ!」
叫ぶように言うタナとフェールの言葉に、周りの空気が、ざわっ、と一変したのがわかった。
「今の姫さまに刃物を見せてはいけません! 奪われたら血を見ますよお! さすがにそれはまずいですっ」
「え、ホント?」
弱々しい、レグルスの声がする。
「ホント」
こくこくとうなずく侍女たちが目に見えるようだ。
だが、嘘だ。
兄さまたちと互角だなんて。
確かに剣術は嗜んだ。幼いころに褒められて、調子に乗って、鍛錬場に通い詰めた。
それから、ごくごく最近まで、というか嫁ぐ前日まで、兄たちと打ち合ったりもした。
けれど、彼らは明らかに手を抜いている。
そりゃそうだろう。いくらなんでも男と女では力が違う。
子どもの頃は確かにセレンのほうが強かったけれど、成長するにつれ、彼らはあっという間にセレンを追い抜いた。
けれど、かわいい……かどうかは知らないが、妹に花を持たせるためにわざと互角に見せていたのだ。
でも私は、弓では今も負けないけどね!
……というのは言わなくてもいいだろう。
目の前のシャウラの顔色が真っ青に変わっているのを見ると、剣なら兄のほうが強いというのも、ついでに言わなくてもいいだろう。
シャウラは恐る恐るといった体で、口を開く。
「げ、下品というのは言い過ぎました……ただ、わたくし、行くところがなくて……だから、必死で……」
よよ、と彼女はドレスの袖で目元を隠した。
身の危険を感じたのか、今度は泣き落としというわけだ。
「必死で? 心にもない嫌味を言い続けたってこと?」
「は、はい、そうなのです。本当に心にもない……わたくし、いくら必死だったとはいえ、王妃殿下になんて酷いこと……」
ははーん。そうきましたか。
その言葉を、はっ、と鼻で笑う。
「よくもまあ、そんな見え透いた嘘を言えたものね」
「いえ、本当なんです、本当に」
「それが本当でも、だめなものはだめ! ものの見事な不敬罪だわよ」
「不敬罪……」
確か、クラッセでは不敬罪は死刑にもなることがあると本で読んだ。最高級の脅しではないだろうか。
実際に、それが後宮の妃同士の争いに適用されるかどうかは知ったことではない。
シャウラは言葉を失くし、血の気の引いた顔で、その場に立ち尽くしている。
いくらなんでもちょっと言い過ぎたかしら、と少しだけ正気に戻る。
「ねえ、ちょっと聞くけれど」
「はい?」
「もし陛下があなたを見染めているとしても、わたくしがいる限り、あなたはどこまでいっても側室なのよ?」
「それは……」
シャウラはそこで言いよどむ。
それはまだわからない、と言いたかったのか。
ほらやっぱり、側室であるだけでは満足はしない女なのだ。いずれはセレンを蹴落とそうとするに決まっている。
だったら、情けは要らない。
側室を許す心の広い正室、はこの場合、必要ない。
「そうね。側室でも、お世継ぎを産んだら、国母になれるものねえ?」
シャウラは言葉を探しているのか、返事をしない。
「でも、どちらが先に産むと思う? 仮にあなたが先に産んだとしても、仮にも一国の王女であった、正室のこのわたくしの御子よりも先に王位継承権がめぐってくるかしら? どう思う?」
「そんなのっ、産んでみないとわからないわっ」
シャウラのほうも、このままでは終われないと思ったのか。弱々しくも逆襲してきた。
「ざーんねんでした!」
しかしセレンは高らかに笑って言った。
「そんなことは、このわたくしがさせないわ! なにがなんでもお世継ぎはわたくしが産みます! あなたなんかに先は越させないわ! わかったら、とっとと後宮から出て行って!」
扇で、びしっと後宮の出口を指す。
このやりとりに誰も口を挟めずに、ただただ呆然と眺めているだけのようだった。
「な、なによ……。そんな、出て行けなんて……」
「聞こえなかった? これは、お願いではないわ、命令よ」
「そんな」
「陛下!」
「は、はい!」
ただ黙り込んでいたレグルスは、セレンの言葉にびしっと背筋を伸ばした。
「王命になさって」
「え、あの」
「早く!」
セレンの一喝で、レグルスは口を開いた。
「ええと、では、早急に後宮から出て行ってほしい。そなたは先王の側室であって、私の側室ではないのだし」
なんだ、言えるじゃないの。
じゃあ、とっととそうしてくれればよかったのに。
どうしてこんなことになってしまったのか、後からみっちり訊いてやるわ。
セレンがそんなことを心の中で思っていると。
「……な、なによ、なによなによなによ!」
シャウラは突然、叫ぶように言い募る。
やけっぱち、という言葉がぴったりと当てはまった。
「いっつもいっつも、そっちの勝手! そっちが望んで後宮に上がってみれば、あっという間に退位とか、いったいなんなのよ! こっちはねえ、人生賭けてるのよ! こっちにだって都合があるのよ! そっちの都合で振り回さないでよ!」
綺麗な黒髪を振り乱しながら、彼女は言い募る。
いつもの妖艶な笑みはどこへやら、湧き上がってくる思いをこれでもかとぶちまける彼女には、鬼神とでもいえるような、妙な迫力があった。
というか、元男爵令嬢とは思えない蓮っ葉な雰囲気があって、もしかしたらそれが本来の彼女の表情なのかもしれない。
つまり彼女も猫をかぶっていたということか。
かぶっていた猫を脱ぎ捨てた彼女は、さらに言い募る。
もう言ってしまえ、とでも思っているのかもしれない。
「私はねえ、べっつにあーんなバカ王子なんか、興味なかったの! 私を後宮に召し抱えてくれる人なら誰だってよかったの! すぐさま即位した第二王子はチョロそうだったから、すぐになびくと思ったのに!」
