雪蜘蛛
ハンガウ達の一団は、身体の一部を欠損したり、重傷を負いながら行軍する味方のために、移動スピードがかなり遅くなっていた。
その先頭で黄金剣が閃く。相手取るのは、浮遊しながら冷気の魔法を繰り出す、真っ白な着物の女だった。
広範囲に渡ってゆるく吹きつける冷気が、キラキラと輝くスノー・ダストを作り出す。
強く吹きだしそうになると、分散させることでわざと威力を抑える。負傷者を作り出し、生殺しの状態にする事で、隊が見捨てるわけにもいかない状況を作り出す、悪魔的手法だった。
ハンガウの黄金剣は、現地獣人が雪女と呼ぶ、白磁のような肌の妖人を、何度も切り裂いたようにみえたが、次の瞬間に何事もなかったかのように、冷気の息吹きを放ってくる。
そこに追いついて来たバッシは、大剣をかざすと、ハンガウと逆方向からはさみ打ちに襲いかかった。だが斬ったと思った瞬間、空中で霧散した女は、また別の場所に冷気の塊を集めると、今度はバッシに向かって、輝く息を吐き出してくる。
すかさず大剣をかざすと、紫の光とともに、手応えもなく掻き消える。だが本体は破魔・破邪の紫剣でも切れないという状況が、この妖人の異常性を感じさせた。
自然と身が引き締まるが、合身という、鋼の聖霊との真の同期を目指す、新しい剣に目覚めつつあるバッシには、丁度良い獲物ともいえた。
「霧散する体は魔力の剣でも切れぬ、少しづつ削れるようだが、その間冷気にやられるぞ」
向かい側でハンガウは、幾度かの反撃に凍りつく盾を構えながら、雪女の隙を突こうと身構えている。
静止していると、ゾッとする程の美女である雪女。それが襲いかかる段になると、血のように赤い唇から、牙を剥き出しに飛びかかってくる。
再度鋼の精霊を意識すると、銀光の世界が場を満たした。その粘つく空気の中、ウォードの動きをトレースするように剣を振るうと、ここしかないという軌跡を剣先が滑っていく。
瞬時に元の世界へと戻ったが、その時には空中の女を飛び込みざまに斬っていた。
驚き、暴風のように音を巻き上げて上昇する女。だが芯を斬れていないのだろう。まだまだウォードの域まではほど遠い。だが隣に立ったハンガウは、
「やるな!」
と口角を上げ、
「ベル! トーガ! 皆でかかるぞ!」
と後ろから追いついてきた部下に声をかけた。もはやハンガウの黄金剣は身長の倍以上に伸び、それを槍のように腰だめにして、身を引いて構えている。
何か策があるのだろうか?
言われた二人は、各々が相手取っていたアンデッドを切り伏せると、ハンガウの元へと急いだ。
トーガとは、ベルと同じく軽装の魔法戦士であり、先立ってハンガウに転送魔法をかけた、空間魔法使いである。その魔力は最前の長距離転移で使い果たしたが、時間が経ったのと、先ほど飲んだマジック・ポーションのおかげで、少し回復していた。
一方ベルは、トゥクウォリ氏族の呪術師の血筋を引く、双剣舞術の使い手であった。
伝統的な双剣の舞いの中で、溢れ出す魔光が滲み、ゆっくり揺れながら昇華すると、トゥクウォリの英霊を形作っていく。
淡い黄光の中に滲む人の姿をもつそれは、中心の黒を光がまだらに染め、一目で超常のものだと理解できた。
その間、バッシは牽制代わりに、上空の雪女に向けて鎌鉈を投擲する。だが女は避けるそぶりもなく、強烈な吹雪の息を吐きかけてきた。その体に鎌鉈が入ると、雲散した雪女の体が、霜となって降り注ぎ、バッシの近くに具現化。さらに鋭い爪の並ぶ両手で掴みかかる。
それを紫剣で切り上げるが、またもや雲散、したところに、フワフワと浮遊してきたトゥクウォリの英霊がとりつき、雪女の全身を胸の内に抱え込んだ。
暴れる雪女をすっぽりと覆ってしまう英霊の光。雪女はそこから出られないのか、身悶えしている。
「今だ!」
ハンガウの声掛けに、トーガと呼ばれた魔法戦士は、額に精霊石を押し当てると、全ての魔力を次元魔法に注ぎ込んだ。
手の中で砕ける精霊石。その魔力は、英霊ごと雪女を捕らえ、ハンガウの上空に転移させた。
下からつきこまれる黄金剣に、英霊の中の雪女は雲散するが、つぎ込む金光からは逃げ場が無く、超高温に達した雪女は、蒸気となって爆発した。
盾で身を庇うが、あまりの勢いに吹き飛ばされたハンガウの背中をバッシが受け止める。その体は、これほどの戦働きをする猛将とは思えないほど、線が細かった。
「ありがとう」
というハンガウの首元にこびりついた霜が、雪女の生首に変化する。咄嗟に鋼の精霊と繋がると、銀光の世界の中で、女の眉間に剣を叩き込んだ。
〝ギャッ〟
と短い悲鳴が上がると、靄となって昇華する。空恐ろしくなるほどの生命力、敵を屠りながらも、手応えの無さが薄気味悪い。
疲労困憊の一同は、早く真白の地宮に入ろうと、オウ・スイシ達の元へと向かった。
