それぞれの事前
ジュエルは叔母であるエイム・ヨカ・ポエンシャルに会いに行った。
現在のポエンシャル家を支えるやり手の彼女は、主に神殿騎士団に向けた、保存食料の卸を商う事で生計を立てており、良く騎士団宿舎に出入りしている。
そこで待ち合わせた二人は、騎士団御用達の店で昼食を食べながら、お互いの近況などを話し合った。
「それじゃあとうとうお父上の引退も近い訳ですね?」
ジュエルは複雑な心境で、残念な父の状態を確認する。彼には何も期待していない。騎士としての公務の中で、祖父の名に泥を塗り続けるよりも、早く引退してしまった方がせいせいするとさえ思う。
だがそれは同時に貴族としての体面を、いよいよ保てなくなった事を意味した。
あと四年で聖騎士に、と思っていたが、現実の猶予はもっと短いかも知れない。
「ジュエルちゃんも大変だろうけど、お祖父様の意思を継ごうと思ったら、なりふり構っていられないわね」
というエイムの言葉に、深くうなずく。覚悟はとっくについている。ここまで多少強引に事を進めてきたが、それ以上の行動を起こさないと、取り返しのつかない事になりそうだ。
祖父の死に際して、心に誓った言葉が蘇る。
『ポエンシャル家の貴族としての地位は、私が絶対に守る。そして私がお爺様の思いを継ぐ』
領民の平和で安全な生活を、何より一番に考えていた祖父の死に顔をみながら、以前に祖父の馬に相乗りさせてもらい、丘の上から見た領地を思い出していた。
「いいかいジュエル、貴族というものは、責任をまっとうするからこそ、貴族として敬われることが許されるのだ。だからこそ私は世襲制というものに反対しておる。みておれ、いずれこの世にはびこる腐敗政治の温床である、貴族という制度そのものを改革してやるぞ。これは私の生涯をかけた悲願だ。すでに同意する者も集まってきておる。一平民からのし上がった俺だからこそできる事があると、ぬるま湯育ちの奴らに思い知らせてやるわ」
そう言った祖父は揉み消されるように他界した。だがその意志は孫娘に受け継がれる。
貴族の改革は貴族にしかできない。そのために残された道は、聖騎士になる事。その道がどれだけ細く険しかろうが、強引に渡りきってみせる!
決意を新たにしたジュエルはエイムに、
「任せて、手は打ってあるから」
と伝えると、今後の動きについて、詳細に語り出した。
*****
リロは聖都の魔術ギルド長、ライザベルの執務室に来ていた。
余り、というか全く付き合いの無い彼女の突然の呼び出しに、何を言われるのか? と緊張が隠せない。
何しろ魔術ギルド一のやり手にして、師匠であるリリのライバル、そしていつもきつい表情で引っ詰め髪のメガネから〝大先生〟と陰で呼ばれている彼女は、皆から恐れられる存在だった。
深呼吸をひとつしてから、ドアをノックする。
「お入りなさい」
ピシャリと叩きつけるような声が扉の向こうに響いた。姿勢を正して、
「失礼します」
と部屋に入ると、そこには髪留めを解いたライザベルが、暖炉の前でくつろいでいた。
「ふう、葬式って本当に嫌ね、それがリリのだなんて最悪」
と言って、ワイングラスをあおる姿は、伝え聞いていた厳格な姿とはかけ離れている。ドアのそばで立つリロに向かって、
「そんなところにつっ立ってないで、こっちに来なさい。あなたも飲めるんでしょ?」
と言うと、ワイングラスをすすめてきた。リロは師匠が亡くなってから、アルコールを一切とっておらず、酔うと理性が吹き飛びそうで怖かったが、何故か彼女のすすめは断る事ができずに、素直にグラスを受け取ると、チビチビと飲んだ。
渋みも深い上質なワインの香りに気分が少し解される。
「これ、リリに託された火の指輪よ」
と手渡して来たのはリリの愛用品、魔力の触媒である赤石の指輪だった。暖炉の火を受けて、真紅の輝きに深い色合いをそえている。
「それはね、過去に私ががリリに贈ったものなのよ。火に透かしてよく見てごらんなさい」
と言われて見ると、五つの魔力の渦が指輪の中で循環していた。
