奴隷少年マロン
「どうした?」
野営を終えて再出発の朝、背負い袋に、毛布などを詰め込んでいたバッシが問いかける。
眼前では、身支度を整えるウーシアが、手を止めて辺りをうかがっていた。
ゆっくりと具現化させた霊剣は、周囲に見えないように、腕の内側に沿わせて隠されている。
その様子を見て、バッシも長鱗に感覚を集中させると、藪の中を払いながら進む、小さな音を捉えた。距離はあるが、ヤマタ王軍のいるはずもない場所から聞こえてくる。
無言で目線を交わした二人は、それまでと変わらない様子で身支度を整えながら、リーダーであるジュエルにハンドシグナルを送った。
後ろに組んだ手の親指を上げて、相手のおおよその方向を示すと、それに気づいたジュエルとリロも、自然な風をよそおい、バッシ達のところに荷物を持って来る。
「何者だ?」
と小声で尋ねるジュエルに、
「一人の人間のようだワフ、なんだか凄く懐かしい匂いがするワン」
目をつぶり、鼻を効かせていたウーシアが、心もち頬を緩ませた。ヤマタ出身という彼女のことだから、この地独特の匂いに郷愁を覚えたのだろうか?
ウーシアがヤマタ出身である事を知らされていないジュエルは、訳が分からないといった感じで首をかしげている。
「反王軍側の偵察かもな。だがそれにしてはずいぶんと身軽で不用心だ。葉擦れの音からすると、子供くらいの感じだぞ」
バッシはとっさに言葉を足してごまかした。
ウーシアよ……お前はこの地に来てから、だんだん大胆になって来てるぞ。バッシの内心は、大人びてきた外見の変化とともに、いつ呪いの軛が消失していることがバレるか……とヒヤヒヤし通しである。
そんな思いをよそに、ウーシアは我関せずと、匂いをしきりに追っていた。その事がかえってカモフラージュになったのか、ジュエルは違和感を口にする事なく、現れた者に対する警戒を強めている。
さっきから聞こえてくるのは、小さな藪漕ぎの音だが、一切刃物を使う気配がない。
子供くらいの人間が、鬱蒼と茂るジャングルの中を素手で掻き分けながら、こちらに進んで来ている? どういう状況だろうか?
「どうする? ゲマインに報告するか?」
と聞くバッシに、口に手を当てたウーシアが、腰元から投石紐を抜き取って、石をセットした。
静かに回し出したスリングを構え、霊剣をかざして相手の方向を探る。
ゆっくりと位置取りを変えたウーシアが、ビュンッ! とスリングをふるうと、藪の中から、
「ひええっ」
という悲鳴が聞こえた。
「動くなワン! お前は取り囲まれているワンウ」
すぐに飛びかかっていったウーシアが、霊剣で制圧したところに向かうと、仰向けにへたり込んだ小さな犬人族の男の子が、涙目を浮かべながら、尻尾を丸めて服従のポーズを示していた。
どうやら威嚇のために投げた石は、足元に放たれたらしく、下草が剥がれて、地面が大きく抉れている。
ウーシアは精神面のみならず、身体能力も格段に上昇しているらしい。バッシの時も感じたが、呪いの軛というものは、受ける者に相当な悪影響を及ぼすようだ。
逆に解放された今、取り戻すように、格段の成長が見られる。バッシの知性もこれほど復旧すればよいのだが……
「こ、殺さないでワンコ」
キュンと可愛らしく身をよじった犬人族は、手足を丸めて、仰向けにおねだりポーズを取る。なんだろう? この求心力、話を聞いてあげたくなる。
それはウーシアも同じらしく、同族という事もあってか、表情こそきびしいが、尻尾がパタパタと興奮を表してしまっていた。
ここらへんは元のウーシアのまんまだな、とバッシは何故かホッとする。
