リロと仲間達
〝ペネロペの気まぐれ亭〟は大通りを逸れた裏筋にあるこじんまりとした食堂である。名前の通り季節に合わせて気まぐれに作られるのは、店主ペネロペの〝気まぐれコース〟のみ。それでも味の評判を聞き付けた聖都の住人達で、毎晩盛況を博していた。
「いらっしゃい! お久しぶりねリリ」
早くも賑わいを見せる店内に入ると、恰幅の良いおかみさんが笑顔で迎える。そのふくよかな胸に飛び込んだリリは、
「もふぅ〜ん、もひふぁひぃゔり〜」
と顔を擦り付けると、ぷはぁっ! と顔を上げた。口元は涎を垂らさんばかりに緩んでいる。おかみさんは苦笑しながら、
「リロちゃん達が上で待ってるわよ」
と促すと、呆気に取られるバッシを見て、
「いらっしゃい、うちは初めてね、自分の家だと思って、ゆっくりして行ってちょうだい」
と言いながら「ママ〜ン」と寄りかかるリリを「よしよし」とあやしつつ二階への階段へと導いて行った。
体重に軋む階段を窮屈に登ると、通路に面して三つのドアがある。先導するおかみさんがそのうちの一つを開けると、
「ゆっくりして行ってねリリ、後で土産話でも聞かせてちょうだい」
と言って、胸元からリリを引き剥がした。
「もふぅん」
と愚図るリリを、
「お久しぶりです、リリ・ウォルタ様」
と張りのある声が迎える。テーブルから立ち上がった女性は、スラリと長身の、目元も涼しい気品の有る女性だった。昼間神殿で見た、騎士の装束を身に纏っている。
「ジュエルちゃんお久しぶり〜」
嬉しそうに挨拶するリリと握手を交わす。その勝気な笑顔の奥には優し気に手を振るリロ、その隣に同じ位の背丈の少女が立っていた。
だが、バッシの注意はジュエルと呼ばれた女性の隣に注がれる。にこやかに立つその男には見覚えがあった。神殿に居た門番の騎士、名前は……
「ウィル、貴方もリロ達の仲間になったの?」
リリが驚いた様な声を上げる。すると隣に居たジュエルが、
「ウィルには色々と手伝ってもらっているんです。修行時代にはC級冒険者として活躍してましたからね。一緒に依頼を受けたりして、手解きを受けているんですよ」
とウィルの肩を叩くと、彼は、
「私はそのまま旅の仲間に加えさせていただきたいぐらいなんですけどね」
と冗談めかして肩を竦めた。その間バッシは後方からジッと見つめる目を感じていた。リロの側で隠れる様に佇む少女、その影から目だけが浮き上がり、片時も目線を外さない。
「そちらの御仁は?」
ジュエルの声に、自分の事だと意識を戻されると、
「こちらはバッシ、私の護衛よ」
とリリが腕を取ってバッシを前に押し出す。あんまり押されるので、仕方なく一歩踏み出すと、
「私はジュエル・エ・ポエンシャルと申します。先ほどリロから武勇伝を聞きました。何でも魔吠族の群れを一人で討伐したとか」
握手の求めに手を取ると、力強く振りながら見上げて来た。女性らしくない剣ダコに変形した掌。とても生き生きとした、生命力を感じさせる濃いめの碧眼に、抜けるような白い肌と、輝く金髪がとても良く似合う美人である。背丈もバッシほどではないが、ウィルと同じくらいはあるだろう。引き締まった身体を有している事が、動作の端々から伝わってきた。
軽く頭を下げたバッシが、何と言って良いものか分からずにまごついていると、
「さあさあ、挨拶はそのくらいにして、先ずは席につきましょう。折角の料理が冷めてしまうわ」
リリの言葉通り、テーブルには既に、焼きたてのパンと、山ほど盛られたバターが大めの皿に盛られていた。
底辺冒険者のバッシからすると、バターどころか焼きたてのパンなど、食べたことも無いほどの高級品である。
