酒と罠
「ぷふぅ〜っ、やっぱりここの酒は美味いなぁ」
髭もじゃのヤマタ兵、ゴウシュが口ひげに付いた酒を舐める。
「けっ! こんな安酒をありがたがって飲むなんざ、大陸渡りの舌はバカなんじゃねえか?」
店主は自分の供した酒を褒められているのに、悪態を吐く。ゴウシュにヤマタ語を翻訳してもらい、意味が分かったバッシも飲んでみたが、後味に地元の穀物ならではの癖はあるものの、のどごしや香りは悪くなかった。
「美味いけどな」
とゴウシュに追従すると、それを翻訳された店主は、
「カ〜ッ、これだからな。デカ物は末端まで神経が届いてねぇんじゃねえか?」
と文句を言いながらも、つまみを手際よく作る。どうやら鶏肉を串に刺して炙るらしい。悪態は翻訳しなくても大体分かるな。
「まあまあ、ヤマタ王府に上酒を独占されたからって、そう怒りなさんな。下酒も悪くないやろ? まあ昔からこれしか飲みつけてないけどな」
欠けた歯を見せながら、店主をなだめる。この男はバッシが地元の酒について尋ねると、喜んで、
「もうすぐ終業時間やから、俺が案内したる。店主は偏屈やけど、蔵元の弟から直仕入れの、美味い酒が置てあるんや」
と西方訛りの大陸語で、舌舐めずりしながら快諾してくれた。そして連れて来られたこの店は、確かに偏屈なオヤジが一人で切り盛りしているが、手入れの行き届いた店である。
「ふざけるんじゃないよ! こちとら何十年って酒を扱ってきたんだ。それをいきなりお上の専売にするなんざ、クロエの坊主ぁふてぇ野郎だ!」
激昂しながら、乱暴に鳥串ののった皿を出す。たっぷりとついたタレが、木のカウンターに溢れたのを指ですくい舐めると、今まで食べた事のない甘辛い味がした。
まあまあとなだめるゴウシュを他所に、鳥串をひとつ口に入れる。そのまま屋台の串モノを食べるように引き抜くと、弾力のある身を咀嚼した。
なんとも香ばしい炭火の風味と、深い味わいの甘辛いタレが、脂の染み出す身と絡まる。
飲み込んで、口の中がコッテリしたところに酒をあおると、強めのアルコールが甘辛をサッパリと洗い流した。
その余韻に浸っていると、
「美味いやろ? 焼き鳥と合うんは、下酒の方やと俺は思うんよなぁ」
隣で同じように酒をふくんだゴウシュが、しみじみと幸せそうに呟く。それを見て大陸語の分からない店主も、満足気に口角を上げると、次のつまみを作りだした。
大分と酒も進み、腹も満たされたころあいに、
「こんな風に誘っても良かったのか?」
とたずねる。ヤマタ王国にとって、冒険者は金を作り出すための道具であるとともに、異分子だ。その一人と、こうしてフランクな付き合いをする事は、ゴウシュにとって迷惑ではないか? とも思う。
「ええんや、どうせこの会話だって傍受されとる。それに大陸渡りの下っ端は、持ってる情報もたかが知れてるってもんよ」
酔っ払って赤ら顔のゴウシュは手をヒラヒラさせて言い放った。バッシはやはり誰かに聞かれていたかと思うと、こっそり伸ばした感覚鱗に、気ぜわしくこちらを伺う気配を感じ取った。ならば難しい事は聞かずに気楽に飲もう、と気分を切り替えてゴウシュの話を聞く。
彼は大陸渡りの先遣隊に、年若くに護衛として同行し、そのまま諸国巡行、数年前にヤマタ王国に戻ってきたらしい。その先遣隊のリーダーが、先ほど店主が言っていたこの国の若き大臣、クロエという人物だという。
「これ以上は秘密な、酒が不味うなってあかん」
と言うと、バッシの事を聞きたがった。特に冒険者という職業に憧れがあるらしく、ギルドの事や、迷宮の話、そして魔法使いがどんな魔法を使うのか、興味津々に聞いてくる。
バッシも冒険者としてはそんなに経験が豊富な訳でもなく、新人の部類に属する事を告げると、
「その風格で新人か、冒険者って仕事も楽じゃないんやな」
と言って、やっぱり兵士の方が……などとつぶやきながら顎髭をこすった。
たらふく食べて飲んで、ほんの3銀。大陸通貨は少し価値が高いらしく、遠慮するゴウシュをふりきって支払いをすませると、
「じゃあ今度は俺におごらせてや、お前さんと飲む酒はなんや美味いわ」
と豪快に笑った。バッシにとっても楽しい酒だった。最後にお互い刀剣を使うという事で、今度修練場で腕試しをする事を約束して別れると、お互いの兵舎に別れて帰る。
「反り身の太刀か」
ゴウシュが自慢していた、打刀と呼ばれる家宝の刀剣を思い出して、どんな戦い方をするのか、想像を巡らせる。
ウンドのように切れ味鋭い斬撃を繰り出す戦法だろうか? 剣の腕一つで護衛に選ばれたゴウシュの刀にも、相当使い込んだ跡があった。
「こりゃあ楽しみが増えたな」
ヤマタの刀についてポコで調べようと、帰る足を速める。後ろについて来る者達の存在を、酔いの向こうに薄っすらと認識しながら。
*****
崖から見下ろす風景の中に、霊峰ヤマタの裾野に広がる樹海の濃密な緑と、朝日に照り返す地宮の真っ白な天盤が目に飛び込んでくる。
馬上のオウ・スイシは、傍に跪く女忍に命じると、馬首を巡らして崖下へと続く道を下りだした。
「オウ様、地宮側集落の準備は整っております」
