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12. 王妃は恋心を自覚する

 厩舎に戻って、馬から降りて出口に向かうところで、レグルスは立ち止まってセレンのほうに振り向いた。

 なんだろう、と見上げると、また腕が伸びてきて、セレンの頭を抱えるように自身の肩口に寄せる。


「あ、あの」

「楽しかった?」


 耳元で、囁かれる。甘い、声。


「はい、もちろん」

「また行こう」

「はい」


 腕が解かれて、見上げると、彼はにっこりと笑う。

 これは、いったいどんな意味があるんだろう。あれからもときどき、後宮から王宮に戻るときに、そうされる。


 なのに、未だに渡りがあっても二人は朝まで語り合うだけだ。

 少し触れられると、もっと触れてほしいと思ってしまうけれど、そこまでだ。


 またね、の挨拶……のつもりなんだろうか。

 なにを考えているのか、ときどきわからなくなる。


 けれど、今日は頬に口づけをくれた。

 少しずつ進んでいる、と思ってもいいのかもしれない、と少し前向きな気分になれた。


「じゃあまた」

「はい」


 レグルスとはそこで別れる。

 彼も侍従たちも軽く走り出したから、本当に時間がない中、セレンのために時間を作ってくれたのだろう。


 ちょっと浮かれた気分で厩舎を出ると、シラーが待っていてくれた。


「いかがでしたか? 遠乗りは」

「とても楽しかったわ!」

「それはようございました」


 シラーも笑みを返してくれる。

 二人で後宮までの道のりを歩きながら話す。


「ぜひまた行きたいけれど、陛下もお忙しそうだし、あまりわがまま言ってはだめね」

「言うだけなら大丈夫ですわよ」

「そうかしら? じゃあまたいつか、おねだりしてみようかしら」

「ええ、きっと喜んでくださるでしょう」

「それならいいのだけれど」


 頬に受けた口づけのおかげか。

 セレンは少々舞い上がっていた。


 前方にいたシャウラにも気付かないほどに。


「ごきげんよう、王妃殿下」


 空を舞う鳥のように舞い上がっていた気持ちが、いきなり地べたに叩きつけられたような気分になった。


「……ごきげんよう」


 シラーは一歩引いて、なにも言わずに控えている。

 何ごとにも頼りになる人だけれど、ことシャウラに関しては、まったく頼りになりそうもない。

 まあいい。おそらくは、なんらかの考えがあるのだろう。


「ふうん」


 シャウラはセレンを上から下まで舐めるように見たあと、小さく笑った。


「遠乗りにでも行かれたのでしょうか?」

「ええ、そうよ。陛下と一緒にね」


 胸を張って、言ってやる。

 頬に口づけだってされたんだから!

 とは言えないけれど。


「へえ、それは良うございましたね」


 なんというか。いちいち引っかかる言い方をする。


「陛下はお優しいから……」


 そう言って、またくすくすと笑う。

 どういう意味だ、それは。

 レグルスが優しいのは間違いないけれど。


「では、王妃殿下。わたくしはこれで……」

「ちょっと待ちなさい」


 ちら、と横を見ると、シラーは相変わらず、我関せず、を貫いている。

 あまり取り乱したような姿は見せたくはないけれど、黙って侮辱に耐えるのも、どうかと思う。


 セレンは胸を張って、少し不遜に見えるようにと見下した視線をシャウラに向けた。

 しかしシャウラは口の端を上げて、余裕のあるような顔でこちらを見ている。このやろう。


「いちいちわたくしの行く先々に現れて、いったい何がそんなに気になるのかしら?」

「まあ、それは気にしすぎでは? 同じ後宮に住んでいるのですもの、出会うこともあるでしょう。偶然ですわ、偶然」


 そんなわけあるか!