ましてや旅の後、街中に入っての初めての食事。湯気を立てる山盛りのパンを見て、バッシの腹が〝グ〜ッ〟と鳴った。
「さあさあ、遠慮せずにドンドン食べて!」
というリリの言葉に甘えてテーブルにつくと、食欲の命ずるままに貪るようにパンをほおばる。パリパリの外側を齧ると、モッチリとした生地が香り立つ小麦のパン。思わず漏れた笑みに、持ち上がる頬を下げる事が出来なかった。そこにバターをたっぷり塗ると、今まで食べた事の無いほど深い味わい。これは止まる筈がない。
そこへ次々とやってくる料理の数々。夏の終わりを告げる黄連豆のスープに、セルゼエフ鴨の燻製を散らした温野菜のサラダ。メインは聖都に流れるハープ川名産の川魚、ハープカープの香草焼き。どれも美味しくて、ガツガツと食べ進める。
そしてデザートに巨大なプディングが運ばれてくると、薄く焼いた小麦粉の皮で包み、目の前で柑橘類をフランベしたソースがかけられた。
それらをリロの説明を聞くとは無しに平らげる。出てくる料理は全てボリュームがあり、途中で注文された白ワインが三本も空く頃には、流石のバッシも満腹になっていた。
騎士であるジュエルやウィルはもちろん、リリやリロも見た目に反して大食いで、程良いアルコールが口を軽くする。
そこで話題はもっぱら、バッシの退治した魔吠族の話になった。
着ている毛皮や鎌鉈がコボルト・キングの物だと言うと、その剣爪の大きさに、一同が驚く。そしてどのように退治したのか? というリロの質問に、
「ただ斬った」
と再度答えると、
「咆哮魔術はどうしたのですか? かなり強力な氏族の王が居着いたと聞きましたが」
ここぞとばかり、昼間に聞き出せなかったリロが再度聞いてくる。何も隠す気の無いバッシが、
「俺、効かない。魔力、無い」
と答えると、それまで黙っていたウィルが、
「はあ? 魔力が無いって、バッシの事かい? 全然ないのか?」
と被せて来る。この手の蔑みには慣れているバッシが、
「全然、無い」
と答えると、
「うへっ! 良くそれで冒険者なんてしてるな。魔力の少ない奴は居るが、ゼロって奴は聞いた事ないよ」
途端にぞんざいな口調になって、お手上げと言わんばかりに肩を竦めて薄ら笑った。
確かに周囲の冒険者達は、多少なりとも魔力を有していた。魔力ゼロなのはバッシくらいのもので、それ故に与えられる仕事もカスみたいな依頼や、雑魚モンスターの駆除ばかり。まともな稼ぎなど到底望めない。冒険者証を裏ルートで入手した時の借金の返済がかさみ、まともな食事などはいつ以来か? という有様である。
事実、バッシの冒険者ランクは最低のFから一つも上がらず、大物モンスターを狩っても、同行者ばかりが認められていった。挙句の果てには使い捨ての駒のように、雇い主から見捨てられる始末である。軽く扱われるのも無理は無い、と思っていると、
「あら、彼の剣の腕は、あのノームも認めているのよ。現にその鋼の剣は、彼が鍛え直した逸品だし」
とリリが大声でまくしたてた。その言葉にジュエル達が反応する。ドワーフの鍛冶長ノームもまた有名人らしい。
そしてどうやら少し酒が効いてきたらしい、リリは半眼になってウィルを睨み付け、
「私はバッシこそ、ジュエル達の旅の仲間にピッタリだと思うの。女の子ばかりじゃ、何かと不便な事もあるしね。彼なら信頼できるわ」
何だか良く分からない事を言って来た。置いてけぼりのバッシに、ジュエルの了解を得たリロが、
「ジュエルは神殿騎士なんですが、聖騎士を目指しているのです。その条件というのが神託で下されるのですが……それが冒険者としてSランクになって、世界を救済して回るという条件なのです」
