黄金剣のハンガウ
トゥクウォリのハンガウ、褐色の肌に魔獣の硬革鎧を身につけた女戦士は、愛剣を背中に担ぎ、森の中で地に伏せていた。
南方出身の彼女は、比較的露出の多い格好にも関わらず、虫などにたかられる事もない。それは彼女が常に身にまとう微量の魔力保護のおかげだった。
大陸の中でも戦乱と混迷を極め、暗黒部としてしられる地域に住むトゥクウォリ族にとって、生きる術すなわち戦闘能力と言っても過言ではない。
死の尖兵と呼ばれるトゥクウォリの魔法戦士団にあって、集落一の強さを誇るハンガウは、この地でも優秀な狩人として、ヤマタ王軍を仕留めていった。
その彼女が、今は中央山脈の霊峰ヤマタの裾野に広がる、黄泉に繋がると言われている大森林に潜んでいる。その眼前には、森を切り拓いた獣人奴隷達が、櫓を立てている最中だった。
「あれを見たら、オウ様は何と言うか?」
目の前では王軍の引き連れてきた魔獣が、神聖なる森の木を伐採した丸太で組んだ、隙間だらけの小屋に入れられ、その周囲を兵士達がグルリと囲んでいる。小屋には封じの札が貼られ、魔獣は結界によって中に閉じ込められていた。
その中にいるのは犬人族の男。何も持たされずに小屋の中で逃げ惑う男を魔獣が追い立て、それを見る兵士達がはやし立てている。
「下衆な輩、戦士の風上にもおけませぬ」
隣に潜む女戦士が、長弓を携えてつぶやく。誉高いトクウォリ兵にとって、弱者をいたぶるのは恥とされる行為だった。
秀でた額と通った鼻筋に皺を寄せながらも、手で制するハンガウ。周囲の者達も弓矢を手に、ピタリと前方を見据えている。精霊石で作られた鏃は、青く醒めた光を放っていた。
小屋の中では、犬人族が魔獣の爪に捉えられそうになり、周囲の兵士達がドッと沸き立つ。掠った爪に衣服を裂かれ、涙と汗を振りまきながら、絶望的な状況に覚悟をきめる犬人族の男は、きたる暴力に体を硬くしたが、いつまで経っても魔獣が襲いかからないーーすると突然脱力した魔獣がのしかかってきた。
「ヒイッ」
と悲鳴をあげる犬人の隣に倒れる魔獣の頭には、一本の太矢が突き立っている。腰を抜かして固まる犬人族と対照的に、
「なんだ?」「どうした!」
と警戒をあらわにするヤマタ軍兵士、その額に次々と矢が突き立つと、森から恐ろしい速度でトクウォリ兵達が駆け抜けて来た。
結界警報が、駐屯するヤマタ兵達の意識をひきつける。それを受けてすぐさま駆けつけた兵士達を、次々と刃にかける女戦士達。
その先頭を行くハンガウは、紋章の描かれたひときわ立派な天幕を目指した。その門前には、ヤマタ兵の人の壁が待ち構えている。
「邪魔だ!」
大陸言語が通じないことを承知で叫びながら、盾を前に構えて突進する。敵後方から複数の矢が飛来するが、魔力を込めた丸盾は全てを弾き逸らせた。
背負った魔剣がカタカタと鞘鳴りを始めるのを、なだめるように掴む。一気に抜き放つ刃は、わずかにS字カーブを描き、その剣身は仄かに黄金色の輝きを放っていた。
〝黄金剣のハンガウ〟
戦場で恐れられるトクウォリ族の死の尖兵の中でも、大陸中に悪名を轟かせた女戦士の突進に、それを知らぬはずのヤマタ兵達も動揺する。
その一瞬の隙をついて、間を縮めたハンガウは、一太刀で前列三人を真横に切り裂いた。魔力の黄金刃が伸びる刃後を一気に攻めたてるトクウォリ兵。
勢いに飲まれて、一気に半数まで数を減らしたヤマタ兵が悲鳴をあげた時、殺された兵士達から煙が立ち昇ると、操り人形のように手足を動かしたそれらが、無造作に槍を突き出した。
「死霊魔法使いか」
肉と毛の焼ける嫌な臭いとともに、邪法を操る者への嫌悪感が募る。ヤマタに伝わる秘術ーー死霊魔法の使い手の出現を予期した。
「ホッホッホッ、死霊魔法とは失礼な。陰陽師とお呼びなさい」
発音のおかしな大陸言語が敵陣から聞こえると、肉を焼き、半ば骸骨をさらす兵士達の後ろから、豪奢な服装の男が姿を現わした。その手には、この地独特の細工を施した、錫杖が握られている。
その反対の手から多数の札を空中にばらまくと、不可視の網が光を放ち、ハンガウ達を半球状に取り囲んだ。
〝しまった罠か〟