後ろに続くのは、銀色に輝く毛並みを揺らせながら、四足で駆けるフェンリル。スピードを上げても体幹は全く上下動せず、滑るように付き従いながら話しかける。
「もうすぐ王軍が動き出すワフ、ハンガウ達との連携を怠るな」
オウが振り向くことなく告げると、その視線は前方の峠に向けられた。右腕に同化している霊刀が反応する。それ以前から、霊感によってその場に渦巻く怨念の塊を察知していた。
「オウ様」
女忍の言葉を、手で制すると、そのままのスピードで駆け抜ける。隣のフェンリルも獰猛な笑みを浮かべながら、オウにピッタリと付き従った。
馬の足並みを整え、何もない地点で唐突に合図を送ると、勢いのついた馬は自身の胴体を超える高さの跳躍を見せた。
追従するフェンリルも、悠々と跳躍すると、音もなく着地する。
直進していたら通るはずだった道にワナを仕掛けていた者達が、道の両端から湧き出た。その数20、皆土地の百姓のような格好をしているが、殺気に満ちた目をむけている。
オウの率いる後続の兵団が焦って追いつこうとするが、
「ここはまかせるワフ、フェンリルと二人で充分」
と言うオウの声は不思議と胸にしみ、たとえ大声を張らなくとも、皆に浸透した彼の思念が、自然と足を止めさせた。
誰も罠にはまらない事がわかると、合図とともに罠である落とし穴を埋めていものが形を変え、地表に這い出てくる。
それは馬や人を丸ごと数体分飲み込めるほど大きく、不透明な体表には粒状の欠片が混ざり込んだーー
「サンド・スライムか」
オウ・スイシはこんもりと半球形に盛り上がったサンド・スライムを睨みつけて霊刀を構える。フェンリルは全身を発光させると、巨大な人型に姿を変えていった。淡く光るその輪郭は、引き締まりながらも、豊満なシルエットの全裸女性のものである。長い銀髪が局部を隠しているが、フェンリルは裸体を隠す気もないように自然体で立ち、2メートルにも及ぶ身長の頂きには、銀毛の耳が立ち、手足の先には、鋭い爪が生え揃っていた。
その光が螺旋を描いて周囲に広がると、地面の草が一瞬で枯れていく。彼女が息を吸っただけで、襲撃者達は呼吸が苦しくなったように感じた。
〝妖狼フェンリル〟
銀狼族のライカンスロープのなかでも、特異な魔力を扱う彼女は、その力に対する畏怖からそう呼ばれている。
だが襲撃者も只者ではない。地面に隠していた長槍を構えると、サンド・スライムと挟み討ちの形で、オウに向かって一斉に襲いかかった。
襲い来る槍ぶすまを紙一重ですり抜けるオウは、馬をトンッと進めると、先頭の男の胸元に触れる。
その右手には、いつの間にか刀が出現しており、男の胸を貫通していた。
「ガハッ」
と空気と共に、大量の血を吐き出す男は、オウの刀を道連れに取り込もうと、刃を握りこむ。だがその手は実体をなくした霊刀をつかむ事叶わず、空を掴んだ姿勢のまま倒れこんだ。
走る馬の鞍に足をかけ、空中に跳び上がったオウは、眼下で受けようとする槍をも透過させると、持ち主を縦に切り裂く。
着地と共に幾本もの槍先が殺到する。完全なタイミングで隙なく突き出されたそれを避ける術はない。
だがそこにはオウの姿は無かった。
入れ替わりに津波のように放射するフェンリルの白い光。それは襲撃者達を飲み込みながら空中に拡散した。
後に残るのは、生命力を吸い取られて、生ける屍と化した襲撃者達。一番先頭で波を受けた者は、頭骸骨そのもののように眼窩が窪んでいた。
オウはというと、何気ない歩調でサンド・スライムの元へと歩いていく。その眼前で膨張したサンド・スライムは、細胞内に貯めた魔力を爆発させると、瞬時に覆いかぶさった。
スペースを全て食いつぶして地面ごと飲み込む。オウの後ろに居る襲撃者の元まで雪崩れ込んだサンド・スライムは、内包する棘状の微粒子で飲み込んだものを磨り潰し、一瞬で血肉と土の入り混じったペーストにすると、核に養分を運ぼうと循環させた。
だがそのコントロールがおかしい。それどころか体を保つ事が出来ずに、端から液状化していく。魔力を高めて統制を強めようとした時、核の表面にビシッとヒビが入った。
霊化を解除したオウは、核を切り裂いた霊刀をヒュッと振るう。すると、空中に漂う濃密な霊気が集まり、霊刀に吸収された。
その瞬間、広範囲にぶちまけられたサンド・スライムの遺骸から、微細な糸が無数に伸びると、天幕状に結界を作り上げる。
その中にはオウの他に、女忍が一人たたずんでいた。それは先ほどオウに命令を受けた者である。
「カナタ、これはどういう事だワフ?」
閉じ込められても自然体のオウに向かって、カナタと呼ばれた女忍は、
「依頼により、オウ様のお命頂戴します」
フッと動き出すと、その姿が二人、三人と増えていく。部下の手の内を知るオウは、
「カタナにナユタ、お前たちも我が霊化の前には、いかなる攻撃も無駄だと知っておろう」
分身と見せかけた姉妹に声をかける。だが、霊化の準備をしようとして、それができない事に気付いたオウが、
「結界で霊化の術を封じたか」
と、影を飛ばして殺到する姉妹に、霊刀を構えた。