ヤマタ王国
〝極東の島国〟ヤマタ。ここは別名〝火の国〟とも呼ばれるほど活火山が多く、その恩恵を受ける魔獣の類も多く存在している。王を頂点とする、全人口20万人ほどの縦長い島は、航海技術が高まるまで、大陸では奇跡的に往来した者のみがその存在を伝える、半未踏地として知られていた。
大海に阻まれて他国の侵入を受けにくい国土は、独自の文化を育み、獣人達を最底辺とする厳しい身分制度が生まれ、閉鎖的な社会での規律を保っていた。
ヤマタではいまだに獣人達への差別意識が強く、他種族への攻撃も苛烈を極める傾向にある。
だが、近年のヤマタは混迷を極めていた。それというのも、支配層である人間族が、国交の開いた大陸との交易に獣人達の奴隷を用い、それに反発した獣人達が反乱を起こして、各地に反体制軍を作り出したためである。
元々体力的には格段に優れた獣人達である。当初こそ纏まりを欠いて追い詰められたものの、一人の指導者を得てからは、多数派のヤマタ国王軍と拮抗する勢力となった。
さらに間の悪い事に不作の年という事もあって、経済的に逼迫したヤマタ王政は、国の秘奥ともいうべき聖地〝真白の地宮〟を解放し、冒険者ギルドを受け入れての、迷宮特需という外貨獲得に走らざるを得ない状況となった。
むろんそれを反対勢力も傍観しているはずもなく、地宮の周辺には、利害関係の複雑に絡まりあった、暗雲がたちこめ始めている。
「真白の地宮への探索者はまだか?」
黒衣の壮年男性が問いかけるのに対し、側仕えの者が、
「船の到着が昼の一刻でございましたから、登城となるともう一刻ほどかかるかと思われます」
と告げる。それを聞いた男は眉をしかめると、
「冒険者なるものは、大陸においては下賤の者達の集まりではないか。何を遠慮することがあるか、さっさと呼びつけろ!」
側仕えの者に当たり散らすように怒鳴りつけた。身を縮めて退室するのを横目に、
「ふん! いかに大陸が進んでいると言っても、わがヤマタ王家の者が下手に出るなど御門違いだ。下手をすると王様のご威光に傷を付けるという事に、何故気づかぬ? 全くもって気の回らぬ事よ」
語りかけた相手は、肯定も否定もせずに、ただ側に跪いて頭を垂れていた。
その様子に満足したのか、黒衣の男は手に持った扇子をふるい呼び寄せると、
「して、お主の手の者から連絡は入ったのか?」
と猫なで声をだす。そうして伸ばしてくる手を避けたのは、年端もいかぬ少女だった。
軽装に身を包んで、腰元に一振りの脇差のみをたばさんでいる。
ギラリと光る目を上げた少女は、無言で一つうなずくと、また下を向いて固まった。
その様子に、少しの嫌悪感を示した黒衣の男は、しかしそれを飲み込むと、気を取り直したように、
「そうか、そうか、これでやっと憎っくき霊能者を殺す算段がつく」
と言って手を打ち叩いた。
「兵長を呼べい!」
即応した側仕えに命令すると、己の思考に埋没したように無口になる。その目は近未来を想像して血走り、口角は普段見せぬ角度に吊り上っていた。
*****
「うう〜〜んっ、やっと地面の上を歩けるな」
背伸びをしたジュエルが、船の揺れに慣れた体が揺らめくのを、膝に手をついて耐える。
リロなどはヨヨヨとよろけると、ジュエルの背中に張り付いて止まった。
「ちょっと気持ち悪いですね、地面が揺れているように感じます」
褐色の顔は青みがかっている。
「大丈夫かワン? 二ヶ月もの長旅だから、疲れもあるワンウ」
その背中をさするウーシアは、ケロリとしたものだ。バッシも戦奴時代には船に乗り慣れていたので、何とも無い。
