牛歩
バッシ達が牛(竜)歩に合わせて、ジリジリと北上していくと、前方で集団のあげるどよめきが広がった。
その様子を鋭く観察したゲマインが、
「どうやら先行部隊が、敵の偵察要員を捕まえたみたいね」
と教えてくれる。その瞬間、ポッと火の手が上がると、黒煙と共に、髪の毛の焼ける嫌な臭いが漂ってきた。
自害したか……と暗澹たる思いにかられる。この国の戦いは、戦奴だった時のバッシ達のように、獣人の使い捨てが横行しているようだ。
獣人の種類によっては多子早育らしく、とくに顕著なのが鼠人族と呼ばれるネズミの獣人であり、彼らは産後すぐに戦闘員として訓練され、5〜6年も経つと戦場に送られるという、劣悪な環境にいるらしい。
それを教えてくれたゴウシュも、それらの教育に携わった事があるらしい。気持ちを殺して接してもどうしても無理で、降格覚悟で辞退したと語っていた。
前方を見ていると、事後処理をするゴウシュの姿があった。大量の獣人達が反王軍にまわった現在、その死体はもしかしたら彼の元教え子かも知れない。
そして今後も彼らと剣を切り結び、命を狙い狙われる立場は続く。それはまるで歪んだヤマタ王国の象徴のようだった。
前方の竜車が重い車体をゴクリと動かした。それに伴い、ヤマタ王軍騎馬兵団がせわしなく車体を前後して、隊列を組み直す。
冒険者側も動き始める中で、重貴隊のスワンクが駒を寄せてきた。相当重たい甲冑を着込んでいるくせに、巨大な農耕馬を当てがわれ、騎上の人となっている。徒歩のバッシとの扱いの違いに、少し得意そうだ。
「ようバッシ、さっきの見たか? 一瞬空に網目のような光が走ったな」
と陽気な声で話す。その操馬術はなかなか堂に入っており、快適な歩調を保つ馬も、乗り手の重量の割には平静を保っていた。
自分だけ馬に乗る重戦士に冷眼を送りながら、
「あれはこの地に伝わる術の一つ、結界というらしい」
とポコで調べた事を話した。それによると、ヤマタに伝わる法術と呼ばれる神聖魔法の一種で、他の神聖魔法に比べると、封印や守護に長けているという。
神聖魔法と聞いて、バッシの中で苦手意識が働く。タイタンに宿った悪魔の鉤槍に苦戦したのは、ほんの少し前の事だ。
あれから鋼の精霊との親和性を深め、剣聖ウォードの剣技の真似事などもしたが、この地に伝わる法術はまた一味違い、対処できるか不安が残る。
「俺は細かい事はハートやゲマインさんに任せてるんだがよ。あんなのに囲まれてちゃ、動き辛くてかなわんな」
結界が巨大な盾に引っかかるらしい。重戦士らしい感想に、確かにと思う。バッシの大剣も長い、あの結界に囲まれていざという時に引っかかっては、十分な威力を発揮できないかもしれない。そこに割って入った、
「向こうの山に人の潜む気配だワン」
と告げるウーシアの声に思考を止めると、感覚鱗を向けて観察した。
聴覚に集中すると、確かに人が潜んでいる気配をとらえるが、とても静かなそれは些細な違和感のようなもので、言われないと分からなかっただろう。
この地には忍者という、スカウトのような働きをする武装集団がいるという。それが敵味方に分かれて、暗躍しあっているとすれば……
〝これは大変な状況になった〟
伏兵だらけの道のりを牛歩のように進むという地獄。皆を無事に帰すという使命が、とてつもなく遠い道のりに思えて、深いため息が自然とこぼれ出た。
*****
「突撃隊の時間稼ぎは上手くいっているのか?」
とのハンガウの問いに、
「はっ、鼠人族の第一部隊が、予定地点にて交戦中、相手方の足止めに成功しております」
同じ女傭兵団の女戦士が答える。この野営地に仕掛けたものが発動するには、もう少しの時間がかかるのだが、どうした訳か、ヤマタ王軍は予定外の早期遠征を仕掛けてきた。
こうなったらハンガウとしては打って出たかったが、オウ・スイシの厳命で、それは叶わない。曰く、
「右大臣の加わる遠征軍には、私が直接対峙するワフ、それと冒険者達はどうしても対立を避けたい。先遣隊を打てば、後続の者達と本格的な抗争に発展するかも知れぬ、そんな体力はこの国にはないワフ」
ということらしい。ハンガウはトゥクウォリ氏族の命運をかけてこの地にやって来た。オウ・スイシに加担する代わりに、ヤマタを安息の地とし、保障された繁栄を築き上げることが、彼女に課せられた命題である。