 大国クラッセの後宮、やる気になれば百人くらいの妃が住めるほどの広さがあるというのに、こうしょっちゅう会うということは、それは意図的なものだ。


 鬱陶しいのよ。奥の間にすっこんでてよ。その下品な顔なんて見たくもないのよ。

 ……と心の中で罵倒する。


「だいたい、先王陛下のご側室ならば、退位と同時に後宮を辞してしかるべきではないかしら?」

「まあ、普通はそうなんでしょうね」


 堪えた様子はない。ふふふ、と笑ってみせる。


「でも、先王の側室がそのまま現王の側室になるというのも、決して珍しい話ではありませんのよ?」


 そりゃ、そういうこともあるだろう。でも。

 シャウラはふいに顔を寄せてきて、囁くように言った。


「こんな子どもっぽい妃で、陛下は満足しているのかしら?」

「なん……」

「わたくしなら、陛下をお慰めできると思いますの」


 あまりの言い草に、反論できなかった。

 心当たりも、あった。

 言葉を失うセレンを見て、シャウラは妖艶な笑みを浮かべて、顔を離す。


「もうお話がないようでしたら、わたくし、失礼いたしますわ」


 そう言って身を翻す。セレンはそれ以上、何も言えなくなった。

 まさか。

 まさか、知っているの?

 まだ、セレンが本当の意味での妃になっていないということを。


 ばっと、シラーのほうに振り返る。

 だが彼女は、目を伏せ、そこに控えているだけだ。


 いや、シャウラが知っているとは限らない。彼女の言い草では、セレンを色気のない女だと言っただけとも受け取れる。

 でももし、本当に知っているとしたら。

 彼女に教えたのは誰?

 ……レグルス。


 いや、そんなこと。そんなことない。また思考が後ろ向きになってしまっている。

 そんなはずないわ。楽しいことを考えよう。今日はあんなに楽しかったのだもの。


 セレンが部屋に帰ろうとなんとか一歩を踏み出すと、シラーも後からついてくる。


 あんなに、あんなに幸せな気分だったのに。

 どうして嫌な気分にさせられなければならなかったのか。


 部屋に帰って、すぐさま裸足になって、ベッドをどすどすと踏みしめたことは、言うまでもない。


          ◇


 ある日、寝所の掃除をしていたフェールが、落ち着きなくこちらをちらちらと見ていることに気が付いた。

 タナも気になるのか、フェールの顔を横目でうかがっている。

 なにやら考え込んでいる様子だから、こちらから訊くことにした。


「どうしたの?」


 フェールは割となんでもはっきり言うほうだから、そういう態度は珍しい。

 少し言いあぐねている様子だったけれど、ちょっとして勇気を出したのか、彼女は口を開いた。


「え、ええと……。実は、お願いがあるのですが……」

「お願い? なに?」


 すると、顔を少し紅潮させて、もじもじと指を組んだり離したりしている。

 ん? なにかしら。


「あの、一日、お休みをいただけませんでしょうか」

「お休み?」

「あの、どこでもいいので、一日、お休みを、と……。あ、いえ、駄目ならいいんですけど……」


 それは、そんなにもじもじしながら言うことなんだろうか。

 タナのほうに振り返って訊く。


「タナは? フェールがいなくて大丈夫?」

「私は大丈夫ですよ」


 実際のところ、クラッセの侍女がセレンに十人も付いているのだ。本来は、それで十分のはずだ。

 それに、彼女らは交代で休みをとっているようだが、タナとフェールはセレンの猫かぶりのせいで休みと言える休みがなくて、負担が大きいのかもしれない。


「いいわよ。二人にはいつもがんばってもらっているし」

「本当ですか!」

「今まで気付かなくて悪かったわ。二人とも、お休みしたらいいわよ」

「えっ、私も」

「ありがとうございます!」


 タナとフェールは弾んだ声でそう言った。

 いけないいけない。自分のことに精一杯で、彼女らのことにまで目が配れていなかった。

 それは、主人としてよろしくない。


「どこか、行きたいところでもあるの? 遠くなら、一日でなくてもいいわよ」


 すると、フェールはまたもじもじしだした。

 うん?


