上層部②
空中に揺蕩う雷精の幼い姿に、密かに、かつ素早く紫光の大剣を抜き打つ。だが〝斬る〟と思った瞬間ーー雷精は青白い光の尾を残して、瞬間移動してしまった。そしてその身は上空に現れると、笑い声のような雷鳴を弾けさせ、またもや何事も無かったかのように、揺蕩いだす。
〝それではダメだ、我の力をもって操作するゆえ、お主はその剣を下げろ〟
身の内から英霊の声が響く。そんな事ができるなら、と納剣すると、全身に電流が走った。筋肉という筋肉が痛いほど緊張して、痙攣を起こす。
〝こ、こ、これでは寿命がいくらあってもた、足りないぞ〟固有スキルである〝超回復〟も反応する気配がない。外傷とはまた違う種のダメージのせいか?
食いしばる歯が、痺れて感覚を失った舌を噛まないように、口を開けずにいるのが精一杯であり、噛み合った歯が砕けそうなほど、ギリギリと軋んだ。
それに反してゆっくりと広げられる、意思と離れて動く手足。その先端からは、枝分かれする電気が 空気中に拡散する。
全身の筋緊張から震えが止まらず、痺れる口の中に酸っぱいような味覚とともに、泡が溢れ出す。指先から放たれた網目のような電気が雷精を誘った瞬間ーー先端どうしが結びついて、雷精が英霊の中に飛び込んできた。
体内を通過する高エネルギー体が大きな負荷をかける。その痛みを超えた衝撃に、思わず紫光の大剣に手をかけたバッシは、溢れるほど膨れ上がった魔力を消滅させた。
〝何をするか、我が力の源である雷精を散らすとは、男子ならばもう少し耐えよ。あの本体に辿り着くには、もう少しの力が要るぞ〟
と眼前の器具を睨む英霊パダールが叱責するが、
「俺は生身の人間……合成人間だぞ。お前達のようなエネルギー体同士の引っ張り合いに耐えられると思うか? この化け物め」
と負けずに言い放つ。これ以上の苦痛を伴うようならば、大剣を抜いて全てを消滅させる方が良い。とその柄の握りを強めると、
〝分かった、分かったから、それはしまっておけ。我が身をいくぶん外に出して吸収するから、少し待て〟
と言って、左肩から仄かに光る幻腕を生やしたーーおいおい、
「それ、最初からやれるだろ?」
と問えば、
〝これは吸収効率がわるいのだ、それに力を使ってしまうから、ワシがしんどい〟
と不満を漏らす英霊パダール。
「……」
無言のまま剣を鞘走らせると、紫の光が漏れ出た。それを感知したパダールは、
〝待て待て! だからこうして腕を出しておる。これでお主の体への負担はかなり軽減されるはずだ〟
と慌てて付け足した。今度やったら黙って斬るぞと思いつつ、他の雷精の元へと走る。パダールの右手(右肩から出ているからそう呼ぶが、本当に右手かは不明)が宙に伸びると、またもや稲妻の網が現れて、雷精を誘い込んだ。
今度は少しの痺れが伝わってくる程度で、苦痛は無い。
「大丈夫か? パダール?」
と問いかけると、
〝ああ、何だかそれほど効率が落ちないようだな。これからはこうするか〟
と幻腕を振り回して、事も無げに呟いてくる。こいつ! ふてぶてしいにもほどがあるぞ。英霊なんて言っても、俺の先祖でもなんでもないし、これからはただのヘタレ扱いで構わんな。とバッシはパダールの評価をかなり下げた。
空中に揺蕩う二体の雷精も、パダールの幻腕に興味を惹かれて、フワフワと寄ってくる。網に近づき、よく見ようとしたところで、パチッと稲妻を走らせた両者。次の瞬間には雷精が吸収されて、居なくなった。
瞬時に場を満たしていた圧迫感が薄れる。魔力の集合体たる雷精が吸収された事で、正常な状態に戻ったようだ。
だが部屋の中央に鎮座する巨大装置のてっぺんからは、相変わらず放電し続けている。ひときわ激しい雷鳴が響くと、再び部屋のあちこちで魔力の塊が産声をあげた。
生まれ出でる雷精の赤子は、魔力を吸ってすぐに大きく育つ。それを予測したパダールの幻腕が、投網のように広げた稲妻の網で、雷精を捕らえた。
鋭い産声とともに発現した青い光が、余韻も残さずに次々と取り込まれていく。
その異変を察知したのだろうか? 装置の中で鈍い音がすると、中で何かが組み変わるような気配の後、空間を制圧するほどの稲妻が放たれた。閃光の後に現れたのは、数えきれないほどの雷精。体に流れる稲光りの微細な音が集まって、不気味な地鳴りを起こし始めている。
