閑話〝あの女〟と少年
それは昼なお暗い森の中に、不自然に組み上げられた巨大な〝巣〟だった。
無理やり生木を折って積み上げたそれは、ささくれを突出させ、力任せに蔦で縛り上げられて、潰れた様な球形を作り上げている。
その内部、光の及ばない暗闇の巣内では、狂おしい叫び声と摩擦音、そして何かの対流する物音のみが響いていた。
〝女王〟は満足していた。この巣の真下には、黒の森から溢れ出る魔力の地脈があり、思念波で同期した女王には、寝ていても脈々と魔力が引き込まれてくる。
それが枯れる程になると、溢れる魔力は彼女をますます強くしていく。彼女にとっての強さとはーー沢山の子をなす事だった。
広い部屋を満たす、巨大で白い虫腹の器官には、爆薬ゴブリンがすがりつき、腰を振っている。
それは正確には爆薬ゴブリンではなく、フォレスト・ゴブリンとの混血だった。
フォレスト・ゴブリンの隠匿能力と、爆薬ゴブリンの攻撃性を有した混血種は、瞬く間に数を増やし、今やこの森では収まりきらないほどになっている。
その優れた血をさらに取り込んで、高性能な子供を増やす事に取り憑かれた女王は、ごく稀に産まれる超絶個体を王と呼び、それらの子をなそうと、さらに励んだ。
だが、爆薬ゴブリンのバッドスキルである超短命も促進され、また血が濃くなり過ぎたせいか、奇形児が多く生まれ始めている。
これは以前のフォレスト・ゴブリンの集落でも起こっていた事で、女王自身は『またか』と少し気分を害する程度の問題だった。
血が濃くなってしまったのなら、少し薄めれば良い。近くの集落を襲って、他のメスを捕獲すれば解決する問題だ。それがゴブリンであろうと、人間であろうと、他種族とも子をなせるゴブリンにとって、大した問題ではないーー
また新たに受精した卵が、排卵菅を通って女王の間に着床する。その多幸感の中で、頭を巡らせていた彼女の耳に、
「うわ〜、なんて臭いだ。鼻が曲がりそう」
嫌そうな子供の声が聞こえた。
『どこだ!』
警戒心を露わにした女王の思念波に、腰を降っていた爆薬ゴブリンや、ゴブリン・キング達が覚醒したように身構える。
巣は厳重に警戒させているにも関わらず、声が聞こえるまで全く気づかなかった。
「ごめんごめん、続けてちょうだい。邪魔する気はなかったんだ」
軽い口調で闇から現れたのは、年端もいかぬ少年だった。見覚えのあるその姿に女王は、
「ピノン……あなたどうやってここに入れたの? 沢山の子供達に見張らせているはずだけど」
人間の姿だった癖が一瞬蘇ったのか、半分原型を残していた女王の口が、流暢な言葉を発する。それに答えたピノンは、指輪を突き出すと、そこから黒い戦輪を出現させて、空中にピタリと回転させた。
「この円盤に記憶させた〝もの〟は、どこにいても手に取るように分かっちゃうんだ。君の心に深く印を刻み付けたから、どこにいても何をしてもすぐに分かっちゃうよ。いつでも会いに来るって別れ際に言ったろう?」
ケラケラと笑いながら回し続けたチャクラムを指輪に収める。
「まあ移動の方法は他にあるんだけど、それは秘密だからね」
ウインクするピノンを睨みつけた女王は、
「確かに、お前には深く傷つけられたわね。あの村からお前にそそのかされて出てから、私がどれだけ酷い目にあったか」
恨みのあまり、言葉と共に強い思念波が漏れ出て、ゴブリン達を苦しめ始める。
「おお怖! ご自慢の息子達が苦しんでるよ? 幼児虐待じゃない? まあこの場合は幼児とは言えないか、子供を作れる大人だしね」
ケラケラと笑うピノンに向けて、鍵爪の生えた腕を振るうと、突然現れたチャクラムに弾き返された。
「ぎゃあっ!」
久しぶりの痛みに、女王が悲鳴を上げると、ゴブリン達が血相を変えてピノンを襲う。
空中に出現させた大きな戦輪に乗ったピノンは、ヒョイヒョイっとその攻撃を躱すと、女王の目の前に降り立った。
「ごめんよ、傷つけるつもりは無かったんだ。そうだ、お詫びの印に、君の仇の事を教えてあげる」
そう言いながら、何かの瓶の栓を抜くと、女王の傷口にふりかける。するとみるみる傷口は癒え、元通りになった。さらにフンワリと漂う緑色のモヤが女王の呼吸器に吸い込まれると、不思議とピノンの言葉が馴染んでくる。
『仇?』
