決闘
大聖堂のすぐ隣に、神殿騎士の詰める兵舎がある。質実剛健ながら、総大理石造りの巨大建築は、隣接する大聖堂の威風をさらに引き立てる、まさにこの街の守りの象徴だった。
鏡のように磨き上げられた、全身鎧の騎士が両側に立つ門を抜けると、広い空間の検閲部屋に通される。
本来はここで武装解除させられるところだが、大司教の客分にして魔術師ギルド長代理であるリリの護衛として、また聖騎士を目指すジュエルの仲間候補として、鋼の剣を腰に提げたまま、入館する事が許可された。
神殿騎士のジュエルはもちろん、その奴隷従者たるウーシアと、ジュエルと仲間の登録をしているリロも顔パスである。神殿騎士団にとって、聖騎士というものの存在価値は大きいらしい。仲間にまで及ぶ配慮がそう感じさせた。
にも関わらず、当のウーシアは何故かバッシの後ろに張り付いて、さかんに尻の匂いを嗅ごうとしてくる。
「ウーシア、やめて」
待合室に通されて、修練場が開くまでの待ち時間に、少しでも読み進めようとポコを開いて読書をするバッシは、後ろ手をふるってウーシアを払い除けた。
「う〜ん、今朝のバッシも良い匂いだワフン」
目尻をトロンとさげたウーシアが、残念とばかりにジュエルの側に引いて行った。
何だろう? 背筋がむず痒くなるような感覚。たちの悪いものに取り憑かれでもしたような違和感に、尻の穴がキュッとすぼまる。
となりではリロが苦笑しながら、
「大丈夫です、あの子はああ見えて、いたってノーマルですから。単にバッシさんの事を凄く気に入っただけですよ。何せ霊感の鋭い子ですからね」
そう言われて『霊感? 何の事だろう?』と疑問が浮かぶと、手元のポコが温まる。自然と開いたページには、
【霊感】魂を感じ取る能力、味覚、聴覚、嗅覚、視覚、触覚の他に、第六感と呼ばれる直感を鋭く極めたスキル。
という文字の隣のページに、瞑想する僧侶の絵が描かれていた。
並んだ文字は最初読めなかったが、何度も読み返す内に、ポコの魔力補助を受けて何となく意味を理解する。
そこから察するに、犬の獣人であるウーシアは嗅覚と霊感の結び付きが強いのかも知れない。
バッシは、毎回尻の匂いを嗅がれるのは勘弁して欲しいが、魂を気に入ったというのは何だか悪くない気分だと思った。
「そろそろ始業するぞ!」
ジュエルの声が、ホッコリした空気を引き締める。鐘の音と共に重々しく開かれる扉をバックに、バッシの方を向くと、
「貴方の腕に期待してるわ」
と肩に手を添えながらニコッと笑った。朝日に輝く碧眼に見つめられて、我知らず上気したバッシは、
「俺は……頑張る」
と答えると、ポンと腕を叩かれて場内に向かった。昨日の出来事から時間が経ち、バッシは、
『こうなったらとことん付き合ってやろう』
という気になっていた。どうせしなければならない事なんて無い。強いて言えば、死なないために生きて来ただけだ。
求められるという喜びは、人生に少しだけ意味をもたらしてくれるかも知れない。そんな予感じみた思いを抱くのも悪くはなかった。
石造りの外周部と土で固められた修練場、その一画には様々な地形での戦闘を想定した、坂や窪地などが形作られている。建物の大きさに比例した、百人以上が集団訓練しても余裕があるほどの空間だった。
その中央には、フル装備のウィルが、二人の騎士と共に仁王立ちしている。金装飾の施された厚手の板金鎧にフルヘルム、腰元の剣の金柄頭には、魔光を放つ橙魔石。それを隠す様に巨大な円形盾を装備していた。
「ジュエルさま、こちらは同僚の立会人です。貴女を入れて騎士三名の立会いの元行われる、騎士団公認の正式な決闘という事になりますが、よろしいでしょうか?」