「それは私たちの初火、私が二つで彼女が三つ。魔石の中に封じて、記念にあげたものなの。以来彼女はそれを大切に育て続けてきたのね。その時は、次は負けないって言ったけど、最初から彼女には負け続けていたわ。魔法に関しては全敗よ。いつかは勝つ予定だったのに、先に逝くなんて、ひどい奴だと思わない?」
言葉とは裏腹に、慈しむように指輪を見たライザベルは、リロからそれを受け取ると、大事そうに指にはめた。
「あなた、リリが死んでからちゃんと泣いた? 私は泣いたわよ? 悔しくて、悲しくて。なにせ私を叱ってくれる唯一の人間が居なくなったから……ダメよ、内にしまってグッと堪えるなんて考えてちゃ。しばらくは思念の世界でも会えないんですからね」
と言うとリロの側まで来て、フワリと抱きしめた。どこか懐かしい、故郷の草原を想起させるような乾いた香りに、自然と涙が溢れ出てくる。
「しばらく私がリリの代わりになってあげるから、何でも言いなさい」
という言葉が、リロの胸にゆっくりと染み込んだ。
*****
聖都から馬車に揺られて数日、もちろんその間バッシは徒歩、もしくは軽走しながら移動して、港町オービスに着いた。
遠洋に向かうという大型船が多数停泊する姿は、見る者を圧倒する。
「流石は周辺諸都市の物流を一手に担う港だな。さて、ゲマイン達は先に来ているはずだが、待ち合わせの〝海アヒルの卵亭〟に向かうか」
ジュエルの言葉に、もう少し珍しい光景を見ていたかった一同は、後ろ髪を引かれながら、目印だという広場を探しに移動していった。
海アヒルの卵亭は、港町の中でもそこそこ大きな宿だったが、ゲマイン達〝大門軍団〟が丸ごと占領しており、中は作戦本部のようになっている。
そこには昇格試験で見た顔もあったが、何故かバッシらと目を合わせる事なく、コソコソと逃げている風である。どうやらかなりしごかれて、精神的にまいっているらしい。
ゲマインはジュエルと抱擁を交わした後、早速作戦会議に招き入れた。バッシら仲間は、旅の疲れもあるだろうと、贅沢にも一人一部屋を与えられると、荷を解く。
その後の食事時も、ゲマインと熱心に話し込むジュエルは、バッシ達とは別のテーブルについていた。
仲間の事を家族とまで認識しだしたバッシにとっては、何だか少し寂しくもあったが、自分の目標のためにはなりふり構わぬ所が、ジュエルの長所でもある。リロと共に、そんな話をして、各自眠りにつこうと部屋に戻った。
夜、部屋の床に毛布をひいて横たわると、久しぶりに暖かい布団に包まって眠りにつく。どんな場所でも眠れるが、最近では日に干された布団のありがたみが身にしみる寒さになってきた。少し北方は春まで溶けない雪が分厚く降り積もっているだろう。
自分の体温を逃さないように、フンワリと良い匂いのする布団を密着させていると、温もった体から疲れが滲み出てくる。
こんな幸せが一番嬉しいなぁ……と眠りに落ちようとした時、コンコンとドアをノックする音に邪魔された。
「誰だ?」
少し機嫌の悪い声になってしまったとしても、バッシのせいではあるまい。誰だって幸せな眠りを邪魔されたら、機嫌も悪くなるというものだろう。
それに返事は無かったが、明らかに人の気配はある。なんだかドアの向こうに立ちすくんでいるように感じた。
バッシが大剣を後ろ手に、触覚鱗を立てながらドアを開けると、そこには夜着に着替えたウーシアが、申し訳なさそうに立っていた。目の錯覚か? その姿は少し大人びて見える。
「どうした? ご主人様には言って来たのか?」
と問うバッシに、首を振って否と伝える。
「こんな夜中に俺と会ったら、また大目玉くらうぞ」
と言うと、
「ご主人様は別室だワン、それに今夜はゲマイン達と今後の作戦会議があるから、かなり遅くなるらしいワン」
と告げた。珍しいな、いつも誰が居なくてもウーシアだけは連れて歩くジュエルが、一人でいるとは。まあ彼女の事だから、何か考えがあるのだろうが。バッシがそう推測していると、
「バッシに少し話したい事があるワン、入っても良いかワンウ?」
