二液爆発と大赤百足
「こっちの奴は任せろ! ウーシアは俺のサポート、トト達は装甲車の左側面を死守してくれ!」
バッシは吠えるように叫ぶと、大顎を広げながら迫る黒百足を、擦り抜けざま袈裟がけに斬る。大量の体液を浴びながら、次に襲いかかる黒百足の胴体を薙ぎ斬ると、断末魔にもがき伸びる足を、蹴り飛ばして遠ざけた。
重戦士と蛮族戦士を先頭に立てたトト達は、ヴェールの水魔法が効果的に炸裂し、両者の隙間をトトの鞭がサポートするという、息の合った連携を見せている。
ゲマインは何かを探索しているらしく、女魔法戦士と少し後方に控えていた。
バッシが目の前に迫る黒百足を真っ二つに切り裂いた時、後ろに控えていたウーシアが、
「この臭い、何か悪い予感がするワン」
飛び散った体液を嗅ぎながら言う。確かに沸騰するほど熱い腐汁は、酷く臭った。さらに騎士達が犠牲を伴いながら仕留めた死骸からは、道全体が濡れるほどの体液が溢れ出している。
そこに新たな闇が隆起する。
「そこだっ!」
狙い澄まして射ったゲマインの矢には、魔法戦士の宿した魔光が宿っていた。
隆起した闇の中から、巨大な虫の頭部が現れる。次の瞬間、輝く矢が見事にその頭部を貫くと、盛り上がった闇の内部をさらす事なく、動きが止まる。
だが、さらに前方では、もう一匹の巨大な虫が闇から姿を現した。全身純白の巨大な幼虫に見えるそれは、手近な騎士に乗りかかって肩口を顎で貫くと、
「ビィィイィィッ!」
と奇声を発して噛みちぎる。周囲の騎士達は、馬上槍を構えると、一斉に突撃して、巨大幼虫を串刺しにした。
柔らかい体側は何の抵抗も示さずに破れ、ミルク状の体液が飛び散る。その瞬間、黒百足の体液と混じり合い、猛烈な霧が発生した。
〝やばい!〟
背筋を走る悪寒、それよりも一歩早く動いたウーシアがバッシの手を引くと、ジュエルの元へと引っ張った。
何も聞かずにダッシュしたバッシの目前に、待ち構えていたジュエルが仁王立ちで盾を構えている。
ウーシアにせっつかれ、最後は頭から飛び込むようにしてジュエルの後ろに転がり込むと、同時に後ろから閃光が爆ぜた。爆発音と共に、ジュエルの展開した聖守護結界に爆風が吹き付ける。
吹き飛ばされた騎士や馬、土砂などが張り付き、結界の表面を滑っていく。それら一瞬の出来事が、克明に目に焼き付いた。
結界が悲鳴を上げ、ジュエルの口からは、食いしばり過ぎたせいで血が流れる。時折「ググッ」と声が漏れるほど、負荷をかける爆風の猛威は続き、全てが終わった後には、前方の騎士達は概ね吹き飛ばされ、ポッカリと空間が空いていた。
「黒百足の体液と白い虫の体液が混じると、爆発をひき起こすようね」
冷めた声のゲマインが分析する。確かに二液が混じった瞬間の出来事だから間違いないだろう。どう仕留めたものか……次に現れた時の対策を練るが、体液すら出させないのは中々難しいと感じた。
司祭団はというと、咄嗟に小規模な結界を作ったのだろう、戦士団や周囲にいた騎士共々、大部分が生き延びている。その中にはギンスバルグ隊長も含まれていた。
彼は吹き飛ばされた部下達を一瞥すると、生き残った者達に向けて、
「素早く装甲車前に集合、確認後出発するぞ!」
何事もなかったかのように告げ、ふたたび光球を天に放った。
「あいつはどうなってんだ? 仲間の死も気にしないってか?」
トトが呆れるのに向けて、
「〝冷眼〟のギンスバルグだから、昔からあんな感じよ。我々部下も承知の上、ああ見えて良い所もあるんだけどね」
魔力消費に憔悴した顔のジュエルがつぶやいた。
再編された部隊は、騎士が50弱、うち馬が生きているのは半数だった。それに比べて司祭団と護衛戦士、その後ろについていた魔法使い達は、少しの被害で済んでいるが、ここまで使い続けた魔力消費は半端なものではない。
かなりの戦力ダウンは否めないが、強気のギンスバルグは、
「再度結界を形成、司祭団の中に騎士達を編入して、突貫するぞ。目的地までもう少しだ! 皆気合を入れなおせ」
光球の俯瞰視点から、的確な指示を飛ばすと、先頭に立って行軍を始めた。
煙を上げる道、馬具、人の残骸……地獄絵図のような爆発痕を進むが、先ほどの怪しい染みや危険な闇は見受けられない。
ウーシアに聞いても眉をしかめるのみで、二液爆発の酷い臭気によって鼻が効かないらしく、霊感の感度も下がっているためか、何も掴めないという。
「すまないワン」
と言う彼女の頭をなでたバッシは、飾り鱗をピンと張って、周囲を探査しながら進んだ。
途中、大きな落石などをどけるのに手間取りながらも、ゆっくりと前進する隊は、やっと見晴らしの良い地点にさしかかる。
前方を見ると、青空の下に真っ直ぐに伸びる尖塔が見えた。
やっと離宮が見えて来た!
