風になびく、柔らかい心音
「暗焔域に吸魂神器か、まさに聖火教の秘奥魔術って感じね」
戦場痕を冷静に見つめたゲマインが呟く。
「ダーク・フィールド? あの熱い沼の事か?」
戻って来たギンスバルグの疑問に、
「そうです、聖火教における地獄の一つ、それを現世に喚び出すとは、並の術者ではありません。幻術とまったく同時に消滅したという事は、術者は一人でしょう。少なくとも二つの魔法を高レベルで操れる術者……世界に多数の信者がいるとしても、これだけの術者はそうそう居ない筈です」
ダーク・フィールドと呼ばれた術の痕を検分しながら話す。となりではギンスバルグが地面に触るが、石の多い普通の土だった。
掴んだ土塊を手の中で崩しながら、
「あの戦輪も同じ奴か?」
と尋ねるが、
「それは分かりません、さすがに二つの異なる魔法を使った上で、更に高度な魔力を要する術を使えるとは思えません。ですのでウンド以外の第三者が居た可能性が高いです。私の目にも捉え切れなかったとしたら、相当な隠匿能力……恐ろしい敵です」
ゲマインの厳しい表情を見て、ギンスバルグも敵の撤退した先を見据える。先ほどの念話といい、この女の能力に疑う余地は無い。その彼女ですら見通せなかったとはーー見えない敵の脅威をどう払うか? 護衛隊の責任者としては、一番厄介な敵だと認識した。
「それで? 追跡した二人の方はどうだ?」
撤退する敵にマーキングを施したトトと、双剣使いのベイルが追跡に回っている。その首尾を問うと、
「トトの位置からすると、約5キロ離れた地点で止まっています。そこに敵のアジトが有るか、単に停滞しているか? 念話も通じない距離なので確認しようが有りません。いや、動き出しました。こちらに戻って来るようです」
ゲマインの報告を受けたギンスバルグは、今度は寝伏せたバッシを介抱する、ジュエルの元に向かった。
今回の戦闘は殆どこの巨人戦士が行なっている。早く起きてもらわないと、状況が分からない。その男は頭部にかなりの損傷を受けたらしく、ジュエルと神聖魔法の得意な神殿騎士の二人がかりで回復に努めていた。
「バッシの調子はどうだ? 状況説明だけでも早急にしてもらわないと、現状確認すら出来ないぞ」
ギンスバルグの言葉は冷たいが、同僚は皆慣れたもので、ジュエルは特に気にした様子も無く、
「隊長、頭部の損傷は下手をすると記憶障害、それ以上に運動にも障害を残す事があります。今日中の回復は無理がありますから、諦めて下さい」
と告げた。隣の騎士も頷いている。大きな木片で頭を固定している上にこの巨体では、ろくに動かす事も出来ない。
「仕方ない、バッシへの聞き取りは明朝として、偵察隊の報告を待つ間、野営の準備を始めろ」
馬の世話をしていた二人の騎士と、ウーシア達に命令すると、自身はゲマインと共に状況の確認を再開し始めた。
とにかく情報が少な過ぎる。神経質なギンスバルグは、汚れた茶革の手袋を拭うと、拭き取った布を地面に投げ捨てた。
*****
結局バッシが目覚めたのは、翌日の早朝だった。頭の芯がズキリと痛む、その反射で体を丸めようとしたバッシは、何故か体を動かす事ができなかった。
その物音に目覚めたウーシアが、
「バッシ、動くなだワン、頭にダメージを負っているから、ご主人様から動かすなって命令されたワンウ」
ジュエルを呼んでくると言って、駆け出したウーシアに声をかけようとしたが、舌が上手く回らない事に気付く。
そういえばここはどこだ? 確か離宮に出発して……それからの先の事が思い出せない。
「バッシ、大丈夫か?」
しばらくして走って来たジュエルが、頭元で話しかけてくる。それに対して、