それどころか当時は馬鹿でかいオールを漕がされて、到着したら即座に戦争という、とんでもなく過酷な船旅だったから、今回のように客室を与えられての旅などは、このままずっと続いても良いと感じるほど快適だった。
その長く快適な船旅で、暇を持て余したバッシは、剣の鍛練の合間に、船員達から色んな事を聞いて学んだ。
この世界は広い、自分の知っている場所などほんの一部だけだと、彼らの話を聞いているとよく分かる。話に出てくる食べ物や風景、砂の大海やオアシスにある歓楽街、そして彼らの最も恐れる、海に棲む大海獣……それらを想像するだけでワクワクした。
飛龍にでも乗って、世界中をまわるのも良いなぁ……
昔は肩を掴まれて輸送されたものだが、あの飛翔感覚は忘れがたいものがあった。今度は背中にでもまたがりながら、ゆっくり旅行でも……もちろん将来の夢ともつかぬ妄想の類だが。
バッシは近ごろ何かと未来を関連付けて考えてしまう癖がついていた。一度戦闘から身を引いて世界中を巡り、気に入った所に定住するのも悪くないかも知れない。そこで良き人がいれば家族を持って、農地を耕し生きていく……ふと頭に描いた理想像は、とても魅力的に思えた。
目の前でリロを介抱するウーシアを見ていると、霊感が働いたのか、こちらに振り向いてニコッと笑顔を見せる。
思わず口角の緩んだバッシは近づくと、ウーシアの肩を叩いて交代した。
「気分が悪かったらまた抱えようか?」
とリロに聞くと、真っ赤になったリロは、
「いえ、結構です、自分で歩けます」
とスタスタと歩き出してしまった。旅はまだこれから、無理は良くないがあの調子ならば大丈夫か? と思っていると、ジュエルが、
「まだまだこれから陸路の旅が続くぞ。大丈夫そうなら、早く馬車乗り場まで移動しよう。大門軍団の皆も待っている」
と言って皆を先導していった。彼女は妙に張り切っている、また以前のように周りが見えなくなっているかも知れない。
一度じっくり話し合おう、ウーシアの件も保留しておくのはあまり良いとは思えないし、折を見て。バッシはリロの背中を抑えてやりながら、ズンズン先を行くジュエルの後を追った。
馬車乗り場には、ヤマタ王家御用達の大型馬車が4台も駐車して、船の到着を待っていた。
皆一様に表情が硬く、腰元には大小二本の曲刀を下げているから、この国の兵士なのだろうか? ニコリともせずに頭を下げている。
だが時折こちらを観察する目は、戦う前かと錯覚するほどの鋭さを秘めていた。
この様子だとウーシアの氏族であるという〝霊能者〟オウに関する情報を訊ねるのも、控えた方が良さそうだ。
今回の依頼を受けた軍団のリーダー〝ワイズマン〟ゲマインが、出迎える側の責任者と握手を交わすのを横目に、バッシは隣のウーシアに〝自制しろ〟と目で合図を送った。
ウーシアは硬い表情を作りながらも、強い目で一つうなずくと、何かを感じ取ろうとするかのように鼻を効かせる。遠くの丘に向けた鼻がヒクヒクと反応を示すのを見て、何かあるのか? と思っていると、
「それでは皆、各パーティーに分乗して行くぞ。1台目は私たち、2台目は〝重貴隊〟3台目は〝聖騎士団〟4台目は〝青血戦士団〟各々見張りを一人御者台に立てろ。私が居るからといって油断するなよ?」
ゲマインが例の恐ろしい目で皆を見回すと、それまで騒がしかった連中も一瞬で静まる。ゲマインさんよ、あんたどれだけ恐れられているんだ? 以前の昇格試験でバッシ達の相手をしてくれた三名中二名は、敗戦後かなり絞られたらしいが、その程度が知れた。
あの試験でバッシの対戦相手だった精神魔法使いは、青血戦士団と呼ばれるパーティーに所属していたが、チラリと目が合ってもすげなく無視された。だが以前に見たときの、不遜な態度はなりを潜めて見えるのは気のせいだろうか?