と告げた。Sランクという条件に目を見開いて驚くと、
「これは秘密でもなんでも無いわ。神託の儀式は公開されているから。でもSランクというのは、流石に私も容易ではないと腹を括っているところよ」
と自嘲気味のジュエルが呟く。それほどSランクというのは厳しい条件だった。それこそ何度も国を救うような活躍をしたAランクの冒険者が、稀に認められる名誉階級のような扱いである。
過去に遡っても、国の歴史に数えるほどしか居ないような存在だった。
「ジュエルさんの旅の仲間に、魔力の無い者を推挙するだって?」
そこに割って入るのは、リリの視線にも厚顔を貫くウィル。その顔は赤みがかり、彼も少しばかり酒が効いているらしい。
「ならば私の方が向いていると思いませんか? ジュエルさん」
と隣のジュエルに詰め寄る。その酒臭い息を避けて間を取ったジュエルは、何かを思いついたようにニヤリと口角を上げると、
「それは……強い方を仲間にしたいわね。Sランクへの道は長く険しいから。どうかしら? 決闘で決めるっていうのは」
とんでもない事を言い出した。仲間も何も、バッシは何も望んでいないのに、決闘だと? 何の得も無い戦闘など冗談じゃない。「とんでもない」と言い掛けたところで、
「上等じゃない、バッシ、あなたの強さを見せつけてあげなさい!」
リリの大声にかき消されてしまった。口をパクパクするバッシを差し置いて、盛り上がる周囲。あっという間に明日、神殿騎士の修練場で決闘をする事が決定してしまう。
『なんて事だ』
隣で盛り上がるリリの歓声に、頭痛のしてきたバッシが頭を下げると、テーブルの下に居る女の子と目が合った。
何の真似か? 匂いを嗅いでいるようにも見える。
「あらウーシアちゃん、こんな所で。バッシの事が気になるの?」
リリの声掛けに、
「ワフッ」
と答えたウーシアと呼ばれた少女は、バッシの膝に身を寄せると目を輝かせ、尻尾を振ってじゃれついてきた。
犬獣人の娘ウーシア。二人目のリロの仲間は、どうやら彼の事が気に入ったようである。
*****
「どう? ウーシア、あなたの第六感はあの男をどう判断した?」
食事の後、明日以降の打ち合わせをしたジュエルは、一足先にペネロペの店を出て、自室のある宿舎までウーシアと共に歩いていた。
「良い匂いがしたワフ、性格、性質共に申し分無い男だなフ!」
主人を見上げたウーシアは、バッシの匂いを思い出して、ウットリと頬を緩ませる。長旅の後体を拭きもせず、着っぱなしの一張羅はかなりの臭いを発しているが、ウーシアの嗅ぎ分けるのは対象者の魂。バッシの魂はピュアで鮮烈、まるで無駄がなく、どっしりと安定していた。
「それは何より。あの巨体に漲る生命力と、行動の端々に感じる敏捷性。そして何よりもあの大剣」
「おっきかったワフ!」
「見たか? あの柄頭に刻まれた〝神の槌〟ノームの双槌紋、過去数える程の剣にしか刻まれた事の無い、至高の剣の証。ノームに認められたほどの剣士なら、是非仲間に引き込みたいわね」
「ウィルはキモイし口ばっかの押しかけ野郎だワフ。伝統で仲間は四人に決まっているワフ、もう一人は慎重に決めないとだめだワン! バッシはもってこいだワフ」
「あなたの鼻は頼りになるからね。神託の出た二年前、あなたを落札できて本当によかったわ」
ウーシアにかけられた首輪をなぞる。その下には、奴隷が逃げ出さないように管理するための隷属の呪術紋、〝軛〟が彫り込まれてあった。その禍々しい黒革を撫でると、犬獣人の娘は目を細める。街灯に影を引かせる二人は、そのまま連れ立って歩いていった。
『明日から忙しくなりそうだ』
今後の段取りを話し合いながら。