「パダール、大丈夫か?」
と尋ねると、返事が無い。
「え?」
と聞き直すと、
「……もうお腹いっぱいじゃ、これ以上食べられない」
と返事をよこす。
「何とかならんのか?」
目の前には数百、数千という雷精の赤児が、青く黄色く空間を彩っている。あれが一斉に手を繋いだらーーこの空間ごと全てが爆散してしまうだろう。
〝慌てるでない、我は青雷のパダールぞ。吸収できずとも手はある! わが操雷の力を見るが良い!〟
と英霊が幻腕を天に向けると、一筋の雷撃を放ち、全ての雷精に向かって枝分かれしていった。その先端がお互いに惹きつけ合うと、一つの膨大な魔力となって一箇所に纏まり始める。
余りにも膨大な魔力に、英霊は自然と極限の安定形である球にその身を変えると、その表面を魔力で覆い尽くす。魔導装置のてっぺんから漏れ出る稲光も、力を放出して弱くなった。
冷静になって見ると、装置の一部は壊されているのだろう。明らかに折れた部品や、叩き割られた計器類が散乱し、何かを通すためのパイプの一部が欠損している。
このせいで雷精が暴走したのだろうか? だとしたら早く直さないと、次々と湧き出す魔力で、また同じような雷精が現れるかもしれない。
空中に静止する球体パダールは、何とか人型に戻ろうとするが、内包する魔力に弾かれて、すぐに球体に戻ってしまう。
「この際だ、もう少しそのままでいた方が良い」
とバッシが声をかけたとき、機械後部から、不快な物音が聞こえた。まるで干からびた女の叫び声のように、高く千切れんばかりの、しかし聞こえるかどうかの微かな悲鳴。
それは徐々に大きくなっていくと、光の粒が一つ、二つ、地面から立ち昇り始める。それは突如として、大量の奔流となって噴き上がり、球体パダールにぶつかった。
逃れようとしても無数の粒子が球面を撃つ。あれではいずれ、パダール自身が大爆発を引き起こすだろう。
不穏な近未来を予測して、無意識の内に飛び込んだバッシは、番人の放つ光の粒子を斬りつけた。放たれる紫光により、剣の幅以上に消滅していく粒子。だが膨大な光の帯は、なおもパダールを撃つ。
さらに剣で消しきれなかった粒子が、龍装にぶつかると、衝撃を伴って爆ぜた。その高温が分厚い鈍色の鱗を熱する。
このままではパダールもバッシももたない。見るとかなりの粒子がパダールの表面で爆ぜて、直視できないほどに光り輝いていた。
その時、最大感度にして張っていた感覚鱗が、空気中の違和感を捉え、地面を足爪で蹴ったバッシは、即座に銀光の世界を発動させた。思考が差し挟まれる隙もなく、研ぎ澄ませた勘のみで動く、その先には、門をくぐる前に喚き散らしていた、狂える番人の姿ーー
透明な水飴のように粘つく空気の中、鋼の精霊との同期率のまばらさによって、スムーズに動いたり、突然動き辛くなりながらも、同調を深めていく。
これが合身か……スムーズな状態の更に上をいく感覚。まるで平常の世界を動くような感覚で、粘つく空気をものともしなかった。そのままあの番人のところまで……
銀光の世界のタイムリミットを念頭に置きつつ、決して慌てないように突き進む。ここで集中力を切らしては、全てが水の泡だ。
もう限界か? と銀光の世界が力を失う寸前、刃圏の内に、番人を捉える。もう少し! 踏み込んだ足を支えに、鋼の大剣を切り上げると、番人を斬る寸前に紫光を纏わせた。
猛烈な違和感にすぐさま紫光を打ち消すと、銀光の世界から平常の時間感覚に戻る。頭の痛みは……今回は大分ましか? やはり刹那の同時発動は、負荷は高いものの、残るダメージは桁違いに軽いらしい。
とはいえ、生命をかけた技である事に変わりはない。その緊張感から震える膝を、地面についた姿勢で、目眩を抑えて頭を振ると、番人を探して周囲を見回した。
そこには、消えかけの番人が手を伸ばして、こちらに何かを言おうと、口をパクパクと開け閉めしている。
その上空で、何とか人型を形成したパダールが、幻腕を組みながら、番人を見下ろしている。その両手は青白く発光してーー
「やめろ!」
止める間も無く、番人を貫いた。