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あなたのいない世界で  作者: 未明
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1:白と灰と


この日、鬱屈とした雨雲がようやく去った、久しぶりの晴天が眩しく突き刺さる輝く日こそ、私にとって生涯忘れられないと日となった。


それは、私アナスターシャ・ディフェンテの16歳の誕生日だった。まちに待った日だった。毎日寝る前に、この日が来るのを指折り数えては、結婚後の幸せな生活を夢見て眠りについた。16歳とは、この国では成人と見なされる。つまり、公爵家に生まれた私も遂に愛する人の元へと嫁ぐ事が許された日でもあった。幼い頃に決められた婚約者、この国の王太子殿下であるフィン様の元へと。


ティルナノーグ国の王宮、拝謁の間にて国王陛下と王妃様から成人の祝福を賜る。何百回も繰り返してきた跪礼はここに来て、知らずのうちに震えていた。それは陛下を前にしての緊張からか、それとも嬉しさのあまりに来る物だったかどうか、余り良く覚えていない。祝福の言葉を頂いている間に視界の隅で優しく見守ってくれている人が写った。私の婚約者。未来の王、フィオナ・ティルナノーグ殿下。空の色を写しとった鮮やかな上衣に黄金の刺繍が施された正装。煌びやかな衣装に負けない、金の髪に青い瞳を持つ私より2つ年上の殿下。


物心つく前から互いに婚約者として過ごしてきた。時には兄弟、親友として。生まれたときから一緒だったものだから、今更夫婦となるのは少し気恥ずかしくもある。それにしたっても、最近の殿下は少しだけ接触が多いと言うか、何かに付けて私に触れてくるので、気の休まる所が無いのと言うのに。儀式が終わったら私も晴れて大人の仲間入りだ。これまでは、ちょっと多めにスキンシップがある程度だったけれど、これからはそんなものでは済まないと、昨日の夜に散々侍女から脅された。一体何が待ち受けているのかと思うと、緊張と恥ずかしさと少しの好奇心で胸の鼓動が止まらない。どんな顔でお会いすれば良いのだろう。陛下から頂く大事な祝福だと言うのに、私の頭の中はあらぬことで一杯だった。


いつの間にか儀式は終わり、目の前に白手袋で包まれた手が差し出される。ふと顔を上げれば、この上なく上機嫌な殿下が手を差し出していた。つい先程まで不埒な事を考えていた私は、ぼっと顔が赤くなってしまう。中々手を取らない私を不審がったのか、強引に手を取られ出口まで強制的にエスコートされた。裾が長いドレスに足をもつれさせ転びそうになるが、すぐ側で殿下が腰を支える。腰から伝わる婚約者の体温に益々身を固くした私は、さぞ不審な行動をしていただろう。端から見れば、緊張で動けない体を殿下に介助されて退席する姿はなんと滑稽だったに違いない。


長い廊下を進み、中庭に来た所でようやく体が離される。まだ心臓の鼓動が早い気がするのは決して気のせいではない。


「アナ、さっきからどうしたの?顔が真っ赤だよ」

「お見苦しい姿をお見せして、申し訳ありません」

「そんなこと無い。とても綺麗だよ」


恥ずかしさで目を合わせない私に、殿下は笑って優しく頬を撫でてくれた。昔だったら、兄の様に撫でてくれる彼の大きな手が大好きだった。しかし今はもう知っている。その行動に、もはや親愛の情だけではない意味を込められている事を。今更気づいた私は愚かにも身を固くして、失礼にも顔を俯かせるばかりだった。家庭教師やお母様から散々心得を聞かされて来て、私としても準備はできていると思っていた。だが、実際こうして直面するとどうして良いか分からないのが本音だった。


「アナ、そんなに緊張しないでよ」

「ですが・・・」

「今からそんなに緊張していたら、身が持たないよ?」

「それはどういう意味で——・・・?」

「さあね?」


いたずらっ子みたいににやりと笑う殿下の笑顔に、また一つ心が奪われた。こうして私は一つずつ、まるで花びらが散る様に全ての心を殿下に奪われてしまうのだろう。


「それより、アナに見せたいものがあるんだ。一緒に来てくれる?」

「はい!もちろんですが、まずはドレスを着替えないと」


王族の方に拝謁するため、儀式用の純白のドレスを着たままだった。頭には白鳥の羽飾りも付けたままである。万が一無くしたり、汚したりしたら大変だ。これらは全て最高級のものを誂えているため、無下に扱うなんて出来ない。まずは屋敷に戻ってからと、馬車置き場に向かうため踵を返す。が、一歩進んだ所で背後からお腹に腕が回った。ちらりと振り返れば、有無を言わせない笑顔の殿下がいた。