ーー皆が去った後、地面がボコボコと盛り上がると、中から真っ黒な巨大蜘蛛が現れた。いや、それは体を伸ばすと、人型である事が分かる。それを見るものはいなかったがーー
「キチキチキチキチ……」
肩口に傷を負い、不機嫌そうな蜘蛛人間が、硬質な顎を打ち鳴らす。
まさに命からがら、銀狼族の魔の手から地中に逃れることができたのだが、肩口に受けた爪痕は、周囲の組織が死滅したかのように、回復する事叶わず、体液が滴り落ちた。
首をもたげると、その周囲を白い靄が取り囲む。それを複眼の内に捉えた男は、今度はあざ笑うかのように打ち鳴らす間隔を狭めた。
それに怒ったかのように、冷気を強めた靄は、蜘蛛人間の肩に、霜を作る。
「ギイイィッ!」
蜘蛛人間は苦悶の声とともに、痙攣すると、四肢を震わせて地面に体を横たえる。
ピクピクと震えるその肩には、真っ白な霜が、雪女の顔面様に張り付いていた。
しばらくして、のっそりと起き上がった蜘蛛人間は、肩に張り付いた雪女と、罵り合いながら、地中へと潜り込んで、消えた。
*****
「どうやら地宮の力で、クロエの不浄なる力を寄せ付けなくなったワフ」
と周囲を見回したオウが言う。それに同意したフェンリルは、
「不本意ながら、私も居心地が悪いわ。決して不浄な存在のつもりはないのだけれど?」
眉間に皺を寄せて告げた。地宮の力がある性質を含む以上、妖に近い存在である銀狼族のフェンリルには、いたしかたのない不快感らしい。
フェンリルによって、ライカンスロープの超力を得ていた獣人達は、萎縮してしまったが、霊剣を輝かせたウーシアは周囲を嗅ぎまわると、我関せずと地面の一点を入念に調べだした。それはちょうどフェンリルの足元である。
新たに現れたオウと同じカニディエ氏族の女に、興味を持ったフェンリルが、
「どうかした?」
と尋ねると、
「さっき蜘蛛男の逃げた穴から、凄く強い闇の気配がするワンウ」
と指をついて、何かを取り上げた。みると、粘ついたものが、指の間に糸を引いている。
「さっき襲い掛かってきた蜘蛛男の糸だワフ、これほどの闇精はなかなか精錬されないワフ。クロエ大臣もいよいよ本気を出してきたなフ」
ウーシアの指に近づいたオウが言うと、その手を布で拭きとってやった。まるで世話好きの兄が、やんちゃな妹を世話するような状景。背格好も、手にする剣も似た二人を見たジュエルが、
「オウ・スイシ・カニディエ殿、貴方とウーシアは、同氏族の間柄という事でよろしいですか?」
と聞く。それは皆も興味があるらしく、一斉に二人を見た。その視線に恥ずかしくなったウーシアは、スッと身を引こうとするが、隣に立つオウが、その手を取り、留まらせる。そして、
「はい、我々はここヤマタの古氏族、カニディエのたった二人の末裔だワフ」
と言って、ウーシアの剣と自らの霊刀を近づけた。それに呼応するかのように、湧き出でる銀の靄は、太い奔流となって、天に昇華していく。
それに真白の地宮が呼応すると、遠くを取り巻く黒煙までが、目に見えて薄まっていった。
「オオ……」
生き残った兵士達から、感嘆の声が漏れる。その中で唯一渋面を作るジュエルが、
「ウーシア、お前はこの事を知っていたのか? 知って私に告げなかったのか?」
と聞く。ウーシアは驚いて、首を横に振りながら、
「ご主人様、これはウーも知らなかったんだワン。故郷である事は知ってたワン、けど他の事はほとんど知らなかったんだワンウ」
と言うと、横に立つフェンリルが、
「ご主人様? ああ、貴女も大陸に売り飛ばされた奴隷って訳ね? にしては軛が無いみたいだけど、どうして?」
と疑問を口にする。
「なんだと? 軛ならある……」
とジュエルが口を挟みかけたところで、慌てたリロが、
「こっ、こんな所で油を売っている暇はないですよね。とにかく一度、真白の地宮に向かいましょう、ねぇ?」
とジュエルとオウに向かって提案した。ムッ、と睨みつけるジュエルを他所に、
「確かに、そちらのお嬢さんの言う通りだ。敵が体制を整える前に、早く地宮に向かうワフ。ハンガウ達も片付いたようだ」
と言うと、激戦に疲弊したハンガウ隊がバッシの先導で到着した。数が減り、生存者も凍傷や激しい戦闘で半死状態の者もいる。
速やかに治癒班に送られる負傷者、それを手伝っていたバッシの元にハンガウがやって来ると、
「お世話になったな剣士殿、私はトゥクウォリ氏族のハンガウ、受けた恩は忘れない」
と手を差し出した。どうやら彼女に受け入れられたようだ。笑顔で、
「どういたしまして、俺はバッシだ。恩というほどの事はないが、挨拶がわりにはなったか?」
と手を取ると、力強く握手を交わす。
「お疲れ様だワフ、真白の地宮に進むぞ」
と宣言するオウに頷いた一同は、冒険者未踏の迷宮という死地の、高くそびえる門前に足を踏み入れた。