呪針
〝鵺〟
ポコで調べてみると、知育魔本の能力をこえた質問だったせいか、一行ほどの説明文しか出てこなかった。しかし横のページに湧き出てきた絵は、多少の違いはあれど、先ほど見たモンスターに似ている。
体は何か別の生き物のものだったが、猿の頭部に、虎模様の四肢。その足元には黒煙が湧き出ている。その凶々しい雰囲気は、正に昼間に現れたものと一致していた。
短い説明文によると〝ヤマタ国に潜む妖怪の一種、黒煙と共に現れ、人民に害をなす〟とだけ書いてある。
やはりモンスターの一種か、大陸でいう合成魔獣に似た姿である。妖怪というヤマタ国独自のものらしいが、クロエに操られていたところを見ると、人間に使役される事もあるらしい。
獣や低級モンスターを使役する冒険者もいるから、それほど驚くことではないが、あの筒状のものはなんだろうか? あれに妖怪を封じ込めているのだとすれば、かなり驚異的な力を隠し持っている可能性がある。
なにせ懐にしまえるほどのサイズである。あと何本あのような筒を所持しているか……もしくは魔法の鞄でもあれば、それこそ数百本所持していてもおかしくない。予測不能の戦力と言えるだろう。
ひとまずポコを閉じると、煮出したお茶を皆に配った。これはゴウシュに教わった野草茶で、少しクセのある青菜を揉み取ってお湯に入れた、一種のハーブティーである。
薄く緑に色づき、湯気を立てる金属器のカップを近づける。特徴的な香りが鼻を刺激するが、悪くはないと思いながら一口すすると、若干の渋みとともに、清涼感のあるハーブ独特の風味が喉を潤し、ひとごこちついた。
ああ、これはジュエルの嫌いそうな味だな、と思ったバッシが横を見ると、案の定舌を出したジュエルが、なんともいえない表情でカップを見ている。
黙ってそれを受け取り、お茶を捨てたバッシは、もう一つの簡易鍋で沸かしていた白湯をすくって手渡した。
彼女にはこの島国の食事がとことん合わないようだ。だがうまく事が運べば、もしくは運ばなければ、数年間はここに滞在しなくてはならないかも知れない。それを思うと、今のうちに食文化に慣れておかないと後々厳しくなる。バッシは晩飯がわりのナッツ類と固焼きパンをボソボソとほおばり、お茶で流し込みつつそう思った。
冒険者にとって、移動と食の問題、そして水の確保と疲労回復は、基本にして最大の要点といえる。ジュエルの育ちの良さは、そうした面でストレスを蓄積する可能性があった。
「昼間のモンスターは、クロエ大臣が召喚したのでしょうか? だとすれば、彼は召喚術師? でも結界の力を発揮していましたから、神聖魔法の使い手でもあるのでしょうか?」
リロが鬼頭の堅い殻に苦戦しながら、疑問を口にする。バッシはそれを摘むと、
「どうやらそうらしいな、手に持っていた筒が怪しいと睨んでいるが、どうにもこの国の法術ってやつは、独特すぎて理解に苦しむ。しかも秘密主義だから、見た目以上の事は分からないしな」
殻を割ってやりながら、答える。
「ありがとう」
と言って、大きな実を食べるリロは、どこかリスのように見えて微笑ましい。
「でも結界というのも万能ではないワンウ、あんなに警戒していたのに、落とし穴なんて単純なトラップに、まんまと引っかかったワン」
丈夫な歯で殻を割りながら、実をほおばるウーシアが、顎が疲れたのか、残りの数個をバッシに渡してきた。まったく世話の焼ける女どもだ。
パキパキと殻を割っていると、
「だが罠自体が相当優れていたのも確かだな、先行部隊も完全に見落としていたし。鼠人族の隠匿能力もばかにできないぞ」
聖騎士の鎧の力もあって、余裕で殻を割るジュエルが、私は平気だと言わんばかりに実を口に入れる。だが、手元からこぼれた殻が、せっかく渡した白湯のカップに転がり込んだ。
ああ、はねたお湯が鎧にかかってるぞ。バッシはぼろ切れを取り出すと、拭いてやりながら白湯を交換してやった。
当のジュエルはさも当然という感じでナッツを食べ続けている。とんだお嬢様だな。
世話女房のように、女どもの相手をしながら、まきをくべていると、遠くから足音が近づいて来た。
「まいど、ここはおなごに囲まれて華やかやなぁ」
相変わらず重い足取りのゴウシュが、大して羨ましくもなさそうに焚き火にあたり、地に刀を置いてドッカリと座り込んだ。
「お疲れさん、茶でものむか?」
とカップを差し出すと、ゆっくり匂いを楽しんだ後、
「モギ茶か、さっそく試したんやな」
と目を細めて一口すする。
「ああ、ここにあんころ餅でもありゃあ、ええんやけどな」
とまた一口。あんころ餅というものは何か分からないが、たぶんお菓子の事か? 甘味なら……
「リロ、ドワーフの焼き菓子がまだ少し残ってるよな? 皆でいただこうか」
と催促すると、魔法鞄の中から、乾燥した木の皮に包まれた、焼き菓子を取り出した。
それを四等分に割ると、一番大きいのをゴウシュに、それ以外を三人に渡す。
「バッシは?」
と聞くリロに、皮に残ったナッツやヌガーをパラパラと口に入れると、これで良いとばかりにボリボリ嚙み砕く。牛歩行軍の疲れからか、甘味がしみるように美味い。そこにお茶を飲み、満足して龍装の腹をさすった。