とウーシアが告げる。拒絶する理由もないバッシは床に座り込むと、ウーシアは使われずに部屋の隅に寄せられたベッドに腰掛けた。
「何か困っている事でもあるのか?」
何か聞かれたら即座に調べられるように、知育魔本のポコを手元に置くと、ウーシアは少し考えてから、
「困っているというか……考えがまとまらないんだワン。バッシならどうするか? 聞いてほしい事があるんだワンウ」
と言うと、右手を差し出した。何もない所に、銀色の靄が滲み出てくると、剣の形に纏まっていく。それは見慣れたウーシアの霊剣、だがその形は……
「大きくなってる?」
と聞くと、コクリと頷かれる。なるほど、さっき感じた違和感はこれか? 大人びて見えたのは、背格好ではなく、身にまとう雰囲気の問題なのだろう。
その精神状態によって霊剣も形を変えたという事だろうか? 以前はナイフに毛が生えた位のサイズだった刺突短剣が、やや細身の片手剣程の大きさになっている。
「輪廻の女神の波動を浴びて、ウーの体が変わったんだワン、ウォード様が言うには、呪いも含めたウーの精神構造が、一度浄化されたらしいんだワンウ」
という説明に、バッシもあの時の波動を思い出す。全てのものを透過する波は、確かに魂を揺さぶるような力を持っていた。呪いの浄化? という事は……
「この軛も消えたんだワン」
というと、首輪をズラして見せる。本来ならば有るはずの奴隷紋が、綺麗さっぱり無くなっていた。
「それじゃあジュエルとの主従関係は……」
「実質無くなったワン」
と言うと、沈黙が支配した。
この娘の人生は、全て奴隷という身分で過ごして来たのだ。それどころか、先祖代々奴隷として生きてきた。それがひょんな事から解放されるとは……単純に喜んで良いものかどうか? 複雑な心境になる。それはウーシアも同じなのだろう。胸の前に手を組んで、不安気に眉を寄せている。
「早くジュエル様に伝えなきゃとは思うんだワン、でもそうしたらまた奴隷契約を結ぶために、呪いを受ける事になるかもだワンウ」
涙目で訴えるウーシアの肩を持つと、少し震えていた。戦いや迷宮においても、マイペースを保っていたウーシアが怯えている。奴隷契約の呪いは、子供時代に施される事が多いが、トラウマになるほど苦痛を伴うらしい。
それとは別に自由になる事への怯えもあるのだろう。それは魔法王国から逃亡したバッシにも経験のある事だった。
「大丈夫、それはウーシアがわざとやった事じゃないし、呪いが解けたかどうかは、解らなかったとすれば良い。正直だけが正しいとは限らないと……俺は思う」
と言うと、ウーシアが潤んだ目で見つめ返してくる。そっと肩を抱きしめたバッシは、子供にするように小さな背中を撫でてやった。
「これから向かう島国に、ウーの親族が居るかも知れないんだワン。もしも……もしもそこにウーが残ると言えば、ジュエルは許してくれるかワン?」
初めて聞いた話に面食らいながらも、少し事情を聞いたバッシは、大体理解した。その上でそれは……難しいだろう。ガムシャラにSランクを目指すジュエルにとって、優秀なスカウトでありレンジャーのウーシアは欠かす事のできない駒の一つだ。
「難しいな、だが、将来的には分からない。Sランクになれた時には、自由を与えるつもりだと聞いているが」
と言うバッシに、
「怖いんだワン、呪いの縛りが無くなるのがこんなに不安になるなんて、思いもしなかったワンウ。もしもの時は、私自身がどうするか、どうなるのか? 予測できないんだワンウ」
と震える体を強く寄せてきた。その体温に、バッシの心にこれまでに無い、強い感情がこみ上げてくる。それは同じような境遇の者に対する同情なのかもしれない。
でもそれでも良かった。人間らしい生活を知らないバッシにとって、初めて芽生えた熱い感情。
腕の中の少女を抱きしめると、保護を求める小さな鼓動に感情がたかぶる。
「バッシ、泣いてるワンウ?」
手を伸ばしてきたウーシアが、バッシの顔を拭う。そのまま伸び上がると、バッシの顔に近づき……無言のまま口づけを交わした二人。それを止めるものは何も無かった。
*****第二章 おわり*****