「らいりょうぶ、りゃらひ」
大丈夫じゃない、と言おうとして、またもや舌が回らなかった。だがさっきよりは幾分ましだろう、少なくとも声は出た。
「昨晩はかなり大きないびきをかいていたからな、ハッカユ殿の高度な治癒魔法で全快した筈だが、暫くはそのまま寝ていろ」
と言うジュエルの言葉に甘えたバッシは、朝日が昇り切る時間まで、ノンビリと身を横たえて過ごした。
枕元ではウーシアが付きっ切りで看病してくれている。バッシの頭が動かないように胸にかき抱く、その柔らかい心音に癒された。
ウトウトと居眠りをする彼女の髪の毛が、風になぶられるのを見る間、全身の不具合を確かめてみる。時間が経つほどに痺れや痛みがましになり、騎士達が来る頃には、胡座を組んでも平気になっていた。
「バッシ、頭の具合はどうだ?」
先頭に立つギンスバルグが見下ろしながら、逆にウーシアを抱えて座るバッシに尋ねる。
「頭は元々悪いから、そんなに変わりは無い、です。だが出発後の記憶も無いです」
バッシの答えに明らかに失望した彼は、
「偵察隊も空振りだ、敵は途中で飛竜にさらわれた。全く手掛かり無しとは、どういう事だ?」
苛立たし気に地面を蹴った。そのつぶてを受けながら、
「ただし襲われたのは何となく思い出しました。断片的な記憶では、ウンドの異様な目、そして真っ黒な曲刀が印象に残っています」
「ああ、ゲマインの言っていた吸魂神器の事だな。使用者の魂を消費する代わりに、強大な力を与えると言う」
「魂を消費、呪われた武具? それであの変貌ぶりだったのか?」
「それ以外は分からぬか?」
ギンスバルグが問うが、今のところはそれ以外何も思い出せない。首を横に振ると、
「仕方ない、何か思い出したら即報告するように。半刻で出発するぞ、腹を満たしておけ」
と告げると去って行った。
腹という言葉を聞いた途端、猛烈な空腹感に襲われる。昨日の戦闘では、相当のカロリーを消費したに違いない。腕や頬が筋ばって、明らかに脂肪が目減りしていた。
寝不足なウーシアを膝に抱えながら、携行食料を有る分全部貪り食べ、大きな水袋一つ分を丸々飲み干す。
しばらくしてウーシアが起き出すと、二人揃って大あくびをした。
「う〜〜ん!」
と反らせた背中がポキポキと鳴り、頭がまだ少し痛む。
「ふわ〜う、大丈夫かワン?」
あくびをして真っ赤な目で見上げてくるウーシアに、
「まあな、ありがとう」
と言うと、破顔一笑、
「わんっ!」
と答えた。その頭を撫でていると、
「出発するぞ!」
ギンスバルグの号令が響く。側に来たジュエルが、
「大丈夫か? 無理ならここに居るか、聖都に戻っても良いぞ」
と言うが、全身の状態を確認したバッシは、
「大丈夫だ、これ位の事は戦場では良くあった。休ませてももらっただけでも大分助かる」
と言うと、荷物を担いだ。
「さあ、ウーシアも準備しろ。馬も待ってるぞ」
指し示す先には、優しそうな顔の騎士が、ジュエルとウーシアの騎馬を連れて佇んでいる。
「ハッカユ殿、ありがとうございます。じゃあバッシも無理は禁物だぞ。何かあったら直ぐに知らせろ」
とジュエルが言うと、引き連れていた馬に跨り、
「ギンスバルグ隊長、お待たせしました。こちらも直ぐに出立出来ます」
隊の先頭へと駆けて行った。
バッシはしきりに心配するウーシアを騎乗させると、軽くストレッチをして体をほぐした後、再度離宮へと向かって出発する。多少ふらつくが、動いている内にこなれてくるだろう。
その後は何の滞りもなく、護衛の下見を終える事ができた。聖都に帰還したのはさらに二日後の事である。
その間、留守にしていた聖都では、とある揉め事が起こっていたーー