「チョロそう……」
レグルスが顔を片手で覆ってしまっている。
「え、ええーと、その辺で……」
セレンは思わずシャウラを制止してしまう。
さすがに国王相手に言い過ぎだ。
さっき不敬罪がどうとかいう話をしたのだけれど、もうすっぽり頭から抜け落ちたのだろうか。
しかしシャウラの耳に、セレンの言葉は届かなかったらしい。
「で、やってきた王妃は、こーんな子ども!」
こちらを指さしてそう言う。
「『エイゼンの至宝』の娘だって言うから、どんな美姫かと思いきや、色気もなにもない女じゃないの! これなら私だっていけるじゃない? そう思っちゃうわよねえ!」
まあ、劣化版ですからね。
シャウラが取り乱していくのと同時に、セレンはどんどん落ち着いてきた。
まあ確かに、色気がどうとか言われると、自信がないわね。
などと冷静に考える。
だが。
「その辺にしておけ」
そこでレグルスの声がした。
厳しい、声音。
静かな口調なのに、どうしてか、ビリビリと空気が震えたような気がした。
セレンは彼がこんな声が出せることを知らなかった。
セレンもシャウラも、ピタリと動きを止め、ゆっくりとレグルスのほうに振り返る。
静かで冷ややかな怒りは、激情を乗せた怒りよりも、恐ろしい。
彼はため息をついてから、シャウラのほうをまっすぐに見て、そして口を開いた。
「我が妃への侮辱は、私への侮辱ととるが? これ以上、その醜怪な口を開くつもりなら、不敬罪を適用することになる」
彼の言葉でその場が静寂に包まれた。
まるで時が止まったような感覚がする。
どこかでカサカサと、葉擦れの音がした。
シャウラがひとつ、息を吐く。
それでその場が動き出した。
「あーあ、やってらんない。ここまでかあ」
なにか達観したような表情でそう言うと、一つ、肩をすくめた。
そして背筋を伸ばすと、自分の腰の前で両手を組み、ゆっくりと腰を折った。彼女の黒髪が、前に流れる。
「国王陛下。王命、申し付かりました」
そう言ってしばらく頭を下げたあと、顔を上げ、乱れた黒髪を一度かき上げた。
その表情にはもうどこにも妖艶さもなく、蓮っ葉な雰囲気もなく、ただ貴族の娘らしい毅然としたまっすぐな瞳があった。
「ではわたくしは、お暇をいただきます。国王陛下と王妃殿下の御前を失礼しても?」
「よい。許可する」
「ご厚情、賜りました」
そう言って、ドレスの裾を持ち上げて一礼する。
それから思いの外あっさりと、こちらに背中を向けて、それでも背筋を伸ばして立ち去って行った。
その背中を見ていると、なんというか、少しだけ、気の毒になってしまった。
もしセレンがもっと王妃らしかったなら、彼女も最初から諦められたのだろうか。
そう考えると、自然と口が動いた。
「陛下。わたくしも少々言い過ぎました。できれば手厚く保護して差し上げてくださいますか?」
「わかった。セレンがそれでいいのなら」
そして、辺りをしばらくの沈黙が包んだ。
誰もその場を動けなくて、状況を変えられなくて。ただ、時間だけが過ぎていって。
「やっちゃった……」
セレンの口から、思わず声が漏れた。
すべてが終わってしまうと、急激に血の気が引いてきた。
今、王妃にあるまじき対応をしてしまったような気がする。
でも止められなかった。だってどうにも、頭に血が昇ってしまったんだもの!
「あー、やっちゃった! もう終わったわ! せっかく我慢してたのに!」
やけっぱちになって、そう叫ぶ。
するとタナとフェールがこちらに駆け出してきて、セレンを両脇から抱えるように抱きしめて言った。
「お許しください、陛下! 王妃殿下も、度重なる罵詈雑言に耐えかねておりましたの!」
「決して陛下を侮辱するつもりでは!」
二人とも、セレンを庇うように、レグルスがいるほうから抱き締めてくれている。
「……庇ってくれるの」
こんな、王妃らしくない主人だと言うのに。
彼女らには、助けられてばかりなのに。
タナとフェールは涙声で、セレンに言った。
「当たり前です、姫さま。私どもはいつでも、姫さまの味方ですわ」
「……ありがとう」
もういろいろありすぎて、感極まってしまって、三人で抱き合ってしゃがみこんで泣いた。
ごめんなさい、母さま。私、王妃の立場を貫くことができませんでした。
あの日から私、なんにも成長できてないみたいです。
おいおいと泣いていると、ふと、拍手が聞こえた。
顔を上げると、シラーだった。
それにつられたのか、周りも拍手をしだす。
気が付いたら、セレンたち三人は、拍手喝采に包まれていた。
「……え?」
ぽかんと口を開けたまま、辺りを見渡す。
彼らは口々に言っていた。
「ようやく、『エイゼンの至宝』の片鱗を見せてくださいましたね」
「あの迫力。先々王にも勝るとも劣らぬ威厳でございました」
「同じことを陛下が仰ったとしても、同じ迫力が出せたかどうか」
なにやら、反応が……予想していたものと違う。
なんだ、これ。
一瞬で涙も引っ込んだ。
三人揃ってきょとんとしていると、目の前に、レグルスが膝を立ててしゃがみこんできた。
「あの……すまなかった、そこまで追い込んでいたとは思わずに……あの……」
なにやら、もごもごと言い訳を募る。
もういいわ、ここまできたら、なんだって。
「陛下」
「あ、な、なに?」
「お話があります」
死刑台に向かう囚人のような表情をして、レグルスはセレンの言葉にうなずいた。