鼻息も荒く、ウィルが宣言する。前乗りしての準備といい、かなり気合が入っているのだろう。重量のある装備の合間から、熱気が漏れてきそうだった。
「はい、この状態で決闘の要件は揃いました。後は条件ですが、仲間を選ぶのは私の独断とさせていただきます、よろしいですか?」
修練場の中央に立ったジュエルが、ウィルに問うと、
「もちろん、どんな条件であろうとも、魔力も持たないような者に負ける筈がありません」
胸を張って尊大に答える。
「条件は簡単です。武器は修練場に常設された木剣を使用、防具は自由。魔法の使用は直接攻撃系の使用は禁止、他は自由とします。お互いにまいったと宣言するか、致命傷を与える状態にあったと私が判断した時、止めと同時に決着とします。もちろん真剣勝負ですので、一回勝負とします。よろしいですか?」
ウィルは黙って首を縦に振る。そしてバッシも首是すると、お互いの武装を改めるために一旦壁際まで引いた。
壁一面にかかった剣、槍、斧などの様々な木製の得物から、一番長い木剣を取り上げる。
鋼の大剣よりも少し長いが、重量バランスは悪くない。よく使い込まれた厚身の木剣を振るうと、風切り音を立てて使い心地を確かめた。
どうやら大剣よりも重心が先の方に来ているらしく、握り半分程前詰めに握ると、バッシの準備は整った。
全身の稼働を確かめながら、会場全体をみるとはなしに見る。コボルト達に負わされた傷はすっかり癒えて、ここ最近の豪華な食事のせいか、パワーが漲っていた。浮き立つ心を平常心にもどすため、鋭く息を吸い込むと、臍下を意識しながらユックリと吐き出す。
戦場で覚えた精神統一法、心を真ん中に安定させると、より周囲も見えてくる。
反対コーナーに陣取るウィルは、木剣で盾を叩きながら、精神を高揚させている。バッシを睨み付ける目は充血して、今にも襲いかかる野獣の様相であった。
『戦場で真っ先に死ぬタイプだな、良くCランクまで上がれたものだ』
バッシがそう思って観察していると、
「うおおおぉーっ!」
とウィルが雄叫びを上げた。それを合図に真ん中のジュエルまで歩み寄る。今回の審判は彼女自身が買ってでた。
「ウィル〜っ! 神殿騎士の力を見せてやれ!」
「頑張れ! そんなクズに負けるなよ〜!」
彼の後ろで、見物に来ていたウィルの仲間達らしき数名が騒ぎたてる。その他にも、騎士団団員が数名、リリや連れの魔術師ギルドの職員、その他素性の知れない者が外周部に数名入っていた。バッシがリリを見ると、笑顔で手を振りながら「がんばれ〜っ!」と大声を掛ける。
「もう、師匠ったら。バッシさん、無理はなさらいで下さいね。相手は強化系魔法の達人です。いわば今回の決闘は彼のスタイルにもってこいなんです。怪我をする前に引くのも一つの策だと思います」
心配そうに見上げるリロのなで肩に、ポンと手を添えたバッシは、
「絶対、無理しない」
ある意味消極的な宣言をしつつ、
「そして、ウーシア、やめて」
なおも尻を狙うウーシアを手で払いながら、ゆっくりと中央に向かった。
踏みしめる土は突き固められ、バッシが体重をかけてもビクともしない。それは叩きつけられた時に、ダメージが大きい事を意味していた。地面には申し訳程度に打ち砂が撒かれている。
中央には、人が一人入れる位の円が描かれており、それを挟んでウィルと対峙すると、血走った目と目が合う。尊大で人を見下ろす目。たった一度言葉を交わしただけで、ここまで人を蔑む事ができる彼に、バッシは畏敬の念すら覚えた。
ジュエルの仲立ちで、剣先が触れ合う形に構えを取ると、
「はじめっ!」
サッと後退したジュエルが声を張る。と同時に、
「オリャーッ!」