重貴隊に所属するジュエルの対戦相手は、聖騎士団のメンバーを見かけると親しげに話しかけて来た。
そう言えば彼だけは引き分けに持ち込んだのだった。ボコボコに歪んでいた鎧も新しい物に替えられており、間近に見る彼は頼りになる好青年という感じである。
「ようバッシ! 昇格試験では世話んなったな。俺はスワンク、覚えてるか?」
と笑顔を見せる、相変わらず巨大な多脚式の盾を軽々と持っていた。きさくな彼とは話も弾み、先の護衛依頼で一緒だったヴェールと交えて、彼らの事を詳しく知る事ができた。
重貴隊のメンバーは、彼を含めて計七名、前衛戦士3、後衛魔法使い2、回復要員1、遊撃手1とかなりバランスが良い。
名前の通り前衛組三人ともに重戦士という、実力派のBランク・パーティーである。
彼らと話していると、もう一組の青血戦士団が気になったが、シアンも含めてメンバー全員がどことなくヨソヨソしい。
理由を聞いてみると、
「ああ、あいつら全員がどこぞの貴族の三男坊とか、上流階級くずれなのさ。だから俺たち下賤の者とは交わりたくないんだろうよ」
スワンクが不満気に語った。
「俺たちのリーダーはかなり名家のお嬢さまなんだがよ。あいつらのリーダーへの態度なんざぁ、尻尾があったら振り切れてるぜ」
その時の、しかめっ面のスワンクを思い出しながら、馬車乗り場でゲマインと話し込む女を見る。
確かに重戦士達の中にあって、唯一可憐な彼女は名家の令嬢然とした雰囲気を放っている。スワンクは彼女に惚れているのか? と思ったが、立ち入り過ぎな気がしたので黙っておいた。
「バッシ、私達もそろそろ行くよ」
ジュエルに呼ばれたバッシが馬車に乗り込む寸前、どこか勘に障るものがあって、周囲を見回す。感覚鱗を立てて物音一つ漏らさずに神経を研ぎ澄ますが、その後は何も感じ取れなかった。
隣に立つウーシアを見ると、うなずいて、
「見張られてるワン、あの丘の上に男が二人、伏せて隠れているワンウ」
と目線を合わせずに断言した。その手には、大きくなって存在感の増した霊剣が握られている。
俺はその事をジュエルに耳打ちすると、彼女の意向で隊全体のリーダーたるゲマインにも知らせに行った。
「良くわかったな、あれには気付いていたんだが、少し泳がせているところだ。引き続き何か異常があったら教えてくれ」
と、既に承知だったゲマインが言うと、
「あなたがバッシさんですね? スワンク達からお話は聞いてます。私は重貴隊のリーダー、ハートマークと申します。よろしかったらハートってお呼び下さいませ」
優雅に一礼するのは、スワンクが名家のお嬢さまと言っていた、重貴隊の〝貴〟を代表するリーダーだった。
バッシが一礼するのを見て、目を細めたハートは、
「私のところのスカウトと、ゲマイン様の所からはトトさんが出て、しっかり見張っていますので、ご心配なく」
と言うと、自分の馬車に向かっていった。冒険者らしくない物腰と、フワンと柔らかい残り香から、一瞬普通のお嬢さまが、厳つい男達の集団に紛れ込んでしまったような、場違い感を引き起こす。
だが彼女はパーティーでも一番の攻撃魔法の使い手だという。
そのギャップに印象を深めながら、ゲマインにあいさつすると自分の馬車に向かった。
と言っても、バッシに合うサイズの馬車は無い。
やれやれ、これからまた徒歩での伴走が始まるよ……この国の小さな馬車馬を撫でたバッシは、遠くの丘をながめて、小さなため息を一つ吐いた。