「あの・・・?」


何をするつもりですかと、質問する隙さえ与えられず、私はあっという間にまるで荷物を運ぶかの様に馬に乗せられていた。


「殿下、ドレスが汚れてしまいます。せめて着替えさせて下さい」

「駄目。そのままで良いから」


そう言う殿下も正装のままだった。互いに非常に目立つ格好で何処に行こうと言うのか。


「ですが——」

「舌を噛むといけないから口を閉じていなさい」


途端に駆け出される馬。たくましい腕に体を支えられる。中庭を抜け、城門を抜け、森を駆け抜けた。途中、城下町を駆け抜けた時、幾人かの人々は私達の事に気がついたみたいで、あんぐりと口を開けて驚いていた。無理もない、この国の王太子が、女を抱えて馬を駆けるなんて前代未聞の事だろうから。


やがて随分来たであろう所で、地面を蹴る蹄の音が止まった。降ろされたのは、城下町を一望できる小高い丘だった。昔、幼い時によくピクニックに来ていた場所だった。


「殿下、酷いです。着替えもさせて頂けないなんて」

「いい加減、その呼び方をするのはどうなのかな?」


殿下、と公式の場では敬称で呼ぶ様にしているが、2人きりの時は名前で呼び合うのが私達の約束だった。


「ごめんなさい、フィン様。ですが、このままではドレスが汚れてしまいます」

「そしたらすぐに新しいのを用意してあげるよ。まぁ、本当はそのドレスも私が用意したかったのだから、私としては汚れて使い物にならなくなれば嬉しいのだけれど」

「そ、それは困ります・・・無駄遣いは駄目です」

「貴女が望めば、ダイヤモンドで出来た首飾りも用意してあげると言うのに」

「それはいけません!」


口を尖らせて言ったのが面白かったのか、殿下は声を上げて笑った。


「冗談だよ。私は貴女のそんな無欲な所も好きなんだから」


唐突の甘い言葉に耳まで赤くなる。またこの人は私をからかって遊んでいるのだろうか。しかしながら、冗談でも好きと言われて喜んでいる自分も大概だった。


「あんまり貴女をからかっても可哀想だね。実はこの場所と言うか、アナ、貴女に用があった訳で・・・」


唐突にしどろもどろになる殿下に首を傾げる。いつも自信たっぷり堂々としている彼らしく無い様子に、疑問の視線を向けていれば、彼はいきなり目の前で跪いた。胸に手を当て跪くその姿は、相手に最高の敬意を表する最敬礼だった。


突然の行動に驚きを隠せない。王族が臣下に跪く等あってはならない事だ。誰かに見られでもしたらと、私は驚いて彼を立たせようと躍起になるが、次の瞬間に紡がれた言葉に、再度衝撃が走った。


「エフゲニー・ディフェンテ公爵の娘、レディ・アナスターシャ・ディフェンテ。私、グリアン・ティルナノーグが息子、フィオナ・ティルナノーグは貴女に結婚を申し込む。どうか私の妻となってはくれませんか」


何を言われたのか頭の理解が追いつかない。否、殿下の口から紡がれた言葉はもう既に全部覚えている。だが私の体は意志に反し、一言一句逃さず言葉を聞いていたのにも関わらず、喉が役割を放棄したたようで声が出せなかった。茫然とする私の代わりと言うかの様に、ただ静かにほろりと涙が流れ落ちた。それが答えだった。


静かに涙を流し続ける私とは相対する様に、王子は優しい瞳でそっと私の瞳を見つめていた。


「答えは分かっているつもりだが、どうか貴女の口から返事が聞きたい。アナスターシャ、私の妻になってくれますか?」

「・・・・はい」


震える唇から出た言葉は、ちゃんと王子に聞こえていただろうか。だがそんな心配は要らなかった。白鳥の羽飾りが落ちる程に強く、しっかりと抱きしめられたのだから。


「本当に嬉しいよ。この日をどんなに待ち望んだ事か。ありがとう、アナ」

「私も同じ気持ちです、フィン様」


今この世界で最も幸せなのは誰かと問われたら、自信を持って答えられるだろう。“私達”であると。何よりも嬉しかったのは、殿下も結婚を待ち望んでいてくれていた事だ。私だけが殿下に心奪われていたのではなく、殿下も同じ気持ちであった事が何よりも私を幸せにした。