と大声を上げながら、ウィルが大上段に突っ込んで来た。バッシがウィルの円形盾の方に摺り足で移動すると、それを追うように方向転換してくる。一瞬の隙、盾が邪魔して見えないであろう角度から、剛力に任せて横薙ぎに木剣を叩き込んだ。
不意の衝撃に、踏ん張りを効かせようとする足元。瞬時に切っ先を突き落とすと、グチリという手応えと共に、金色具足の先端が潰れる。
「あがあっ!」
苦痛にゆがむウィルに追い打ちをかけるように、切り上げ、打ち下ろし、脛を薙ぎ、突きを放つ。
バッシの一方的な猛撃にも、盾を巧みに使って防御するウィルを、最後に前蹴りを放って地面に打ち付けた。
仰向けに転がったところにトドメを刺そうとした時、ウィルの剣が光ったと思うと、衝撃波が放たれる。
完全な不意打ちに打たれたバッシは吹き飛ばされ、逆に地面に倒された。
「神よ! 力を与えたまえ!」
両手を上げたウィルの全身を光が包むと、出血していた部位などが見る間に回復していく。そのまま光を纏ったウィルが立ち上がり、剣を構えた時、
「まて! 衝撃魔法は直接攻撃の範疇です! 以降使用した場合、この決闘は無効となりますので、気をつけて。では、はじめっ!」
ジュエルが試合を止めたが、簡単な仕切り直しですぐさま戦闘が再開された。だが警戒したウィルは光を纏ったまま、距離を取って鋭くバッシを睨んでいる。
こちらの方が本来のスタイルなのだろう。構えに隙が少ない。
こうなるとバッシも迂闊には攻める事が出来なかった。戦場で嫌というほど体感した、このタイプの戦士との戦い。派手な魔法と違って、粘り強く、殆どの者が剣技に長けているのが厄介なところだ。
だが、そのことごとくを打ち破り、生き抜いて来たバッシには、戦場で編み出した一応の対策がある。この手の輩は直線的な動きに強く、いなされると横の力に弱いのだ。一時的なパワーの上昇の副作用は、相当な手練れでも克服は難しいらしい。
先ずは相手からの動きを引き出すために木剣の構えを解くと、引きずるように間を詰めた。
あと半歩、予想する相手の刃圏に入るか入らないかの所で、右手をぶらりと伸ばす。ウィルの肩がピクリと動くと、さらに左足を踏み出した。
その瞬間、光を尾引かせながら、ウィルの木剣が振り抜かれる。それはバッシが踏み込む場所を正確に切り裂いた。
だがその時、バッシは左足を横にズラして蹴り込み、再度盾の死角に回り込んでいた。そのまま空振りをするウィルの後ろを取ろうとした時、小さな衝撃波が放たれる。気を取られたバッシは、光る盾ごと突進してきたウィルに弾き飛ばされてしまった。
通常ではあり得ないスピードの体当たりに、瞬時に筋肉を収縮させてダメージを軽減するが、打撲の衝撃で意識が飛びそうになる。
もつれる足を、無理やり踏ん張って堪えた所に、ウィルが盾を前面に再度突進して来た。
今まで見た事が無いが、何かのスキルだろうか? 盾自体が淡く発光している。咄嗟に木剣を地に突き立てると、体を入れて盾をいなした。ミシリと嫌な音を立てた木剣は、しかし何とか突進を横にそらせる事に成功する。
そのまま勢いの止まらないウィルの背中に渾身の一撃を叩き込むと、鈍い音と共に鎧の背部がひしゃげ、木剣が砕け散る。
「ぐえっ!」
というカエルが潰れた様な声と共に、硬い地面にバウンドしたウィル。そこに追い打ちをかけるように折れた木剣を突き下ろした、その瞬間、
「それまで!」
いつの間にか側に立っていたジュエルが、バッシの腕を抱えるように受け止めた。そのまま腕を持ち上げると、
「勝者、バッシ!」
声も高らかに勝ち名乗りを告げる。身長差から斜めに伸びた手を持て余したバッシは、呆気にとられる周囲を見回した。