目を閉じて甘さを噛み締めたゴウシュも、モギ茶を啜ると、
「ふう〜〜」
とため息混じりの息を吐く。首を回すと、ゴリゴリと嫌な音がなった。
「相当お疲れですね」
ジュエルの声掛けに、
「まあしゃあないわ、護衛なんてこんなもんや」
と苦笑いを浮かべる。
「クロエ大臣にはずっとお付きだったとか? 大陸にも同行されたんですよね?」
リロの質問に首を縦に振って肯定すると、
「クロエ様にはかれこれ20年近くお付きしている、たまたま母親が大陸西部の出身なもんで、言葉を喋れたからな。せやなかったら、こんな下級武士は近づけもせんやろ」
と言って、指についた砂糖を舐める。この国では甘味は相当な貴重品らしく、料理に砂糖っ気を感じた事は無かった。
「それは謙遜ってもんだろ? 手合わせした時の刀のキレは本物だったぞ」
バッシは焚き火にまきをくべながら、刀を振る真似をする。剣と違って、引き切るような独特のフォームと、あまり踵を上げない歩法から繰り出される刀術は、避けにくく、捉えづらかった。
「まあな、うん十年も刀ばっかり振りつづけりゃ、あれくらいは誰にでもできるようになるやろ」
と視線を地面に置いた刀に向ける。組紐の巻かれた柄には、相当使い込まれた、飴色の皮革が見えた。聞いたところによると、海の生物の表皮を干したものらしい。つくずく異国の文化というものは面白いものだ。
「嫌になったら冒険者になればいいワンウ」
というお気楽なウーシアの発言に、
「はっはっはっ、そりゃええなぁ。冒険者になって、大陸で大暴れしたろか?」
と久しぶりに陽気な一面を見せた。皆の表情が緩んだのを見たゴウシュは、
「気ぃ使わせてすまんの、まあ気にせんとってや、こんな事ばかり何十年もやってるさかい」
と言って顎髭をしごく。そうして一瞬真剣な表情になると、板金鎧の隙間から、前腕をたくし上げて見せた。
「ところが、こいつがそうもさせんのや」
と示す腕の内側を見ると、毛のような線がスーッと一本走っていた。
「これは……」
「呪針という」
声を低めたゴウシュの言葉に、バッシの頭がチリッと痺れた。ここにも呪いか……偉いさん達は、よっぽど部下を信用できないらしい。呪に縛られた兵士達の苦悩など、高貴な方々にとって屁でもないのだろう。
「主人とした者に逆らう事はおろか、不利益になる事を喋るだけでも……」
と言うと、見る見る細かった黒い線が滲み、範囲を広げ始める。
「クッ!」
と歯を食い縛るゴウシュが黙ると、しばらくしてからスゥッとおさまるように、毛ほどの細さに戻っていった。
「これについて教える事も、呪に逆らう事になるのか?」
と聞くと、黙ってコクリと頷く。
「言葉に反応する?」
とリロが尋ねると、再びコクリと頷いた。
「言葉には魂が宿るっちゅう〝言霊〟を利用した呪いや。これを用いて獣人達も縛っていたんやが……」
というゴウシュに、首を捻ったウーシアが、
「でも、獣人達は反乱を起こしたワンウ、こんな強い呪いに逆らったら、みんな死んでもおかしくないワン」
と尋ねた。真剣に聞いていたゴウシュは、深く頷くと、
「それや、それがオウ・スイシの軍勢にかかると、なぜか呪針も溶けて無くなるらしいんや。それが今回の〝オウの乱〟の中核をなしているっちゅう話やで。圧倒的な数の獣人共を解放した、英雄っちゅうてな」
と腕をしまった。確かに数的には弱小だったオウ・スイシ達反王軍が、ここまで勢力を伸ばしたのは、爆発的な獣人勢力の加担が原因であり、奴隷労働力を失って、機能不全を起こしたヤマタ王府の隙をついたゲリラ戦で数多くの勝利を手に入れている。
その原因が呪の解除だとすれば、おれはオウの個人的な能力によるのだろうか? 聞いた話によると、絶対霊感なる超能力を持っているらしいが……
「ウォード様に聞いた話だと、オウ・スイシ・カニディエは、刀術と霊感に優れているけど、呪術師としての力があるとは聞いてないワン」
そうだ、ウーシアは個人的にオウと知り合いだという剣聖ウォードから、彼の能力について聞き込んでいた。その内容は俺も聞いていたが、確かに呪術師的な能力については、なにも言及されていなかったし、これほど大規模な解呪に携わるためには、それにかかりっきりになる必要があるだろう。
全軍を指揮しながら、それらの作業が行われているとは考えにくい。
簡単な推理でも思い至る事は、既に何度も検討されていたのだろう。
「そこや、だが奴の部下にもそれらしき人物がおらんのや。ほとんど無教養な獣人や、大陸渡りの傭兵。そして側におる妖狼も探らせたが、どうやらそいつも違うらしい。真白の地宮に何か秘密があるんじゃないか? って噂は入手しとるんやけどな?」
ペラペラと喋るゴウシュに、
「そんなに喋って大丈夫か?」
と尋ねると、ニヤッと笑って、
「大丈夫や、ここは喋れって上に言われとるさかい」
とウインクした。こいつも中々食えない奴だ、と思うと同時に、ゴウシュの強かさに、思わずバッシも笑みを浮かべる。
下っ端には下っ端なりの戦略ってものがある、こいつもただこき使われているわけではあるまい。そう思いながら、皆が茶を啜る音を黙って聞き続けた。