皆の気持ちが軽くなる。だが、ゲマインだけは眉を逆立てて、
「あれは……」
と絶句した。
バッシが、
「どうかしたのか?」
と聞くと、遠くを指差して黙り込む。その先を良く見ると、凹凸になった地面の影がユラユラと揺れている事に気がついた。
あれは……黒百足の大群か? あの距離でこの数だと、数百、いや数千匹はくだるまい。
背筋に冷や汗が流れる。その時、先頭のギンスバルグが大きく棒状を振り上げると、
「祈りを捧げよ! 我らの全能なる神ハドルよ! 聖戦に参列する迷える子らに、力をお示し下さい」
空中に幾筋もの尾を引かせて、十は下らない数の光球を打ち上げる。それは司祭達の祈りを受けて、輝きを増しながら、大きく膨らんでいった。
棒状が振り下ろされると同時に、線を描いて発射された光球が、それぞれ黒百足蠢く影に着弾すると、閃光を放つ。
その威力に地面が揺れ、吹き飛ばされた黒百足達の残骸が吹き飛ぶ中、収まらぬ振動が轟音となって襲ってきた。
「来るぞ!」
隣のウォードが、惚けたように突っ立つ騎士から弓を奪うと、一体の黒百足を射抜く。それに続いて騎士や戦士、冒険者達が一斉に射出武器を撃ち放った。
それを追うように、魔法使い達も遠距離攻撃魔法を完成させると、火以外の属性魔法が空間ごと黒百足達を蹂躙していく。
空間を彩る雷や水魔法の爆発、その隙間に吸い込まれるように射出武器が放たれる。
だが黒百足の数は圧倒的に多く、それを見極めたギンスバルグは、上空から俯瞰した手薄な方面に向けて光球を発射すると、
「陣形崩さず、光球に向かって全速前進! 魔法使いはなるべく引きつけてから、前面に火力を集中しろ! 司祭団は最前列に結界を展開、魔力も残り少ない、スピードが命だぞ!」
馬も徒歩も関係なく全速力で走らせ、周囲を取り囲む黒百足を置き去りにする形で、一点突破を試みた。
それでも両サイドから飛びかかってくる百足達。バッシも走りながら寄らば斬り、少し距離のある時は、鎌鉈を投擲して、何匹切ったかわからなくなってきた。
既にズッシリと重たいほど体液を浴びている。その時、地面が大きく盛り上がった。
〝すわ! 白い幼虫か?〟 と皆が殺気立つと、出て来る前に魔法を浴びせかけようとした魔法使い達が、身を乗り出して集まる。
だがそこから顔を出したのは、以前に見た大赤百足だった。魔法使い達に正対すると、大顎の間から、猛烈な火柱を放射する。
遠くのバッシにまで及ぶ熱波。その火力に他の魔法がかき消されると、真っ正面の魔法使い達が飲み込まれた。
まるでタンたんのような超高熱の火炎に、結界を形成する司祭達からも悲鳴が上がる。
その時、奥に控えていたリロが、
「赤百足は任せて下さい」
と告げると、発光するタンたんを抱えながら、駆け寄って来た。
「おいっ! 一人では無茶だ」
声を張り上げたバッシは、リーダーたるジュエルを振り向くと、承認を受けて走りだす。
「ウーシアも付いていけ!」
という言葉を背に受けて、見る間に人混みに紛れるリロを追った。
走りながら魔力を溜めているのだろう、リロの後ろ姿が淡く発光している。何の魔法かは知らないが、彼女がこれほど前準備をして魔法を発動させるのは、タイタンを仕留めた、黒い炎以来の事だった。
案の定、タンたんの前面に魔法陣が現れると、異様な熱を持った魔法陣が形成されていく。先頭に近づくにつれ、その中心部から赤黒く鈍い光を放ち出した。
バッシ達がやっと追いついた頃、
『P665 : 暗状紅炎』