「この先、未来において私はこの国の王になる。貴女は王妃に。その未来は幸せだけではなく、時には厳しいものとなるかもしれない。上に立つ者としての重責に圧し潰されそうになるかもしれない。それでも、私の側にいてくれますか?」


殿下の体が少し震えている気がした。私はそっと殿下の背中に腕を回す。私が側におりますと、少しでも分かって頂ける様に体温を移して行く。


「はい」

「命を狙われるかもしれない。気分が乗らない日や、悲しい出来事があった日も笑顔で人前に立たなければならない日があるかもしれない。それでも?」

「はい」

「この先自由に外出したり、家に帰る事が出来なくなっても?」

「はい」

「アナスターシャ、本当に——」

「フィン様、何度聞かれたって私は“はい”とお答えします。だからご心配なさらず。私の望みは・・・幼い頃からの夢は、フィン様の一番側で共にこの国を支え生きて行く事ですから」


殿下は一瞬だけ眉間に皺を寄せる難しい顔をした。そこにどんな思いが込められていたのかは、知る由もない。だが私は強く抱きしめてくれるこの腕を信じている。だから、この先どんな苦難も2人共にあれば乗り越えられる気がした。


どれくらいそうしていたのだろう。ぴったりと寄り添い合ったまま、視線の先では城下町に茜色に輝く夕日が沈んで行くのが見えた。互いに離れがたいが、そろそろ城に戻らなければみんなが心配するだろう。


近くの木に繋いであった馬に私が跨がった所で、突然城からの早馬が現れた。やけに焦った様子で、私達に速やかに帰城するよう促す。鬼気迫った雰囲気から、只事ではない何かが起こったのではないかと不安に駆られる。それは殿下も同じく感じたようで、手綱を握る拳が普段より固かったのは気のせいではない。幸せな気分から一転して、帰り道は重苦しい空気となった。


城に着くや否や、殿下と私は引き離されてしまった。側を離れようとしない殿下を王の近衛兵が無理矢理連れて行ってしまったのだ。対して私は城の侍女達に控え室へと通される。部屋に入るとそこには一旦屋敷に戻って再度呼び戻されたのか、普段着に着替えたお母様がいた。焦燥した様子で落ち着きが無く、いつものお母様からはかけ離れた様子に不安はいっそう強くなる。お母様をここまでにする程の事があったのだろうか。


「お母様、一体何があったのですか」

「それは・・・陛下がご説明して下さるわ。あぁ——・・・アナ。私の可愛い娘。これから何を聞いても気をしっかり保つのよ」

「それどう言う意味ですか。お父様はどちらに——」

「お時間です。アナスターシャ様、拝謁の間へとお連れ致します」


どうやらお母様はかなり無理を言って、陛下に謁見する前の私に会う時間を稼いだらしかった。だが無情にも、部屋を訪れた近衛兵によってそれは断ち切られてしまった。無表情な兵士達は、私の両脇を固めて陛下の待つ広間へと連行する。遠くでこちらを見送るお母様の表情は、悲哀に満ちていた。



つい先程成人の儀で訪れた広間には、陛下を初めとし宰相や大臣、国の重臣達が勢揃いしていた。控えていた人物の中には自分の父親もいた。お母様と同じく、お父様もどこか沈痛の色を見せた表情をしていた。


脇を固めていた兵士達は、陛下が座る玉座の前へと私を連れて行くと、さっと側を離れて行った。国の要人達が取り囲む中、私はまるで罪状を言い渡されるのを待つ罪人かの様に玉座の前で跪く。目線を下げた先に入る真っ赤な絨毯。このまま顔を上げたく無かった。だが、そうもしていられない。ひとつだけ深く息を吐き、意を決して顔を上げる。正面に陛下、左側に王妃様、そしてその隣に殿下がいらっしゃった。殿下と目が合う。その顔には私と同様に現状を理解してない困惑の色が見てとれた。