ウーシアに〝他に仲間は?〟と目線で尋ねると、首をふって、単独である事を教えてくれた。
「お前は何者だ!? 何をしに来た!」
可愛らしい相手にも、お構い無しに詰問するジュエル。その勢いに驚いた犬人族は、身を縮めながらもジュエルを見ると、
「マロンはマロンだワンコ、近くの集落で戦いがあったから、逃げ出して迷ったんだワンコ」
と目頭に涙を浮かべながら、懇願するように手を組むと、解いた両手をあげて立ち上がろうとした。簡素な服を着ているが、それ以外に持ち物は無く、服の中にも武器などを隠している様子もない。
「あなた達は誰なんだワンコ?」
と逆に聞かれて、
「ウーたちはーー」
と答えようとしたウーシアを制して、
「私達の事は良い、お前をどう処遇するか、我々のリーダーに意見を聞いてくるから、そこで待っていろ」
とジュエルが告げると、ゲマイン達の野営地へと歩いて行った。軍人のような固い対応に、シュンとするマロンに、
「俺はバッシだ、よろしくな」
と言うと、ピョコンと耳を立てたマロンは、
「よろしくワンコ! バッシさんたくましくてステキだワンコ」
としなを作って体に触れてきた。なんだろう? 少し可愛い。男の子だというのは分かっているが、潤んだ大きな瞳といい、なんとも庇護欲をくすぐる奴である。
それをジッと見ていたウーシアが、
「あなたはカニディエ氏族の犬人を知ってるかワフ?」
と問うた。
それを聞いたマロンは、しばらくしてから、
「そういえば、逃げ出してきた集落を襲った反王軍のリーダーが、そんな氏名だってきいた事があるワンコ」
と閃いたように早口で告げた。そんな事良く一般人が知っているな? そんな疑問が目に現れていたのだろう。マロンは手を振ると、
「これはこの地方じゃ常識だワンコ、年寄りから赤ん坊まで知ってる事だワンコ」
と言う。本当かどうかは分からないが、元々この地の事には疎いバッシたちには、大した判断もつかなかった。そこへ、
「バッシ、その子のいう事はほんまやで、反王軍のリーダー、オウ・スイシ・カニディエ、通称〝霊能力者〟百戦錬磨の軍師にして、大陸渡りの傭兵団長。これくらいの事は、この島の常識や」
と、ジュエルに連れられてやって来た、髭もじゃのヤマタ兵士が、軽い口調で話しかけてくる。
「どうしたゴウシュ? ジュエルはゲマインに報告に行ったんじゃないのか?」
と問うと、
「ああ、犬人族を捕まえたと聞いて、通訳がいるんとちゃうかって話しとったんや。せやから取り急ぎ戻ってもらったんよ。この子供さんがその犬人族って奴か?」
無遠慮にマロンを覗き込むゴウシュに、嫌悪感を示したマロンは、
「マロンはマロンだワンコ、そんなに人を覗き込むもんじゃないワンコ。それにマロンは親譲りで大陸語も話せるから、コミュニケーションには全く困らないんだワンコ。少なくとも西方訛りの酷い、ヤマタ兵よりは数倍ましだワンコ」
小さい体からは信じられないほどの勢いで、ゴウシュに噛み付いていった。それに押されながらも、
「さよか……なんや、人が親切心から助けたろう言うとんのに、気ぃ悪いのう。態度がなっとらんわ。儂かてこんな犬っころに時間割いとるほど、暇やあらへんで」
と冷たい目でマロンを見る。なんだろう? いきなり険悪なムードになっているじゃないか。お互いのよっぽど第一印象が悪かったのか? 位置的に間に挟まれたバッシの居心地も悪い。
その様子をみかねたジュエルが、
「まあとにかく、ヤマタの事に詳しいのはヤマタの民だ。このままちょっと事情聴取に付き合ってくれ。その結果をゲマインに報告に行こう」
