霊能者オウ・スイシ
オウ・スイシ・カニディエは、獣人を中心として組織された、ヤマタ国反王軍の指導者である。
絶大な霊力を持ち〝霊能者〟の渾名をもつ彼は、カニディエ氏族正統直系の犬人族であった。
傍らにはいつも、強力無比なライカンスロープである銀狼族の女が付き従い、ヤマタ王軍との戦闘では連戦連勝、仲間の数も増やし、大陸から引き連れて来た傭兵達と合わせると、数の上でもヤマタ王軍と拮抗するほどになってきた。
「どうやら真白の地宮に潜る冒険者達が、王都に到着したようね」
妖艶な笑みを浮かべる銀狼族の女に対して、腕組みのまま遠望を続けるオウは、
「何かを感じるワフ。そいつらの中の何かに……引っ掛かるものがあるワフ」
長く立ち上がった白い耳をピクリと動かし、腰元の霊刀に手をやる。流れてくる霊感に集中すると、どこか懐かしい感覚……母親の気配にとても近いものが感知された。
彼の母親は、犬人族の支配階級である氏族の直系にも関わらず、終生領主に酷使され、病を得てからは路上に打ち捨てられて、苦労に苦労を重ねて死んでいった。
その忘形見である霊刀は、彼の先祖代々隠し伝えてきた、一尺五寸ほどの長脇差と呼ばれる、反り身の短刀の一種である。
武器としての性能もさることながら、その真価は所有者に絶大なる霊感を授ける事にある。この刀を持つものは、全てを見通す絶対の勘をさずかり、そしてさらに使いこなした者は、その身を霊化させる事ができると言われている。
「あなたがそう言うのならば、かの者達の中に何か秘密があるのでしょう。今見張りの者をたてているから、じきに報告があるはず」
オウの後ろに控えた銀狼族の女は、確信をもって告げた。そこに一人の戦士が近づくと、
「フェンリル様、お呼びでしょうか?」
とひざまずく。
「ええ、トクウォリ隊の遠征準備はできた?」
フェンリルと呼ばれた銀狼族の女が尋ねる。
トクウォリという民族は、大陸のなかでも、紛争の絶えない暗黒地帯にあって、特に戦闘的として知られる部族だった。
なかでも浅黒い肌を半ば露出させながら戦場を駆ける女戦士達は、死の尖兵と呼ばれる女傑軍団として、大陸内では恐れられる魔法戦士である。
彼女達は戦に生き、戦に死ぬ。子供をなす者もいれば、攫い、もしくは買い求めて、仲間を育て上げる事も風習化するような集団だった。
その中でもオウについて来たトクウォリ兵は、特別な任務を受けた精鋭である。中でも隊長のハンガウは、オウに次ぐ剣の腕前を持つ戦士であり、次期トクウォリ族長とも目されている女性だった。
そんな重要人物が同道するほど、オウの能力が買われており、トクウォリ族と切っても切れない関係であるとも言える。それにはトクウォリ側の事情もあった。
「はい、ヤマタ側の内通者との連絡も滞りなく、真白の地宮周辺の案内もつけております」
「そのまま合図を待ち、必ず冒険者とは距離を保つワフ。油断すると全てが水泡に帰すワフ」
向こうが透けて見えるほど、透明感のある白毛をたなびかせて、遠くを見据えながらオウが告げる。その目は未来をも見通すかのように、厳しい戦いの前に見せる、憂いを帯びた表情となっていた。
なで肩の指導者に一礼をした戦士は、踵を返すと自軍の元へととって返す。彼もまた、大陸では一軍を率いる傭兵隊長だった。
『霊能者様が厳しいとするのならば、決戦は近い。ようやく我々が派手に活躍できる時がきたのかも知れないな』
本来ならば忌避すべき戦いに向けて、喜びを隠せないのは戦士の性であろう。数多の戦を共にした板金鎧を鳴らしながら、これから始まる戦に心を馳せると、踏み込む足に力が入った。
*****
ヤマタは南北に細長く伸びる島で、少し膨れた島南部と、上がるにつれて、少し右に曲がっていく島北部との間を山脈が分断する形になっている。
交易の盛んな南東部にはヤマタ王政直轄の貿易港がある。その少し中央寄りの王都の南西部には、豊富な海の幸を水揚げする漁村が点在しており、多くの獣人達も奴隷奉公として働いていた。
島の北端には規模は小さいながらも街があり、その下部は大森林地帯が占めている。山脈から森林にかけてが元々の反政府軍の拠点であり、北の街を占領してからは、大陸との行き来も可能となっていた。