「あ、あの……じ、実は……、城下を案内すると言ってくださる殿方がいて……」

「うっそ」

「それで、どこか一日休めないかって」


 そう言って、頬を染める。これで、やっぱナシ、とか言ったら、どうなるんだろう。

 するとタナが身を乗り出してフェールを問い詰め始める。


「誰っ? 誰なの、お相手は!」


 うん、それは聞いておきたい。

 座って座って! となぜかタナがその場を仕切りだし、ベッドの端に、セレンを中心に三人で並んで座る。


「ええー、言わなきゃ、だめ?」


 フェールはまだもじもじしている。


「言わないと、調べちゃうから!」


 うん、タナなら速攻で調べてきそうだ。

 観念したのか、フェールは恥じらいながらも、答えを明かした。


「あのね、ほら、王宮の門番の……」

「わかったー! あのごっつい人! フェールはああいう人が好きだもんねえ!」


 そうなのか。知らなかった。


「で? どこまで進んでるのよ」


 ど、どこまで言わせるつもりなのか。

 でも少し、聞いておきたい。

 いや、参考までに。


「ええと……口づけを……」


 頬を染めながら返されたフェールの答えに、タナはきゃー! 素敵! と声を上げている。

 だがセレンはとてもそんな気分にはなれなかった。


「うっそ……。展開が早くない……?」

「そりゃまあ、姫さまに比べたら」

「ぶん殴っていい?」

「顔はやめてください」

「しないわよ、冗談」


 唇を尖らせて、ぷいと横を向くと、タナと目が合った。

 そして。目を逸らされた。


「……まさか……タナまで……」


 タナは俯いて、えへへ、と小さく笑った。


「うっそ」

「いえ、私はフェールほどでは。ただ、お付き合いしてくださいって言われただけで」

「どうなってるの、これ……」


 思わず、頭を抱えた。

 クラッセ王城に入ってすぐ結婚したセレンは、まだ何ごとも進んでいないというのに。

 まさか、真っ白の状態で入城した二人に、もう恋人? そんな馬鹿な。

 はあ、とため息をつく。


「なんかちょっと、羨ましいわ……」


 そう、口に出てしまった。

 すると、タナとフェールが顔を見合わせる。

 そしてこちらを覗き込むようにして問うてきた。


「あのう、姫さま。実は前々から思っていたんですけど」

「なに?」

「姫さまって、陛下のこと、お好きですよね?」


 フェールが言う。


「なんだかとっても、お好きですよね?」


 タナも続ける。

 いったい、なにがどうしてそんな話になったのか。どうしてセレンの話にすり替わったのか。


「えっ、いやっ、好きとかどうとか、考えたことないしっ」


 ぶんぶんと右手を振る。

 しかし彼女らは、それは目に入らないようだった。


「でも、ようく考えてくださいよ? だって姫さまって、政略結婚なわけじゃないですか」

「そうっ、そうよっ。好きかどうかなんて関係ないものっ」


 なんで私の声は上擦っているんだ、と思う。


「だったら、褥をともにしないって、そこまで思い詰めなくてもいいじゃないですか?」

「お世継ぎが産めないからって理由じゃないですよね? そんなに考え込んでいるのは」

「お好きじゃないなら、今の状況はむしろ歓迎するところじゃないですか? 好きじゃない人には触られたくないもの」


 そう二人が畳みかけてくる。


「え……ええっと……」

「陛下のこと、お好きですよね?」


 二人の声が、綺麗に重なった。


「あ、あの……」


 本当のところは。

 ずっとずっと、こうして悩んでいるのは。


「私……」

「はい」

「陛下のこと、好きだわ」


 そう口にして言葉にすると、ついでに涙も溢れてきた。


 私、陛下のこと、好きなんだわ。

 漠然としていた気持ちが、自分の中で、どんどんと形を作っていく。


 握ってくれた、優しい手が忘れられないの。

 夜通し話をしていると、楽しくて仕方ないの。

 笑顔を向けられると、私も笑顔になるの。

 あのとき、頬に口づけを落としてくれたことが、どれだけ嬉しかったか、どれだけ幸せだったか、この気持ちを見せられたらいいのに。


 でも、他の人のことが好きなのかと思うと、苦しくて泣きたくなるの。

 私だけを見て。

 もっと一緒にいて。

 私に触れて。

 考え出すと、苦しいの。

 永遠の愛が、本当にあったらいいのに。


 ぼろぼろと涙が溢れて止まらない。両手で顔を覆う。

 泣いては駄目。王妃としての尊厳が失われるわ。しかも侍女の前だもの、毅然としなくては。


「まあまあ、姫さま」

「恋をなさったんですねえ」


 二人が、両脇から肩を抱いてくる。そして二人して、頬を寄せてきた。

 だから余計に泣けてきた。

 本当なら、世界で一番幸せな花嫁だったはずなのに。

 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


 二人は、セレンの涙が止まるまで、ずっとそうしていてくれたのだった。

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