トロンとなった女王が聞き返すと、
「そう、フォレスト・ゴブリンの集落を襲って、君の子供達を焼き殺した冒険者達の事」
ピノンが答える。言われて思い出したのは、子供達の視覚を通じて見た、四人の冒険者達。
あの時、子供を通じて感じた斬撃や、巣を焼き討ちされた痛み、屈辱感がムラムラと湧き上がってくる。それは強く心を満たして、出口を求める強い欲求に、胸が張り裂けそうになった。
『あいつらかっ! どこ? どこにいる?』
ピノンに掴みかかろうとするのを、ヒョイと避けられると、
「まあまあ、そう焦らないで。君と同じくマーキングしてあるから、いつでも分かるよ。それより相談があるんだけど? この森もそろそろ狭くなって来たでしょ?」
というピノンの提案は、この森を出て用意された根城に移るというもの。魔力の枯渇しかけた森から、そろそろ移動を考えていた女王にとっては願ってもいない提案だが、鈍った頭でも少年の事は信用できなかった。
「大丈夫、その城は僕らの国の中にあるけど、君たちの自由にしてもらって構わないから。何の制約もないし、どう? 君の子供を招待するから、一度いってみない?」
と言われると、何だかとても魅力的に思えてきた。魔力供給も、こことは比べものにならないほど強力だと言う。
半ば判断力を失った女王は、ゴブリン・キングの中から特に優秀な個体を選ぶと、ピノンに同行させる事に同意した。子供であるゴブリンとは視覚、思念が同期しているから、それは彼女が直接出向くのと同じ事になる。
「じゃあここに来て」
と闇を指差すピノンの誘導に、キングが前に進みでると、その足元が急に消えた。闇に落ちたキングを追ったピノンも、
「じゃあちょっと行ってくるね」
とお気楽な調子で手を振ると、闇に吸い込まれていく。後には紫のモヤの残香だけが残っていた。
*****
ピノンの先導で進むのは、古めかしくも格調高い城。
体高2メートルを超えるキングが体重をかけても、物音一つ立てないような石造りである。
「さあ、こっちにどうぞ」
と言うピノンに従って部屋に入ると、先客の女性がテーブルについて食事をしていた。その横には、従者だろうか? 銀色の肌を持つ巨人が、膝をついてかしこまっている。
『この女は贄か?』
思念を送る女王に答えたのはピノンでは無く、当の女性だった。
「こんにちはゴブリン・キング、いや〝女王〟私は〝教授〟この城を間借りしている者よ。貴女がこちらにいらっしゃったら、同居人という事になりますね?」
口角を上げる、とても魅力的な甘いささやきに、キングの耳を通した女王までが魅了されてしまう。
「どう? 素敵なお城でしょ? 君の世界でいうシェア・ハウスっていうの? 素晴らしいパートナーに巡り会えて、これからここで暮らせるなんて、うらやましいなぁ」
ピノンの声などもはや聞こえていない。キングの目を通して、早くも女の虜になった女王は、彼女を我が物にして、一体になりたいという欲望に支配されていた。
一刻も早く城に移住したい……いや、何があっても彼女の元に辿り着く。
「君だけならすぐなんだけど、子供達も一緒となると、瞬間移動は無理だね。コツコツと歩いてここまで来て欲しいんだ。もちろん道は教えるし、その間にある集落なんかは襲っちゃって構わないよ?」
ピノンの言葉に興奮した女王の思念波は巣全体に拡散し、ゴブリン達の興奮は最高潮に達する。
『行くぞ! 城に行く! 途中に居る者は全て喰らい尽くす!』
集団が上げる唸り声は森を揺がし、血走った目は闇の中を彷徨う。即刻巣を後にしたゴブリン達は、追われるように大移動を始めた。
「うまくいったね、教授」
ピノンの言葉に、
「後は到着を待つばかりね、楽しみだわ〜。昔まいた種がこんな風に結実するなんて」
真っ赤な唇をなめた教授は、側に立つゴブリン・キングの太ももを撫でた。それは胸元を伝って頭頂部へと辿り着く。
そこから発せられる魔力、そこには昔戦場に放ったウォー・ゴブリンの血が脈々と受け継がれている。
少し魔力を流してやると、跳ね返ってくるのは、自分の仕事の痕跡。脳内に刻まれた呪いもいまだに健在だ。
「早く私の子供達と〝代理母〟に会いたいものね」
と言うと、血の滴るステーキを口に入れて、クチャクチャと肉汁の味を楽しんだ。