*****
「我々の教義に反します!」
聖都守護の現場責任者である、一等結界師ナーユエヘン老が泡を飛ばして主張する。
厳格な教典原理主義者の彼にとって、伝統と格式ある聖都守護結界の媒体である黄魔石は、信仰と同義であると錯覚するほど、崇めたて祀る存在だった。
それがいきなり破壊されて、なおかつ大司教が慌てて持って来たのは、東方龍の黄魔石だと言う。
見るまでもなく魔力に溢れたそれは、確かに砕かれた旧来の魔石よりは数段優れているだろう、ただし魔力という一点において。
何より元の魔石は、聖都発祥時から今まで受け継がれ、時の結界師達が大事に守って来た、いわば聖都の歴史そのものだった。
何よりそれを設置したのが建都の大聖人オリジン様である所も大きい。
「別に教義に反してはおらん、元よりオリジン様の残された言葉として、力が弱まれば直ぐに交換するようにと文献にも残されておる。元の性能が高すぎて、今までもったのが奇跡というものだ。これも神の契機、そう思って素直にこれを使ってくれい」
大司教の言葉にも、憤懣やる方無いナーユエヘン老は耳を貸さなかった。
その態度に、周囲のもの達も慌てて取り繕うが、本人は全く譲る気配がない。
実際結界魔法の腕では並ぶ者の無い実力を持ち、普段からそれを自慢にして来た彼にとって、勇者の一行とはいえ、一匹の剣龍の火炎放射に、結界を消滅させられた事が、プライドを深く傷付けたのだろう。
先の聖都侵入事件にしても、結界班は何をしていたのかと叱責を受けて、より心を閉ざしていた所である。
そこへ、
「ナーユじいさん、まだ生きてたのか? サッサと石っころを変えろ。こいつやリリが安心して他の事に集中出来ないだろうが」
ブラリとやって来た剣聖ウォードが、いつの間にか黄魔石を奪い、ナーユエヘンの手に無理やり押し付けた。
「なっ! い、石っころとはなんじゃ、この剣狂いめ! 事はそんなに単純ではないんじゃ、口を慎め」
顔を真っ赤にして抗議する老人の肩を抱くと、グイッと身を寄せて、
「口を慎むのはそっちだジジイ、こっちはな、大切な仲間を二人も譲った貸しがある。そして勇者を育て上げてやった。見返りも無くだ。この魔石にしても、最高級の力ある龍玉を探して来てやった。俺のコネでな。勘違いするなよ? お前らのためじゃない。全て仲間のためだ。不甲斐ないお前らにリリを託すが、これ以上ごねたら殺すぞ。お前を殺してもお釣りが来る位には、この宗教に貸しがある、違うか?」
耳元で囁く。そこから滲み出る威圧感は、他の人間を寄せ付けないものがあった。
逆に一番間近でその威圧に晒されたナーユエヘン老は、一気に年を取ったようにヨロヨロと後じさり、周囲の者に支えられる始末である。
間に入った大司教が、
「大丈夫だ、な? ナーユエヘン老師も直ぐに結界構築にかかってくれ、この話は後ほどゆっくり議題にのせよう。今は緊急を要する。皆のものも、直ぐに準備に取り掛かってくれ」
と言いながら、皆が持ち場に戻るのを見届けると、
「ウォード殿! あまりと言えばあまりに性急な行い……頼むから穏便にして下さいよ」
後半は懇願するかのような口ぶりだった。胃が痛むのか、しきりにお腹に治癒魔法を施している。
それを見下ろしたウォードは、
「ふん、相変わらず力に見合わぬ弱気ぶりだな。だが急がねばならん訳がある。ここでは話せんから、お前の部屋に案内しろ」
と言った時の目は、真剣そのものだった。この人物をして急がせる訳、それを聞いたらまた胃が痛むのだろうな……そう推測して、入念に治癒魔法を施す大司教は、自分の執務室に歩き出した。
次回は11月5日投稿予定です。