ただし海洋船舶技術は稚拙であり、一度ヤマタ王海軍との戦いになると、全く歯が立たない状況である。
逆に森林地帯や山岳地帯でのゲリラ戦では身体能力に長けた獣人軍団に軍配が上がる状況だった。
お互いに得意とする戦場に相手を引き摺り込もうとして、腰の引けた戦になる事が多く、決定的な衝突を回避している膠着状態とも言える。
そんな中、真白の地宮を巡って、新たな動きが起こった。その場所は島を分断する山岳地帯の中にある、霊峰ヤマタの地下に広がる、広大な迷宮である。
名前の通り、国を象徴する存在であるヤマタ山は、南北に伸びる赤川の水源でもあり、遥か昔は鉱山として、良質な鉄鉱石を産出していたとされるが、山自体が迷宮化して封じられてからは、神官が祈祷を行う以外に、立ち入る者のいない聖域とされていた。
その聖域に他国からの人間、しかも冒険者なる無頼の輩を入れようとする王政府の行動に、貴族内からも反発の声は上がり、土地の民からは、各集落を統べる祈祷師を中心に、猛反発がはじまった。
それはバッシ達が港から王都に向かうだけの、極短い旅の間にも肌で感じられるほどであった。
馬車を見守る人々の目が険しい。子供らが興味を持ってはしゃぐのを、怒鳴りつける者もいた。
「ゲマイン、なんだか周囲からの敵意を感じるが、大丈夫か? 所詮俺たち冒険者は根無し草。食料などは地元の者に頼らざるを得ないが」
王都に入る前、少しの休憩時間に、近くに来たゲマインに尋ねると、
「うむ、実際に来てみないと分からない部分はあるが、我々も相当前から準備をしてきた。この状況は想定内だし、ヤマタ王都の中に拠点も作ってあるから、安心してほしい。問題は森林地帯に基地を設ける時ね。真白の地宮は聖域とされているだけあって、入り口はかなり山深いわ。ここから毎回通うわけにもいかないから」
と言うと、口を寄せてきた。バッシは少しかがむと、耳を近づける。
「これは内密に頼むわね。実は反政府軍ともコンタクトをとっているの。私達の目的は迷宮攻略だから、政治うんぬんは置いておいて、上手く立ち回ればそれで良いのよ」
と言って、顔を離すとウインクしてくる。う〜ん……根回しはしているのかも知れないが、所詮新参者の少数派たる自分たちが、戦乱期にあるこの地で、どう立ち回るかなど限界があるのではないか? とも思えるが……
もしくは〝賢者〟ゲマインとまで称される通り、何か隠し玉があり、勝算があっての行動かも知れない。というか、そうであって欲しいと願う。
大陸の港を出る時、わざわざ聖騎士団のB級昇格と、新たな依頼の承認をするためにやってきたギルド長ハムスを思い出した。
冒険者ギルドという、いわば全大陸に影響を及ぼすほどの組織が力を入れる事業である。それ位の勝算があっての事だろう。などと半ば他人任せな感覚で、二つ目の星を付けたB級ギルド証である入れ墨を撫でる。
ここまで異例の早さでランクを上げたのには、様々な理由があるが、一番の理由はギルド側にメリットがあるという事だろう。
B級以上になると、依頼の手配や諸経費をギルドが一手に引き受ける代わりに、利益の一割が手数料としてギルド側に入る仕組みになっていた。
今回のような初めて潜る迷宮の場合、莫大な利益を上げるケースも多く、ギルド側としてはB級以上のパーティーを送り込みたい。
だがそれほど高ランクのパーティーというものには限りがあるし、遠隔地に乗り込める実力派となると、数はより絞られる。
それ故に、大門軍団に聖騎士団の参加を打診されたギルドは、リリの護衛任務一回という破格の条件で聖騎士団を昇格させたのだ。
ただし本来ならば参加できないレベルの依頼である。そして周囲の状況を考えれば、油断などしていられない。
バッシは大して頭が良くない、というか馬鹿だが、馬鹿なりに場数は経てきた。その直感を信じて、少なくとも聖騎士団だけは無事に帰ろう。
最底辺の目標が定まると少し心が軽くなった。先ずは王都、政治の中枢なる伏魔殿に、いかなる化け物が存在するか、しっかりと見さだめねばならない。
言葉も通じない、はるかなる異郷の地で、前方の建物群も独特な建築様式を見せている。それを見るバッシの心は、時を経るにつれて冷たく平坦になっていった。