管鵺《くだぬえ》
「待ち伏せだ! クロエ様を救い出せ!」
地上に残されたヤマタ兵達の焦る声が、土砂の音にかき消される。
崩れ続ける斜面を、身軽に駆ける鼠人族達が、ヤマタ兵に迫った。強靭な四肢に取り付けられた鋼の爪は易々と板金鎧を切り裂き、もしくは引き倒して囲い、隙間という隙間に突き込まれていく。
犠牲となった仲間を放って、クロエ大臣のもとを固めた護衛兵達が、壁となって阻むが、その側面からも、鼠人族が次々と湧き出し、急襲してくる。
血に染まった土を転がり落ちていく兵士達。バッシは害が及ばないように、冒険者側の最前列に立ち、すり鉢状の地面を見下ろしていた。
まだまだ地中に身を潜めており、数を増やし続ける鼠人族は、とうとうクロエ大臣のそばにまで到達する。
「危ない!」
思わず声が出てしまったのは、ゴウシュが複数人の鼠人族に囲まれて、爪を振るわれたから。しかし足場が悪いにも関わらず、華麗な足さばきを見せるゴウシュは、自慢の打刀で一人、また一人と鼠人族の戦士達を葬っていった。
その背後から飛びかかろうとしていた鼠人族の背中に、唸りをあげた刃物が突き立つ。バッシが放った黒鋼の鎌鉈だ。
〝思わず手が出てしまった〟
渋い顔で横を向くと、ジュエルが驚いた顔でこちらを見ている。
分かっている……今回の迷宮探索において、冒険者は中立を保つべきなのだ。片方に加担する事は、もう片側からの恨みを買う。それは今後の探索活動、ひいてはこの国における冒険者ギルドの立ち位置までも左右する。それは分かっているが……
黙って頭を下げると、硬い表情ではあったが、それ以上攻められはしなかった。彼女とて、バッシと交流のあるゴウシュのピンチに思うところはあるのかもしれない。
その時、ヤマタ兵に護られていたクロエが、袂から一本の筒を取り出すと、呪文を唱えながら、その栓を抜いた。
その瞬間、距離を置いているバッシの全身に怖気が走ると、今まで味わった事のない違和感に、鋼の剣にかけていた手がピクリと反応した。
鞘から剣身を抜かなかったのは〝下手に剣を抜くと、こちらまで敵と認識されるかもしれない〟という恐れが働いたからかも知れない。だがハッキリと何者かの姿を視認した訳ではなかった。
ただ尋常ならざる気配に身が縮んだのは確かだ。周囲の馬達も恐れおののき、竿立ちとなって、騎手を落とすしまつ。それ以外にも、動物的勘の鋭い者は皆がクロエの手元に注目した。
「管師クロエ! お前の手口は承知の上よ」
鼠人族のボスと思しき人物が、懐から水袋を取り出すと、口に含んでから空中に吹く。
せり出した前歯に当たり、大きく広がった飛沫が、不可視のものを捉えると、空中に大きな獣の姿を浮かび上がらせた。
虎のような体に猿の頭を持つ異様なモンスターが、何も無かった空間にポッカリと現れると、敵味方無く度肝を抜かれる。
見る見る黒い雲を発生させ、足場としたモンスターは、
「ヒーッ、ヒューッ」
と薄気味悪い鳴き声をあげながら、湧き出る雲に姿を隠していくと、その下にいるクロエをもすっぽりと覆ってしまった。
「逃すか!」
と雲の中に飛び込んでいった鼠人族のボスと、その部下達。完全に取り残されたゴウシュは、なぜか我関せずとばかりに、雲の外にいる鼠人族に斬りかかっていく。
しばらくすると、黒い雲の中から何かが放り出さた。それはバッシの方に飛んで来ると、硬質な音を立てて足元に転がる。それは……鼠人族のボスの首だ。
天を向いて止まった生首が、恨めしそうに空中を睨みつけている。バッシはしゃがんで目を覆うと、瞼を閉じてやりながら、再度黒い雲を見た。そこからは次々と鼠人族の肉体が血とともに噴き出し、恐れ慄く鼠人達にふりかかる。
それまで場をみたしていた、鼠人族の気勢が完全に削がれた。
そうなると多勢に無勢、周りをヤマタ兵に囲まれた鼠人族は、行き場を無くして追い込まれ、自爆もできずに倒されていく。
ほぼ鎮圧されたところで、フッと黒い雲が消えると、その中からクロエ大臣が姿を現した。黒い衣には返り血の他に、切り傷ができており、片膝をついて、忌々しげに右腕を抑えている。
「クロエ様! ご無事ですか!? どうなされました」
護衛達がすぐさま飛んでいくが、
「くそっ! たかが鼠人族ごときに、手傷を負わされるとは、なんたる屈辱っ! 貴様ら何をしておった!」
と叱責を受け、八つ当たりのように空になった管で叩かれる。ヒステリックな様子を見て、クロエという人物の印象が定まっていく中、ゴウシュがその背中で、殴られ続ける上司をかばうと、肩で息をするクロエに、ポーションを差し出した。
「ふんっ! こんな下品な薬物を飲む羽目になるとは、ますますもって気分が悪いわ」
と空になった瓶を投げつけ、護衛に囲まれながら、斜面を登りきった頃にはーー鼠人族は全滅。疲れた表情のヤマタ兵達は、陥没した地面から、息を切らして這い上がってきた。
何も言わずに、投げつけられたた瓶を見つめるゴウシュは、血の滲んだ額を服でこすると、静かに斜面を登ってくる。
その刀には、斬った鼠人族達の血脂が付着し、重そうな足どりとともに、彼の気持ちを表しているようだった。
「大丈夫か?」
ボロ切れを差し出しながら尋ねたバッシに、
「ああ、かまへん、いつものこっちゃ。これ、ありがとな」
と力無く笑い、回収してきた鎌鉈を渡すと、ボロ切れを受け取る。そして打刀についた血脂を丁寧に拭うと、腰の鞘に戻した。なんというか……慣れきった動きといい、言動といい、いつもこんな感じなのだろうか?