そのためには未来に禍根を残してはならない。対立するのは、あくまでヤマタ王府のみとする。霊能者オウ・スイシの絶対霊感に頼るからには、こちらも全身全霊をもって遂行するしかなかった。
「ハンガウ様、お任せ下され。我らの力、ヤマタ王軍に心的外傷としてキッチリと植え付けてやりますじゃ」
突出する前歯から唾を飛ばしながら、鼠人族の頭領が力強く宣言する。その額には、仲間達が次々と自爆していく事への苦悩がクッキリと刻み込まれていた。
「ヤマタ王軍の、しかも右大臣クロエを討つチャンスを与えられるとは! 生き延びた甲斐があったというものですじゃ」
大きく背中から右の太ももまで伸びる傷跡は、肉を抉り、できてから数年経ったいまだに生々しい薄桃色を見せている。
奴隷の扱いなど、どこにあっても同じようなものだったが、特にクロエは使用人に厳罰を課す事で知られていた。数年前、ヤマタへの帰還式典の際、ほんの少し立ち位置を間違えただけで、鞭打ち百回の処罰を受けた鼠人族の頭領は、棘付きの鞭によって半死半生まで痛めつけられ、いまだに悪夢を見るほどのトラウマを植え付けられている。
「奴だけは、何としても討ち取らねばなりませんのじゃ」
クロエのせいで、大勢の仲間たちも死んだ。歪になった己の体を撫でながら、ギラギラと光る目で前方を見据えた頭領は、ハンガウに出動を伝えると、四肢をもって森の中を駆けた。
*****
丘に潜む伏兵には、ヤマタ王軍も気づいていたが、遠距離に潜む数人を追って深入りし、計略にかかるのを恐れ、そのまま進む道を選んだようだった。
その頃には、鈍重だった竜車もスピードを上げ、かなりの熱気を放ちながら、ドシドシと足音を響かせて走っていく。
「おいおい、こんなペースで未知の領域に突っ込んで大丈夫なのか? 少なくともゲリラ的な攻撃を受けてるって事は、地の利は向こうにあるだろうに」
スピードを上げるヤマタ王軍に、置いて行かれないように足を速めたバッシがつぶやく。それを聞いたウーシアが、
「伏兵は少ないワン、単なる偵察だと思うワンウ。ただ、何かが引っかかるワン、ウーの鼻にもかからない、何かが」
ここのところ霊感を増し続けているウーシアが、勘に触れるものがあるという事は、高確率で何かが待ち受けているに違いない。だが、それをヤマタ王軍に伝える術はなく、ゴウシュにしてもかなり前方で護衛任務に従事しており、声をかけられる状態ではない。
少なくとも冒険者側には伝えようと、ジュエルを介して、〝ワイズマン〟ゲマインの耳にも入れてもらう。だが彼女にしても、少数の伏兵しか探知できず、参考程度に知っておいてもらう事しかできなかった。
だが、俺はほぼ確信している。今のウーシアの霊感は、恐ろしいほどに精度を上げている。それは生まれ故郷に来たためなのか、呪いの軛が外れたせいなのか? その両方かも知れないが、彼女の感性に対する信頼は非常に高い。
それはジュエルも同じらしく、聖騎士の鎧から仄かな青い光を立ち昇らせ始めた。それを見た周囲の冒険者達、特にジュエルと引き分けて以来、彼女を意識し続けているスワンクなどは、いつ襲撃を受けても即応できるような陣形を作り始める。
ーーそれは唐突だったーー
ヤマタ王軍の先頭、独自のスカウト的役割を担う、忍者と呼ばれる集団が、安全を確認しつつ通り抜けた後を竜車が走行中、瞬時に地面一帯が陥没し、周囲の護衛ごと飲み込んだ。
一斉に駆け寄るヤマタ王軍の前で、沢山の土砂に半ば埋もれかけた竜車から、御者を始め、護衛の兵士達が這い出てくる。
その中には、周囲の者に助け出されつつも、不遜な態度を崩さないクロエの姿もあった。
ヤマタ王軍の兵士達が、斜面を駆け下って、クロエを守護しようと殺到する中に、ゴウシュの姿も見受けられる。
その時、鼠人族の集団が、地下からワラワラと出てきた。その中でも一際大きく、黒い毛艶の男が、
「我は土鼠氏族の長ゼッパなり。積年の恨み、その身をもって知るがよい!」
長爪の先端に鋼の武具をはめ、クロエの元に走る。それに続くように、周囲から次々と湧き出す鼠人族達も、クロエをめがけて殺到した。
突然できた蟻地獄の巣のような、崩れやすいすり鉢状の地で、守る側と攻める側が、餌に群がる蟻達のように入り乱れ、混戦が始まった。