「急に呼び出したのには訳がある。宰相、書状を読み上げろ」

「御意、陛下」


一歩後ろで控えていた宰相は、抱えていた書状を広げて内容を声高に読み上げる。


「貴国の自治権を認めていた大エリン連邦国は、百年続く我が帝国との戦争に敗し、連邦含め自治権は帝国に譲渡された。属国である貴国に対し、これまで同様の自治を認める代償として、ラプセル帝国は婚姻による同盟を申し入れる。貴国で最も高貴な未婚の婦人を捧げよ。もしこの同盟に異を唱えるならば、速やかに自治権を放棄されたし。七日以内に帝国に返事が届かなければ、我等に宣戦布告をしたものと見なし、美しい大地を百万の国民の血で染め上げる事になるだろう」



宰相の声が静まり返った広間に響き渡った。誰一人微動だにしない。衣擦れの音さえ聞こえてこない、恐ろしい程の静寂だった。


・・・・今なんと宰相様は仰ったのだろう。大エリン連邦国が敗北?戦争は停戦中ではなかったの。なぜ急に?どうして・・・?そもそもどうして私は、ここに呼ばれているの。嫌な予感がする。今すぐにでも、ここから逃げてしまいたかった。どうにも出来ずに助けを求めて殿下を見つめれば、殿下も真っすぐこちらを見つめていた。その表情は今まで見たことが無いくらい、苦しげに歪んでいた。


じっと重い静寂が空間をしばし支配した後、咳払いでそれを破る者がいた。陛下だった。陛下は玉座からゆっくりと腰を上げると、広間の人々に語りかけるように口を開いた。


「三刻程前に、帝国からの使者とともにこの書状がもたらされた。皆も知っての通り、我が国は連邦の庇護下にある事で自治権を認められてきた。強国の壁に守られた我等は戦いを知らず、平和に過ごせてきたのは連邦の恩恵だ。しかしその恩恵も最早これまでとなった」


そこでひと呼吸おく。


「連邦国内で帝国に寝返った者達がいたのだ。彼等の裏切りにより、連邦は内側から瓦解され遂に帝国に敗北した。今頃は恐らく・・・王族達は処刑されている可能性が高い」


処刑という言葉で、幾人かの貴族達が息を飲んだ。平和に過ごしてきた私達にはこれ程なじみの無い言葉等無かった。


「我々は国民の為に選択しなければならない」


何を選択なさるおつもりか。胸の動機が勝手に早くなる。


「この国を、民を何に変えても守らねばならない」


膝が震える。呼吸も上手く出来ない。これ以上何も言わないで欲しかった。だが願い虚しく、陛下は残酷な言葉を続けた。


「我々ティルナノーグ国は五大臣を交えた会議により、同盟に締結する事を全会一致で決定した。よって——」


あぁ、それ以上何も言わないで欲しい。聞きたく無い言葉がきっと待っている。額から、背中から冷たい汗が流れ落ちて行く。動悸は益々早くなり、気分が悪くなって行くと言うのに誰も私の様子に気付いていないようだった。


「我が国で最も高貴な身分の未婚女性である、エフゲニー・ディフェンテ公爵の娘、アナスターシャ・ディフェンテを帝国皇帝陛下の元へ嫁がせることとなった。従って我が息子、王太子フィオナ・ティルナノーグとの婚約は正式に破棄される事をここに宣言する。神官長、用意を」


王の命令により、銀の盆を掲げた神官長がやって来る。その後ろからは、蝋燭が灯された燭台を両手で抱える神官が続いていた。銀の盆の上には金の文様が縁取られた美しい紙が載せられていた。それは私と殿下の婚約証明書だった。陛下が証明書を手に取った瞬間、何をするつもりなのかはっとしたのは殿下も同様だったらしく、焦った様子で陛下に詰め寄ろうとした。しかし無情にも、殿下の行動を予測していた屈強な兵士達に押さえ込まれてしまった。


「父上、お止め下さい!何をなさるおつもりですか、父上!」

「許せ。アナスターシャ」


一言だけ、静かに陛下は私に告げた。殿下と生き写しの青い瞳が一瞬だけ悲しさをかいま見せた。殿下の制止の声も虚しく、証明書は蝋燭の火へとかけられ目の前で灰へと姿を変えた。銀の盆の上にもひらひらと焼け落ちる私達の大事な約束。これまでの思い出も、想いも全て焼かれた気がした。


「三日間の準備期間を設けた後、アナスターシャ姫には帝国へと輿入れしてもらう。話は以上だ」


殿下の怒り狂う叫びをどこか遠くで感じながら、私の意識はそこで途絶えた。



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