「あれは何だ? クロエは化け物使いなのか?」
と聞くが、
「それは内緒の部類や、あんたらの事もきかんかったやろ? お互い詮索は無用にたのんまっさ」
と手を振って、にべもない返事を返す。だが去り際に、
「あれは鵺っちゅうねん」
とボソリと呟いた。ポコの事も教えてあったから、後で調べろという意味なのだろう。教えてもらった名前を頭に刻みこみながら、重い足を運ぶゴウシュの後ろ姿を見送った。
ヤマタ兵団総出で、大きな地竜を引っ張りあげると、今度は竜も加えて、陥没した地面に落ちた車を引きあげる。豪奢な車はかなりの重量を誇り、長い時間をかけてようやく平地にあがった頃には、日も翳り始めていた。
「ひとまずここで野営をはるぞ、クロエ様が手傷を負わされた。治療班は即座に陣を張り、クロエ様の完全回復、その間護衛達は周囲を警戒して、張り番をせよ」
ヤマタ兵団の上級士官の声が響く。それほどひどい怪我とは思えなかったが、大臣ともなると、その命は国の運営にも関わる大事になるのだろう。ポーションを飲んだ後も、すでに治療が行われていたはずだが、念には念を入れるらしい。
すぐさま竜車が形を変えると、立派な天幕が形作られていった。
「この調子では、地宮に着くのは何時になるやら」
ジュエルのため息混じりの声が、暗くなり始めた空に消える。
「あまり時間をかけては、手遅れになるワン」
その横で眉をしかめるウーシアが、霊剣を具現化しながら呟いた。
「何が手遅れに?」
とバッシが聞くと、
「分からないワンウ、でも霊剣から伝わる力が増すにつれて、得体の知れないものの存在を感じるんだワン」
と、前方を指し示した。ヤマタ民族であった犬人族の祖先、代々受け継がれてきた霊剣が、故郷において、何かを伝えようとしているのかも知れない。
白く輝く剣を見て、しかし、それをクロエ達に見せてはいけない気がしたバッシは、
「ウーシア、霊剣の存在は隠しておけ。具現化する時は、以前のように逆手に構えて、目立たないようにした方が良い」
と告げると、
「分かったワンウ」
と素直に隠す。だが、この霊気は、そう隠し通せるものでもなかろう。そうなった時、犬人族たるウーシアが、どのような扱いを受けるか? 鼠人族の扱いを目の当たりにしたバッシは背筋に悪寒がはしり、思わずウーシアを抱き寄せた。
「大丈夫です、私もついてますよ」
その後ろから、リロが声をかけると、グッと力こぶを作る。貧弱な腕には何のコブもなかったが、その笑顔につられて、フッと力が抜けた。
「お前達、こっちも野営の準備をするぞ」
ジュエルの声に、それぞれがすぐさま動き出す。この時間ならば、夜を過ごす準備もしておくべきだ。
少ないまきを確保すべく森に入る。不意に、もっと自由に、もっと気楽に旅がしたいと思った。
拾ったまきを使って、焚き火をしたり、見知らぬ地を気ままに探検したりするのだ。こんな殺伐とした現状など、全てうっちゃって。
それができたらどれだけ楽しいだろうか?
そんな願望を頭に浮かべながら、仲間達の安否を確認しつつ、程よいまきを採っていく。
途中で、ポコを参考に、お茶になる香草なども摘んでいると、
「バッシ! 早く戻れ!」
とジュエルの声が聞こえた。やれやれ、人使いの荒いリーダーだ。バッシは地面に置いたまきを抱え直すと、仲間達の元に向かった。