いつものタンたんの声と、更に地の底から響くような低音の声が重なって響く。
魔法陣から伸びる赤黒い炎は、生物的忌避感に満ちており、禍々しい力の波が炎の触手となって、赤百足の発する火炎放射を吸い込んでいった。
赤百足が火炎放射を止めると、全てを飲み込んだタンたんが〝パタン〟とページを閉じる。
その背表紙は今や赤黒く不気味に発光しており、リロは足元がおぼつかないほど、疲労して見えた。
その時、赤百足の後ろからワラワラと白い幼虫が湧き出てきた。これだけ皆の体に黒百足の体液が染み込んでいるところに、白幼虫の体液を浴びたら、大惨事になってしまう。
バッシがリロの前に出て、龍装の厚みを上げると、後ろから、
「ここは私の出番ですね」
と爽やかな声が聞こえた。青い水剣を提げたヴェールと、その隣には、ウインクをするトトの姿。
彼女は目にも止まらぬ速さで駆け抜けると、魔力の鞭を振るい、白幼虫の頭部を魔法の残滓で結んでいく。後方では魔法の詠唱を始めるヴェール、だがそれらを黙って見ている赤百足ではなかった。
顎の付け根にチロチロと焔が踊ると、体を仰け反らせて立ち上がる。
そこにバッシが突進をかけると、分厚く展開した肩周辺の龍装が盾となり、赤百足の胴体に重い一撃をみまった。
太い多節体には、真っ赤な爪が鋭く伸びている。その一つ一つが火のような熱を帯びると、瞬時に閉じ、避けたつもりが右の太ももをひっかかれる。厚く張った龍装が焼かれて焦げる臭いが鼻をついた。
バッシは左足を強引につくと、龍装の爪で地面を掴み、太ももに引っかかる爪を大剣で切り上げる。大赤百足は切り裂かれた足爪を気にする様子も無く、顎をガチガチと鳴らして、威嚇音とともに大熱量の火炎を吐き出した。
咄嗟に紫の光に包まれたバッシは、冷静に周囲の状況を見る。白幼虫を封じたトトの後ろでは、巨大な水球を頭上に発生させたヴェールが、呪文を完成させようとしていた。
「俺ごとやれっ!」
全身に火炎放射を受けながら、大声一発、ヴェールに向けて叫ぶと、驚きに目を見開いたヴェールが頷く。
次の瞬間、平面に広がった水が、大量の降水となって周囲を覆った。
バッシは水魔法に押しつぶされる前に、一瞬押し下げられた赤百足の首を狙って、突きを放つ。だが、地面をガッチリ掴んでいた爪を放し、火炎放射の勢いで後退した赤百足を捉える事は出来なかった。
その赤百足も、ヴェールの範囲魔法から逃れることは叶わず、容赦無く水に叩かれる。
バッシは全身を包む紫光の範囲を増すと、超水圧のかかる魔法圏内から脱出した。
横に避難して、水魔法が効力を失うまで様子を見ていると、次第に降水量が少なくなり、最後には虹を放って完了する。
特に前方の白幼虫を狙ったのだろう。そこには大きな穴が空き、大量の水に浸された幼虫の体の一部が浮いていた。動きは無い、完全に死亡しているようだ。
ヴェールとトトを見ると、満更でもない顔で笑顔を見せる。バッシは一つ頷くと、仲間の元に急いだ。バッシ達が引きつけている間にも、ゴリ押しに進む本隊は、離宮に近づいて全速前進している。
その時、赤百足がゾロリと動いた。剣を構えてその様子を見ようとすると、岩の隙間に出来た闇に向かって、物凄い勢いで這いずっていく。
バッシは残りの鎌鉈を放ちながら追いかけたが、鎌鉈が赤百足の背中を貫いたところで、闇の中にズルンッと逃げ込まれた。
地面に落ちる鎌鉈、一瞬の隙に逃げられたバッシは、悔しさを堪えて鎌鉈を拾う。
「バッシ早く!」
トトの声に振り向くと、怒涛の勢いで進む本隊を追って走り出した。