と提案すると、渋々ながらゴウシュも首を縦にふる。それから彼の知識なども参考に、色々と聞き出した結果、マロンは偶然にも呪針を消去する事に成功した王軍付きの奴隷少年らしい。
中々目端もきいて、大陸言語も使いこなせる彼は、高級奴隷として、幹部クラスのヤマタ兵に同行していたと言う。
「そんじゃあ、その光を浴びた瞬間に、呪針が消えたっちゅうんかいな?」
身を乗り出して聞くゴウシュに、すこし引き気味のマロンが、首を縦に振りながら、
「そうだワンコ、でもいきなり自由になっても、どうして良いか分からなくて……取り敢えず王都を目指そうと思ったんだワンコ」
と言って眉根を寄せた。思い切り首を振って共感するウーシアと対照的に、腕を組んだまま、難しい顔で考え込むゴウシュ。
一通り聴き終えたジュエルとゴウシュは、一先ずゲマインに報告に行くと言って、席を外した。
バッシはとにかく落ち着こうと、少し前から沸かしていたモギ茶を振る舞うと、リロが貴重な行動食であるホウジ・ナッツを配る。
よっぽどお腹が減っていたのだろう、あっという間に食べ終えてしまったマロンに、
「これも食べるワンウ」
と自分のナッツを差し出すウーシア。食いしん坊なウーシアが食べ物を人に与えるなんて! とリロと目を合わせて驚いていると、
「ありがとうだワンコ、ウーシアお姉ちゃん」
と尻尾を振り振り喜んでナッツを食べる。そんなマロンを見ながら、自然と鼻を効かせていたウーシアが、
「それにしても、なんだか懐かしい匂いがするワン、なんだかお母さんを思い出すんだワンウ」
とうっとりと目を細めた。それを見て首を傾げたマロンは、
「ウーシアお姉ちゃんのお母さんは、この島出身の犬人族ワンコ?」
と聞いた。それを受けて答えに窮したウーシアは、ジュエルが居ない今、リロに気を使って目線を泳がせると、
「ウーシアちゃん、大体の事は分かってるから大丈夫よ」
とリロがニッコリと笑った。ウーシアとの付き合いも長く、分かりやすい態度や、状況の変化を捉えれば、聡いリロでなくとも大体の事は察するだろう。
問題はジュエルなのだが、自身のランクアップに極点集中しているせいか、バレている気配は無い。もちろん希望的観測に過ぎないかも知れないが……
それを聞いたウーシアは、
「そうだワン、ウーのお母さんは、ヤマタ国から大陸に連れて来られた、奴隷だったんだワフ」
と答えた。自分の腕を掴んだ手が、心なしか震えて見える。その腕に手を添えてやると、自然と震えが止まり、コクリと一つ頷いて目線を上げた。
それを聞いたマロンは、興味深気に頷くと、
「ウーシアお姉ちゃんの持っていた剣は、とても綺麗だったワンコ。まるで反王軍のオウがかざしていた刀みたいに、輝いていたワンコ」
とつぶやいた。そうなのか? だとすると……
「カニディエ氏族の者は、霊剣を持つ事が多いのだろうか?」
と聞くと、分からないとばかりに首を傾げられた。だろうな、一介の奴隷に過ぎないマロンには知りえない事だろう。
だが一瞬ウーシアを見る目に光を宿したマロンは、
「カニディエ……もう一つの霊剣……」
と呟くと、それ以降黙ってしまった。バッシ達はというと、いつ出発をしても良いように準備をしながら、ゲマインの決断を待つ。
完全に日が上がり、鬱蒼と茂る原生林にも、日の温もりが射し始めた。
森に生き物の気配が濃くなった頃、ヤマタ国軍の進軍ラッパの音が響き渡り……ゲマインの採決を待たずに、行軍が始まる。遅れじと行軍に加わったバッシ達の横には、弾けんばかりの笑顔を見せるマロンの姿があった。