ハンガウは自軍の位置を確認すると、全員が結界の中に入ってしまっていた。すぐに気持ちを入れ替え、後ろに構えた右足で部下に警戒のサインを送ると、目の前の敵に集中する。余裕の表情を浮かべた術師は、
「ホッホッホッ、あなたが黒人の兵士長ですね? むやみやたらとヤマタの民を殺す大陸のケダモノ。このヤベシが討ち取ってくれるわ」
言うが早いか兵をしむける。密集して槍を構えるその半数が、焦点の合わない焼けた目を剥いた、反魂の禁術で不死の兵と化したアンデッドだった。
まともに剣で打ち合っても、魂を浄化しなければキリが無い。さらに後方では、ヤベシという術者が、次なる策を弄している様子が見て取れる。
トクウォリ兵に聖職者はいない、戦場に神などという生易しいものは存在せず、死神のみが支配するという思想だからーーつまりこの場合、浄化のために用いる手段は神聖魔法などではなく、彼女達が唯一信じる〝剣〟しかなかった。
「魔剣陣を組め」
ハンガウの後ろに手下が並ぶと、直列を2本作り出す。その手元にそれぞれの剣を構えると、一斉に構えを取った。前方から見ると、まるで幾つもの剣がハンガウから生え出ているように見える。
「ふん! 今までお前達が相手をしてきた雑魚共と、このヤベシを同列に見ると、痛い目を見ますよ」
錫杖に呪物を載せたヤベシが、自信満々に声を張る。優雅な舞いに合わせて、周囲の結界が力を増すと、強固な膜が形成されていった。
ハンガウの剣も光を増し、今や直視できない程の輝きとなっている。それが瞬間移動すると、密集陣形のヤマタ兵の間で、黄金の剣舞が狂い咲いた。
後続のトクウォリ兵達も光る剣を掲げて突撃する。アンデッドと化した不死の兵も、切られた周囲を焼き溶かされて、肉体を消滅させていった。
「くっ! これでも喰らえ!」
思ったよりも素早い侵攻に焦ったヤベシが錫杖をふるうと、そこに載せられた呪物が宙に舞う。
空間に広がる銀色の粉、妖怪の遺骨を様々な呪法で煎じたそれは、半球形の結界によって、瞬時に妖力の軌道を描き、効率良くトクウォリ兵達に降り注ぐ。
魔剣や盾で防ぐも、細かな銀粉は避けようもなく、次々とトクウォリ兵達にふりかかった。
「ホッホッホッ、これでお前達は動けない」
錫杖に法力を集めると、封じの呪文を唱える。これで目の前の敵兵達は全身を麻痺させて、無力化する事が出来たはず。
ニヤリと脂っこい笑みを浮かべたヤベシは、これからどうやって無力化した敵兵を拷問にかけてやろうか? と、己の下衆な趣味に浸ろうとしていた。
その視界が突然、金色の軌跡に犯されると、天地逆転して闇に閉ざされるーー胴体から離れた首は伐採された切り株に落ちると、血を撒き散らしながら転がった。
ハンガウは振り抜いた剣を血振るいすると、倒したヤベシという術者の衣服で血を拭い、
「流石に高価な布地だな、血が良く取れるわ」
綺麗になった刃を確かめると背中におさめた。骸と化した術師に視線を落とすと、
「我らが霊能者の兵だと知っていただろうに、力を持っていても頭がついてこなかったな」
と呟く。その間に、ヤマタ兵を全て討ち取った部下の一人を捕まえると、
「もう良いぞ」
と、その鼻に詰められた真綿を抜き取った。その中には、破邪の薬草がキツく詰め込まれている。その様子を呆然と見守る犬人族の男にも、
「もう出てきて良いぞ」
と告げると、男はヒョイッと体を上げて、閂の掛けられているはずの扉を開けながら、
「ハンガウ様〜ん、死ぬかと思ったワンコ」
尻尾をフリフリ姿を現す。それを怪訝そうな顔で迎えたハンガウは、
「気持ち悪いからくねくねしながら近寄るな、手筈は整ったか?」
とたずね、距離を置く。
「ひどいワンコ〜、でもそんなトコロがすてきンコ」
なおもくねくねとシナを作ってから、
「こっちの誘いに乗ってきたワンコ、憎っくき黒衣の大臣もこちらに向かっているワンコ」
キラリと目を光らせて告げた。一つ頷いたハンガウが部下達に命じると、封印の切れた小屋で暴れる魔獣達を処分していく。
「こちらの拠点は手に入れた。後は潜伏隊の合図を待つだけだな」
周囲を見回してその首尾を確かめると、尻尾を振る犬人族を連れて、次なる作戦に備えて動き出した。